第87話:突然の襲来

「へえ、今のカットマンって噂通りガンガン来るわけか」

「ふ、シュッ!」

 現代卓球のカットマンは九十九すずのような例外を除き、基本的にカットを一つのオプションとして運用し、ドライブや台上などを織り交ぜて戦う。

 円城寺秋良も夏を経てオールドスタイルからそちら側へシフトし、少しずつだが板についてきた。

 ルール改正、用具の変化、そして選手の大型化。

 それらに伴った必然的な変化ではあるが――

「私の時代にもあったらなぁ。絶対そっち選んでたわぁ」

「……くっ」

 美里の母、鶴来美琴らの時代はカットマンと言えば守備的な戦型であり、拾って拾って相手のミスを待つ、そういうスタイルであった。

 彼女もカットマン、スタイル自体は古い時代のものであるが、

(……この、キレは!)

 娘のバックハンドドライブが名刀の一振りと呼ばれるように、彼女のカットもかつてはそういう風に呼ばれていた。

 相手を殺すデスカット。

 ボールを切り裂き、超回転を与え、相手に取らせない。

 守備的でありながら超攻撃的。

 それが銀城女子の二枚看板が一人、鶴来美琴である。

 カットにはそれなりの自負があった秋良であるが、彼女の切れ味を比べるとなまくらもいいとこ、薄っぺらい自負が崩れ去る。

「相変わらず凄いね。久しぶりに見たけど」

「よそ見する余裕あんの? 湊!」

「それなりには」

「こ、こいつ!」

「早く! 早く! 交代交代!」

「うっさい! まだ負けてない!」

 全国レベルでもそういないカットの達人。男子であればパワーであれ以上の回転数を出せる選手もいるにはいるが、女子のスペックであれはもう次元が違う。

 あれで高校卒業と同時に引退、主婦になったのだから人生はよくわからない。ちなみに三母の中で最も早く結婚し、誰よりも先んじて子をなした。

 実は美里、一太郎二姫の末っ子である。

「こんな感じかな?」

「勝負中に真似モードに入るな!」

「んー、六十三点」

「辛いね、那由多」

「卓球には厳しい」

「だから勝負中によそ見しながら会話してんじゃねえ!」

 男女差が比較的少なく、男女で勝負が成立する競技であるが、それでも男子と女子のトップがミックスでもなければガチンコで戦うことなどほぼない。

 やはり競技のトップレベルとなると性差は大きい。

 まあ、サッカーや野球に比べたら全然戦えるが――

(つーか、しばらく見ない内に強くなり過ぎでしょ、こいつ!)

 と言うか性差云々の前に、単純に湊の進化速度が美里のそれを遥かに超えていただけ、とも言えるが。

「あらぁ、うちの子意外とやるわねえ」

「間違いなく来年は上のカテゴリーで暴れていますよ。ジュニアじゃないです」

「んま、お世辞がお上手ね、石山さん」

「えへへ、お世辞じゃないですよぉ」

 さすがの試合速度、オールフォアの超攻撃型卓球にて小春、花音の両名を粉砕し、にこにことお茶をしばく不知火母に、石山は抜かりなく茶を注ぐ。

 体育会系のサガ、大先輩は引退していようが関係なくリスペクト、なのだ。

 まあ、当時の青森田中、のちに五輪にも何度も出場した世代最強のスーパーエースをジュニアで唯一打ち破った伝説の選手であり、憧れでもあったので、ね。

 揉み手かますのも仕方ないのだ。

「丁度全国大会が石川だったので、あっしも子どもの時に観に行きまして」

「あら、そうなの? 恥ずかしー」

「あの卓球美少女を超攻撃卓球で粉砕した伝説の試合は感動でした」

「さすがにオールフォアじゃ勝てなくて裏面貼ったけどねえ。つるちゃんの引退試合だったからどうしても勝ちたくて」

「鶴来選手も勝ちまし……あっ」

「しー」

 二枚看板、鶴来美琴の対戦相手は何を隠そう――

「石山さん。私とやりましょうか」

「へ、へい! 喜んで!」

 青森田中の裏エース、星宮京子である。何故スーパーエースがいるのにエースなのかと言うと、当時日本中で大人気だった彼女はメディアに引っ張りだこ。あと国際大会にもガンガン出場し、そもそも国内にいないことも多々。

 そんな学校を率いていたのがエース兼キャプテンの星宮京子であった、と言うわけ。二年次の総体など普通に予定が合わず欠場、みたいなことは日常茶飯事。

 所属していただけ、だから星宮が実質的なエースであったのだ。

 たまたま予定が合い、出場した三年の夏。

 スーパーエースと裏エースの二枚がものの見事に粉砕、全国区のニュースになったほどの珍事となった。

 負けはすれど、

「もう完全に星宮さんだった。強過ぎです」

「ほっしーは私たちの中で唯一社会人になっても選手だったから。たぶん今は私たちの中で一番強いと思うわよ」

 この三人の中で最も長く選手であり続け、国外で本当の意味のプロ選手であったのは彼女だけである。

 ちなみに彼女らは石川出身の幼馴染で、高校で進路が星宮だけ別れ、紆余曲折を経てまた地元に戻ってきた、と言う感じ。

 ちなみのちなみに鶴来、星宮、共に婿養子であり、彼女たちは昔からのあだ名でも今は問題がない。ちょっと前までは不知火母だけ佐伯であり、まいちゃんがあだ名であったが、それも今は昔のこと。

 余談である。

 沙紀をきっちり料理し、そのまま後輩でありながら青森田中のタブーに触れた石山をかわいがってやろう、と大先輩が立ち上がる。

 さすがに引退して日の浅い石山の方が本来は強いが、体育会系特有の『縦』プレッシャーが、精確無比の彼女の卓球を微妙に狂わせていた。

 これまた余談である。

「神崎さん、部長さんなんですって?」

「え、あ、はい。一番弱いけど部長です」

「そんなに差はないと思うけれど……でも、息子がいつもお世話になってます」

「い、いえ、お世話になっているのはこちらの方でして、はい」

 神崎沙紀、期せず不知火母と会話する。興味深そうに様子をうかがう小春と花音であったが、少し前に刻まれた攻撃的な姿に怯え近づけないでいた。

「久しぶりに卓球している姿を見たけど、あんなに楽しそうにやっているのを見るとね。親として本当にうれしくて」

「今楽しそうなのは幼馴染のお二人のおかげかと思いますが」

「そうじゃないけど、そうね、そういうことにしておきましょう」

 あまり恩を押し付けるのも違うと思ったのか、不知火母は一歩引く。

 ただ、幼馴染の二人も、ここにいる親勢もわかっている。不知火湊が何故変わったのか、が。神童、佐伯湊の時代を知るから。

(本当に感謝しているの。私は、向き合うことすらできなかったから)

 砕け、死んだ魚の眼で自暴自棄になっていた彼を知るから。

 再び立ち上がった息子が楽しそうに卓球をやっている。毎日辛そうで、勝たなきゃいけないというプレッシャーに押し潰され、吐きながら戦っていた彼はいない。

 湊は変わった。

 黒峰先生曰く最初は強引に、それでも今は彼自身が望み、もう一度ラケットを握った。そして今、再び勝負の世界へ飛び込もうとしている。

 その残酷さを、辛さを、存分に味わってきたのに。

 だから――

「そろそろかしら」

 一番つらい時に何もしてあげられなかった自分が今、何かをすべきではない。

 何かをしてあげられるとすれば、

「少し遅れてしまったかな」

「久しぶり、一誠くん」

「どうも、舞さん」

 今もなお現場にいる者だけ。

 市営の体育館に姿を現したのは理知的な風貌の男性であった。

「パパ!」

 那由多がただでさえ笑顔であったのに、さらに晴れやかな表情となる。ここまでの変化は十年に一度クラスかもしれない。

「那由多」

 バッ、と腕を広げる星宮父こと星宮一誠。

 其処へ那由多が勢いよく飛び込む。ついでに星宮母も飛び込む。

 それをがっちりキャッチし、ぐっと抱きしめた。

 そして、

「久しぶりだね、湊君」

「お久しぶりです、一誠おじさん」

 愛妻と愛娘を抱きしめながら、一誠は湊に声をかける。湊としても久しぶりの対面、そもそも彼が国内にいること自体が稀であるから。

 最後に会ったのはいつだったか、随分前だったような気がする。

「美里ちゃんも」

「お久しぶりです!」

 自らの父とは大違い、リスペクトを込めた視線を向ける美里。何を隠そう、このナイスミドルな那由多の父が美里の初恋である。

 と言うか、

「ご、ご無沙汰してます、星宮さん」

「石山君も久しぶり。君が現場に戻ってきてくれて嬉しいよ。君が培ってきたものを失うのは、卓球界にとって大きな痛手だからね」

「きょ、恐縮です」

 石山百合も尊敬の念を込め、ぺこぺこしていた。

 今日はずっとぺこぺこしているような気もするが。

「パパ、今日は何しに来たの?」

「んー、難しい質問だね。田中さんのお使いでもあり、里志からの頼みでもあり、かつて背中を押した友への贖罪でもある」

「……?」

「うちのダメ親父が頼んだ?」

 いまいち要領を得ない回答に皆が首を傾げた。特に、そもそも彼が何者かもわかっていない明菱の面々にははてなが浮かぶ。

 親ズや黒峰は何か察しているようであったが。

「要は卓球をしに来たんだ。久しぶりにどうだい、湊君」

「一誠おじさんとですか?」

「ああ。僕では不足かな?」

「……まさか」

 のんきな笑顔を浮かべながら、幼馴染と卓球に興じていた湊の表情が変わる。一誠を見て、そして明菱の皆を見て、

「望むところです」

 先ほどまでとは別の『笑顔』を浮かべる。

「お手柔らかに」

「こっちのセリフですよ」

 美里と那由多が驚きながら視線を合わし、二人して興奮する。

 今の不知火湊と『あの』星宮一誠が卓球をするのだ。

「ねえねえイッシーちゃん」

「石山コーチなチワワ」

「あの人誰?」

「……まあ、あんたら世代じゃ知らないのも無理ないけど、一応一時代を築いた選手の一人。星宮那由多が人気の理由はあの人の娘だってのも一因だから」

 石山百合はまあ知らないであろう明菱の馬鹿たれどものために説明してやる。これが青森田中なら無知な後輩どもをなじっていたところである。

「世界選手権メダリスト佐伯崇と永遠の二番手星宮一誠、火山君が出るまで男子卓球界はあの二人を中心に回っていた。そういう選手」

 言わずもがな、男がラケットを握った瞬間、空気が一変する。

「私如き木っ端とは違う。正真正銘のトップオブトップ」

 プロになった、とプロで成功したには大きな隔たりがある。

 さらにその上にはプロで名を馳せた、プロの中でも突き抜けた者たちがいる。時代は異なれど湊が対峙する者はそういう選手であった男である。

「そりゃあ、あいつでも勝てねえっすよね?」

 ただ、

「そんな心配そうな顔しなさんな。一誠さんは現役を退いて長いし、そもそもあいつは代表候補にも名を連ねた山口徹宵にも勝ってんの」

 そもそも今の不知火湊もまた、

「最低でもいい勝負するでしょ。あの子、そういう選手だから」

 そういう次元の選手である。

 突如始まるガチバトル、元プロ対元神童が相まみえる。

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