第84話:冒険、たくさん

 が、激怒したからと言って何が出来るわけでもない。普段は湊よりも頭のいい女子勢(秋良除く)だが、こと語学に関しては日本語以外ろくに使えない典型的日本人であるため、あそこに割って入る度量はなかった。

 自称進の哀しさ。トップの沙紀でさえ英語のリスニングが何とかできるぐらいで、中国語など当然手も足も出ない。

「「「「……」」」」

 ただ、仲良さそうな会話を眺めるだけ。

 実に楽しそうである。

 憎たらしいことこの上ない。

「あきちゃん」

「何だい、小春」

「目には目を、歯には歯を、毒には毒をだよ」

「……毒?」

「スマホ貸して!」

 疑問符を浮かべながら小春にスマホを強奪される秋良。小春はしかとカメラにその姿を写し、それを冷徹な表情でそのままとある人物へ送る。

 それはトークツールの一番上、秋良が最もやり取りしている相手であった。

 其処に一言、

『浮気なう。姫路へ報告』

 と添える。

『相手は龍星館。部の情報が洩れるかもしれない。妹を助けてお姉ちゃん』

 とも追記した。

 ほどなく既読がつき、

『お姉ちゃんに任せて!』

 と力強い返事が返ってくる。それを見て小春はほくそ笑み、

「毒はこう使う」

 胸を張って言い切った。

 この女も大概恐ろしい。

 どうせ姉も馬鹿だから疑わず妹のお願いだと思うだろ、との小春の計算。普段は馬鹿そうだが、この女学年トップクラスの頭脳を持つのだ。

 その結果、

『スマホ、ずっと振動していますよ』

『あれ、変だな。……っおッ!?』

 ドM、ドメンヘラより神速のトークが連打されていた。通知がどんどん増えていく。恐ろしい速さで、誰にも止められない。

『ちょ、ちょっと失礼』

『はい。またお話ししましょう』

『ああ。また』

 仲良く会話を終え、湊は顔を歪めながら消火作業へと移る。

 燃え盛る愛の炎が落ち着くまで、通話を含めたかなりのやり取りを要したとか要していないとか、それは湊のみぞ知る。


     ○


「……」

 どんよりとした表情の湊、その肩を小春が背伸びしてポンと叩き、

「大変だったね、コーチ」

 どの面を提げて慰めているのか、真の元凶が笑顔で湊に優しい声をかける。その姿に花音や沙紀は怖気が奔るほどであった。

 秋良は「?」よくわかっていない。

 彼女には細かい機微はよくわからないのだ。

「心配してくれてありがとう、香月」

「小春はいつもコーチの味方だよ」

「うう、なんて出来た教え子なんだ」

「話、聞こか?」

「何故かわからないけど、この会場で趙欣怡と一緒にいた写真を取られちゃったみたいで、それが何故かひめちゃんのところにまで届いたんだよね」

「不思議だね」

 小春、微塵も表情を揺らがせない。心配そうな顔つきで湊を見ている。

 何度も言うがこの女が主犯である。

 まあ、犯人が身内だと勘付かないこの男も大概だが。

「何話してたの?」

(この女、ちゃっかり聞きたいこと聞きやがった)

(凄まじい姑息さね。こりゃあ卓球強いわけだわ)

(……?)

 全ては策士、香月小春の術中。

「大したことじゃないよ。最近色々と試しているみたいだね、とか、日本語の勉強はどう? とか、あと何話したかな、普通の世間話」

「ふーん。仲いいんだね」

「中国語を話せる相手なら別に僕じゃなくてもいいと思うけどね。故郷が恋しいんだよ。そんなことで役に立つなら、まあいいかなって」

「まあよくないと思うなぁ、小春は」

「ええ? なんでさ?」

「何となく」

 よくこれで鎮火できたな、と小春だけではなくともそう思う。

 この男、根本的に一人の時間が長過ぎて誰かに慕われている、と言う感覚自体が存在していないのかもしれない。

「ってかよ、その色々やってるってのはどういうことだ?」

「ん、紅子谷も気になるの? 別に見たままだけど……ほら、丁度趙欣怡が試合だし見てごらんよ。ラケット、よく見たら日ペンでしょ?」

「……は!?」

 シェイクでもなく、中ペンですらない。

 まさかの日ペン、しかも試合展開はどう見ても基本フォア主体の、古の戦術であるオールフォア。其処にペンホルダー独特のバックハンドを添える。

 ザ・古き良き? 日本の卓球である。

 かつて、バックで打つのは逃げだと言われていた時代があったとかなかったとか。日本男児たるもの、全てフォアでスマッシュじゃい。

 信じるか信じないかはあなた次第。

「好ッ!」

 アグレッシブだが、決して上手くはない。もっと巧みな選手であったような印象だが、勢いがかなり先行しているようにも見えた。

 対戦相手のレベルも含めて、龍星館のレギュラーには見えない。

 だけど、

「やっぱ中ペン経験してると全然戦い方は違うけど日ペンでもやれるね。バックはさすがに苦しそうだけど、片面でしっかり戦えてる」

 その苛烈な勢いにはどこか、以前にはない怖さを感じた。

 それに、何故だろうか、何処か重なるのだ。

「……新人戦の時は、違ったよな」

「新人戦は知らないけどその前の大会はシェイクのハイテンションラバーだったはず。粘着の方がずっと上手く使えるけど、僕が怖いと思うのは強く打てた時のハイテンションの方かな? どちらも良し悪しはあるけどね」

「……」

 全員が、言葉を失う。

 特に、

「……普段は粘着、私とやっていた時は、お試しだったってこと、だね」

 彼女に勝利した円城寺秋良の表情は凄まじいものがあった。彼女は夏の趙欣怡を知らない。彼女が中国で広く使われている粘着ラバー使いなど知る由もなかった。

 それを今更知る。

 粘着であれば、そう思うとあの勝利がかすむような気がしたから。

「手抜きじゃないよ。今、彼女は足掻いているんだ。どうしたら前へ進めるか、今までの自分の卓球、その殻を破るために。同じことを続けて突き抜ける奴もいれば、そうじゃない奴もいる。ただそれだけ」

 湊はどうしても彼女の肩を持ってしまう。自分と同じく挫折を経験し、今まさに足掻いている姿、それは自分にも勇気をくれるから。

「何となくだけど強くなる気がするよ、彼女は。だから、みんなも頑張って。才能がどうこうってのは、やっぱり足掻いた先にしかないからね」

「……」

 積み上げる努力は貴い。だが、積み上げたものを崩す勇気もまた貴い。普通は怖いのだ。誰だって恐ろしい。

 それは今までの努力を否定することにも繋がりかねないから。

 そういう道を、今の彼女や湊は歩いている。

 行き止まりがあった。

 それをどう乗り越えるか。山口徹宵なら雨垂れ石を穿つ、とばかりに積み上げ続けて乗り越えようとするだろう。不知火湊や趙欣怡は一度戻り、新たな道を探した。

 今もその途中、迷い、悩み、それでも進む。

「でも、楽しそうでよかった」

 その言葉で全員が、何故苛立ったのかがわかった。

 同じ学校でも、同じ部活でもない、それこそ国籍すら違う彼女と自分たちのコーチが、自分たちよりもずっと似ている、重なる、そう思ったから。

 だから――

「太好了!」

 本来ならずっと格下、それでも彼女は勝利を喜んだ。いや、勝利ではない。この試合を楽しく、昔のように卓球で遊べた。

 そのことに喜んでいたのだ。

 幼い、少女のように。


     ○


 そして、僕もまた久しぶりにこういう大会の空気を感じた。

 上手い下手で言えば、ジュニアカテゴリーの試合の方がレベルは高い。古いから弱い、と言うわけではないが、やはり主流ではない戦い方にはそれなりの理由がある。主流である戦い方にその理由があるように――

 でも、僕はこの雑多な空気がとても心地よかった。

 何でもあり、卓球はもっと自由なのだとこの景色が言っている。合理的に、洗練された卓球もまた美しいが、そうでない道もあったって良い。

 別に整備された、幹線道路を走らずとも、わき道に逸れ何処へ辿り着くかもわからない冒険をしたって良いのだ。

 こういう上を目指さない、上のない大会にはそういう冒険が沢山見受けられた。

 僕はそれを見つめる。

 面白いなぁ、と思いながら――

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