第80話:天才の帰還
「志賀十劫ねぇ。強みはフィジカル、と思いきやその手前かな。私の見る限り」
石山百合は不知火湊対志賀十劫の卓球を見ながら口を開く。
「手前、ですか?」
神崎沙紀がその発言の真意を問う。
「見切り。球を打つ前に相手の起りを見て動く。だから一歩目が速い。その上フィジカルが同世代ではトップクラスだから、なお速い」
黒崎豹馬と同じゴリゴリのフィジカルファイターと思いきや、思ったよりもずっと卓球選手としてのクオリティが高く石山をして舌を巻く完成度。
確かにこれなら躍進も頷ける。
全国区の名に恥じない総合力であろう。
「でも、コーチの方が速い」
「だよな。あたしらには、そう見える。つか、既視感が」
しかし、彼女らの眼前で繰り広げられるは先読みとフィジカルで先回りする全国トップクラスの志賀十劫ではない。
その上を征く、一人の怪物である。
「志賀と同じところで反応してるだけ。要は見切りをパクったってこと」
石山の答え、確かによく見れば動き出しが以前よりも早い。間違えではないのだろう。志賀の卓球をいつもの如く吸収し、自分のものとした。
ただ、それだけではフィジカルの差が埋まっている説明にはならない。
何故なら互角ではないのだ。二人の卓球は。
明らかに、不知火湊の方が上を行っている。
「それは反応速度の差。埋められない、才能の違いってやつ」
石山は忌々しげに顔を歪める。
「元々、天津風のやつが現れるまでは反応速度、反射神経で世代の天下を取っていたやつよ。あの男が上位互換だっただけで、才能がなかったわけじゃない。むしろ、天津風がいなければ今、あのガキのように上で戦っていたでしょうね」
天津風貴翔という上位互換が現れたことで不知火湊、いや、佐伯湊は地に墜ちた。ただ、それまで彼が天下を取っていたこともまた揺るぎない事実。
その才能は別に、前でだけ発揮されるものではない。
同じタイミングでこう動くとわかっても、一歩目の始動は段違いに湊の方が勝る。それこそ半歩、いや、一歩分は早く動き出す。
超速の競技である卓球での一歩は、フィジカルの差で埋めるにはあまりにも大き過ぎる。台から離れてなお、その才能は如何なく発揮されていた。
むしろ台から離れた方が――
(化け物がァ)
かつて、志賀十劫もまた佐伯湊に辛酸をなめさせられた者の一人である。この世代で強豪に行くような選手は黒崎のような例外を除き、大体『閃光』に圧倒され続けていた。何をしてくるかわかっているのに、まるで追いつけない。
あの感覚が甦る。いや、それ以上の――
「んッ!」
「ちっ!」
その上、今の不知火湊はあの時のような台から離れたら急激に劣化するか細い光ではない。離れてなお、その球威は衰えずに差し込んでくる。
全国区の強打者と、大学の、一般の強打者と変わらぬ手応え。
嫌になるほど、かつての『閃光』が抱えていた欠陥が消えていた。
隙がない。勝ち筋が見えない。
点差は開くばかり。
(……さすがにここまでの差は、最近感じたことなかったな。やべえ、ちょっと、マジで手が付けられねえぞ、これ)
黒崎豹馬とだって今の自分ならやり合える。勝ち負けまでもっていくことは出来る。勝てると断言できないのが悔しいところではあるが――
しかし今、どれだけ上手くやっても、絶好調でも、今の自分では勝てないと己が感性が叫んでいる。天津風貴翔に近い。いや、もしかすると――
「……湊」
あの山口徹宵が顔を歪めている。湊の躍進は嬉しい。嬉しいが、同期が手も足も出ない様を見ると、素直に喜ぶことは出来ないでいた。
志賀と自分にあそこまでの差はない。
なら、結果は――
「きゃああああ! 湊様素敵ィィイイ! 抱いてェェエ!」
青陵の恥部が叫べば、
「不知火君頑張れー!」
ファンクラブのニューフェイス、龍星館の遠藤愛もまた叫ぶ。
「嗚呼、湊君のラケットになりたい」
いつの間にか円城寺秋良も変装して合流していた。全員なぜか示し合わせたようにサイリウムを装備し、ぶんぶんと振り回している。
かなりの統率力であった。
周りは腫物のような感じで引き気味であったが、彼女らには関係がない。
「……知らない子よ、あれは」
沙紀はかかわらんとこ、と一歩引く。
そんな混沌な状況下であったが、
「小春、わかっちゃった」
香月小春はムスッとしながらも、今の湊が本当の意味で誰を参考にしていたのかを見抜いていた。彼女からすれば業腹極まりない相手。
それもそのはずだろう。
「なんでムスッと……あっ! そうか、そうだな。確かに、雰囲気はちけーな」
湊が参考にしたのは小春が手も足も出なかった、一セット目の姫路美姫。意識を失うほどに研ぎ澄まし、あの日至った最高の姫路美姫である。
勝手に命名、プリンセスモード。
「姫路ちゃん、ね」
「え、あのガキここまで強かったっけ?」
最高の姫路を目撃したことのない石山は首をかしげる。星宮那由多を破った状態は知るが、ここまでの完成度であった彼女は知らない。
あの日、あの時、たった一セットの幻でしかなかったから。
「強かったんすよ。青森田中の仲間すらビビってたほどっすから」
「へえ。まあ、確かにあのドライブの打ち方とか姫路っぽいか。あのクソ生意気なガキ、体の使い方だけは天才的に上手いから」
石山もまた別軸から姫路美姫の影を見る。調子の良し悪しは関係なく、今の姫路は全国屈指の強打者である。その理由は体型もあるが、どちらかと言えば体の使い方、連動性によって出力を引き上げていることに起因する。
力の出し方とはフォームやボディコントロール、さらにボールタッチまで絡み合う複雑な方程式により弾き出される『解』である。
「でも、真似しようとして簡単に出来ることじゃ――」
志賀の見切り、姫路の出力、それらが重なり彼が元々持つ超反応と化学反応を起こすことで、プリンセス姫路を自分のものとした。
ただ、どちらも一朝一夕でものにできるものではない。
志賀の方は元々湊も昔取った杵柄、経験値は同世代でも桁違いであり、意識さえしていればあとは引き出しの開け方次第ではある。
しかし姫路の方は身長、体重、手足の長さや骨格も違う別人である以上、ただ物真似しても何の意味もない。
前回大会では一応、それを目指し調子を崩していたのだろうが、それでも――
「最近、不知火生徒は本当によくなってきました」
「黒峰先生?」
湊を見つめながら、笑みを浮かべる黒峰。
その理由は、
「どの種目もコツをつかんだのでしょう。重量が伸びてきました。補助筋の発達も理由ではありますが、一番はやはりコツなのです。言い換えれば、体の使い方」
「……あっ。なる、ほど」
自分の教えを体現する生徒への信頼であり、愛である。
ベンチプレス一つとっても、やり方次第で効果は変わる。例えば単純な筋肥大を目指すのであれば、対象筋である胸へ効かせるため、他の部位は極力関与しない方が良い。三頭、肩、そして足。逆に言えば、重量を挙げることを考えた場合、それらを動員した方が良い。そのコツは、やり込んでこそ体が理解するもの。
足の踏ん張りをバーへ伝える、これは意外と難しい。
呼吸による腹圧もそう。
黒峰は安全を第一としながら、基本は重量にこだわった。フォームを丁寧にすることは当然として、その上で対象筋以外も動員させる感覚を掴ませるため、である。
それが体の連動性を高め、ボディコントロールの感覚を高める方法の一つであると、彼女自身の実感として理解していたから。
それを教え込んだ。いつか卓球に、それが活きるかもしれないと考えながら。
ただの模倣ではない。
すべての要素が絡み合い、今の不知火湊が生まれたのだ。
「そりゃあ、生まれ変わりもするか」
眼が良過ぎた。反応が良過ぎた。センスがあり過ぎた。
天津風貴翔に敗れるまで、打ってから反応することに疑問すら持たなかった。それで楽々間に合ったから。先読みの必要を感じなかった。
筋トレをして自分が思っているほど自分の体を使いこなせていないことを知った。あと柔軟性や可動域が全然であることも知った。
敗北が、そして新しい経験が、
「ヨォ!」
不知火湊を生まれ変わらせた。
しかも未完。
フィジカルはこれからも伸びる。先読みに必要な経験値もまた意識の変化により、より多くを吸収するようになるだろう。
実際、彼女たちのために女子の試合を幼馴染をも利用して、大量に研究している最中である。伸びしろしかない。
そしてそもそもが――
(クソが! 俺だって――)
ドライブの打ち合い。湊がフォアからクロスへ打とうと軸足をそちらへ向け、体も回転させた。その踏み込みの段階で志賀は動き出す。
湊の対角線上へ。
しかし、
「んッ」
「あっ」
最後の打つ瞬間、肩甲骨を開き、肩を遅らせて、それに連なる腕、ラケットもまたより遅らせる。打点を後ろへ、オープンで打ち返すことにより、
「っし!」
クロスと『読ませた』一打はストレートに突き刺さる。
志賀十劫、自慢のフィジカルを活かすことも出来ず、一歩も打球方向へ動けぬまま新たなる光を見送ることしかできなかった。
最後は技ありのフェイントをキメる。そもそもこの男、卓球が馬鹿上手い。
ファンクラブの連中が発狂するほどの幕切れ。
「どうだ!」
笑顔で拳を突き出す湊。その拳の向け先は、当たり前のように明菱の皆の方であった。沙紀も、小春も、花音も、赤面するしかない。
魅せて勝つ。
元神童佐伯湊は、今日ようやく過去の自分を完全に超えた。
全国トップレベルの志賀十劫を相手に3-0のストレート勝ち。たった一セットも取らせず、危ないシーンすらなかった。
「……彼女持ち彼女持ち」
「小春、明るいコーチも好き好きー」
「……クソが」
天才、不知火湊が帰ってきた。新たなる武器を携えて。
誰がために、何処までも征く覚悟も胸に。
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