第91話:WTTコンテンダー

「田中さん! さすがに今回の暴挙は看過できませんよ!」

 Tリーグの試合を見学に来ていた青森田中の田中総監督の下へ、卓球協会に所属する男が声をかける。穏やかではない雰囲気で。

「何の話ですか?」

「WTTコンテンダーベルリンの件ですよ!」

「ああ。そのことですか」

「何故裏技使ってわざわざランカーですらない子を参加させたんですか?」

「実力がある子ですので、どうせ枠に空きはあったでしょう?」

「それは……それとこれとは話が違います!」

 男が卓球界の重鎮である田中に食って掛かるほど怒りを見せているのには訳がある。それは大前提として、WTTコンテンダーは国際卓球連盟が発表する世界ランキングに載っている選手のみが争う大会である、と言うこと。

 つまり不知火湊には参加資格がないのだ。

 例え過去にどれだけ活躍していようとも、世界ランキングのポイントは有効期限一年と決まっているから。

 それなのに彼は今出場している。

 国内で参加を望む数多のランカーを裏技で抜き去って――

「協会に迷惑はかけませんよ。きちんと連盟には話を通してあります」

「それも問題なんですよ。うちを飛ばして、直接国際連盟に話をつける。それじゃあうちの立つ瀬がありません」

「メンツの問題ですか?」

「道理の問題です!」

 田中は個人的に国際卓球連盟に伝手を持つ。彼女と共に戦った世代が上に立ち、彼らと直接意思疎通することが出来るから、そのような裏技がまかり通るのだ。

 もちろん、周囲からすればいい迷惑である。

「私は再三聞きましたよ。枠に余りはあるか、と」

「……それは黒崎君など、青森田中のランカーたちが参加されるのかと思い、枠に空きはあると回答したまでです」

「どちらにせよ枠に余りがあるのは事実。使わない枠なら、誰がどう使おうと構わないでしょう? もったいない精神ですよ。日本の美徳です」

「参加できるならしたい子が国内にたくさんいるんですよ。その子たちからどう見えるか、わからないあなたではないでしょう!?」

「でも、その子たちは参加できない。国際試合に遠征するための実力か、資金力か、はたまた両方が足りないから。枠が余るとはそういうこと。そもそもその子たちは参加すべきでない、私はそう思いますが?」

「それを言えば不知火君だって――」

「あの子の遠征費は自費です。個人的なスポンサーからの援助込みですが。そして私は実力があると判断しました。なら、有資格者です」

「資格はランキングの有無でしょうに」

「いいえ。勝てるかどうか。ただそれだけ。記念参加に意味はありません」

「……本気で言っているんですか?」

「もちろん」

 田中が自信満々に言い切った姿を見て、男は表情に驚きを浮かべる。

 最高峰の大会であるグランドスマッシュ、その下に連なるWTT(ワールドテーブルテニス)シリーズは最大規模の国際大会である。

 WTTシリーズの中でコンテンダーはファイナル、チャンピオン、スターコンテンダーに次ぐ大会であり、基本的には世界ランク二十一位以下で競い合う場となっている。要は将来有望な選手がランキング向上を狙い出場する大会、ということ。

 世界二百ヵ国以上の連盟所属の選手たちが参加し、勝利を狙う大会であり、いかにコンテンダーがシリーズの中で最も下位であっても勝ち上がるのは並大抵のことではない。そもそもこの手の国際試合は層の厚い中国が圧倒的に強い。

 コンテンダーとは言え、優勝ともなればトップクラスの実力が必要となる。

 そんな大会を不知火湊なら勝ち上がれる、田中はそう言っているのだ。

「……調整で王虎が出ているとしても?」

「楽しみですね。今のあの子が王を相手にどこまでやれるのか、が」

「……そこまで勝ち上がれたなら、いいですね」

「予選は楽勝ですよ。山口君と志賀君に3-0で勝った子ですから」

「国際試合と国内じゃ違うでしょうに」

「ふふ、それをあの子に言いますか? 国際試合の経験値なら、その辺のランカーよりよほど持ち合わせているでしょうに」

「……」

「まあご安心を。あの子が無様に敗れたら、順番飛ばしの無作法をした責任の一つでも取らせていただきます」

「彼が勝ち上がることを期待しますよ。私だって日本人に負けてほしいわけじゃない。むしろ、勝てるものなら勝ってほしい」

「ですねぇ」

 圧倒的な中国勢。そして欧州の有力選手たち。今の卓球界は群雄割拠、簡単に勝てるようには出来ていない。

 それにWTTシリーズはコンテンダーであろうとも、特例のため容易く魔境と化す。今回はどうやら、最悪と言っていい。

 何しろ、あの王が出てくるのだから。


     ○


「……WTTは聞いてないって」

 不知火湊、現地で大会を知り愕然とする。いくら実力の割に色々無知であっても、WTTシリーズのことぐらい頭に入っている。

 自分に参加資格がないことも含めて。

 ただ、きっちりエントリーされているので、やるしかないといったところ。逃げ場はない。何せここはドイツ、ベルリン。

 逃げたら日本に帰れなくなる。

(自信なし!)

 とりあえずやるだけやってみよう。

 いくら何でも色々とジャンプアップし過ぎなように見えるが――

「……ん?」

 自身のスマホ、メッセージの送り主は山口徹宵。

『全力で』

 ただ一言だけが添えられた文言に湊は微笑む。

 あの男らしい。

 そして、自分は山口徹宵を倒した男である。彼も世界ランク三桁と二桁を反復横跳びしている立場。そんな彼に勝った。

 なら、やってやれないことはないはず。

「よし、まあいっちょやってみますか!」

 不知火湊、復帰後初の国際試合へ出陣。


     ○


 WTTコンテンダーは基本的に各国の中規模都市で開かれることが多い。ただ、あくまでそれは基本であり、今回は大都市ベルリンでの開催となる。

 だからこそ、

『すげえ!』

『初めて見た!』

 この男が調整に現れていた。

 原則二十一位以下の大会であるが、二十位以内の選手を二名出すことが出来る、と言うルールも存在する。そのため、決勝ともなるといつもの顔ぶれに成ることもしばしば。それでもこの男が下に降りてくることは稀である。

 開催地がベルリンであり、丁度ドイツに旅行がしたかった。

 ただそれだけの理由で、

『ほォ、面白い小僧がいるなァ』

 世界ランク不動の一位、世界最強にして卓球界の王。

 中華最高傑作、王虎が参戦する。

 この時点で優勝は彼に決まったも同然。何しろ彼はコンテンダーどころか、グランドスマッシュや五輪、世界卓球、その全ての王者であるから。

 最強の男が眼下で繰り広げられる予選を見つめる。

 普段、歯牙にもかけぬ世界。

 されど今、僅かに気配がした。

『生意気な卓球をする』

 虎は、牙を剥き出しに笑う。

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