第93話:無名無双

「11-3、ミナト・シラヌイ!」

「11-5、ミナト・シラヌイ!」

「11―6、ミナト・シラヌイ!」

「11-1、ミナト・シラヌイ!」

 次から次へとランカーたちが無名のノーランカーを前に敗れていく。わざわざランクを上げるためにベルリンへ、国際試合に参加しに来た選手たちである。指導者含め、対戦相手の情報を得られるだけ得て、その対策を打つものだが――

『話が違う! 卓球が、前の試合と全然違うじゃないか!』

『……どういう選手なんだ、彼は』

 それが全く刺さらない。対戦しながら、前に選手や周りの選手の面白そうなプレーを盗み、それを隙あらば投入してくる手癖の悪さ。それが結果として事前の対策をすべて無駄なものとしていた。

 試合ごとに少しずつ変化する。良くも悪くも同じではない。

 実に楽しそうな笑みを浮かべ、人生を賭し卓球に身を捧げている選手たちを蹂躙していく。何一つ湊は悪くない。それが競技の世界である。

 勝ち負けは何処にでも付きまとう。

 勝てば上がり、負ければ沈む。

「今度は石山君リスペクトかい? 湊君」

「ちょっと乗せると厄介そうな選手だったので、一度それに徹してみようかな、と。おかげで少し自信になりました」

「はは、相手に何もさせなかったからね。見事な立ち回りだったよ」

「相手、泣いていましたね」

「気にしているのかい?」

「少し。でも、僕が勝たないとがっかりする奴らがいるので。それにベルリンまでの旅費も出してもらっていますし、情けない姿も、情けない結果も、駄目ですから」

「そうか」

 真っすぐ、前だけを見据え、一人、また一人倒れていく屍を踏みしめて、一歩ずつ威風堂々まい進する。昔は敗れた人のことを見ないようにしていた。心が傷つくから。情けが出てしまうから。必死に目を閉じていた。

 でも、今は違う。しかと彼らを刻む。卓球も、其処に投じた覚悟も、全部刻んで前へ、上へと持っていく。

 勝つと決めた。強い自分を見せると決めた。

 一人だと辛かったけど、今は不思議と孤独を感じない。

「次も楽しんできます」

「ああ」

 皆の期待が自分を強くしてくれる。皆の視線が、心を支えてくれる。

 魅せて、勝つ。

 今、その道に迷いはない。


     ○


「不知火君、予選突破しました!」

「お、おおッ!」

 ノーランカーであるかつての神童、不知火湊がWTTコンテンダーへ出場。これは日本の卓球界隈でそれなりの波紋を呼んでいた。

 多くは疑問、疑念、あるいは裏技出場への嫌悪であったか、ここ卓球専門誌の編集部においても、好意的な意見はほとんど見られなかった。

 だが、圧巻のスタッツで、

「しかも、予選では一セットも落としていませんよ。全然相手を寄せ付けてないです。いくら予選が下位ランカー主体と言っても、ここまではなかなか――」

「凄いな、完全復活じゃないか」

「レベル低くないですよ。勝った相手に中国の帰化選手も混じっていますし」

「うお、ほんとだ。東南アジアの、何処だったかの国で代表入りした子だろ? 環境変えて調子上げてきたって話だったのに」

「佐伯君ってカテゴリー上げると露骨に勝てなくなる印象あったんですけどね」

「もう別物だろ。山口君との試合を見る限り」

「ですねえ」

 こうして結果を残すと風向きも変わってくる。結局勝負の世界、勝てばよかろうと言うのは世の常であるのだ。正直言って、代表入りを端から諦め、ランク上げだけを目的とする選手だと、予選を抜けるのも一苦労となる。

 特例で出場するランク上位の選手が混じる本選ともなると、かなり苦しい戦いを強いられる。決勝までコマを進めることはほぼ不可能。

 それが出来る選手はコンテンダーには出ない。少し前の制度であれば、代表ポイントと世界ランクを上げるため、遮二無二国際試合に出ていた時期もあるが、今は代表のことだけを考えたら国内専念で問題ない。

 ゆえに日本勢はWTTにおいてピリッとしない結果が続いていた。

 其処に突如、風穴がぶち空けられる。

「あ、ありますかね、王虎対不知火湊」

「組み合わせ次第だが充分あり得るだろ。決勝まで上がるのは、さすがに出場選手を見ても苦しいとは思うが」

「欧州勢はベルリン開催だけあって特例フル活用、ランク一桁を踏んだことのある選手もいますしね。貴翔君でも一苦労ですよ」

「でも、もしそれでも勝ち上がったら?」

「……そりゃあもう、田中大先生の一人勝ちだろ。協会は二重の意味で泣くね」

「あはは。それは……見てみたいですねぇ」

 協会を飛び越え、連盟へ橋渡しした田中の横暴を咎める手がなくなると同時に、火山引退後、ただ一人中国勢に立ち向かう天津風貴翔と共に、日本の希望になる可能性がある。五輪の団体戦、どれだけ貴翔一人が強くとも、一人では絶対に勝てないのだ。もう一人いる。欲を言えば三人目も。

 そうすれば覇国中国を破り、悲願の――


     ○


「豹馬! また練習中にスマホを弄って」

「まあまあ、オバア。この前友達になったやつから質問来てたんすよ」

「友達?」

 青森田中、田中総監督は教え子である黒崎豹馬のスマホを覗く。

 其処には――

「なるほど。どう返すんですか?」

「俺のライバルっす」

「ふふ」

 不知火湊に敗れたフランスの選手から「彼は何者なんだ!?」という旨の質問があった。豹馬同様、その国では若手の有望な選手として国際試合で活躍する選手である。対戦し、豹馬と接戦を、熱戦を演じた選手である。

 その時、惜しくも豹馬は勝てなかった。

 その彼が本選一回戦で湊と当たり、3-1で敗れた。

「強くなりましたね。本当に」

「っすね。じゃなきゃ、面白くねえすよ」

 ふつふつ沸き上がる感情。それが黒崎豹馬の顔に笑みを浮かべさせた。

 早く勝負したい。気が、逸る。


     ○


 光り輝くような珠玉のドライブ。美しく、鋭く、それでいて破壊的なスーパードライブが相手のコートに突き立つ。

 取った。打った本人も、観客たちも、誰もがそう思った。

 それなのに――

「ははッ!」

(何故、其処にいる!?)

 打つ前からコースを読み切り、その上で光速のドライブを完全に見切り、同じく光にて返球する。人間の反応、その限界値にて撃ち込まれたドライブのカウンター。

 それはもう、人では反応すらできない。

「ヨォ!」

(馬鹿、なァ)

 一歩も動けず、芸術の国に生まれ、英雄になるはずだった男は敗北に、泥沼に沈められた。自分は沈み、相手は上がる。

『ローラン・アキュズに、勝っちゃった』

『驚いたね。一回戦から嫌な相手を引いたな、と思ったんだが』

 レオナ、一誠が見守る中、湊が世界ランキング三十位に位置するフランスの新進気鋭、ローラン・アキュズを撃破する。

 どのセットも競った試合であったが、それでも3-1、湊の勝負強さが光った試合であった。誰もがここから世界ランクを上げると信じて疑わない選手であり、今大会の台風の目とも目されていた男が一回戦で散る。

 それもノーランカー相手に。

「ミナト・シラヌイィ」

「メルシーメルシー」

「……アリガト、ゴザマス」

「わぁ」

 笑顔の湊と、必死に笑顔を取り繕いながら、血が滲みそうなほど歯を食いしばり握手を交わすローラン。

 会場は騒然となっていた。

 予選発の選手が一人、大物を食ったのだから。

『ふは、はっはっは、なあ、韓信さん。ローランの小僧の貌を見ろ、笑えるぞ』

『悪趣味だぞ、王虎』

『いやはや、そうそう。貴様にはそういう血が滲むような、そういう感情が足りなかったのだ。卓球はメンタルなスポーツ、お綺麗な心で戦えるかよォ』

 王者、そして選手兼コーチとして王を支える中国元ナンバーワン、韓信らが、若き者たちがバチバチと火花を散らした戦いを見つめていた。

 どちらも技巧を凝らし、勝ちに徹した一戦であった。

 それゆえに出たのは、勝負への嗅覚の差。

 若き天才として挫折知らず、フランスの穢れなき英雄となるはずだった男に、無名の男があれだけ暴れ回り、最後まで笑顔を失わなかった。

 普段、ローランがそうしていたことをやられたのだ。

 彼は笑顔を失ったと言うのに。

『遊びが過ぎる卓球だ。無名ゆえ、心にゆとりがあるからこその――』

『百戦錬磨の男がズレたことを言わんでくれ。不知火とかいう小僧、どうやら相当積んでいるぞ。遊び半分で勝ち上がってきたわけではない。勝利も、挫折も、全て経た上で、遊びつくすと決めた男の眼だ。実にイイ』

『……珍しいな、お前が其処まで褒めるのは』

『天津風ほどに楽しませてくれるか。ふはっ、楽しみだなァ』

 虎が牙を剥き出しに笑う。これだけ楽しそうな王者の姿は珍しい。最近では本国のスーパーリーグで韓信らと対戦した時も、ここまでのはなかった。

 現時点の力ではない。

 おそらくその先を見据えて、彼は舌なめずりをしているのだろう。

 王に届き得る才覚。それは――

(少し、懐かしい感覚もあるな)

 世界卓球にて、若き中国のスーパーエースであり世界王者を先代から受け継いだ韓信が、ある男に敗れた。神風特攻の精神で、玉砕覚悟で突っ込んできた。

 完熟した、完成した、その一瞬だけの輝きに全てを賭した男。

 その輝きが、重なる。ただ、あれほどにか細くはない。全てを削ぎ落す卓球とは対極、それが許された才能がほとばしる。

 あれでどこまで上がれるか、頂点を知る男にとっても興味深い。

「どもども」

「ドモードモー!」

 どもどもお辞儀というジャパニーズコンボを決め、ノリのいい観客たちに真似をさせる湊。当然自覚はない。

 歓声を浴びながら、鬼門であったはずの一回戦を突破して見せる。


     ○


 夜、クールダウンを終えた湊はコーヒー片手に公園のベンチに座っていた。一誠は会社に連絡があると席を外し、今はただ一人である。

 この前より少し暖かくなったか、都市の明かりで見えづらいが星空も悪くない。何よりも屋外に卓球台が当たり前にあると言う光景。

 それが湊にとって、やっぱりいいなぁ、と思わせた。

 そうしていると――

「Guten Abend」

「ほえ?」

 後ろにフードを被った、背の高い輩が現れた。

 湊は戦慄する。これが噂のオタク狩りだ、と思ったのだ。

 湊は必死に抗弁しようとする。僕はオタクじゃありません、陰キャですけど、と。

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