第97話:スペシャル

(まずは……お手並み拝見!)

 湊がサーブ権を得て、最初の一発目。湊は横入れ風純下回転の球を打つ。下手な選手ならチキータで捌こうとするが、よほど上手く打たねば回転を上書きして持ち上げるチキータでは持ち上がらない。

 さあ、どう捌くか。

 どういう選手かを知る、ファーストセット第一球。

 それに対し、

「……」

 劉党(リウ・ダン)は微塵の惑いもなくツッツキを選択。下回転を見切ったか、それとも様子見の繋ぎか、それは――

(おお、ビタっと来るなぁ)

 レシーブの精度で一目瞭然。卓越した技術を持つ者ほど、この何の変哲もないツッツキに舌を巻く。

 高さ、コースがバチン、とハマったレシーブ。きっちり計算され尽くした球はバウンド後、コートの端に2バウンド目がギリギリ入る形。

 ここぞ、ここしかない、それが一発で来る。

(これは、どうだッ!)

 ワンバウンド目の頂点、其処に手首を巻き、力を思いきり蓄えたチキータ風の台上バックハンドドライブをぶちまかす。

 緩やかな立ち上がりから、一気に急戦を仕掛けた。

 鋭く強力な打球。コースも良い。

 良いから――

(当然、見切られてる、かぁ)

 読みやすい。すでに其処は通行止め。ワンバウンドの瞬間、角度をつけた壁が打球を遮る。何人をも通さぬ鉄壁。

 湊のドライブ、その威力がそのまま跳ね返る。

「ぐっ!?」

 問題はそのコース。湊自身、良い立ち上がり、良い仕掛けだと思っていたが、レシーブと変わらずダンがブロックした打球はここしかない、と言うコースを寸分違わず描く。湊も技術には自信があった。

 だが、この精度には到底達していない。

「まだッ!」

 前で自分が振られる。たった一度のレシーブ、たった一度のブロッキング、それで湊の背に汗が滲む。

 その強さに、舌を巻く。

 仕掛けた自分がたった一発のブロックでわからされ、苦しい体勢での返球を余儀なくされる。湊は笑みを歪め、何とか返すも、

「……」

 プッシュ気味のブロック一閃。前で振り回され、たったの二打で追いかける気すら起きない組み立てを見せつけられた。

(……本物だ、これ)

 今までの相手とは次元が違う。

(さて、どうしたもんか)

 世界ランク一桁を踏んだのも最近のこと。幼少期からずっと強くランク上位を独占している王虎や韓信のような選手もいるが、身体の成長と技術の成長が釣り合い、精神の完熟を経て一気に跳ね上がる選手もいる。

 ここ数年で一気に台頭し、今年ランク一桁を踏んだ。今は十位台だが、その勢いが決して絶えたわけではない。

 またランク一桁を踏む。一桁上位もあり得る。

 それが今、不知火湊の前にそびえる分厚い壁、劉党である。


     ○


「ダン様最強!」

「……青柳」

 学校の寮で中継を見る青森田中勢。湊がぶち抜かれ皆神妙になる中、ダンのファンである青柳だけが嬉々としてはしゃいでいた。

 結構珍しい絵面である。

 当然、

「部長」

「……あっ」

 姫路美姫の冷ややかな、冷ややか過ぎる視線が突き刺さる。この女、普段はぽわぽわしているくせに、湊絡みの時だけは怖いのだ。

 普段優しい人が怒ると怖い理論、最近はそちらの面が出過ぎであるが。

「後手に回っている感はありますね。ちょ、睨まないでよ、姫路」

「なっちゃん。応援すべき相手は誰ですか? 日本人ですよね?」

「怖いって。いや、応援しているけど、劉選手も好きな選手だし」

「夏姫」

「怖い怖い怖い!」

 憤怒の姫路。佐久間姉こと夏姫は怯えるも、やはり青森田中にとっては部長の青柳に被る、ブロックマンとして戦う彼の姿は贔屓目で見てしまう。

 中ペンでブロックマン、世界のトップレベルなのにロマンの塊なところもファンが多いところ。

「勉強になるねえ、青柳」

「おひょひょひょひょ……それは違うな、みどり」

「急に素面に戻るな!」

「勉強になる面は多い。だが、やはりダン様はあちら側の住人だ」

「あちら側?」

「すぐにわかる。私はそれしかなかった。だが――」

 青柳はほんの少しだけ顔に陰を浮かべた。


      ○


『出た!』

 会場が揺れる。

 ダンの一撃が炸裂したのだ。強力無比なる、龍の弾丸が。

『劉党には正確無比な堅守と強力無比な弾丸がある』

 王虎のサポートとして控える元世界最強、韓信は腕を組みながら苦笑する。

『最近より磨きがかかってきたなァ、随分高いところまで来たじゃあないか、ダン。ようやく天(オレ)に挑戦する腹が決まったか?』

 同世代の王虎は遅咲きだったダンに笑いかけた。スポーツ選手の旬とはわからぬもの。何かがハマり、今までの壁をひょいと超えることもある。

 今の彼がそうなのだろう。

 二十代半ば過ぎ、最近寿命が延び始めたが選手としてはそろそろ下り坂も差し掛かる頃、逆にぐんと加速する戦型同様異質な男である。

 最盛期は短いかもしれない。

 それでも彼は達したのだ。

 手をかけたのだ。

『どちらでも楽しめそうだ』

 王が見下ろす中、

(……王虎、か。ずっと見上げるだけだった相手だが、残り数年の命、全て燃やして挑戦するのも一興。今日、ここまで降りてきたことを後悔させてやる)

 気力体力ともに充実した劉党が天を見上げた。

 やるなら今日だ、と。

「……何処見てんだ?」

 その様子に、ちょっとカチンときた湊。とは言え今のところいいところなし。圧倒され続けている。

 彼にはあるのだ。素晴らしき鉄壁と、もう一つの武器が。


     ○


(……龍弾。私も痛感したのは、世界トップレベルの選手は皆、全てに通じるのは大前提で、さらにスペシャルなものを持つ)

 劉党にとってのスペシャルは代名詞のブロック、鉄壁ではない。それがあることでより映える、ペンの軌道から放たれる龍の如しドライブであった。

 長くしなやかな手足から放たれる龍の弾丸は堅守で作り上げた隙を穿つ。ほんの僅かな綻びで充分、それだけで貫ける破壊力があるのだ。

 石山は自ら体感した。何度も挑戦し、届かなかった試合の数々。自分はトップレベルではあったが、本当の意味でのトップ選手ではなかった。

 相手の弱点を突き、執念で勝利をもぎ取るスタイルも、全てを備えた上で凡人には真似の出来ないスペシャルを持つ選手には勝てない。

 どんな工夫も跳ね返されてしまうから。

(今までの相手も強かったけどね。でも、まだスペシャル頼りの選手に、私のような選手、どっちもって選手とはぶつかっていない。ここが其処だ。ここが壁だ。乗り越えないなら、あんたは私側の選手ってことになる)

 石山は暗い笑みを浮かべ、首を振る。

 やはりよくない。未だに選手の気分が抜けない自分は、天へ挑む資格を持つ彼らを直視できないのだ。だからどうしてもスペシャルの欠片を持つ小春や花音より、そういうものを持たない沙紀に肩入れしてしまう。

 不知火湊、いや、佐伯湊のことが嫌いだったのも――


     ○


「やっぱ、強いですね、劉党は」

「そりゃそうだろ。日本人で勝てるのは貴翔君くらいだよ。この前鈴木君も負けていたろ? 何だかんだドイツは人材が絶えないよなぁ。『皇帝』が去っても『英雄』は残り、いきなり劉党の台頭だろう」

 卓球専門誌の編集者たちもこの時ばかりは中継にくぎ付けであった。無法の出場、最初はどちらかと言えば否定的だったが、ここまで元天才少年が勝ち上がるなら話は別。劉党に勝とうものなら大騒ぎとなるところだったが、

「日本は黒崎君ぐらいですよねえ、光ってる若い子は」

「何言ってんですか! 今まさに光っているでしょ、湊君が!」

「まあ、そうだけど。やっぱ、違うよ、トップ選手は」

「どちらかと言えば早熟っぽいからなぁ」

「じ、自分は期待していますけどね。ここからの巻き返しを」

 元神童の快進撃もここまでか。

 明らかに劣勢、窮地に立たされている不知火湊の姿に、卓球に精通する者たちの表情は陰っていく。

 期待は出来ない。ここ止まり。

 そんな雰囲気が全体を覆い始めた。


     ○


「おいおい、勝ってくれなきゃ困るぞ! 再生数がかかってんだ!」

『そうだそうだ!』

『問題ない。あの男は牙を隠している』

 グループ通話する明菱の恥部四天王が三人もまた、湊の奮闘を見つめていた。劣勢なのは数字が示している。卓球のことはよくわからないが、菊池とてプロを目指すカメラマン、本物かどうかは見ればわかる。

 それでも、

『髭パイセン、卓球のことわかんのか?』

『わからん。ただ、そういう男だろ、不知火湊は』

「……頼むぜ。俺はお前に魅入られたんだ。俺の目を、節穴にしないでくれ」

 菊池は忘れない。

 あの日、不知火湊の姿に、カメラを構えずにはいられなかったときの気持ちを。

 女子にしか興味がなかったのに、それなのに――


     ○


『勝て~勝て~』

『でも、強いぜ、相手』

『当たり前だよ。相手を誰だと思っているんだい、まったく』

 明菱の女子卓球部も皆でグループ通話しながら試合を見ていた。勝ってほしい。だけど苦しいのが伝わる。様々な引き出しも、鉄壁に阻まれ龍の弾丸にぶち抜かれる。その連続により1セット、ほとんどいいところなく落とした。

 苦しい。相手が強過ぎる。

「大丈夫だよ、沙紀ちゃん」

「なんで?」

 唯一、沙紀と光だけはグループ通話に参加しながら一緒の部屋で観戦していた。沙紀は目を背けたくなる劣勢に顔を歪めていたが、光は満面の笑顔である。

「だって、楽しそうだもん」

「そう? 結構、きつそうだけど」

「それでもわかるよ。そういう楽しさも、あるんだって」

 光は確信を持った笑顔で、しっかりと苦しそうな湊を見つめていた。

「大丈夫!」

 その眼に宿る、一筋の光を見逃すまいと。


     ○


「……湊」

 湊の母、不知火舞はその光景に顔を覆った。

 きっと今、これを見ているだろう者のことを想って。

 今ようやく、かけ違え続けたボタンが――戻った。


     ○


「……」

 龍の喉元に、牙が突き立つ。

 鉄壁に、一筋の風穴が空く。

(不知火、湊。そうか、君も――)

 『閃光』が迸る。

 劉党、一歩も動けず光の通過を見送った。見送るしか、出来なかった。

「ヨォ!」

 不知火湊の咆哮、それが静まり返った会場に響き渡る。

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