第77話:新コーチ就任

「あー、本日からコーチやります石山です、よろしく」

「「「……」」」

「よろしくお願いしまーす」

 沙紀以外はぽかんとする中、彼女だけは元気に挨拶を返す。まあ、他の面々よりも一番今の状況に困惑しているのは間違いなく石山であろう。

 それはほんの数日前――


     ○


「百合ー。お客さんよー」

「ふえーい」

 今日も今日とて在宅中は寝間着、そのまま同じ服で一日を終えることもしばしば、と言う彼女の自宅に珍しく客が現れた。

 高校から県外に出た彼女にとって地元の知り合いはほぼ皆無。それこそ卓球つながり以外で来客などないはず。

 が、眠気と二日酔いのダブルパンチでくらくらしている今の彼女に冷静な思考も、判断力もなかった。

「ふぁい、どちらさんー?」

「お休み中失礼します。明菱高校卓球部部長の神崎沙紀です」

「……へ?」

「本日は正式に石山百合さんへコーチのオファーをしたくお邪魔いたしました」

「……やんないよ?」

「まあまあ、そう言わずに。とりあえずお邪魔してもよろしいですか?」

「よろしくないよ?」

 頑として家には踏み入れさせぬ。ようやく頭が回り始めた石山であったが、

「でも、お母さまは入ってよいとおっしゃられましたが?」

「ふえ?」

 彼女が背後に視線を移すと、其処には満面の笑みを浮かべた母がいた。ニートである自分にとっては絶対的な支配者、それがこどおばにとっての母である。

「そちらのお嬢さん、神崎製作所のご息女なんですって」

「……え、と」

「うちの親戚も何人かお世話になっているのよ、ねえ」

「いえいえ、こちらこそお世話になっております」

「まあまあ、礼儀正しいお嬢さんだこと」

 石山はようやく素面になった。確かに神崎製作所の娘ともなれば地元ではぶいぶいであろう。もうほんと、ぶいぶいぶい、である。

 が、いくら何でも話が滑らか過ぎる。

(こ、これは、もうすでに――)

「お邪魔します」

「いらっしゃーい。あ、そちらのお連れ様も」

「お邪魔いたします」

 どう見たって秘書、って感じの人もご一緒の様子。

「あ、ああ、あああああ」

 すでに外堀は埋められていた。自らが知らぬ間に、自らの支配者である母を抑えられていたのだ。それはもうものの見事に。

 客間には石山母、秘書、沙紀、そして孤立無援のニート石山百合。

「……」

「石山選手ほどの人材をボランティアで外部コーチと言うわけにはいきませんので、色々と考えさせていただきました。その一例が、こちらになります」

「……正社員? 何の?」

「弊社、神崎製作所です、石山様」

 沙紀の代わりに秘書っぽい人が答える。べっぴんさんである。

「……話が見えないんだけど」

「日中、神崎製作所で事務員として働き、夕方から明菱卓球部のコーチとして働いていただく。少し変則ですが、こちらであれば正社員待遇の給与をお支払いできますし、部活の時間も就業時間として換算、残業も付けられます」

「……はぁ?」

 沙紀の説明に石山は頭が追い付かない。

 すでに驚きのあまり酒は抜けている。頭は素面、それでもわからない。

「弊社は地域貢献の一環として地元の公立校である明菱高校への支援を考えております。その目玉が今勢いのある部活である卓球部なのです。他にもバドミントン部などにも支援をお約束しております。私立に負けるな、ですね」

 沙紀だけではにわかには信じられないが、目の前の秘書っぽい人に説明されると信じてしまう。何せ説得力が違う。もう見るからに秘書だから。

「……ずっとその支援は続くの?」

「私立同様、ある程度の成績を出し続けることが条件です。ただ、石山コーチの処遇に関しましては弊社のフィットネス事業の拡大に際し、こちらの神崎が手掛ける予定の地元の卓球クラブ、こちらのコーチにスライドしていただくことも可能ですので、勤務態度に著しい問題があればいざ知らず、クビの心配は不要です」

 秘書に名指しされた沙紀は頭を下げる。

「正社員待遇ですのでね」

 妙に圧のある笑みを浮かべる秘書っぽい人。と言うか秘書。

「……なるほど。これがお嬢様のやり方ってわけ」

「はい」

 真っすぐとした神崎沙紀の眼を見て、石山は一度息を吐く。

 そして、

「あまり褒めたくないけどね、不知火君も大したもんよ、実際のとこ。あの短期間でそれなりに仕上げた。たぶん、私にも出来ないこと。そりゃあ足りない部分もあるけど、そんなもんこれから埋めるだけの話だし……今更横槍を入れるのもね。彼で充分、いや、十二分だと思うけど、何が不満なの?」

 不知火湊という幸運。正直、コーチとして実績のある人ならいざ知らず、いくら選手としてそれなりに実績はあっても指導者の経験がない自分に固執する理由がわからない。今のままの体制で充分、十二分であろう。

 変える理由がない。

「一つは、石山百合と言う選手が天才ではなく、努力の人であるということです」

 沙紀はさらにカバンから資料を取り出し机に広げた。

 それは石山の現役時代、戦績や小さなインタビュー記事、他にも監督やコーチが彼女について触れたことや、田中総監督の所見まで――

「これは我が部を支援してくださる企業様へ提出したものになります」

「……よく、集めたもんね。こんなの」

「皆口を揃えて練習の鬼だと言っていました。誰よりも考え、誰よりも勝つことに貪欲。相手を分析し、常に相手の強みを消し、弱みを突く。徹底的に」

「はは、昔殺し屋とか言われてたっけね。懐かし」

「そういう人にこそ教わりたいと思いました」

 真っすぐで、熱がある。口から出まかせでは、ない。

「……」

「そして、もう一つ。すいません。これが一番大きな理由です」

 沙紀は苦笑して、

「不知火湊の足枷になりたくないんです、私たちは」

 正直に一番の理由を答えた。

 その眼に、

「なるほどね。卓球が特別短いわけじゃないけど、それでも選手としての旬が早めなのは事実。それを自分たちのせいで失わせたくはない、か」

「その通りです」

 其処に浮かぶ熱量に、

「……まあ、これも何かの縁かぁ」

 石山百合は折れた。

「こういう資料、自分で作ったの?」

「え、ええ。そんなに手間はかかってませんが」

「高校生で凄いね。私はさ、自分がこういうの作れると思えなかったんだ。こういう給与明細的なのとかも、どうやって作ってんのか想像もできなかった。そりゃあ社員だし、それなりには働いていたけど……卓球のことしか頭になかったから」

 情けない。高校生以下な自分。卓球だけで生きてきた。そのまま生きていけると思っていたわけではない。それでも、コーチになることすら恐ろしかった。

 選手でなくなる自分が想像できなかった。

 怖かったのだ、ただただ。

「思い出作りって言ったのは……訂正する。悪かったね」

「あ、いえ、私がそうなのは事実ですから」

「はは、あんたが一番ガチでしょ」

 でも、高校生がここまでやった。七光りなのは重々承知した上で、それでも小さな努力は見逃さない。卓球しかできなかった自分にとって、それが一番効いた。

 年貢の納め時、選手としての声はかからなかった。

 わかっていたけれど、そういうことなのだろう。

 なら、

「オッケー。やってやろうじゃない。ただし、結構厳しいよ、前評判通り」

「ありがとうございます! 覚悟の上です!」

 こういう風変わりな縁を頼りに、新しい道を征くのも悪くないかもしれない。

「うう」

「な、泣かないでよ母さん」

「ようやく、ごくつぶしが定職に」

「……うっす」

 石山百合、無事ニート卒業。


     ○


「おー、ラバーマシになったねえ、デカブツ」

「う、うす」

「でも卓球は下手だなぁ」

「……」

 よく考えなくてもつい最近まで実業団、Tリーグ発足前は卓球界で言えばプロであった人物が石山百合である。そもそも存在自体が圧倒的に格上なのだ。

 しかも石山にとって特化型は現役中もカモにしていた相手である。

 そりゃあもう、花音も小春もボロカスにやられていた。

「説明するのも面倒だし、とりあえずお二人さん、戦型交換ね」

「「え!?」」

「デカブツは前陣速攻、おちびはドライブマン、よろしくぅ」

「「む、無理」」

「聞こえなァい」

 ボロカス二人に追い打ちをかける石山。湊の厳しさとはまた少しばかりベクトルの違う厳しさを彼女は持っていた。

「はいはい、今考えなしにプレーしたでしょ?」

「え、でも、さっき秋良には考えるなって」

「あの地頭が馬鹿なアホ王子はそれでいいの。つか、感性で卓球やるしかないの。馬鹿だから。あんたは違うでしょ。前も言ったけど、考えて間に合うのはそれだけで強みなの。才能だから、それを伸ばしなさい」

「は、はい」

「……」

 沙紀と石山をよそに派手に傷つく円城寺秋良。でも仕方がない。残念ながら事実である。何しろこの前の小テストも見事な凹点を取ってきたのだ。

 あの黒峰すら頭を抱える始末。

「あんたは自己肯定感高めて」

「今、ボロクソに言われたばかりです」

「違ァう。あんたは馬鹿だから卓球で大学行くしかないの。おわかり? 馬鹿なのを自覚し、馬鹿でいいのだと理解しなさい。卓球一本で大学、出来れば就職までつかみ取る。あんたにはそれが出来る。出来る自分を想像して」

「……」

「格好いい?」

「格好いいです!」

「オッケー、その調子」

「はい!」

(アホって指導すんのも疲れるのよね、意味わかんないし)

 卓球はチェスをやりながら百メートル走を走るようなもの、と偉い人が言った。石山はそれを半分当たりで、半分外れだと思っている。

 例えば沙紀や自分たちはそういうタイプ。大体の者は思考と感性の半々ぐらいだろうか。しかし、稀にいるのだ。

 何にも考えずに感性だけで卓球をする輩が。

 何となくで鬼のように強い選手が、時折出てくる。

 そういう者に考えろ、と言っても噛み合わないだけ。秋良は完全にそっちのタイプ、頭で考えてそうな見た目だが、経験則以外はてんでダメ。

 あれはもう持ち上げて、ノリで卓球をさせるしかない。

 馬鹿の考え休むに似たり、ちょっと違うか。

「……ま、悪くはない、か」

「何か言いました?」

「何でもなーい、練習に集中」

「はい!」

 明菱高校卓球部、石山百合コーチ就任。

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