第94話:男子高校生と女子小学生の夜

 フードを外すと、其処にはレオナ・シュミットがいた。なお、現時点で湊は彼女の名前を知らない。あと男だとも思っている。

 格好と短髪と、圧倒的な長身が悪い。

「……I can’t speak English」

 とっておきの発音を披露する湊。この文章だけは即座に言えるほど、幾度となくこすり倒されてきた日本人ですら何度か口にしたことがある英文。

 それが私は英語を話すことが出来ません、である。

 それを聞き、

『こいつハウプトシューレ(基幹学校、ドイツの職業学校に続く学校であり、悪い言い方をすると低学歴、となる)かよ』

 レオナはスマホを取り出し其処に向かって、

「Guten Abend」

 再びそう言った。するとスマホ上で、

「こんばんは」

 と表示される。

 これでようやく湊はポンと手を打ち理解を示す。

 自分もスマホを取り出し、日本語をドイツ語に変換するよう操作して、

「こんばんは」

 これで言葉が通じるようになる。これぞ文明の利器、大スマホ時代によって多くの人類が言語を習得せずとも言葉を交わせる時代が来ていたのだ。

 ちびっと手間はかかるが。

 ちなみにここからの会話は全て、スマホを介したやり取りとなる。

 よろしくお願いします。

「この前はどうも。君、凄く卓球が上手だね」

 湊の発言に、

「嫌味か? ボコボコにしたくせに」

 レオナは顔をしかめる。湊は慌てて、

「いや、その、ええと――」

 スマホが読み取れない言葉になっていない声を発していた。まだスマホでの翻訳やり取りに慣れていないのもあるが、単純に陰キャなのだ。

 どちらかと言えばコミュ障寄り。しかも母国語で。

 外人相手だとこうなる。趙はもう、あちらがフレンドリー過ぎて例外。

「いくつから卓球始めたの?」

 あばあばする湊を無視して、レオナは自分が聞きたいことを聞く。

 そのおかげで、

「あ、えと、五歳、くらいかなぁ」

「オレの勝ち。オレは生まれた時からラケット握ってたし、パパに連れられてそれからずっと続けて……たから」

 子どもっぽい子だな、と湊は心の中で苦笑する。実際日本だと小学生のバキバキキッズなのだが、どう見ても同い年くらいにしか見えないので湊は気づいていない。

 多分言われないとこの男は気づけない。

「子どもの頃から上手かった?」

「卓球? うん、まあ、多分上手かったと思うよ。ずっと勝てなかった子がいたけど、その子に勝ってからはとんとんって日本一になったし」

「は、はあ!? なんでそんなに軽い感じで日本一なんだよ!」

「その子が強かったんだよ。彼女に勝つまでは結構かかったんだ」

「……お、女なのか、そいつ」

「うん。子どもの頃はあんまり関係ないけどね」

「……今も、そいつ強いの?」

「強いよ。一度やめたけど、戻ってきて強くなった。もちろん、今は僕の方が強いけどね。でも、きっと彼女は世界に羽ばたくよ」

「ふーん。そいつ、ミナトの彼女なの?」

「ぶふぉ!? ぜ、全然違う! ただの友達だよ、友達」

「まあルックスよくないしな、ミナトは」

「……おい、喧嘩なら買うぞ。卓球でな」

 そもそも白人と黄色人種ではルックスやスタイルの平均値が違うし、あちらでは別に平均的だから、むしろ中の中の上くらいはあるから(自己評価)。

 と、心の中で言い訳する。

「足も短いしな」

「表出ろ!」

「ここ、表(屋外)だろ?」

 何言ってんだこいつ、みたいな顔で湊を見るレオナ。どっちが小学生かわかったものじゃない。相手が小学生と知っていたらもっと大人な対応が出来た、とのちに湊は語る。物凄くどうでもいい余談である。

「で、ミナトは何で卓球をやめたの?」

「……誰に聞いたんだよ、それ」

「イッセー」

「意外と口軽いよなぁ、おじさんも。那由多も結構そういうとこあるし」

「ナユタ?」

「それも友達」

「……ナユタ・ホシミヤ?」

「うん」

「……⁉」

 頬を赤らめ、無言でぴょんぴょんと飛び跳ねるレオナ。どうやら那由多のことは知っているらしい。知っているというか、この反応は――

「一誠おじさん、那由多の父親だよ」

「!?!?!?」

 オーバーヒート。驚愕のあまり変な動きをする彼女を見て、あれ、もしかして思っていたよりも年下か、と少しいぶかしむ。

 が、問いかけるところまでは辿り着けない。

 何故ならコミュ障だから。

「イッセー、明日も会場いるかな?」

「多分いると思うよ。僕の付き添いだし、僕が負けるまでは」

「頑張れ!」

「……私欲しか感じない応援だね」

 まったく嬉しくない応援を受け、湊はため息をつく。相手が女の子だと知っていれば、この態度はなかった。多分こんなのでも喜んだと思う。

 男の子だもの、みなと。

「って言うか、君は何でやめたの、卓球」

「……あっ」

 レオナは冷や水を吹っ掛けられたような表情になる。

「わかるよ。他の子はストリート仕込みって感じの卓球だったけど、君のは明らかにレベルが違ったから。あと丁寧だったしね」

「……代表から、落ちたから」

「まあ、年齢上がると急に伸びてくる子っているからね。それと遅れて卓球を始めるやつとか。気持ちは、わからんでもない」

 天津風貴翔の何も考えてなさそうな顔が湊の脳裏に浮かぶ。突然現れて、突然すべてを打ち砕いて、自分を地の底へ落としてくれた憎き敵。

 と、思っていた。今は、そういう想いはないけれど。

「違う。あいつは、卑怯者だ!」

「卑怯?」

「そいつ、中国からドイツに帰化してきたやつ。あっちで勝てないから、こっちに来た卑怯者。あんなの、ドイツ代表じゃない! ドイツ語もしゃべれないんだぞ!」

「……あー」

 湊、頬をぽりぽりとかく。コメントがとても難しい件である。全てがそうとは言わないが、卓球界全体を見回すとそういう風潮がないわけではない。

 彼女の言ういわゆる傭兵のような帰化選手も世の中にはいる。

 ただ、そうでない選手もいるし、そもそも両親が帰化し、その国で生まれ育った選手もいる。何処から何処までを是とするのか、それは個人の考え方にもよるだろう。少なくとも国際卓球連盟のルールに則っている以上は――

「あいつが来て、オレは――」

「でもさ、代表って一人じゃないでしょ?」

「当たり前だろ。それがどうしたんだよ」

「その子一人入って落ちたなら、それは実力ってことじゃないの? だって帰化云々の前に、当落線上だったわけでしょ」

「うぐ」

 子どもには酷な正論の刃。だが、この男は相手をキッズと思っていない。何なら同い年くらいの男だと思っている。

 なので、

「僕はその子がどういう経緯で帰化したのかは知らない。でも、そもそもその部分から目をそらすのはよくないと思うな。君がその時点で一番だったなら、その子がどれだけ強くても二番手で代表にはいたわけだし」

 湊、容赦なし。女子どもには甘くとも同世代の男には割と辛辣。一応、自分に対してもその気はあるので許してほしい。

「ひぐ、ふぐ」

「……え?」

「だって、でも、悪いのは、あいつ、だもん!」

「いや、悪いのは弱かった君だと思うけど」

「あああああああああ!」

 湊、異国の地で小学生女子をギャン泣きさせる。

 お巡りさんが来たら逮捕案件である。

「ご、ごめんってば!」

「あああああああああ!」

(こ、こんな泣くことかよ。男らしくないぞ!)

 女子である。もっと言うと女児である。

「な、那由多の写真見せてあげるから。ほーら、オフショットだぞー」

「ああああああぁぁぁ……ぐず、ひぐ、見せて」

「現金な」

「あああ――」

「ストップストップ! ほら、これパジャマね。こっちは寝起き」

「……超可愛い」

(そうか? ただの那由多だが?)

 ぐじぐじと涙をぬぐって、目を真っ赤にしながら湊が撮影した那由多の適当写真を嬉しそうに眺めるレオナ。かなりのファンである様子。

 あいつも意外にやるな、と謎の上から目線の湊であった。

「那由多の何処が好きなの?」

「……卓球がとても綺麗だから。丁寧で、ボールタッチが柔らかくて、あんな風に卓球が出来たらなぁ、って憧れの人」

(……男子なのに女子選手が憧れなのか。変わってるな、こいつ)

 ちょっと高めの泣き声を聞いてなお、この男は気づかない。たぶん、周りに美里や沙紀らがいると猛烈なツッコミが入っている頃だろう。

 小春と姫路がいた場合、何も言わずに『お邪魔虫』の排除に動くだろうが。

「あいつも苦労人だぞ。僕ら三人の中じゃ一番下手くそだったし」

「え!? ナユタ・ホシミヤが?」

「うん。でもあれで負けず嫌いだから、結構負けが込むと泣くんだよ」

 ちなみに那由多に言わせると、湊もよく泣いていた、と言うだろう。結局、この辺りの時期は美里が王者で、二人は挑戦者であり続けた。

 今思うとその時期が一番、卓球を楽しんでいた気がするけれど――

「君みたいにね」

「……」

 ぶすっとした表情のレオナを見て、湊は微笑む。

「でも、僕らの中であいつだけは卓球をやめなかった。其処は強いよな。どれだけ負けても、悔しい想いをしても、あいつだけは投げ出さなかったんだ」

「……超かっけー」

「だろ? 凄いやつなんだよ。僕らは馬鹿だからさ、一度失わないと気づけなかった。僕らは子どもの頃から卓球漬けで、卓球しかなくて、卓球が、めっちゃ好きだってことに。手放さなきゃ、わからなかったんだ」

「……」

「君もそうじゃないの?」

「お、オレは、ミナトとかみたいに、強くないし」

「僕も馬鹿みたいに負けたよ。貴翔知ってる?」

「うん、もちろん」

「さすが有名人。あいつに負けてから、ほんとびっくりするぐらい負けた。勝ち方がわからなくなって、一度も負けたことのないやつにも負けた。で、やめた」

 勝って当たり前。負けるわけがない。

 そうして下に見ていた皆に負けた。落ちた。徹宵に負けて、全部放り投げたのは、無意識に、いや、取り繕うまい。

 完全に、彼らを下に見ていたということ。

 クソみたいな自意識。今思うと馬鹿らしい。自分は放り投げた。彼らは続けた。どっちの方が強かったかなど、その時点で明白だというのに。

「情けなくて、恥ずかしくなって、放り出した。悔しい、じゃないんだよ。だって、その時の僕は向き合っていなかったから。それがどれほどダサいことか、僕は知らなかった。彼らが下でどんな思いをしていたのか、どういう想いで戦い続けているのか、それを見ようともせずに……格好悪い。本当に、そう思う」

 今、視野が広くなって気づいた。

 どれだけ敗れても、立ち上がり抗い続ける気高き挑戦者がいる。学業や仕事に追われながら、それでも卓球が好きだから、上手い下手問わずに続ける人たち。

 どれだけ強くとも、目を背けて逃げた者よりも何倍も格好いい。

 今はそう思える。心の底から。

「負けるのってそんなにダサくないよ。悔しいけどさ、でも、それでも立ち上がれる奴は格好いい。超カッケー、だ」

 断固抗う者たち。亀の歩みであれ、コツコツと王道を歩む者たちを湊は心の底からリスペクトしている。

 その在り方に、追いつきたいと今は思える。

「僕も、そう在りたいと思う」

 星宮那由多、山口徹宵、そして多くの名も知れぬチャレンジャーたち。継続は力なり、彼らを見ると本当にそう思う。

「格好悪いより、格好良い方がいい。違う?」

「ううん、違わない」

「なら、その道を選ぶべきだ。だって、君も僕も卓球が好きだし、何をしていたって取りつかれている。好きはさ、何処までも追いかけてくるから」

 とん、と湊はレオナの胸に拳を当てる。

(……ん?)

 ちょっと違和感があった気もするが、まあ些末なことだろ、と湊は変な考えをかき消す。なんかちょっぴり柔らかかった気が、そんなわけないやろ、と。

「頑張れ。僕も頑張る」

「……」

「じゃあね。また卓球やろうよ。屋外でも、屋内でも、何処でもさ」

「……おう」

 そうして男子高校生と女子小学生(相当)の邂逅が幕を閉じる。


 彼女の人生が変わるかどうかは――


     ○


「っしゃァ!」

「11-9、ミナト・シラヌイ!」

 二回戦、さすが楽な相手など一人もいない。世界ランクは先日のローランよりも低かったが、卓球の噛み合いが悪く序盤は劣勢だった。

 それでも試合中に修正し続け、2-0から2-2へ盛り返す。

 勢いは今、苦しい時間を越え、獰猛な笑顔を浮かべる不知火湊にあった。

 そんな姿を、

『……超かっけえ』

 レオナ・シュミットはなぜか流れ出る涙をぬぐい、見つめていた。


 これからの彼女が決める。

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