第76話:卓球、どこいった?

「子どもは宝です」

 威圧感しかない神崎会長から出た愛に満ちた言葉に校長は目を白黒していた。

 その言葉を引き継ぎ、壮年の男が口を開く。彼は神崎製作所の神崎常務、要は神崎沙紀の父である。会長の側近として重用される敏腕婿養子なのだ。

「子が大人となり、大人が子を産む。昨今は晩婚化、未婚の家庭も多いですが、地域社会を持続可能とするためにはやはりそのサイクルが必要不可欠でしょう」

「お、おっしゃる通りです」

「そして、その子どもを守り、鍛え、育む。学校こそが社会を形成する最も重要な機構である、と私共は考えておる次第です」

「こ、光栄です」

「つきましては――」

 押し黙る神崎会長の目がギラリと輝く。隣で口を開く神崎常務は苦笑いしながら、さらに奥へ控えている会長付きの秘書へ目配せした。

「御校にささやかながら寄付を、と」

 秘書が校長の前に資料をすっと差し出す。

「そ、それはありがたいお話ですが、な、何故でしょうか?」

 突然の申し出。当然何事かと警戒するのは当たり前。

 ただ、この神崎軍団。ここ校長室で商談する気などさらさらない。

「昨今、授業料無償化のあおりを受け公立校は苦しいと聞きます。以前から我々はその状況を嘆かわしい、と思っておりました。私立が悪いわけではないですが、公立あっての私立、その構図は変わるべきではないと考えておるのです。国が、自治体が、子を支えることを放棄し、民間に委託する。その民間が事業を捨てたならどうなるか、火を見るより明らかでしょう。我々は地域社会に支えられ、ここまでやって参りました。その恩返しがしたい一心、そのための微力とお思い下され」

 校長はこわごわと資料に目を通し、目を丸くする。

 おそらく彼の人生で最大の開眼であっただろう。

「文武両道、文は先生方にも一家言あるでしょうし、門外漢が金を出しても御校の魅力にはつながらぬでしょう。ゆえにお力添えしたいのは武、になります。御校で勢いのある部活と言えばどちらになりますかね?」

「そ、それはやはりバドミントン部かと。全国区の生徒もおりますし」

「なるほど」

「卓球部は?」

 最初の子は宝発言からずっと口を閉ざしていた神崎会長が口を開く。

「あ、も、もちろん、皆期待していると口々に言っておりますとも」

「では、その卓球とバドミントン、この両面を中心に部活動全体をケアできるような形で寄付を行いたいと思います。そちらの資料に不足があれば何でもおっしゃってください。弊社に出来得る限り、力を尽くそうと思います」

 神崎会長は立ち上がり、すっと校長へ向けて手を差し出す。

 校長はビビり倒しながら、その手を握った。

 終始、ペースは彼らが握る。まあ寄付をする側、される側、される側が文句を言う筋合いなど皆無であろうが。

「地域の、何よりも子どもたちの未来のために」

「ど、どうも」

 予定通り、話を通す。


     ○


 親の七光り、これは神崎沙紀が昔から叩かれていた陰口である。昔はいちいち傷ついていた記憶があるのだが、今はさすがに慣れたものであった。

 慣れたと、思っていた。

「……」

 怒涛の勢いで叩かれる陰口。昔は憤慨していたそれも、今はむしろ賛同したい気分であった。物事には何事も程よい度合いと言うものがあるだろうに、

「……噓でしょ」

 それは完全に程よい度合いを逸脱していた。

 学校の近くにあった寂れた倉庫を神崎製作所が買収、そのまま空調などを刷新しつつ居抜きで箱を手に入れた。その箱に続々と業務用のジムの機材が運び込まれていた。業者たちが汗水たらし、えっちらおっちら搬入している。

 そしてその箱は中身ごと、

「沙紀さん、やべー噂聞きました」

「沙紀ちゃん部長、小春すっごい噂聞いちゃった!」

「部長、今女の子たちから聞いたんですけど」

「……」

 学校へ寄付される。

「……ナンボ何でもやり過ぎでしょうが!」

 神崎沙紀、地元最強の七光りが炸裂。

 明菱高校、新品同然のジムを得る。

「そのバトルロープはそちらへ。ええ、ラッドプルはこの辺りが良いでしょう。フリーウェイトエリアはこちらです。嗚呼、素晴らしい。筋肉が沸き立ちます!」

 嬉々として黒峰は搬入に際し、陣頭指揮を執っていた。

 しばらくは陰口、と言うか色々言われるのは仕方ないだろう。沙紀だって逆の立場ならそうしている。まあ、運動部からは後々陰口ではなく拝まれるようになり、名実共に七光りが後光へと変わるのだがそれは少し先の話。


     ○


 しかし、神崎無双はむしろここからであった。

「……ねえねえ、湊」

「今からクラブに行くんだけど」

 夕方、今日は久しぶりにクラブの方へ顔を出そうと思っていた矢先、母の言葉によって足を止められた。

「これ、湊の部活の」

「……あっ」

 地元のテレビ。インタビューに答えているのはこれまた神崎常務、つまり沙紀のパパであった。内容は公立校への寄付の件。

 さすがに方々で話題になっているらしい。

 そりゃあ当然であろう。手始めに機材とか消耗品とかでなくジムを寄付する、こんな大それた寄付などなかなか見られるものではないから。

 しかし、

『ええ。寄付の件は事実ですよ』

『素晴らしいことだと思いますが、地元とは言え一つの学校を特別扱いし過ぎではないでしょうか。ご息女が通われていることも――』

『我々神崎製作所はすべての未来ある子供たちの力になりたいと考えておりますよ。しかし、何事にも限度があり、順序もあります。明菱は我々の地元にある高校ですし、まずは地元への恩返しも兼ねてそちらから手を付けたまで』

 このインタビューを皮切りに、

『あの、まるで、他にも同様のことをなされるかのような発言ですが』

『同じではありませんが、出来るだけ多くの子どもたちの成長に寄与したいとは考えております。そのために我々は……これを機にフィットネス事業へ本格的に参入し、広く子どもたちに運動の場を、トレーニングの場を提供いたします』

 それらがすべてぶっ飛ぶこととなる。

『……え?』

 神崎製作所が異業種であるフィットネス事業へ参戦。

 この報せは野火の如く広がる。


     ○


「パパ!」

 神崎家の食卓、父を睨みつける娘沙紀を見て父は苦笑いする。

「何だい」

「色々とやり過ぎよ!」

「逆だよ、沙紀。これだけやって初めて、沙紀の提案が我々神崎グループにとっての利益となったわけだ。ここまでやらなきゃ、我々は損をするだけだろう?」

「そ、それは」

「稼げる時に稼ぐ。お義父さんから聞いたけど、不知火君がお金になるまではまだ時間がかかるし、確実ではない。だからまあ、一応確実に稼げる手を考えたわけだ。そうだよね、ママ」

「そうそう。あ、ちなみに分社化するフィットネス事業の社長はママよ。ほら、ヨガ教室とかピラティスとか半分道楽で運営してたから、丁度いいかなーって話になってね。ママ、頑張っちゃうから」

「……私、掌の上じゃん」

「あらあら、全然違うわよ。沙紀が動かなかったら、この話はなかったもの」

「そうだよ。仕事っていうのは存外、理屈よりも大義ってやつが大事でね。子どものために、これは最高の大義になる。沙紀は私たちに大義をくれたんだ。その一歩があって初めて、私たちが他人のシマを荒らしても企業イメージは損なわれない」

「パパやんちゃー」

「あはは、と言うわけで気兼ねせずやりたいようにやりなさい。君たちに投資する分は、私たちが勝手に稼いでおくから」

「ママ、頑張る」

「……」

 華麗なる神崎家。父も元々は複数の会社を経営していた実業家であり、その腕を見込まれたから神崎に婿入りを許され常務の椅子が与えられた。母は母で好き勝手に様々なことに手を出し、そのこと如くを成功させてしっかりと初期投資を回収、次の遊び場に使う、と言うやり手である。

 祖父は言うまでもない。

「ういー、疲れたのぉ。お、今日はお刺身か。ええのぉ」

「注ぎますよ、お義父さん」

「嫌じゃ。沙紀がええ」

「はいはい」

 じーちゃんの要望により孫が酒を注ぐ。

 この光景だけ見たら、ただの昔ながらの家族にしか見えないのだが――


     ○


 神崎沙紀が立ち上がり、山が動いた。

 神崎製作所と言う地元の星が年々飛躍し続けるフィットネス事業へ参入する。これを恐れぬ既存企業はいないだろう。

「金は力だ」

 企業の強さとは資金力に他ならない。どれだけの金を使えるか、結局のところ本気で殴り合えば金を持つ方が勝つのが資本主義の上に成り立つ経済である。

 フィットネス市場は年々拡大しているが、産業として注目されるようになったのはつい最近の話。健康需要の高まりもそうだが最大の要因は――

「初期投資がはした金で済むのはいい」

 初期投資の少なさ。特に最近流行りの水回りを排した安価なジムは、ただ箱を買って床を養生し、中に機材をぶち込むだけで完成してしまう。しかも水回りを排した場合、ランニングコストもぐっと減るのだ。

 かつて月額10000円が当たり前だったジムが、今では物価高にもかかわらず最安帯で2980円のジムが乱立する程度には――

 プールや温泉、シャワーすらも排したジムの参入障壁と言うのは、極めて低いと言えるだろう。それこそ個人が手を出せるほどに。

 だからこそ、

「今なら、絶対に勝てる」

 一流企業が札束と言う剣を担いできた場合、個人やそれに類する木っ端勢力では歯が立たないのだ。まだ、お行儀のいい企業なら足並みを合わせ、横並びで共存共栄することも可能であろうが――

「ですが、この値付けはやり過ぎですよ」

 端からシマを根こそぎ『全取り』を狙う怪物相手に、

「構わねえよ。新参者が横並びじゃ意味がねえ。やるなら徹底的に、だ」

 そんな道理は通用しない。

「……怖いなあ、お義父さん(会長)は」

 ディスカウント、値引きと言うのは業界を弱らせる商売人にとっては下策中の下策である。一度下げた値付けを上げることは難しく、ほんのひと時の売り上げのために未来を削る。しかも周りも追従を余儀なくされてしまう。

 その結果、全員が損をする、これがディスカウントの真実。

 だが、下策も使い方次第。

「このリストに、うちに勝てる企業はねえ。勝ち確なら良いんだよ。値下げ合戦しても。最後は絶対に、わしらが勝つからのォ」

 周りよりも安い値札を張り、市場に乗り込むというのは宣戦布告である。今からここにいる全員を殺しますよ、そう言っているに等しい。

「最近流行りの月2980円、これに対しうちは月1980円、と大幅ディスカウント」

 共存共栄していれば全員が千円得をした。だが、そんな気がさらさらない怪物が千円削った値札を張って乗り込んできたことで市場は荒れる。

 いや、ここまで力の差がある場合は、

「いくら下げてもいい。焼け野原にしてから、物価上昇だ円安だのせいで上げりゃあいいんだよ。しかもわしらには値下げの大義もある」

「子どものために、ですね」

「そう。だからまあ、思う存分やろうや、木っ端の雑魚ども」

 おそらく荒れない。勝負にならないから。白旗を上げ、そのままじわじわ枯れていくか、身売りしてしまうか。

 参入障壁の低さはこういう状況を招く。意気揚々と参戦し、多少成功を収めたところで、巨人が気まぐれに市場に入り込めば全てが瓦解する。

 弱肉強食、全員食い殺して勝つ。

 神崎製作所資本のジムは瞬く間に北陸三県のフィットネス市場を席捲し、その景色を塗り替えた。あるところは尻尾を振り、あるところは高級路線にかじを切る。

 そして業界の中心には――


 沙紀立てばジム屋が滅ぶ。お粗末様でした。

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