第85話:冬、来る

 十二月、新人戦の延長戦にある北信越大会。

 其処で、

「シングルス優勝、明菱高校不知火湊君」

 当然のように優勝する不知火湊。ちなみに決勝はまたしても山口徹宵との決戦で、今回は徹宵が執念で1セットを奪うも、残りのセットを湊が押し切りしっかりと優勝を明菱高校へと持ち帰る。

 県最強、地域王者、再び天才が帰ってきた。

 そんな中――

「素晴らしい設備ですね。胸躍ります」

「ひぐ、ぴぎぃ」

 王者の学校では近くの倉庫を居抜きにしたトレーニング施設が稼働開始し、其処で黒峰が嬉々として女子のしごきを行っていた。

 有酸素の苦しみと無酸素の苦しみは全く別物。どちらが好みかは人それぞれであるが、どちらに慣れていようとも、もう一方をする時はしんどい。

 特に重量を持った時、一発を挙げる際はたった一秒にも満たぬ時間で血流が爆速で駆け回り、見たことのない景色が見えるとか見えないとか。

 目の前が真っ白になった経験はとある作者もあるそうな。デッドで。

 まあ、さすがの黒峰も初心者相手にそこまで攻め込みはしない。長年の経験と不知火湊の先行人柱によって、しっかりと勝手は掴んでいたのだ。

 なので、

「ぴぎぃ、ぴぎぃ、ぴぎぃ」

「……死屍累々じゃない」

 石山百合が引く程度の光景で済んでいた。

「無理はさせません。女子と男子の違いも計算に入っておりますので」

(あんた基準の女子じゃねえだろうな、それ)

 重量的には男子もびっくりの紅子谷花音であったが、そもそも黒峰が規格外なので粛々と適正重量を付けられ、無事潰されていた。

 全滅、石山は静かに手を合わせる。

 南無、と。

「体育館が使えない午後もこうしてフィジカルトレに取り組める環境は素晴らしい。さあ、徹底的に筋肉を苛め抜きましょう。破壊なくして再生なし、筋肉もその例に洩れず、貴女たちの破壊を待ち望んでいます」

(私の筋肉は待ち望んでない!)

 立てぬ沙紀、俯きながら怒りの叫びを心の中で言う。

 口に出す勇気はない。

「ま、まあまあ、黒峰先生。この後、この子たち倶楽部も行くのでお手柔らかに」

「承知しております。なので、相応の強度に落としていますよ」

「……っすかぁ」

 石山、閉口。

 女子部員の皆さま、絶望。

 黒峰だけが笑みを浮かべながら、

「では、次はみんな大好き二頭、三頭の腕トレスーパーセットです。社会人にも大好評、短い時間で一気に追い込みますよ」

「……」

「返事は?」

「はいぃ」

 スミスマシンで前ももにフォーカスしたスクワット、ハムケツ意識のブルガリアンスクワット、仕上げにジャンピングスクワットの足三昧を経て、生まれたての小鹿のような足取りでダンベルエリアへ向かう彼女たちからは顔色が消えていた。

 女子にも容赦なし。

 熱血指導が行き過ぎて色々と問題になっただけはある。

 すでにかつて持ち合わせていた自制の心は彼方へと消え去っていた。情熱には熱血で応える女傑、黒峰の指導が火を噴く。


     ○


 翌日月曜、湊が普通に学校へ登校すると、

「たすけて」

(おめでとうは?)

 おめでとう、よりも先に助けてという悲痛な叫びが何だかんだと強気な小春、花音から飛び出していた。王子こと秋良は額に脂汗を滲ませながら、よく見ると歩き方がぎこちないもののしっかりと王子を演じていた。

 其処は彼女的にはとても重要な部分であったらしい。

「足やるとそうなるよなぁ。わかるわかる」

「ほんとか? あの女、不知火には手抜いてたんじゃねえか?」

「あの人はそういうこと出来ないと思うけどなぁ」

「……」

 歩行困難なほどに苛め抜かれた二人は改めて思う。黒峰の個人レッスンを受けながら、卓球の指導に関しては決して弱みを見せなかった湊の凄さを。

 まあ、彼の場合、ブランクはあれどそもそもが上位の競技者、苦痛や苦しみに耐える、心の耐性がついていたことも大きいかもしれない。

 無論、やせ我慢もある。

「まあ慣れるよ。しばらくやってたら。逆に筋肉痛が来ないと不安になるし」

「い、意味わかんねえ」

「コーチのことが、わからないぃぃ」

「大丈夫大丈夫、フィジカルのことなら黒峰先生は信頼できると思うよ。龍星館のトレを経験した身でもそう思うもん」

 龍星館のトレーニングをその身で味わった男の言葉は重い。まあ、味わったのは男子で女子のことはよくわかっていないのだが。

「龍星館もこれだけ追い込んでんのか」

「もちろん」

 加えて言うが、女子の練習は視界に入った程度である。

 これは完全な知ったかぶりであった。

 とりあえず黒峰塾から逃がさぬための方便である。湊もその効果を実感し始めた今日この頃、彼女たちのことを考え、断腸の思いで女帝へ差し出す。

 全ては彼女たちのことを思って――と言うのは真っ赤な嘘。

(くっくっく、君たちも味わいたまへ。地獄の黒峰塾をなァ)

 地獄経験者を増やしたいだけであった。


     ○


「あ、優勝おめでと」

「どもども」

 優勝するやろ、へらへら、ぐらいの同学年は何も言わなかったが、さすがその辺は一つ上の先輩、しっかりとお褒めの言葉を与えてくれた。

 褒められて嬉しくない者はいない。

 一日、褒められ待ちしていたのに誰も褒めてくれず、実はしょんぼりしていたのだが、沙紀のおかげで機嫌は元通りである。

「これで神崎部長と二冠ですね」

「大会の規模、レベルが違うでしょうに」

「優勝は優勝ですよ」

 実はこの前出場した有志により開かれた大会で、沙紀は優勝を果たしていた。と言うのもあの龍星館のレギュラーメンバー、優勝候補だ、と目されていた趙は道中あっさりと敗れ、明菱の面々が一躍優勝候補に躍り出た。

 しかし、

『あ、あの中国の子の試みいいじゃん。あんたたちも戦型入れ替えね』

『『え!?』』

 小春、花音は以前の練習と同じよう途中で戦型の交換を余儀なくされ、普段なら負けようがない相手に敗れ去った。

 こういう野試合も経験豊富な秋良は順当に勝ち上がるも、実はこっそり参加していた明進の竜宮レオナに敗れ去った。完全なパワー負け、彼女もフィジカルトレをさらに積んでいたのだろう。全てをパワーでねじ伏せられてしまった。

 ゆえに決勝は神崎沙紀と竜宮レオナ。

 壮絶な打ち合い、にはならず、小さく返し、小さく収める卓球を徹底した沙紀がギリギリ逃げ切り辛勝した。石山の入れ知恵で最近沙紀も調子を上げている。

 相手の嫌がることをしろ。

 その助言と打ち合い拒否のブロッキングが功を奏した。元々、竜宮は台上が得意ではない。今でこそかなり上達したが、やはり離れて戦いたいのが本音。

 相手にやりたいことをさせず、自分のやりたいことを通すのが戦いの王道なら、相手にやりたいことをさせないためだけに自分すら曲げるのは邪道である。

 蛇の道を行っても勝利をもぎ取る、石山イズムを早速注入されていた。

 それは湊には出来なかったことである。

「部活ってあんまりペン使いとかいないよね」

「教えられる人が少ないですから。あと、特に強豪はこだわりよりも勝利重視ですからね。背負うものもありますし」

「あー」

「でも、そういう部活の卓球を経験した人が、大学のサークルとかクラブ入ったりとかで、変わったギアに転向することは結構あるらしいです」

「なるほどねえ」

「山は登るとどんどん狭くなりますけど、下ると裾野は広くなる。そういう部分がスポーツの根っこなんじゃないかな、と最近思うわけです」

「……教室でピンクな本を読んでいるとは思えない良い言葉ね」

「……はて、なんのことやら?」

 菊池か、それとも草加か、最近色々とつながりが増えてきた面々であるが、今まで以上に警戒を強める必要がある。

 以前までなら彼らから女子に何かが漏れるとかありえなかった。だって接点がないから。しかし、今はそれがある。出来てしまった。

 まあ、今回のリークは普通にクラスの女子が噂を広めていただけである。

 灯台下暗し、湊は少し人の目を気にした方が良い。

「強いペンホルダーとか戦ってみたいなぁ。なんてね」

「さすが女王様。随分好戦的になりましたね。でも、そんな都合よくいませんよ」

「だよねえ」

 和気あいあいと世間話をしていると、

「いますよ」

 にょき、と背後から黒峰が現れた。

「「!?」」

 足音もしなかったので本気で驚く二人。

「強いペンホルダー、います」

「そ、そうなんですね」

「ええ、神崎生徒。私の師匠です」

「先生に師匠がいたんですか?」

「ええ」

 そう言えば、何だか知らぬ間に球出しなどが出来るようになっていた黒峰。その辺りで湊は何か嫌な感じが、予感が訪れていた。

 この先はよくない、何故かそう思う。

「では、今度皆さんに紹介しましょう。早速石山さんと相談してきます」

「は、はあ、ありがとうございます」

「どういたしまして」

 戸惑いながら感謝を述べる沙紀。湊は嫌な予感に顔を歪めていた。

 何故だろう。とてもよくない気が――


     ○


「不知火舞でーす」

「不知火生徒のお母さまです」

「お母様!?」

「母さん!?」

 母、襲来。

「鶴来です」

「星宮ですぅ」

「「ついでに娘たちでーす」」

「「よろしく」」

 死んだ目の美里と当社比でウキウキの那由多もついてきた。

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