第74話:すごくなかった女

「それ本気で言ってます?」

「冗談に見える?」

「「……」」

 不知火湊と菊池修平が驚愕した神崎沙紀の作戦。あまりにも話が壮大過ぎて飲み込み切れない。だが、沙紀の表情を見る限り冗談ではないのだろう。

 真剣そのものである。

「その、今のまま僕が教えるんじゃ駄目なんですか?」

 だからこそ、湊は根本的な疑問を投げかける。黒峰の言葉から始まった流れであるが、そもそも湊としてはコーチをやめる気などない。

「駄目よ」

 湊の問いを沙紀は一刀両断する。

「それは、僕の指導力不足と言うことですか?」

「あのね、あんたに不満があったら私も小春も花音も、秋良だってこのクソ暑い中真面目に部活なんてやってないっての。不知火湊への不満なんて口が悪いこと以外一つもない。それは総意でしょ。全員に聞いたことないけどね」

「だったら!」

「でも駄目。部長である私がそう決めた」

 有無を言わせぬ物言い。さすがの湊も、

「お、横暴ですよ。きちんと納得のいく説明を――」

 食らいつく。

 が、

「ところでさ、龍星館での練習ってどう?」

 沙紀はひょいとかわし、別の話題をぶつけてきた。

「話をそらさないでくださいよ」

「楽しい? つまらない?」

「……充実していますよ。さすが強豪だけあって県外からも有力な選手集めていますし、そうでなくても徹宵や志賀さんもいますから」

「そりゃあよかった。私たちじゃ男子の代わりにはならないからね。男子が女子の練習台になることはできても、逆はないでしょ」

「……やり方次第だとは思いますが」

「強くなれそう?」

 沙紀の問いかけ。その眼に茶化す色はない。

「……はい」

 だから、正直に答えた。

 その言葉で今までの在り方が遠のくとしても。

 どの競技もそうだが、男子は競って伸びる。バチバチとぶつかり合う中でしか磨かれないものは、確かに存在するのだ。

 強くなれる。いや、すでに強くなっている。

「なら、やっぱり全てを不知火に任せるべきじゃない」

「僕がそうしたい、と言ってもですか?」

「そうね。その厚意は嬉しいけれど、残念ながらノーセンキュー」

「理由は?」

「私があんたのファンだから」

「……へ?」

「私も、たぶん小春や花音もそう。この前あんたが志賀さんに負けたの、思ったよりも堪えたんだよね。なんだかんだ、勝つべき時には勝つ奴だと思っていたから」

「……徹宵にも負けてますよ」

「あれは最初の一セットが本番でしょ。そして、それはあんたが勝った」

「……」

「私はさ、大した選手じゃないし先があるかもわからない。でも、小春と花音は違う。才能がある。ただ、迷う時間はないと思うの。スタートが遅いから」

「……」

「だから、不知火湊が教えてあげなさい。道はこう進むのだと。そしたらさ、あの二人は、秋良だって、きっとその背中を追っていくから」

 沙紀はポンと湊の肩を叩く。

「最短を行くわよ。悪いけどこれは部長としての判断だから」

「……はい」

「別にコーチをやめろっていう話じゃない。要は全員が好きなことを、好きなように出来る環境を作るだけ。サブのコーチが必要だから手に入れる。私立との格差があるのなら埋める。ただそれだけのことでしょ」

 神崎沙紀の笑み。自信満々に、荒唐無稽な計画をただそれだけのこと、大したことなどない。やって見せると全身が言っている。

 それを見て、

「凄いですね、神崎部長は」

 不知火湊は思ったことを口に出す。

「はァ? あんたがそれを……いや、いいや」

「何ですか?」

「記憶力の悪いやつに何を言っても無駄でしょ、ってお話」

「……あれ、僕悪口言われてます?」

「さあね。さ、カメラ男は資料作成。不知火は心構え、あと散髪も行っときなさい。少しでも見栄えをよくするためにもね。あとは、大船の乗った気でいればいい」

 どんとこい。

 神崎沙紀の、彼女にしかできない壮大な計画が幕を開ける。

「……すげえ人だな。さすがは神崎家と言うか、なんと言うか」

「ああ。本当に。最初の印象と全然違うよ」

 沙紀がいなくなった後、菊池はぽろりとこぼす。湊も同意見であった。

 あの人は本当に凄いし、強い。

 心からそう思った。

(私が凄い? ったく、よくもまああんな蔑んだ目で人を、ゴミを見るみたいに見といて……どの口がって話よ、まったくもう)

 心の中で浮かべた言葉とは裏腹に、沙紀は嬉しそうな笑みをこぼす。

 間違いなく湊は覚えていない。実際に覚えていなかった。最初の邂逅、あの日、あの時、腐った自分を見抜き心底軽蔑した視線を向けられた。

 親友であった佐村光への想いもあるが、部に近づいたのはあんな眼を向けられたから。じゃあお前はどんなもんなんだよ、クソ眼鏡。そう思った。

 そしてすぐにぶっ壊された。

 その時抱いていた敵愾心は見事に、尊敬へと変わった。

 ただそれだけのこと、なのだ。


     ○


「あの、これください」

 紅子谷花音は部活のない日、クラブへ行くついでに地域密着の卓球用具店である鶴来家のお店にお邪魔していた。

 目当ては摩耗したラバーの買い替えである。

「毎度あ……んー、何か意図があってこれを選んだのかい?」

 店主である鶴来父、普段飲んだくれでしかない男が会計を前に手を止めた。

「いや、その、安いのにおすすめって書かれていたんで試してみようかな、って」

「なるほど。確かにモノは良いよ。昔から名器って呼ばれているし一時代を築いたラバーだ。でも、選手を志す者に薦めるかと言われたら、答えはノーだ。悪いことは言わない。以前と同じもの、変化するにしても同じハイテンションラバーにすべきだ。高弾性のラバーはね、私のようなポンコツとか初心者、おじいちゃんなどが扱う、優しいラバーなんだよ。そういう人たちに対してのおすすめ、だ」

「……そう、ですか」

 花音は少し俯き、一度会計に出したラバーを元の場所に戻してくる。

 そして、以前と同じものを手に取り、

「会計、お願いします」

「毎度あり。まあでも高いよねえ、ラバーは。性能もぐんぐん上がっているけど、値段もぐんぐん上がっちゃってさ。困ったもんだ」

 会計してもらう。購入することに問題はない。母からは以前と同じだけのお金をもらっていたから。魔が差したのは、ここで出費を抑えれば一枚分浮く。

 それを繰り返せばラバーの張替え頻度を増やせる、と思ったから。

「……お金がないと卓球、続けられないんですかね?」

「楽しむ分にはつるっつるのラバーでも遊べるよ。一年でも二年でも。でも勝ちたいなら、頑張らないといけない。お金がないならなおのこと……勝たなきゃ」

「……」

「強い選手には様々な方面から支援が入る。私はとてもそんな選手にはなれなかったけど、そういう人たちをたくさん見てきた」

 佐伯、星宮、輝ける同窓の英雄たち。

 それに不知火湊だって、少し前まではその立場であった。

 非現実の話ではない。

「大変だけど不可能じゃない。全ては君次第だ。頑張り給え、女子高生」

「うす」

 簡単ではないが、それでも道はある。


     ○


『不知火湊、あいつはまだ天才だと思いますよ』

 別に女子高生の言葉にほだされたわけではない。ただ、暇だから加賀を強請り、現在地を聞いた。丁度伝手があったので、

「よぉ、乾。おひさー」

 石山百合は龍星館を訪れていた。

「この、声は……誰だ、この人を通したのは!?」

「乾の先輩って言ったら普通に通してくれたけど?」

「くそがァ! 先輩って、いつの話だよ! すぐ地元から離れたくせに!」

「先輩後輩の関係性は永久に不滅だぞ、体育会系なんだから、な」

 普段は落ち着きがあり真面目で口調も丁寧だが、石山を前にすると途端に豹変してしまう。それだけ彼女には苦い思い出しかないのだ。

 よくもまあ加賀はまともに付き合えるな、と思う程度には。

「見学させて」

「……引退したと聞きましたけど?」

「引退した選手は学生の見学しちゃダメなのか? 差別か? んん?」

「選手でもなければ完全に部外者でしょうが。先に言っておきますけど、龍星館は現在指導者を募集していませんので、あしからず」

「誰が龍星館なんかに入るか」

「なら、出て行ってどうぞ」

「やだ」

「クソが」

 生徒が見たら驚くほど険悪な関係性である。

「全日本の予選で当たる可能性があるので、うちの子たちは見せられませんよ。引退したってまだ全然やれるでしょう?」

「あ、見たいのは男子だから」

「……なぜ?」

「不知火湊、見に来た」

「……なるほど。加賀君は口が軽いみたいですね」

「そ、悪いのは全部加賀。と言うわけで愛しの先輩を案内よろしく」

「自分、彼女いますので」

「乾のくせに生意気な」

 乾はため息をつく。結局いつもこうなるのだ。自分がどれだけガードを固めても、先に生まれたアドバンテージをフルに使ってぶち抜いてくる。

 体育会系の上下関係もあるが――

「……本当は見せたくないんですがね」

 結局のところ逆らえないのは競技者としての彼女を尊敬していたから。まあそれも、彼女の引退劇を聞くと冷めてしまったが。

「へえ。気になる言い回しね」

「見たらすぐわかりますよ」

 乾は頭をかきながら、

「案内します」

 折れた。

 まあ、いつものことである。

 そして――

「……なる、ほどね」

「困りものですよ。アジャスト自体はすぐ出来るとは思っていたんです。元々、上でも戦えるだけの力があった子ですから。でも――」

 其処には丁度、山口徹宵に勝ち切った不知火湊の姿があった。

「ここまでは、想像できなかった」

 充実しつつある肉体。さらに先の大会でも試していたとある戦い方。それがようやく消化できたのだろう。完全に自分のものとしていた。

 その結果、

「強過ぎる」

 本日、無傷の全勝。

「次、お願いします」

 それも山口徹宵、そして志賀十劫、この二人をぶち抜いた上で、である。

 男子とて全国区、全国から人材を集め、多くの指導者、手厚いサポートを与えて育成した自慢の生徒たちである。

 それがたった一人に蹂躙されているのだから、この世に平等など存在しないことがわかる。乾にも、誰にも想像できない速度で、

(天才、馬鹿言え。こんなのはねえ――)

「怪物、って言っときゃいいのよ」

 怪物は成長を続けていた。


     ○


 数日後、

「じゃあ、行くわよ、野郎ども」

「「で、でけえ」」

「臆するな。この私を誰と心得る」

 神崎沙紀率いる不知火湊、菊池修平の三人はとある場所へ訪れていた。

 其処は一つの町、と見まがうほどの巨大な工場群である。広大な敷地に、無数の建屋が立ち並び、芝生は青々と照り輝いている。

 其処の名は、

「神崎沙紀ぞ。なんてね」

 神崎製作所。

 沙紀の祖父が一代で築き上げた県下最大規模の企業である。

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