第90話:ドイツ土産いただきます
『ボス、大丈夫か?』
『ボス、泣くな』
『泣いてない!』
ボス、と呼ばれる人物は目に涙を称えながら、ギリギリのところでこらえていた。少し下っぽい世代相手にやりすぎたかな、と少し反省するも――
「おじさん、ドイツ人って皆こんなに上手いんですか? ちょっと熱くなったのもあるんですけど、そもそも手抜きする余裕なかったです」
「……いや、たぶん相当上手い子だと思う」
大きな力の差があれば多少あったまっていようとも手を抜き、他の子どもたち相手のように指導モードに切り替えることが出来た。
ただ、目の前の人物がそうさせてくれなかったのだ。
(周りよりもふた周りは大きいから中学生くらいかな? いや、でも、この実力なら高校生ってことも……その場合、子どもと公園で戯れるヤバイ奴になるけど)
身長含めた年齢の感覚がいまいちつかめないが、さすがに突然ベルリンのいずこかもしれぬ公園で出会った子がここまで強いとすれば、さすがに中学生以上だろう。これで小学生なら日本でも世代トップクラスである。
そんな人物が公園で子どもたちに囲まれ遊んでいるとは思えない。
と、公園で子どもと卓球していた湊が考え込んでいた。
まず、鏡を見るべきである。
『もう一回! 今のは油断しただけだ!』
『なら、5セットマッチにしようか』
『望むところだ!』
またも勝手に物事を進める一誠おじさん。真面目イケオジに見えてこの男、面白そうと思った時の躊躇いが微塵もない。
「湊君、まだこの子は負けていない、そうだ」
「えー、もう泣かしたくないですよ」
「まあまあ、もう決まったことだから」
「強引だなあ、もう」
さて、どうしたものかと湊は考え込む。先ほどは安い煽りに乗ってあったまり過ぎたが、今は涙ぐまれたことでかなり落ち着いている。
同世代疑惑はあるが、一応年下扱いと言うことで可愛がるのも一興か。
『行くぞ中国人!』
「おーし、来い」
どんと受け止めてやるのも大人の器量、と謎の使命感と共に湊は受けて立つ構えを取る。相手の卓球を引き出し、その上で教え導くように試合を進める。
コーチ歴もうあと少しで一年、その厚みを見せる時。
随分と薄っぺらな厚みである。
(まず、サーブが上手いよな、この子。ラバーの手入れがきちんとされているのもあるけど、その辺の子とは回転への意識自体が違う)
こする、食い込ませる、回転のかけ方は本当に繊細で難しい。プロレベルでも一定ではなく、その時その時の出来に左右される。
そのブレ幅の少なさ、再現性の高さこそが技量である。
それが素晴らしい。
「ほいっ」
とは言え、レベルが高いということは湊のやり慣れた球筋であるということ。処理に手間取ることはない。
しっかりと打ち込み、相手のコートへ返す。
角度をつけ、落点を深くする。
厳しいコースである。
(あと、屋外特有の問題として足場が悪いってことが挙げられるかな。体育館や卓球の大会仕様じゃなくて、土、砂、これは滑る)
だから、滑らぬようにする。
それが温室育ちの発想。しかし、相手は物心ついた時から公園を遊び場とし、屋外の卓球に慣れ親しんだ公園キッズである。
(でも、君らはそうするんだよな)
滑る足場。踏ん張れないから動きをセーブするのではなく、あえて滑る。滑りながら打つ。その器用さに湊は舌を巻く。
(この子だけでなく、他の子も当たり前のようにこう打つ。難しいだろうに、その辺は慣れなのかな。うん、ドライブもしっかり回転がかかっている)
やはり上手い。
球の威力は若干見劣りするが、湊が一番活躍していた小学校辺りのカテゴリーであれば、やはりずば抜けた存在であっただろう。
中学、高校と上がるにつれ、フィジカル勢が巻き返してくるのだが――
(やっぱり中学後半、高校辺りと見た。多分学校になじめなくて、ここで年下の子たちと群れて……うう、不憫だ)
『おい、集中しろよ!』
(なんか言ってるけどよくわかんないや。とりあえず優しくしよっと)
滑り打ち、他の子が見せてくれたこの場に適応した技術。
(よし、なら――)
郷に入らば郷に従え。
湊、彼らの真似をして滑ってみる。
もちろん、こけた。
「アッフェ(猿真似クソ野郎)!」
ドイツのキッズたち、大賑わい。点を取った子もぎゃははと笑う。
精神年齢が低いなぁ、と湊はため息をついた。
でも、怒らない。だって大人だもの。彼らよりは。
「湊君、あまり変な癖をつけても――」
一誠の言葉を湊は手で遮る。
確かにこの技術、公式戦で使えるようなものではない。あくまで屋外の、劣悪な環境下でのみ使うことのできる飛び道具でしかない。
でも、技術は技術である。
「とりあえず、ドイツ土産に貰おうか」
『あ?』
「君らの面白技術を」
土を滑り打つ。あえてロビングを打ち上げ風任せのショット。セオリーに当てはまらない戦い方。その上、やはり卓球自体何処か日本とは違う。
彼らの、ドイツの血が流れている。
(今の打ち方、ちょっとおじさんっぽいなぁ)
湊が徐々に、雑念を捨て卓球に没頭、集中し始める。
「……これは」
『なんだよ、こいつ』
この劣悪な環境すら、飲み込む貪欲さ。
それは――
○
(クソ、こいつ。なんでこんなのがオレらのシマにいるんだよ!)
上手い、なんてものではない。基礎技術の高さ、自分たちと同世代に見えるのに、すでに実力は完全にカテゴリーエラーとしか思えなかった。
でも、同世代でこんな選手知らない。
さすがにこのレベルなら、国を跨いでも知っているはずなのに――
(アジア人は小さく見えるってパパが言ってたかな? じゃあ、カデットくらいか? それでも強過ぎるだろ、こいつ!)
まさかこの間抜け面でジュニア、なんてことはないだろう。ただ、実力は見た目に反してジュニアの男子、その中でも明らかに抜けて感じる。
地の利を生かして何とか食らいついていたつもりだったが、徐々に理解していく。目の前の男は最初の1セット以降、本気など微塵も出していない。
自分を引き出して、吸収しようとしている。
しかも、
『すげえ! あの日本人、もう滑って打ってるぞ』
『しかもどんどん上手くなる!』
『股抜きロビング! しかも風読みもドンピシャ!』
『左手で打った!?』
飲み込むばかりか、自分たちですらやらないことをやり始める。
自由、それが許される圧倒的な卓球センス。
普通じゃない。普通じゃありえない。
(日本人? キショーじゃない。なら、誰なんだよ!?)
無名。
こんなのが無名なわけがない。
でも、この場の誰も彼を知らないのだ。
それが信じられなかった。
○
「卓球って山に似ているなって、最近思うんですよ」
強くなった、だけではない。
「頂上に近づけば近づくほど、植生って少なくなっていくらしいんですよ。逆に麓の、裾野の方は多種多様な植生があって……卓球も同じだなって」
あの頃にはなかった貪欲さ。佐伯崇も、そして自分も、誰だってどこかで何かを諦めてきた。削ぎ落し、最適化してきた。
それが当然のことであり、上へ行くということ。
そう信じてきた思いが揺らぐ。
「もっと色んな卓球、見てみたいです」
一度卓球そのものを捨てた不知火湊は、再び立ち上がると同時に卓球への思いを強めたのだろうか。その貪欲さは、全てを飲み込む勢いである。
この子なら、全部抱えたまま飛び立てるのではないか。
笑顔を浮かべる少年の圧に、百戦錬磨の男は気圧されていた。
『おじさん、こいつ誰?』
最初のセットでのラブゲームを喰らった時以上に、不知火湊を存分に体感したこの2セットで強い敗北感を受けたのだろう。
涙はなく、ただ興味だけがあった。
悔しいとか、そういう相手ではないと理解したのだ。
『ミナト・シラヌイ。知ってる?』
『聞いたことない』
『あはは、当然だね。でも、すぐによく聞く名前になるよ』
『……ベルリンには遠征?』
『ああ。ちょっと大会に出てみようかと』
『……どの大会に出るの?』
『WTTコンテンダー』
『は!? ミナトってランカーなの?』
『いいや。内緒だよ』
『……』
呆然とする子を前に一誠は笑みを浮かべる。
当然その会話は、
「……?」
湊には聞こえていない。
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