第89話:冬のドイツは……寒い!
ドイツ連邦共和国首都、ベルリン。
ドイツ北東部の人口370万人を誇るドイツ最大の都市である。第二次世界大戦前は世界三位の大都市であり、現在も世界都市ランキング(2022年調べ)では八位と悪くない位置につけている。
なお東京は三位、はさておきロンドン(一位)、パリ(四位)に負けているのは欧州の優等生として君臨するドイツからすると心外、と言ったところか。
まあそんなビッグな都市に不知火湊はやってきていた。
異国情緒あふれる景色。
彼の感想は――
「寒いぃぃ」
寒い。
欧州は地中海や大西洋の海流の関係により、日本よりも緯度が高くとも比較的温暖、であるのだが、ドイツはさすがに緯度が高すぎた。
と言ってもベルリンは大都市、都市特有のヒートアイランド現象により周辺地域よりも気温が五度ほど高くなることもあり、平均気温は意外と地元と変わらない。
北海道の方がよほど寒い。
ただ、それはあくまで平均気温の話。
下振れると普通にマイナス十度を超えてくる。本気を出したらマイナス二十度、さすがにこれは記録的であるが、あり得る数字であるのだ。
本日はまあまあ当たりの日、マイナス五度。
寒い。
「お待たせ。コーヒーとサンドイッチ買ってきたよ」
「お、おじさん。僕、死んじゃうかもしれない」
「大げさだな、湊君は。其処の公園でベンチにでも座って食べようか」
「この気温で?」
「コーヒーがあるから。あったかいよ」
(……忘れてた。この一家、寒さに強いんだ)
欧州を主戦場に、選手時代の晩年はスウェーデンで活躍していた星宮一誠は、そちらで那由多を出産し育てた。母親はそれほどではないのだが、父と娘は寒さにめっぽう強く、たまに外国人よろしく冬に半袖で外出する様が目撃されている。
ちなみに卓球も冬の那由多の方が強いとか何とか――
「のどかで落ち着くね」
「は、はいぃぃ」
寒さでそれどころではないが、一誠はコーヒーとサンドイッチに舌鼓を打ちながら、明らかに長居しそうな雰囲気を全身から出していた。
湊としては早く暖房の効いた場所に飛び込みたい、としか思えないのだが、一誠の案内がなければ宿泊先にすら辿り着けないため足並みを揃えるしかない。
「公園はいい。心が落ち着く」
「そーですねー」
そもそも湊は自分がどういう大会に出るのかいまいちよくわかっていない。海外の招待選手的な感じでドイツの大会に出る、ぐらいはわかっているが、其処にどういう選手が来るのかは全然わからず、一誠も「そこそこだよ」としか言わない。
わからないまま、寒さに打ち震えていたのだ。
不知火母も「一誠君に任せときなさい」とパスポートと着替えだけ渡して放任、明菱の面々も引き留めるでもなく「お土産よろしく」という始末。
そりゃあ旅費を神様仏様神崎様が持ってくれたのはありがたい話であるが、正直そんなに焦らなくても来年頑張ればいいや、としか本人は思っていない。
総体含めたジュニアの試合も出て、全日本の予選も出て、部員たちの先頭を征ければ、湊としては特に問題ないのだ。
「……あれ?」
「ん、どうしたんだい?」
「あそこ、あれって、卓球台ですか?」
湊が指さした場所には台もネットもコンクリート製の、卓球台と思しきものがあった。そうとしか思えないが、何故屋外の公園にあんなものがあるのだろうか。
「欧州じゃそれなりに見る光景だよ。特にドイツは卓球が盛んな方だから、公園の遊具と言えば卓球台、と言ったら少し言い過ぎかな。でも、そこら中に卓球台があるのは本当。それだけ根付いているのさ、卓球と言う文化が」
「……へえ」
日本人からすると不思議な光景である。ブランコや滑り台、それと隣り合って卓球台があるのだ。
日本で卓球と言えば一昔前の温泉旅館か、ゲーセン、体育館、最近ではバースタイルの場所も出てきたらしいが、まあそれはごく一握りの話。
意外と卓球とは身近なようで遠い。
それが日本の現状である。
「ただまあ、それが欧州の難しさでもあるのだがね」
「……?」
「お、子どもたちが卓球を始めたようだ。湊君も混ざってきたら?」
「言葉が通じませんよ」
「卓球は通じるとも」
一誠は立ち上がり、卓球台の方へ向かっていった。
そして二言三言ほどかわし、
「湊君、勝負しよう、だって」
「寒いまま固まるよりマシかぁ。にしても、寒いなぁ。こんなに寒いのに彼らは何故公園で卓球しているんだろうか。僕なら家のこたつから出ないけどなぁ」
ぐだぐだ言いながら湊も卓球台の方へ向かう。
ぐだぐだ言っていて気付かなかった。
「――シャイセ!」
「カッケ!――」
何か彼らが怒っていたことに。
「あっはっはっは」
一誠おじさんが笑っているからきっと友好的な感じなのだろう、とよくわからぬまま子どもたちと卓球を始める湊。
ちなみに一誠が彼らに伝えた言葉は、
『あそこのお兄ちゃんが一緒に卓球をしたいって言っているんだけど』
『嫌だね。中国人と遊びたくないよ』
『どうせ前でちまちま球弄ってんだろ。見ててつまんねーよ』
『……日本人なんだけど』
『一緒だろ、どっちも』
『ふむ――』
ちょっと大人げないと思ったがカチンときたので、
『本当は卓球教えてやろうか、ジャガイモどもって言ってたよ』
『ア!?』
ほんのり煽った言葉を伝えてしまったのは内緒である。
○
『こいつ、クソうめえ!』
『ま、負けるな! デニス! ゲルマン魂を見せてやれ!』
『無理ぃ』
まあ、当たり前だがその辺のキッズに負けるほど今の不知火湊は弱くない。と言ってももちろん本気ではなく、相手の力を引き出した上で少しだけ上回る指導的なスタイルである。ただ、彼らの眼は節穴ではない。
『くっそー! 中国人如きに舐められてたまるか!』
『だから日本人だよ、って……聞いてないか』
何故か中国人への敵意剥き出しの少年たち。ついでにアジア全部ひっくるめてヘイトを買っているのは何ともひどい話である。
まあ世界中どこに行っても差別はある。残念ながらそれは避けがたいことであり、言葉が通じなければそれは加速するしかない。
何事も接してみて、話してみて、初めてわかるのだ。
ドイツ人、中国人、日本人、その大枠にあまり意味がないことを。
ただ、
「違うよ。この場合はクロスじゃなくてストレート。え、と、こう振るんじゃなくて、こう開いて打つんだ。こんな感じで」
言葉は通じずとも、
『難しいよ』
「理解できなかったかな? んー、体を遅らせる、スロー、スロー、で、プルしてドーン! そう、そんな感じ。いいね」
卓球は通じる。
卓球少年、少女たちを相手に、気づけば湊が熱心に卓球を教えていた。しかし、一誠が驚いたのはそれだけではない。湊は彼らからストリートの技を逆に教わったりしていたのだ。自分の技を教え、相手の技も教わる。
何とも不思議な光景である。
「性格は舞さん似だったか。そりゃあ崇の真似はきつかったよなぁ」
卓球だけが共通言語。
でも、それだけあれば繋がることも出来る。
そんな景色に一誠は相好を崩す。
だが、
『何してんの?』
一人の少年、と思しき人物の登場で場の空気が固まる。
『あ、いや、ボス。俺らはただ――』
『ここ、ドイツ人専用って言ったよね?』
『……』
全員押し黙り、すっと湊のそばから離れた。
『あのさ、ここオレらの場所だから。どっか行けよ、中国人』
その少年が湊へ声をかける。
湊は、
「……?」
当然、何も聞き取れていない。
「おじさん。この子、何て言ってるんですか?」
「んー、そうだなぁ」
一誠は少しだけ考えこんだ後、
「下手くそジャップはお猿の島へ帰れって」
彼なりに和訳した。
「なんだと!」
湊、キレる。
『あ、やんのか?』
『ぼ、ボス、あいつマジで上手いから気を付けた方が――』
『オレが負けるかよ。こんなとこで』
『で、でも――』
相手もキレた。
互いに敵意を剥き出しに、いざ勝負開始。
○
三分後、
「ふんが! ラブゲームじゃい!」
「……さ、さすがに大人げないよ、湊君」
11-0で日本の誇りを大人げなく示した湊が勝利する。
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