第82話:兎と亀

 客の立場から見る不知火湊はさぞ輝いて見えるのだろう。次に何が飛び出すかわからぬ華のあるプレーに、先読みによって本来抜けるはずのコースに追いつき返してくる。プレーに躍動感があり、スリリング。

 楽しそうなのもグッド。

 そう、

「ははははは!」

「……湊ォ」

 対戦相手以外は。

 対戦する者の視点からすれば確実に抜いたと思ったドライブを笑顔で返され続ける、ちょっとしたホラーである。

 笑顔が逆に恐ろしい。

 輝きが逆に底無しの闇にすら見える。

 天才、才能、そうとしか説明できないことがスポーツでは往々にして存在する。単なるフィジカルならば先行している分、山口徹宵の方が上である。

 それでも打球の威力は近い。機動力もすでに互角、むしろ返球範囲は湊の方が上かもしれない。反応が速い。

 反応、反射、反応、反射、まるで昔の卓球漫画である。

 理不尽の体現者。

 されど、卓球とはそういうスポーツ。知恵と反射神経が支配する世界。フィジカルはあくまでサブウェポンに過ぎない。それは卓球の悪さであり、良さでもある。

 生まれ持ったセンスが全てと言う者すらいる。

 ならば、努力には何の意味が、価値があるのだろうか――

「腐るなよ、徹宵」

 先ほど湊に敗れた志賀十劫もまた他の部員たちと共に必死に食い下がる徹宵を応援していた。頑張っている、諦めてなどいない。

 それでも志賀同様、じわじわ点差は開いていく。

「まあ、釈迦に説法だな、山口徹宵には」

 志賀が苦笑したと同時に、

「覇ァ!」

 剛球が湊の超反応をぶち抜く。

 山口徹宵、執念のドライブ。鍛え上げた肉体と、長年積み上げ続けた不器用な男の技術、それが重なってこの破壊力となる。

「はっは、やるなぁ、徹宵!」

「貴様が停滞していた時間も積み上げ続けた。今までも、これからも、卓球を続ける限り、俺は一歩ずつ進むぞ。何処までも!」

「……追ってこい」

「上からだな。まだ、今日負けると決まってはいない!」

「ああ、その通りだな。ガンガン行くぜ、徹宵」

「おうッ!」

 好敵手、そう思っているのは昔から徹宵だけであった。周りも、そして湊本人も、山口徹宵が好敵手であるなどと見做していなかった。

 それでも今、

「徹宵!」

「湊!」

 少なくとも対峙する二人はそう思っている。

 その眼が、突き刺さる敵意が、山口徹宵を加速させる。


     ○


 山口徹宵は決して要領のいいタイプではなかった。

 むしろ不器用な部分の方が多い子どもであっただろう。自分の理解の外側に出ると、途端にテンパって何も出来なくなる。お遊戯会のセリフを覚えるのも他の子よりも遅く、運動会の踊りも覚えが悪かった。

 勉強も、スポーツも、どれも習い始めは誰よりも習熟が遅かった。卓球もそう。同時に習い始めた誰よりも下手くそで、周りから馬鹿にされていたほどである。

 ただ、真面目であった。

 素直でもあった。

 そして頑固であった。

 一度やると決めたことは、誰に何を言われようとも続けた。先生に言われたことを素直に受け止め、自分がどう思おうが関係なく実践してみる。

 とりあえず続けてみる。それが必要かどうか、やらずには判断しない。

 コツコツ、コツコツ、賽の河原で石を積み続ける。周りが崩そうとしても、実際に崩すようないじめに近いことをされても、それでも彼は黙々と積み上げ続けた。時には自ら崩し、基礎から組みなおすことも厭わなかった。

 それが山口徹宵である。

 そして――

「さえきみなとです!」

「山口てっしょう、です」

 一つ下の天才少年に、それはもうメタクソに敗れ去った。彼は初めての大会だと言っていた。初めて実戦の場に出てきた一つ下の少年に、自分も、周りも、手も足も出ずに敗れていく。彼は記憶にもないだろう。

 それだけの差があったのだ。

 初陣の佐伯湊と県内の少年たちの間には――

「……すごい」

 高い壁、遠い背中。

 あの日から一つ下の少年へ憧れた。少しでも縮めようとさらに熱心に積み上げた。努力は苦にならない。むしり苦痛が自分を安心させてくれる。

 自分は前に進んでいる、そう教えてくれる気がしたから。

 ただ、

「……」

 現実は厳しい。佐伯湊と山口徹宵の距離はますます開くばかり。彼がいる大会に一位はなく、彼がいない大会での一位を求める少年たち。

 絶対に勝てないから、と小学生にして越境する者もいた。

 その気持ちはわかる。彼がいる限り、一等賞はあり得ない。父親がコーチとなってますます凄味を増す世代最強。彼を倒せるなら全国で優勝できる。

 全国へ行かねば経験値が積めない。彼は多くの少年たちにとっての蓋となった。どうせ負けるにしても県大会と全国大会では意味が違う。

 其処までの歩みが大きく異なる。

 要領の良い者たちはそうした。徹宵はそうしなかった。

 愚直に、幾度も、幾度も、敗れ去ろうとも立ち向かった。

 それこそが山口徹宵が卓球をする意味であったから。

 だから、

「……」

 天津風貴翔に敗れ去った時は驚いた。ショックだった。それ以上にショックであったのは、彼が自分に負けた時。

 死んだ魚の眼で、何かが壊れた天才の姿。

 其処にはあの高い壁の面影すらなかった。崩れ落ちた天才、ただただ無言で舞台を降りていく。ふざけるな、と思った。

 でも、何も言えなかった。

 何も言えない、モブでしかない自分が嫌だった。

 それからさらに卓球にのめり込んだ。肉体改造はコツコツ続けられる徹宵の性に合った。卓球も、肉体も、ただただひたすらに積み上げ続ける日々。

 徐々に成績も上向いてきた。

 かつて要領よく挑戦から逃げた者たちにも勝利し、全国でも名の知られる競技者となった。天才のいない県内最強と言う虚しい玉座も得た。

 戻ってこい、そう祈る日々。

 違うのだ。天津風貴翔にも何度も負けた。最近じゃ黒崎豹馬にも負け、たまに志賀十劫にも負ける時はある。

 同じ負け。でも違う。

 佐伯湊から受けた衝撃には程遠い。

 人生を変えた敗北。もしかしたらあれを自分は求めているのかもしれない。

 天才は帰ってきた。

 以前とは形を変えて。

 でも――

「前と、同じだ」

 感じる高さは、あの時のもの。

 『挑戦者』山口徹宵は微笑む。嗚呼、また追いかけられる、と。

 だから――


     ○


「ヨォォォオッ!」

 執念の一打。不器用な男のそれに彼の努力を最も近くで見続けた志賀十劫は拳を握りしめる。そう、あれこそが山口徹宵である。

 絶対に諦めない。

 そんな言葉、彼の辞書には存在しないから。

「でも、今一点返しても――」

「黙ってろ。下駄を履くまでは勝負なんざわからねーんだよ。テンラブですら、あいつにとっちゃ苦境ですらねえ。それがわからねえからテメエらは弱いんだ」

「す、すいません」

 後輩の謝罪を聞き流し、志賀は自分の憧れた背中を見つめる。

 昔から何でも要領よくできた彼にとって、山口徹宵の存在は衝撃であった。要領が悪く、不器用極まりない。新しいフットワークの練習など、自分よりも弱い選手たちよりずっと飲み込みが悪いのだ。

 だが、数日、数週間、ひと月もしたら、それは逆転する。

 不器用ゆえ細かいところまで突き詰める。一つ一つの動作を丁寧に、解剖しながら不器用な体にしみこませる。

 理解を妥協しない。

 彼より才能のある選手などごまんといる。それこそ自分の方が才能は上だと志賀も、そして徹宵自身もそう思っている。

 だが、彼ほどに努力を絶え間なく積み続ける男はいない。

 努力が才能と言うのなら、あの男は紛れもなく天才である。

「ったく、楽しそうなツラしやがって」

 笑顔の天才を迎え撃つは、これまた笑顔の天才。

 これからもずっと戦い続けるのだろう。

 湊が先を征き、徹宵が追う。

 その関係性に志賀は少し嫉妬してしまう。

「すげえ! 意地の張り合いだ!」

「凄い音。卓球じゃないみたい」

 両者、一歩も引かずに中陣で殴り合う。フォアのラリー、互いに全力でドライブを打ち合う。コースも、立ち位置も変えず、ただひたすらに全力で。

「んッ!」

「墳ッ!」

 引けば点は取れる。普段の湊なら迷いなくチェンジオブペース、カットでもフィッシュでも、何でも使って仕切り直すところだが、今日の山口徹宵からは逃げたくなかった。ここで引くのは男じゃない。

 何より格好悪い。

(悪いな徹宵。今、見られてんだ。ここは引けねえ!)

 感じる視線が湊をさらに加速させる。

 もっと強く、全身を連動させ、腹圧を強めてドライブを打ち出す。まだ完璧じゃない。わずかにタッチが乱れた。力だけじゃない。

 力も、技も、全てを重ねねば、ピンポン玉は全てを貫く弾丸足りえない。

 もっと、もっと――

(まだ終わらん。終わりたくない。待ち望んだ再戦だ。ようやく――)

 今この瞬間、誰よりも卓球に真摯であったのは、没頭していたのは、

(もっと、もっと、こう、したら――)

 不知火湊であった。

「こう」

 調整に調整を重ねた最高のポイントで、最高のタッチで、まだまだ積み上げ始めたばかりだが始める前より随分と向上した力をすべて注ぐ。

 光り輝く。

 鋼の肉体を持つ鉄人を雷光が貫いた。

 差し込まれ、あらぬ方へ飛び、宙を舞うピンポン玉が無情にも地面へ落ち、

「ゲームトゥ不知火選手、イレブンファイブ」

 不知火湊は力強く手を天へ掲げた。

「マッチ、トゥ、不知火選手!」

 3-0、志賀十劫に続き『鉄人』山口徹宵をも下した。

 山口徹宵は静かに天を仰ぎ、

「おかえり、天才」

 悔し気に、されど笑顔で帰還を喜んだ。

「ただいま」

 そして今一度その座を返す。

「またやろうぜ、徹宵」

「ああ。またやろう。何度でもだ」

 握手と共に、県内最強の座を。

 高き壁が、王が帰ってきた。

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