第75話:沙紀&湊対神崎会長
神崎製作所。
地元発としては県下最大規模の企業であり、毎年地元の高校生や大学生を大量に採用していることもあってその影響力は凄まじい。
敷地がとにかく広い。デカい。
いくつも棟が立ち並んでいる様を見ると、いったいここだけでどれだけ稼いでいるのか、と考えてしまうが高校生の想像では推し量ることすらできない。
ただ、何百人とここだけで働いていることはわかる。
それらを食わせるだけ稼いでいるのだ。
最低でも。
「いい工場の見分け方って何か知ってる?」
「「……」」
神崎沙紀は勝手知ったるとばかりに堂々歩いているが、一般男子高校生の二人組はビビり倒していた。こんなのビビらない方がおかしい。
普通に生きていて、こういう場所で働く以外にここまで広く、巨大な建物が立ち並ぶ場所になど足を踏み入れないから。
「何ビビってんのよ」
「び、ビビりますよ」
「別に取って食われたりしないわよ。会社なんだから。で、さっきのわかる?」
「わ、わかりません」
「ったく、考えもしないで……正解は建屋、じゃなくて周りが綺麗かどうか。特にわかりやすいのが草木ね。芝生は綺麗に整えられているか、樹木はきちんと剪定されているか、花壇があったら花は枯れていないか、とかね」
湊は周りを見渡す。
バッチバチに寸分の狂いなく刈り取られた芝生に、工場内の樹木はもちろん外側に至るまで明らかに人の手が入っている、など今の発言に該当する。
「稼げなくなると真っ先に環境美化の予算が縮小されるから。工場に限らないけど、敷地が広い分特にわかりやすいのが工場ってとこ。大企業ほどその辺は本当に気を付けている。ま、見栄えは大事ってお話よ」
「……もしかしてコンタクトで来いって、そういうことですか?」
「……あんたって眼鏡だと陰キャ感が増すのよね。猛烈に」
「……でも、眼鏡の方が楽なんですよ」
「おしゃれは我慢。ママに習わなかった?」
「ぅぅ」
陰キャの脛を蹴り飛ばされ、湊は涙目となる。ただ、湊もさすがに馬鹿ではない。いつもよりも口数が多く、会話もためにはなるがとりとめがない。
湊は前を歩く沙紀の手を見る。
「……」
かすかに震える様を、彼は見逃さなかった。
○
「明菱高校卓球部部長、神崎沙紀です。会長にお繋ぎください」
門のところでも受付をしたのだが、会長に会うとなるともう一段階必要であった模様。総務部などが詰めている棟の受付で再度用件を伝える。
ちなみに今更だが昨今、飛び込み営業対策と言うか、セキュリティ対策と言うか、入門時に用件、担当者などを記入するなど、用向きのない者を弾くような構えになっているため、直接飛び込むことはほぼ不可能となっている。
余談だが。
「お待ちしておりました、お嬢様。会長がお待ちです」
少し待つと、妙齢の秘書っぽい女性が現れ、三人を案内してくれた。今は緊張しているため二人とも口を開かないが、あとで沙紀に聞くとやはり秘書であったらしい。ただし、年齢は想像よりも二回り上だったが。
会長の専属として随分長いそうな――
「会長、お嬢様が参られました」
「おう、入れ」
「失礼します」
不知火湊も菊池修平も、普段市民会館やらに顔を出す好々爺の姿を知らない。知っていたら、それはそれで口を開けなかっただろう。
県下最大規模の企業を率いる棟梁、その椅子に君臨するは、
「本日はお忙しい中、お時間をいただきまして誠にありがとうございます」
「……気にするな。すぐに済む」
「……っ」
沙紀の祖父ではなく、神崎製作所の会長であるのだから。
「先にお渡しした書類、ご覧になっていただけたでしょうか」
「目は通した」
神崎会長は沙紀が送った書類を掲げる。
「寄付、と言う形での明菱高校卓球部への支援。外部コーチを招くための資金援助に始まり、用具代、遠征費なども……随分と吹っ掛けてきたじゃねえか。ん? わしを舐めとんのか、沙紀よ」
湊らは息を呑む。神崎会長から発する殺気にも似た気配。とても孫に向けるようなものではない。
ただ、沙紀は気圧されずに、
「昨今、公立高校は私立に押され続けています。授業料の無償化によって、私立と公立の境目が希薄となり、どうせなら設備のいい私立へ、と流れているのが実情です」
口を開く。
「当然知っている。で、それがなんだ?」
「定員割れしている公立高校も増えてきました。少子高齢化の波もあります。これからはより一層、地域を隔てた子どもの奪い合いになるはずです」
「……ほう」
「私立は営利企業です。採算が合わなくなれば売却、撤退もあり得ます。その時に、定員割れを続けて公立が廃校になっていた、となれば子どもは行き場を失います。そうなれば必然的に子どもを持つ家庭は出ていくでしょう」
「確かに。十分あり得る話だ。現にこの辺は人口の流出が止まらない。あっちの金沢方面はもうちょい景気のいい話も聞こえるんだがなぁ」
「公立高校は地域の明日を支える骨子です。だからこそ、地域を代表する企業が寄付と言う形で支える、そういう構図があれば御社のイメージアップにも繋がります。学校との関係も今以上に良いものになるかと思います」
「充分、いい関係だがな。まあ、一理ある。認めよう。だが、それが何故卓球部への支援に繋がるのか、それがわからん」
沙紀は深呼吸をして、
「こちら、卓球部の資料になります」
神崎会長へ新しい資料を手渡す。
「……こういうのは事前にだな」
「失礼しました。そちらの資料は卓球部の変遷及び、今戦略的に行っているSNSなどの数字をグラフにしてあります。ご覧ください」
「右肩上がり、だな」
「はい。大会の成績、そしてHPやSNSのインプレッションも向上し続けています。それはひとえにこの――」
「不知火湊君、だろう? 佐伯湊君の活躍はわしも知っておるよ」
「そうです。そして外部コーチでアタリをつけているのが、その資料に記載しております元実業団所属の石山百合選手です。私立に負けぬ支援を取り付けたなら、コーチを受けてくださると確約いただいております」
沙紀、しれっと大嘘をつく。確約などしていない。
「彼と石山選手の存在。そして右肩上がりの成績。卓球部には勢いがあります。才能が揃っています。これを支援し、寄付の成果を喧伝すれば……御社の広告塔として機能する、と確信しております」
「……続けろ」
「はい。現在、私立高校でまかり通っている越境入学、これは地域の外側から子どもを呼び寄せる限りある手段の一つです。卓球部が活躍し、その活躍と御社の支援を聞きつけて県外からよりよい環境を求め越境入学してもらう。そうなれば短期的に子どもが増えます。微増ではありますが」
「……」
「しかし、それが続けば県内の卓球人口が増加します。こちらでその子たちが就職し、卓球を続け、その子どももまた卓球を始める。御社のおかげで学校側の受け入れ準備もできています。その繰り返しで……この県を卓球王国とする。龍星館だけでは金沢方面だけ、こちら側は吸われるばかり。対抗馬が必要です」
「なるほど。龍星館が持つ既存のブランドをも喰らうわけか」
「はい」
「自分が何言ってんのか、わかってんのか、沙紀」
「……」
「それはお前さんらが、全国最強クラスの龍星館を倒すってことだぞ」
「そのつもりです。それが出来る才能が結集していると思っています。今しかないんです。投資するなら、たまたま才能が集まった今しか!」
沙紀の熱弁、その裏側に燃える覚悟を知り、湊もまた静かに深呼吸をする。とても格好いいと思う。本当に昔の自分は見る目がなかった、とも思う。
だからこそ――
「……まあ、よく考えた」
「会長」
「高校生にしては、な」
神崎会長は書類を机に放る。
「わしは卓球が好きだ。だが、卓球という競技に商品的魅力を感じたことはただの一度もない。そもそも、現代はスポーツ全般が下火だ。娯楽の多様性、若者であればあるほどに、スポーツを見る、する、という文化自体が廃れ始めている」
神崎会長は仕事人としての視線を愛する孫へ向ける。
愛するがゆえに、本気のそれを。
「そんな中、わざわざ企業がスポーツへ投資する価値があるか? しかも運悪く、この地域にはすでにTリーグへ参入を決めたチームがある。今更、わしらが後追いするほどの価値はない。野球やサッカーでも苦しいのに、卓球ではな」
正論で殴りつける。
「子どもを呼び寄せる。発想は悪くない。が、それは卓球と言う競技が魅力的であり続ける、出来れば今以上に……それが前提の話だ。卓球と言うスポーツそのものが廃れたならば、王国にしたところで何の意味もなかろう?」
愛する孫が勘違いをしないように。
「その上、お前たちが龍星館を倒す、張り合うことが条件ともなれば……勝ち筋自体を見出すことの方が難しい。金をどぶに捨てるようなものだ」
世の中は、
「要は沙紀、お前の話は金にならん。だから、支援することなどできん。それだけの話だ。企業というものはな、結局全て其処に集約する」
そんなに甘くないのだと。
「帰りなさい」
「……」
「今回の話は孫が爺さんにねだるには話が大き過ぎた。だからこそ、沙紀は沙紀なりに考え、こちら側からアプローチをしたのだろうが……残念ながらわしは神崎製作所の会長であり、会社の益にならぬ話は受けられん」
「……」
沙紀は顔を歪めながら「じーちゃん」と喉元まで出かかったそれを飲み込む。それを出したが最後、きっと祖父は一生自分と仕事の場で会ってはくれなくなるから。
それでも彼女は諦めきれなかった。
石山に言われたこと。そして花音たちの、家庭環境のことなど考えもしなかった、少し前の無責任な自分を想い、最後の、禁断の言葉を――
「あの、僕はお金になりませんか?」
吐こうとした丁度その時、
「あ?」
不知火湊が口を開いた。
「ご存じの通り、自分は元々それなりに有名な選手でした。自分がその、御社の看板を背負って卓球をします。それって、お金になりませんかね?」
「……お前さんがどこまでの選手になれるか、次第だな」
「お望みとあらばどこまでも」
真っすぐ、不思議と緊張はしなかった。
迷いもなかった。
「ちょっと、不知火!」
「坊主。商談の場で吐いた言葉はひっこめられねえぞ。ガキだからってなあ、契約を結んだらごめんなさい、じゃ済まねえ。その辺、わかってんのか?」
「ひっこめる気はないです。何か自分が役に立てるのなら……何でもします。自分は馬鹿なので、やることを教えてください。卓球なら、やって見せます」
神崎会長は湊を見て、目を細めた。
「……お前さんが商品としての価値を上げる前提で、不知火湊の身柄を担保にって話なら、さっきの話考えてもいい」
「……?」
「要は、お前さんが在学中、龍星館に女子卓球部が勝ったなら、さっきの遠大な話にも現実味があるってことで寄付を継続してもいい。勝てなければその時点で寄付は打ち切り、不知火湊はうちが商用利用させてもらう」
「え、と、要は?」
「龍星館に勝てばチャラ。負けたら一生うちで働け」
「そんなのでいいんですか? じゃ、それでお願いします」
「駄目よ、不知火! あんたの人生が」
「一度やめた自分を、明菱卓球部が拾ってくれました。それ、元々なかったんですよ、部長。だから、こんな人生でよければ売ります」
あっけらかんと湊は言い切った。それじゃあ意味がないと沙紀は顔を歪めるが、湊からすれば卓球しかできない男が卓球を捨て、途方に暮れていたところを救ってもらった恩がある。それに比べたら、どんなことも屁でもない。
甦った自分はもう、自分だけのものとは思っていないから。
「これが違いだ、沙紀。神崎沙紀には価値がない。不知火湊には価値がある。言葉とは誰が吐くか、だ。価値なき者の言葉は一文にもならん。今のお前がどれだけいいことを言っても、残念ながらそれは商談足りえぬことを覚えておきなさい」
「……はい」
「不知火湊君」
「何でしょうか?」
「君は沙紀たちが、明菱卓球部が全国最強の龍星館に勝てると思うかね?」
「はい」
「いい返事だ。なら、期待してみよう。新人戦、とりあえず頑張りなさい」
「必ず期待に応えて見せます」
「ふは、男だねえ」
神崎会長は相好を崩す。
「沙紀、一人の男が人生を張った。その期待から逃げることだけは、許さんぞ」
そして愛する孫にくぎを刺す。
「もちろんです。必ず、勝ちます」
「そうか……なら、いい。あとの絵はわしらが描いておく。少し待て」
「ありがとうございます、神崎会長」
「おう」
一礼し「失礼します」と退出していく孫たちを見送る神崎老人はようやく息を吐いた。孫に厳しくするのはこの椅子があっても苦しいもの。それでも負けず嫌いをこじらせ、いつだって勝負事から逃げていた孫がとうとう踏み出した。
しかも自分に立ち向かってきた。
その姿を、
「……いかんなぁ。結局、甘やかしてしまうのぉ」
嬉しく思わぬジジイはいない、と男は思う。
○
「お見事な商談でした、沙紀様」
秘書から声を掛けられ、沙紀は顔をしかめる。
「……からかってる?」
「まさか。そもそものお話がつまらないものであれば、例え何と引き換えでも会長は金など出しませんよ。大変面白い商談でした。私の目から見ても」
「……どうも」
沙紀としては自分の甘さを、立場の弱さを痛感した一幕であったため、秘書の言葉を真正面から受け止めることは出来なかった。
「ご自宅までお送りしましょうか?」
「彼らと帰ります」
「承知いたしました」
秘書に見送られ、来た道を戻る三人組。
その足取りは、
「悪かったわね、力不足で」
「いやぁ、格好良かったですよ」
「自分、マジで立っているだけだったっす」
「SNSの運用とか細かいとこ話せる空気じゃなかったの、ごめんね」
「いや、話せって言われたら死んでましたよ、プレッシャーで」
重たい者二名と、
「まあいいじゃないですか、万事うまくいきそうで」
軽い者一名。
「あんたが一番割を食ったんだけどね」
「……? 部長たちが勝てば全部チャラですよね?」
「勝てば、ね。くそー、勝つってアピールはするつもりだったけど、確約までさせられるとは……想定外だったぁ」
「勝てばいいんですよ、勝てば」
「本当に勝てると思う?」
「もちろん。それに、きちんと見せますよ、勝ち方」
「……ほ、ほーん。言うじゃない」
やる時はやる。言う時は言う。
ここまで来たらやるしかない。賽は投げられたのだ。
不知火湊は神崎沙紀の本気に応えた。神崎沙紀もまた不知火湊の本気に応えねばならない。それが貸し借りというものであろう。
「ところで寄付ってどれぐらい貰えるんですかね?」
「……」
「部長?」
「言わないで。今、自分がいたらな過ぎて自己嫌悪しているところだから」
「そんなことないですって」
自己嫌悪に陥る沙紀を見て、湊は笑った。
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