第88話:一人前の証

「……」

 星宮一誠の卓球はなんと言うか、大きいとしか形容しがたいものであった。スイング、ステップワーク、日本人ならもっとコンパクトにしているところが、全て大きく、力強く行われている。もちろん上手い、ただそれよりも大きいが感想に出てくる。それが欧州仕込みの元プロ、星宮一誠である。

 ゆったりと、強く打ち出された球はぎゅん、と強烈な推進力と共に相手コートへ突き立ち、力ずくで突破してこようとする。

 ただそれを、

「よっと」

 不知火湊はカットやフィッシュ、時にロビングなども織り交ぜてしのいでいた。一セット目、明らかに優勢なのは星宮一誠の方。

 だが、

「まーたあいつ、観察モードに入ってんじゃん」

「時間稼ぎはパパに通じない」

「あ、ファザコンじゃん」

「パパのことが好きなのは当たり前。それに欲目じゃなく事実」

「父の件、私はそうでもないけど」

 どさくさできっちりディスられた哀れなる道具屋の父は草葉の陰でしずしずと泣いていた。泣きながら酒を飲んでいることだろう。

 そんな娘たちは横に置き、

「気になる?」

「あ、いや、なんか、今までの卓球選手とは違う感じがして」

 興味深そうに試合を凝視する花音に石山が声をかけた。

「意外と見る目あるねえ。あの人、スウェーデンでプロとして活躍していたバリッバリの欧州卓球だから。白人、時に黒人、ハーフなどの様々な人種が入り乱れる欧州の卓球は、一言で言うならちょっと粗い」

「……アジアの方が、ってことっすか?」

「その分、強いって感じ。正直、現役時代そこまで苦手意識なかったけど、それでもパワーで押し切られた試合はあったかな。男子だともっとフレームの差は顕著。手足も長いし、その分リーチもある。そのくせ存外手元も上手い」

「粗いのに?」

「そ、粗いのに。は? それ捌くの? みたいなの結構あるから」

 土地が違えば何とやら、卓球の土台がアジアと欧州では違う。コンパクトに、スピーディーに、それがアジアの卓球であれば、大きく、パワフルに、と言うのが欧州の卓球、みたいなざっくりとしたイメージになるだろうか。

 上手い下手ではない。

 違う、がしっくりくる。

「小春はピンとこなーい」

「私は真似できない、が正しいかな」

「カットじゃないから」

 しっくり来ているのは花音だけ。それはある意味で、彼女の征くべき道を暗示しているのかもしれない。

 欧州でもざらにいる、とは言えない大きなフレームも、あちらなら特別と言うほどではない。そして、あっちの卓球はそういう者たちによって培われてきた歴史がある。卓球最強国家は中国だが、卓球の本場は欧州にある。

 歴史やあちらでの卓球と言うスポーツの立ち位置が今を構築していた。

「ま、しっかり見ときなさいよ。あれ、どう考えても自分よりもあんたらに見せるため、わざわざ一セット捨てる気なんだから」

「え?」

 全員が驚いた眼で石山を見る。

「当たり前でしょ。別にあいつ自身、やめる前に欧州の選手なんて何人もやっているだろうし、そういう経験がある以上、観察に一セットもいらない」

 試合を引き伸ばさずとも、そもそも遅延せずとも、試合の中で充分適応できる。国内では多少珍しいあちらの卓球も、国際試合に出向けば当然よくある風景。

「ピンとこない連中は対戦相手として、花音は自分のものに出来る技術を一つでも多く盗み取ること。ほら、あのテイクバックなんて日本じゃあまり見ないでしょ」

「う、うす」

 過保護とも言える湊の振舞い。

 彼自身も少しずつ感じつつあるのかもしれない。この先、今までのように付きっきりでの指導と言うのは難しくなることを。

 それは自分の向上もそうだが、皆の向上も理由となる。

 だからこそ、それが出来る内は――


     ○


(驚いたな。これが、今の湊君か!)

 一セット目、彼の狙いはよくわかった。誰かのために、今までの、少なくとも佐伯湊にはなかった行動原理である。それの良し悪しは一セット目にはわからなかった。自分の好敵手である佐伯崇はかつての湊同様求道者であり続けた。

 それが彼の強さだった。

 誰かのために、競技者としてそれはどうなのか。強度が不足しないか、真っすぐ進めるのか、辛い道のりに耐えられるのか。

 杞憂。


「ヨォ!」


 あまりにも杞憂であった。

 今の彼を自分の目で確かめるために、あえて全ての情報をシャットダウンしてきた。あの青森田中の田中総監督が気にかけている以上、それなりの可能性を見せてくれるとは思っていたが、とんでもない勘違いであった。

 可能性ではない。

(……あの魔女が無理やり推薦しようとするわけだ)

 今の時点で届き得る。

 つまり――

(崇、お前の息子。控えめに言って化け物だぞ)

 星宮一誠、旧姓右藤一誠。佐伯崇と同い年であり、共に競い合う立場であったが頭一つ突き抜けた彼に対抗すべく単身渡欧。

 言葉一つ通じぬ環境で、死に物狂いで卓球を磨いた。日本のセミプロとは違い、欧州のプロとは何の保証もない実力のみの世界。クビを切られたらはいさようなら、プロはゴールではなく始まりでしかない。

 そんな環境で生きてきた。生粋のプロフェッショナル。

 そんな男が今、

「ぐっ!?」

「っしッ!」

 自らの半分にも満たぬ歳の子に圧倒されていた。

「み、湊、もうちょっと手加減して!」

「やだよ。せっかく一誠おじさんとやれる機会なんだし。全部出すさ」

「ぶぅ!」

「いつも湊の味方なのに……恐るべしファザコンめ」

 星宮一誠も現役を退き長いとはいえ、当時からスポンサーであり懇意にしていたスウェーデンの老舗卓球用具メーカーに就職し、其処に所属する現役選手たちの練習パートナーに関しては今なお重宝されている人材である。

 未だトレーニングに関しても、そのために欠かしていない。老いて落ちてきたステータスは他である程度カバーできている、はず。

 日本の選手が欧州遠征に来る際も、営業がてら練習パートナーをこなすなど今なおトップレベルの卓球に触れ続けている。

 目利きに間違いはない、はず。

「あらまぁ」

「凄いじゃない、湊君。あの一誠君がねえ」

「ちょ、ちょっとは手加減してくれても……」

 久しく母ズも湊の卓球を見てこなかった。と言うよりも見ていられなかったのだ。悲壮感すら浮かべ、父と同じ求道の道を征く湊を。

 痛々しい姿を。

「黒峰先生、ありがとうございます」

「何度も言いますがお母様。私は何もしておりません」

「それでも、ありがとうございます」

 不知火母は黒峰に深々と頭を下げる。息子が強くなったから嬉しいのではない。息子が笑顔で、楽しそうに卓球をやっているのが嬉しいのだ。

 しかもそれが自分だけで完結せず、周りともつながっている。

 それが本当に――

「ま、マジで強ぇな、不知火のやつ」

「下手すると私たちよりも成長してない?」

「そりゃあもう小春のコーチだからね」

「当然さ。復活した天才、不死鳥(フェニックス)だよ彼は」

「「「……」」」

 フェニックス発言はスルーしながらも、湊の卓球に目が惹きつけられる。早速、この前見せた姫路美姫のプリンセスモードから少し離れ、少し欧州っぽい卓球が本日のテーマなのだろう。星宮一誠の卓球をも取り込み、彼なりに解釈し直した。

 強く、大きく、それでいて多彩。

 何より――

「あれだけ大きく動いて粗くならないのはやっぱセンスよねぇ」

 卓球のことなら姑よりも細かい、と自負する石山をして粗を見出せないほど、彼の卓球は洗練されていた。変化し続け、その時々に形を変えながら、それでも不知火湊の卓球であることは崩れない。

「ちょっと一年、もったいなくない?」

 不知火湊は今年、大きな大会に繋がる大会を落としてしまっている。全て来年、予選から勝ち上がり、それでようやく諸々の大会の参加資格を得る。

 それが当然の道であり、皆そうやって上へあがっていく。

 石山もショートカットには反対の立場。他の選手に示しがつかないから。負けたやつが悪い。参加しなかったやつが悪い。

 当然の道理である。

 それでも、そんな彼女をしてもったいないと思わせるほどに、今の不知火湊の実力は他を圧倒していた。卓球に対する意識変化、メンタルの変貌がすべてプラスに働き、彼の卓球自体を作り替えた。

 もはや佐伯湊時代とは別人。

 今の彼なら――

「参ったね。そろそろ本気でラケットを置かないといけないなぁ」

「初めておじさんに勝ちましたよ」

「そうだったかな」

「ええ。僕その辺細かいタイプですから」

「はは、そうか。では……参りました」

 欧州卓球を、和洋折衷卓球で返り討ちにした湊は明るく笑う。その笑顔を見て、その眼に浮かぶ真っすぐな光を見て、

「ようやく君にこれを渡せるよ」

「え?」

 星宮一誠はラケット入れに仕込んだ一枚の紙を取り出し、丁重にそれを差し出す。大人に、取引先に渡すよう、丁寧な所作で。

「あー! 私ももらってないのに!」

「私は貰った。高校に上がる時に」

 名刺を。

 それは彼が一人前と、プロたりうると認められたものにしか渡されないものである。ちなみに那由多は高校に上がる際、もともと地元志向だった彼女だが青森田中の熱烈なオファーをかわすべく、龍星館と青森田中へ交渉を吹っ掛けた際に貰った。

 交渉材料はメーカーの切り替え。

 父、一誠の勤めるメーカーと既存のメーカーを学校単位で切り替えてくれますか、と言う強引極まるやり方で青森田中を撃退。

 希望通り龍星館へ進みつつ、父の営業成績も上がるといった最高の結果をもたらした時、ありがとうの感謝を込めて贈ったらしい。

 まあ、そうでなくとも彼女ならすぐに貰っていただろうが。

「子どもの頃、めっちゃ欲しかったです。これ」

「渡したくてもね。崇の繋がりもあるから飛び越えるわけにも……でも、今の君なら例えそういう理由があったとしても、渡す価値のある選手だと思う」

「ちょ、頂戴します」

「それで少し提案があるんだが……いいかな?」

「何ですか?」

「大したことじゃないんだけど、ちょっとした大会に出てみないか?」

「これから春にかけて暇なので良いですよ。あまり遠いとお金があれですけど」

 突然の提案に戸惑いながらも、多分問題ないと思って了承する湊。

 お金の問題も、

「それなりに実のある大会への参加ならうちがお金出すわよ」

「神様仏様神崎様ァ」

「おーほっほっほ」

 御覧の通り。湊には今、太いスポンサーがついている。

「おっと、一手先んじられていたか。うちが出そうと思っていたんだけど、そちらの方が丸いならそうして欲しい」

「で、どの大会なんですか?」

「開催地はベルリン」

「へ?」

「現地の案内は僕に任せてくれ」

「へ?」

「よろしく頼むよ」

 湊、一人前の証である名刺を受け取り――


     ○


「ようこそ。欧州が誇る卓球王国、ドイツへ」

「へ?」

 不知火湊、ドイツ着。

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