第96話:国を越えよ

『ははははは!』

 全てを塗り潰すような破壊的な衝動(ドライブ)、オールレンジ、あらゆる技術に精通する頂点が持つ必殺技は、シンプルイズベスト。

 『最強』王虎(ワンフー)が漆黒のドライブである。

 如何なる技術も、力も、寄せ付けない。近づけない。

 十億の頂点に立つ身体能力と卓球王国の熾烈な競争を勝ち抜き体得した至高の技術。それがもたらす頂点の名にふさわしき一撃。

 それが――

『むぅ⁉』

 同じくパワフルなドライブが持ち味のドイツが誇る『英雄』イヴァン・ヴラジーミロフはあまりの破壊力に顔をしかめる。

 得意の中陣で、こうも制圧されてしまうとは。

 その戦いを、

「……イヴァン」

 かつてブンデスリーガでチームメイトであった火山は盟友と同じように顔をしかめた。王があまりにも強過ぎる、それもある。

 だが、

「昔のあんたなら、ぶちかましてたよなァ」

 王虎により食い荒らされた卓球界。それでも火山やイヴァンらは中国勢に負けまいと幾度となく食い下がった。結果、届かなかったがイヴァンなどは全盛期、間違いなく肉薄していたのだ。されど王は上がり、英雄は下った。

「それでも一線で戦い続けるあんたは、やっぱ『英雄』だよ、イヴァン」

 自らは退いた舞台で、全盛期を過ぎようと国を背負い戦い続ける『英雄』の姿は、同じ時を過ごした火山には少し、胸に来るものがあった。

『イヴァン!』

『まだやれるぞ!』

 観客の声が響く。それに呼応し、

『応よッ!』

 英雄は輝きを見せる。闘志折れず、民に期待に応えんとする姿はまさに『英雄』のそれ。齢35歳、世界ランク現在十二位、全盛期は韓信を討ち、王虎の喉元にまで、二位にまで上り詰めた男である。

 それでも――

『バハァッ!』

 黒は、全てを塗り潰す。

『……怪物め』

 『英雄』の残滓すらも――


     ○


 数多の猛者を食い散らし、王虎が先んじて準決勝へ駒を進めた。誰も王を止められない。不知火湊もローランや中国勢を二枚抜くなど、かなりの猛者を突破してきたが、王虎の轍にはそれ以上の猛者たちが転がっていた。

 ただ、王が強過ぎるため猛者が猛者に見えなかっただけで。

 ドイツの『英雄』はまだ意地を見せた方。他の高ランカーたちは微塵の可能性すら見せられず、ただ無様に虎の牙に引き千切られ、躯と化した。

『ダン、調子はどうだ?』

『いいですよ。とても』

 王に敗れた英雄は自らの後輩に声をかける。

 劉党(リウ・ダン)、中国の卓球選手であった両親を持つ生粋のドイツ人である。

『そりゃあいい。期待しているぞ』

『もちろん。ゲルマン魂、見せてきますよ』

『はは、ゲルマン魂と来たか。はっはっは、仇討ち、任せた!』

『はい!』

 ウクライナ出身であるイヴァンが『英雄』で、中国出身の両親を持つダンが現在のドイツ、傾きかけた卓球王国を背負う。

 そんな二人の胸に宿るのは、すでに概念と化したゲルマン魂。

 民族ではない。其処に住まう彼らが国を背負うのだ。


     ○


 レオナ・シュミットは会場にある人物を見つけ、硬直していた。同じルーツを持つ選手がここまで勝ち上がったのだから、応援に来るのも当然であろう。

 何せドイツ、ベルリン開催の国際大会である。

 声をかけるか、かけまいか――


『格好悪いより、格好良い方がいい。違う?』


 その言葉が脳裏に過ぎり、気づいたら、

『こんにちは』

 声をかけていた。

 その子が振り向く。劉党と同じ、中国系の顔立ち。いや、彼女は正真正銘そちらの出身である。自分の席を奪った、ドイツ国籍を取得した元中国人の少女が。

『……レオナちゃん?』

『覚えてたんだ』

『もちろん。その、とてもきれいな卓球、だったから』

『……ドイツ語、少し話せるようになったの?』

『ま、まだ練習中、だけど』

 こんなおどおどした雰囲気だが、ラケットを握り面と向かえばアグレッシブな前陣の選手に変貌する。自分も速さでぐちゃぐちゃにされ、敗れた。

『劉党の応援?』

『うん。好きな、選手だから』

『中国系だから?』

『ち、違うよ。戦型が、上では珍しいから。格好いいな、って』

『ふーん』

 確かに劉党は世界トップレベルでは絶滅危惧種であるペン使いであり、同時に鉄壁が持ち味のブロックマンでもある。

 ちなみにレオナもファンであった。彼女に席を奪われ、ナショナリズムをこじらせるまでは。まあ今は少しだけ緩解したが。

『レオナちゃんは?』

『不知火湊の応援』

『知ってるの!?』

『まあ、一応、一緒に卓球の勝負した仲だから』

『凄い! コンテンダーをここまで勝ち上がった選手と……いいなぁ』

『……ボコボコだったけどね』

『それでも凄いよぉ』

 自分と対戦した時は挨拶だけだったのに、今はこれだけ流暢に会話が成り立つ。もちろんまだまだ発音など怪しい部分はあるが、意思疎通に関しては問題ない。

 かなり苦労しただろう。

 会話は、こなさねば上達しないから。

『一つだけ、聞いてもいい?』

『いいよ』

 あまりよくない質問であるのは重々承知している。

 それでもレオナは、

『ドイツに来た理由、なんだけど』

 それを口にした。様々な理由で多種多様な民族が入り乱れる欧州の地で、この手の質問は禁句であることが多い。

 場合によっては差別に繋がりかねないから。

 だから、少し躊躇した。

 だから、少女も少し驚いた後、

『……やっぱりレオナちゃんもそう思った? 私が、中国で勝てないから、こっちに籍を移したって。ドイツなら、代表入り出来るから、って』

『……うん』

『あはは、正直だね。でも、違うよ。だって私、生まれは中国だけど、育ったのシンガポールだもん』

『……え?』

『最初、全然みんなに伝わらなくて……シンガポールからドイツに来たのは、ビール好きのパパが本場で暮らしたい、ってわがままを言ったから』

『び、ビール? それだけ?』

『うん。元々一族全体、華僑として世界中に旅している人が多いから、国籍移すのあんまり抵抗ないみたい。私もね、あっちじゃそんなに卓球やっている人多くなくて、そもそもスポーツ自体ガツガツやる文化が……だから楽しみだったんだ』

 卓球が盛んなドイツに来るのが。生まれが中国ならば、親兄弟が卓球に強くそれで上達していてもおかしくはない。それでも同世代で盛んでなければ楽しくはないだろう。そんな彼女に待っていたのは自分を含めた偏見の目。

 当時は言葉も通じず、弁解することも出来なかった。

『……ごめん』

『いいの。今みたいに話したら、すぐ解ける誤解だから』

 何度もこんなことがあったのだろう。それでも彼女は笑顔で、言葉を体得してからはコツコツと誤解を解いてきた。逃げた自分とは違う。

 向き合ってきたのだ。卓球を手放すことなく。

『一緒に応援しよ。でも、私はダン選手を応援するけどね』

『うん。オレは湊を応援する』

『勝負勝負!』

『うん。今度さ』

『ん?』

『オレとも勝負してよ、卓球で』

『もちろん!』

 パーッと相好を崩し、笑顔の花が咲く。それを見てレオナは自分を恥じた。逃げて、都合のいい噂を信じて、それで殻に閉じこもった。

 ただ、自分が弱かっただけなのに。

 こうして話せる機会があってよかった。話すための背中を押してくれて、とても助かった。ダサいまま、ずっと半端者で生きていくところだったから。

 そんな恩人が今、世界トップレベルに挑む。


     ○


 両親が中国の名選手で、それなりの偏見を受けてきた。父がブンデスリーガでプレーし、其処のコーチを務め教室まで開いたのだからドイツに住むのは当然だろ、と子ども心に何度も思ってきた。ただ、何を言っても視線は消えない。

 不愉快だった。

 両親に何度も伝えたが、彼らは「気にするな」との一点張り。

 中国なら、そう思ったことも多々ある。

 だけど、意地で勝ち上がり、上のステージに立ってわかった。勝ち続け、存在証明し続けると、視線が変わった。

 それに、

『そう睨むな、ダン。プロなら笑え、窮地でも!』

『振舞いは人を形作る。愛せよ、自らの祖国を。そうすれば彼らも愛してくれる。無論、強ければ、だが!』

 上で戦う彼らにとって、世界はまたにかけるもの。祖国への愛を胸に戦う者。自分を受け入れてくれた第二の故郷のため死力を尽くす者。様々な選手がいた。彼らは国を想いながらも、同時にそこに囚われてはいない。

 生まれが、育ちがどうかなど関係がない。

 自分が強いか、相手が強いか、ただそれだけ。

 その純粋なる勝負の世界に生きる彼らが眩しく思えた。格好良く思えた。だから、自分も其処を目指したのだ。

 囚われるな、それは可能性を狭めるだけだ、と。

 そう自覚に至り、ようやく両親の言葉を理解した。

 差別や偏見、何者でもなければそれに呑まれることもあるだろう。それをよしとするわけではない。だが、それが何者かであれば、そんなものには負けない。

 俺が劉党だ、そう高らかに叫ぶだけのものを積み上げてきた。

『さあ、少年。君は何者だ?』

 今度は己が問おう。

 『皇帝』が去り、『英雄』らが翳り、落日のドイツを支えるはドイツ生まれの中国系、劉党である。自らのスタイルを貫き通し、世界に自分が何者かを刻む男。

 世界ランク最高九位、今は少しランクを落としているが、それでもここから巻き返す。今、自分を愛してくれるドイツを勝たせるために。

『俺は劉党だッ!』

 王への最後の壁、聳え立つ。

「二十位以上、魔境の住人だな」

「はい。楽しみです」

「そう言えるなら何も言うことはない。かましてきなさい!」

「りょーかい!」

 一誠の檄に応え、笑顔で不知火湊も出陣する。

 彼の戦いは何度も観た。その独特な戦型は『彼女』の参考になるから。もちろん、このレベルになると規格外が過ぎて全てが参考になるわけではないが。

 世にも珍しきトップ選手による中ペンの、ブロックマン。

(やっべえ。さすがに、雰囲気あるなぁ。対峙しただけで、これか)

 滲む手汗。かつて培った国内王者の嗅覚が告げる。

 格上だ、と。

 これまでの相手よりさらに、一つ上の次元。

 不知火湊の挑戦が始まる。

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