第81話:征く道

「素人目にも凄い子ですね、お義父さん」

 投資対象の見学に来た神崎父と、

「……困った子じゃなあ」

 神崎爺は仰天していた。特に老人の方は卓球観戦が趣味であるため、当然佐伯湊のことは知っているし、何なら地元の期待枠として山口徹宵も志賀十劫も知っている。彼らがそんじょそこらの高校生でないことも。

 だからこそ――

「何故です?」

「ちょっと凄過ぎるじゃろ。囲っていい人材ではないかもしれんの」

「なるほど。僕なら骨の髄までしゃぶりつくしますがね」

「……怖いのぉ」

 不知火湊をひも付きにしたことは商売人としてグッドジョブであっても、趣味人としてみた時少しばかり『もったいない』と思ってしまった。

 誰かが、どこかへ繋げておける才能ではない。

 そう見えた。

 佐伯湊時代よりもずっと、世界が近く見えたから。


「……」

 同じように観戦していた地元で愛され幾星霜、卓球専門店を営む鶴来父は幼い頃から知る不知火湊の復活に相好を崩す。

 何処か遠慮がちであったが。

「こら、さぼるな飲んだくれ」

「ひっ、ごめんかーちゃ……なんだぁ美里かぁ」

「店は?」

「臨時定休」

「いい加減にしないとお客さん離れるよ」

「たはは」

 頭をぽりぽりとかく父を見て、美里はため息をついた。

「湊勝った?」

「そりゃあ凄かったぞ。近い内にきっと……いや、こういうのが良くないんだった」

「……どゆこと?」

「こっちの話。美里は勝ったのか?」

「……」

「ああ、湊君の試合に遅れたのはそういうことかぁ」

「デリカシーを備えろ! 次は絶対勝つ。あの海蛇女八つ裂きにしてやる!」

 負けて、死ぬほど悔しがり、それでも次を見据えている。昔はたった一度負けただけでも拗ねてラケットを放り投げていたのに――

「子どもが育つのは早いなぁ」

「誤魔化すな。サンドバッグになれ!」

「湊君に頼めばいいじゃないか」

「……」

「どうしたぁ?」

「うっさい! 腹立つこと思い出しただけ!」

 負けた時よりも拗ねた娘の顔を見て、父はぽかんとするしかない。もしかしてあの中国の子と何かあったのかな、ぐらいの想像力しかない。

 まあ、姫路美姫のことに思い至ったらただのエスパーだが。

(まだ子どもではある。それにほっとする親心、と……さて、どうしたもんかなぁ)

 鶴来父は自分が撮影した写真を見る。

 湊が楽しそうに卓球をする姿。これは余計なお世話か、要らぬお節介か、自分は何もしない方が良い。自分が要らぬことを言ったから、誰にとっても不幸な結末になったのだ。だから、こうして湊の試合を見に来るのも少し勇気が必要だった。

 あの頃のような貌をしていたら、そう思うと足が遠のいた。

『崇! あの子は天才だぞ! そろそろお前が直接見てやれよ!』

『……嫌だと言っただろう。俺は――』

 あの一言を、よかれと思って放った愚かな一言を、今でも覚えている。

 頭にこびりついて離れない。

「決勝は?」

「湊君と山口君」

「へえ。じゃ、あっちで部活のみんなと見てくる」

「了解。母さんには内緒な」

「ラバーよろしく」

「……うす」

 だが、何もしないのは違う。たった一言でも原因であるのなら、何かをしなければ始まらない。立ち上がった娘と親友の息子を見て、思った。

「……」

 だから、佐伯崇への連絡先にその写真を送る。

 返事は必要ない。

 ただ今のあの子が届けば、それでいい。


     ○


「……」

「コーチ?」

「いや、何でもない」

 佐伯崇は表情一つ変えず、それを見た。

「……再開する」

 すぐさま練習に戻ったが。


     ○


 不知火湊は一人、集中していた。

 先ほど、部活の面々が訪れてさんざん泣き言を言われたばかり。同じ悔しいでも面白いほど、全員違うのだ。死ぬほど悔しがる小春のような者もいれば、何処か壁にぶつかり負けることを喜ぶ花音のようなのもいる。

 個人戦より団体戦のことばかり考える沙紀や、何故かこの短期間で負けたことをリフレッシュした秋良とか、もう本当に色々。

 個性や時期、その時々で変わるだろう。

 自分はどうか、それを想う。

「そりゃあ負けたら悔しいけど」

 けど、同時に負けたって死にはしない。必死で勝利にしがみつくような、灼熱の焦燥感は消えた。元々持ち合わせていないのだ。

 負けず嫌いでも、負けること自体は嫌いじゃないから。

 挑戦すべき壁が見える。よし、登ってやろう。そう思えばむしろ楽しみになる。

「……無理、してたんだろうなぁ」

 負けたら死ぬ。そう思うことで強くなる者もいる。小春などがそうだろう。かつては自分もそうだと思っていた。思い込んでいた。

 父がそういう競技者であったから。

「今はもう大丈夫」

 目指すべき背中は見えない。正直、自分が前に進んでいるのか、いまいちよくわかっていないのだ。だけど、もう立ち止まる気はない。

 自信なく俯くこともしない。

 自分よりももっと不安で、未熟で、か弱い者たちが自分の背中を見つめている。

「俺は……これでいいや」

 不知火湊は自分の卓球よりも先に、自分の歩むべき道を見出した。いや、べきと言う言い方はよくないか。

 自分が歩みたい道を、そう在りたい自分を知った。

「っし、行くか」

 これからも卓球は変わる。どうにも一つの戦型、何かに囚われるのは性に合わないらしい。それも一つを極めて、其処から飛び出した今だからこそ言えること。

 型を破り、それは確信になったのだ。

 より良い卓球を模索する、それもまた自分のテーマである。

 だけど、其処に勝ち負けはない。

「よっ、徹宵。試合じゃ総体以来だな」

 自分の中にないのだから、それは仕方がない。

 だからまあ、無いものは外側から与えてもらうことにした。

「いや、違うな」

「ん?」

「貴様が卓球をやめた、あの大会ぶりだ。本当の、真剣勝負は」

「……俺、総体の時結構真剣だったけどな」

「俺がそうじゃなかった」

「……へえ、1セット落とした言い訳か?」

「それは――」

 例えば好敵手。彼らの熱い想いに応えたい。改めて卓球に向き合い、選手一人一人に情熱があることを知った。その数だけ卓球があることも知った。

 面白い、そう思った。

「今の俺で判断しろ」

「……おう」

 ラケット交換をしながらラバーを見る。エッジ、サイドテープの柄やそもそも貼らない人もいたり傷があったり、グリップもフレアかストレートか、どれだけ握っているか、使い込んでいるか、それがわかる。それが見える。

 それが良い。

「あ、先に言っとくけど」

「何だ?」

「俺、調子いいよ」

「……そうか。なら、好都合だ」

「そっか。じゃあ、いい試合にしようぜ」

「無論」

 昔は形式的にだけしていた握手も、今は少し趣深い。

 手のひらから伝わる情熱、かすかに震えるのは武者震いか――山口徹宵がそこにいた。かつては見ていなかった、対戦相手の姿。

 それが今は心地よい。二人で、卓球をやっている、って感じがする。

 そして何より――

「コーチィ! 龍星館を小春の代わりにぶっ殺してぇ!」

「こら、物騒でしょ! とにかく悔いないように! あとついでに優勝して!」

「ったく、このチワワは。まあ勝てよー」

「……気が抜けるなぁ」

 この声援が、視線が、良い。

 かつての自分が父にその眼を向けていたように、今は彼女たちがその眼を向けている。見られている、そう思うとやる気が出る。

 勝って、格好いいとこ魅せなきゃ、と思う。

 対戦相手が、仲間が、周りが不知火湊を卓球の競技者たらしめる。

「きゃあああああああああ!」

「……」

 行き過ぎな声援や視線もあるけれど――

 まあそれも含めて、

「ま、たまにはいいとこ魅せますか」

 卓球選手、不知火湊である。

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