第99話:不知火湊VS劉党
「『来た!』」
鶴来美里、星宮那由多が通話しながら同時に喜ぶ。
今までの湊に違和感があったわけではない。変わろうと言う努力なのだと理解していたし、それ自体は正しい方向性であったと思っていた。
それでも今、前で世界トップレベルの鉄壁を打ち破り思う。
これこそが不知火湊なのだと。
「下で両親も叫んでるわ」
『こっちもお母さん食器落した音がした』
「はは」
『らしくなってきた』
「そうね。さ、ここからどうなることやら」
『楽しみ』
「ほんそれ」
劉党がこのまま引き下がるとは思えない。不知火湊の牙を示した。スペシャルが健在であることを。ならば、トップランカーはどう立ち回るか。
ここからが本当の勝負である。
○
劉党、ダンは先ほどまでは一つ下に見えていた相手が一段、上がり同じ地平に立ったような気がした。一桁奪還、頂点を目指す自分としては落とせない相手。
世界ランクとは積み重ねである。
しかもここは準々決勝、一つ上がるとここで落ちるではポイントに大きな差がある。地元開催の国際大会であり、観客の期待も大きい。
この一戦、失うもののない湊と違い、ダンは背負うものが大きいのだ。
だが、
(……全部、一旦忘れよう)
世界ランキング、地元の期待、それら余分な考えをすべて消す。普通は消そうと思って消せるものではないものだが、其処は円熟を迎えたアスリートである。
くぐってきた修羅場とそれによる経験値がそれを可能とする。
(貴翔より明確に反応速度は一段落ちる。が、反応するポイントは一段速い。結果として『ほぼ』同速、と来た。これは厄介だ)
世界ランキングで一時は四位まで上り詰めた若き天才の強みと互角とくれば、これはもうそういう相手と認識するしかないだろう。
今なお中国勢や世界各国の強豪を押しのけ一桁を維持する相手と同等。そうなればもう、当たり前だが出し惜しみする理由はない。
『勝負、だ』
鉄壁、相手の回転数はさすがに早い。
不知火湊の胸中は――
(もっと戻し早く、もっと、もっと、それが速さの、根だッ!)
今だって別に好きとかではないが、それでも一誠の言う通りこだわっている場合じゃない。自分の中で最も濃い経験、技術は間違いなくこの前での戦いなのだ。
何度も反芻する。
父の教えを。
耳にタコができるほどに言われた言葉、戻しの早さ。振りの速さとか、フットワークとか、全てを含めて父は必要な場所へ戻る、これに重きを置いていた。
基本中の基本、それが今の湊を支える芯である。
それを見て、
(やはり速い)
それを感じ、ダンは自らの鉄壁では防ぎ切れないと確認する。二度あることは三度ある。別に疑わっていたわけではないが、このブロッキング技術には多少自負があった。自分を今の位置に押し上げてくれた、後付けの技術であるから。
だから、少し哀しい。
だけど、
『こだわりと心中する気は、無い!』
勝てないのなら、それにこだわる気はない。確認は済んだ。見込み通り素晴らしい前捌き、前での速さである。
それに敬意を表し、
『ぶち抜け』
卓球を始めた時から周りと比べ特別であったスペシャル、龍弾。強靭な肉体、長い手足、そして世にも珍しきペンホルダーが生み出す独特かつ強烈な一撃。
龍の弾丸が、
「ぐっ!?」
湊の速さを上回る。
(やっぱ、つんよぉ)
しかし、湊の貌に映るのは自身の強みを破られた絶望ではない。笑みを浮かべ、強い相手との、楽しい時間を満喫していたのだ。
それを受け、
『はは』
ダンもまた同じ笑みを浮かべる。
実力が伯仲した試合、揺れる天秤こそが彼らが望む戦いである。造作もなく勝利する戦いの何が面白いと言うのか。
そんなもののために人生を賭すものは上になど行けない。
勝ち負け、その揺らぎに彼らは魅入られている。
『対応できぬのなら、其処止まりだぞ!』
隙あらば龍弾。堅守と速攻のバランスを後者へ傾け、守備的な立ち回りから攻撃的な立ち回りと成った。
その威力は、捉えたと思っても捉え切れずに差し込まれるほど。湊の光速で、あの龍弾を前で捉えることは難しい。
ならば――
(よーし、見とけよ。みんな)
湊もまた前で勝つ、と言うこだわりと心中する気などさらさらなかった。得手として使うが、それに固執し、囚われた自分の到達点はすでに知っている。
だから――
『……?』
またしても放たれた龍弾。先ほど抜かれた状況と同じ立ち位置である。すでに迎え撃つ体勢を作っているところは見事だが、それでもなお間に合わなかったのが先ほどのやり取りである。
其処で、
(打た、ない?)
湊は打つ姿勢を作りながら、いや、それよりも体をより開く。体重を後方へ預け、明らかに前で捌く気のない体勢である。
(打点を後ろにズラした? 確かにこれ以上、前に固執する理由は薄いが、それならばもっと明確に下がるべきだ。その体勢ではまともに打てない。打ったとて――)
打ったとて、ストレートにしか打てない。
ダンは当然のようにストレートを警戒し、その打球に対しさらなる龍弾で仕留めようと動いた。オープンスタンス、あれではもう――
湊の脳裏には、
(別に、フォームは崩れてもいい)
先日の公園、基本がどうにもおざなりだった子どもたちを思い出す。腕の振りなどで強引に球を持っていく、決して褒められたわけではない打ち方。
だけど、効率的ではないだけで間違えではなかった。彼らは打てていたし、欧州の選手にもそういう打ち方の選手は何人もいる。
効率的な打ち方はある。でも、正しい打ち方などない。
全ては状況次第である。
(卓球は、自由だ!)
体を開いた分、体一つ分、捌く場所を後方に移した。これで捌きの余裕が生まれる。でも、これではコースが限定的。誰がどう見てもストレートにしか打てない。
それが――
「通れッ!」
湊の狙いであった。
打球は、ダンの逆、クロスへ飛ぶ。完全にそちらへ狙いを絞っていたダンは反応できず、しっかりと打たれたそれは誰もいないコートで跳ね、地面に落ちる。
「……Toll(お見事)」
ダンはその絶技に肩をすくめ、笑いながら称賛するしかなかった。
観客は何が起きたかわからず呆然とするも、徐々に沸き立ち、
リプレイが映し出される頃には――
『ウォォォォオオオオオオッ!』
大歓声が巻き起こっていた。
オープンスタンス、遅れて捉えられた球は、ラケットのスイートスポットに着弾する。先ほどよりも後方で捉えたから、捌く余裕はあるが、其処から狙えるコースはストレートのみ。それは誰の目にも明らかであった。
が、其処で湊は、
『……力で無理やり持っていき、わきの下を通した、か』
『ぶはははは! あの小僧、天才か。それとも阿呆か? 西部劇のガンマンみたいな格好つけをかまして……俺もやりたいぞォ』
『……王虎』
卓越したボールタッチと男の子の力、と言うよりも意地の力で打球のコースを矯正し、其処からわきの下を通す信じ難い打球を放っていたのだ。
服をかすめただけでおじゃんとなる賭け。
それをも通して見せた。
勝負どころのクソ度胸、これもまた復活した不知火湊の持ち味である。勝負師としての自分を取り戻しつつ、楽しむ心も忘れない。
面白そうなことを思いつけば躊躇わず実践する。
「全くあの子は、この試合がどういうものかわかっているのか?」
背中を押した一誠も笑うしかない。コンテンダーは準決勝に進めばその時点でベスト4入りであり、ランキングポイント140が加算される。
ベスト32以降の一勝はポイント的にも大きな大きな分かれ道であるのだ。
そんな場所で、不知火湊は遊んで見せた。全力で、観客の度肝を抜く形で。
「君はプロ向きだよ、崇や私なんかよりもずっとね」
佐伯崇や星宮一誠はストイックが過ぎた。求道者としての側面が強く、かつての佐伯湊と同様にわかる人にはわかる、そういう選手であった。其処に競技者としてはあまりにもエンジョイが過ぎた母不知火舞の血が交わり、様々な経験を経て今の彼になった。勝負にこだわりながら楽しさを追求し、人々を沸かす存在へと。
足して割ったら、丁度良くなった、と言えばあまりにも単純すぎるか。
『お互い、スペシャルへの解法を得たわけだ』
「……?」
「ふっ……エンジョイ」
「オッケー!」
昔の佐伯湊なら龍弾に対し、前で特攻して散っていただろう。あれを前のみで攻略できるのは、真の天賦を持つ貴翔ぐらいのもの。
だが、別にそれはそれでいいのだ。前でダメなら下がるだけで良い。今の湊にはその柔軟性がある。先ほどのような曲芸を使わずとも、少し後退し捌くだけでいい。前陣、中陣、その間で戦えば充分やり合える。
その認識を互いに得た。
鉄壁だけでは閃光に破られ、龍弾を使われると閃光では届かず、されど光を捨て後退して捌けば戦える。
天秤は今、ぴたりと水平に停止した。
あとはもう、
『ふはは、ここからが本番、だなァ』
死に物狂いで戦うのみ。
トップ選手は基本的に、何度も戦うから互いに手札を開帳した状態が普通である。今、二人は互いを理解した。
ゆえにここからが本当の、トップでの戦いである。
「俺を見ろッ!」
『私を証明するッ!』
鉄壁、閃光、龍弾、それが入り乱れる戦場を湊も、ダンも縦横無尽に駆け巡る。どろっどろの死闘、点数は常にほぼ同じよう積み上がる。
選手にとっては地獄。
観客にとっては最高にスペクタクルな、一点を争う互角の展開。
王への挑戦権を賭け、二人のトップ選手が牙をぶつけあう。
『『超かっけえ!』』
大会屈指の魅せる戦い、であった。
○
「こ、これ勝ったらどうなるんですか!?」
「どうなるって、そりゃあ、準決勝だろ」
「そうじゃなくて、世界ランキングですよ! ポイント、140確定ですよ!」
「あっ」
ベスト32で4点、ベスト16で35点、ベスト8で70点、すでに湊はベスト8まで到達しているため、70点は確保している形。この時点でも世界ランキング二百位前後なのだが、ここで一つ勝てばたった一大会だけで――
「……予選通過の15ポイント足したら、120位ぐらいか? それにもし、準決勝で勝つことでもあったら、280点で、たった一大会で70位くらい?」
「いや、相手王虎ですし、其処で勝つなら優勝でしょ」
「だとしたら何か? 400取って一発50位以内に食い込むってこと? いや、と言うか準決勝、決勝共に中国の一軍相手だし、代表選考にもかかわるだろ」
「ま、まあ、主要大会やTリーグでのポイントに考えたら其処は誤差レベルですけど、そもそも日本ナンバー2の鈴木君がこの前惨敗した相手ですよ、ダン選手」
「……だ、だよなぁ」
専門誌の面々が混乱してしまうほどの快進撃。先ほどまではここ止まりか、とあきらめムードであったのに、今はどちらに転ぶかわからない接戦。
嫌でも期待してしまう。
天津風貴翔と共に卓球界に旋風を巻き起こす、新たなるスターの誕生を。
「本当に、帰ってきたんだなぁ」
そんな月並みなコメントしか残せない。地に落ちたかつての天才少年、それが今一度這い上がり、とてつもない飛躍を現在進行形で見せているのだ。
これほどのドラマはそうそうお目にかかれないだろう。
「これ、五輪だったら死ぬほど盛り上がっている試合ですよね」
「それこそ日本中が騒ぎまくっているよ。卓球関係者だけじゃなくてな」
「見たいですね」
「ああ」
田中の奸計から始まった裏技参戦。誰もが疑いの目で見ていた、実績の足りない元天才は今、世界トップクラスと五分で渡り合っている。
夢を見るな、と言う方が無理がある。
誰だって見たい。
ついぞ誰も届かなかった五輪の金、それを日本代表が掲げる姿を。
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