第73話:ニートのくせになまいきな

「どうも」

 神崎沙紀は平日の昼間にクラブへ顔を出す。

「……高校生が来ていい時間じゃないでしょ」

「病欠です」

 お目当ては、現在絶賛ニート中の石山百合である。

「加賀ァ」

「ひゅー、ひゅー」

 かすれた口笛を吹く後輩を見て、石山は顔をしかめた。自分が来る時間を漏らした犯人は、あとで体育会系における上下関係パンチで躾けるとして――

「で、何の用? コーチならこの前お断りしたばかりだけど」

「お話を。丁度昼食のタイミングですし」

「お断り。悪いけどお腹減ってな――」

 ぐう、奇跡のようなタイミングで鳴り響くお腹。まるでそれは貧しい生活に対する肉体側の反逆のようであった。

「おごりますよ」

「こ、高校生におごられるわけには」

「安心してください。私、実家がめっちゃお金持ちなので」

「……お、お嬢如きにこの私が――」

 世の中を舐め腐った女子高校生の思い通りになるわけにはいかない。石山は断固たる覚悟で断る気だった。

「ビール付で」

 舐めるな小娘。この石山百合、其処まで堕ちて――


     〇


「うんめェェェエ!」

 すでに暦は秋であるが、令和の季節感はバグり散らしており、哀しいかなまだまだ気温が高い。その分、キンッキンに冷えたビールは五臓六腑に染み渡る。

 この魔性の飲み物が悪い。

 自分は悪くない。

「ぷはぁ……た・ま・ら・ん」

「ささ、どうぞどうぞ」

「悪いねえ」

 女子高生にビールを注がれて満面の笑みを浮かべる三十歳ニート。なかなか人生の終点っぽい絵面ではある。

「いひひ、皆が汗水たらして働いている時間に飲むビールほど上手いものはないねえ。JKにはわかるめえ。この至福は」

 わかったら逆に不味いだろ、と沙紀は心の中でツッコむ。当然だが沙紀は一滴もアルコールを摂取していない。健全なサボりJKである。

「……で、話って何?」

 昼食を食らい、ビールも入れた。ようやく落ち着きを取り戻した理性と共に石山は沙紀に問いかける。何の用だ、と。

「強豪校のことを教えてください」

「……?」

 何言ってんだ、こいつ。と言う表情の石山に、

「不知火、円城寺以外の部員は全員高校から卓球を始めました。私も含めて、真面目に運動部に所属していた者がおらず、合同練習などで一面を知るだけ。公立と私立の強豪、その違いもよくわかっていません」

 沙紀は真面目な表情で語りかける。

「……ふーん」

「それを知らないと、話にならないと思いました」

 ど真ん中真っ直ぐ。腹芸なし。

 それに、

「部長ちゃん、あんたもあの二人と同じで初心者なの?」

 石山は質問で返す。

「はい。ただ、昔から祖父たちと遊び程度には触っていましたが」

「道理で……じゃ、質問に答えましょうか」

 思っていた以上に素人。ただ、それは決して悪い話ではない。無知は罪ではないのだ。知っていて、それでも見えないふりをするよりよほどいい。

 知ろうとする姿勢も嫌いじゃない。

「お願いします」

 石山はビールを横に置き、お冷を一気に飲み干す。

 これで薄めました、と言わんばかりに。

「選手層とかは今更語る意味ないわね。いい学校にはいい選手が集まる。いい選手が集まれば、普段の練習の強度、質も上がる」

「其処は理解しています」

「実戦機会も桁違い。強豪にとっては部内戦がその辺の大会よりも重要だし、レギュラーに届かなかった優秀な選手はごまんといる。そいつら全部ぶっ殺して、レギュラーを勝ち取った者には遠征などでさらに経験値を積む機会が与えられる。週末は何処かへ出かけるか、敵を迎え撃つか、もしくは大会参加か、そんな感じ」

「はい」

「ここまでは想像出来るでしょ。で、大事なのはここから。私の古巣だと、今はどうなっているか知らないけれど、部がメーカーと契約してレギュラー、控えも含めた一軍ね。彼女たちにはギア、卓球用具が全て支給される」

「し、支給、ですか?」

「そう。支給。私は一応、当時のエースだったから特別扱いで一週間に一回くらいラバー張り替えていたかな。試合の時は都度新調。他のレギュラークラスも長くてひと月、大体二週間三週間ってとこかねえ」

「……」

「メーカー縛りはうっとおしかったけどね。でも、そのおかげで高校から家族に金銭的な負担はかけずに済んだ。これは本当に大きい。卓球って繊細な競技でしょ? その日の湿度や気温でも微妙に感覚が変わる。なのに、劣化したラバーを使うのは舐めプ以外の何物でもない。ラバーの劣化を腕で、才能でカバーする。もちろんそれもいいでしょ。でもね、ほとんどの人間は凡人なの。残念ながら」

 石山は自分の発言に、苦虫を噛み潰したような表情となる。

 それは何処か、青森田中の青柳を彷彿とさせるものであった。

「環境が人を創る。中学時代、無冠だった私が高校で栄冠を掴み実業団に入れたのは、青森田中と言う環境に身を置いたから。それは嘘偽りのない真実よ」

 石山百合にとって辛く、苦しい選択。小中と慣れ親しんだ故郷を、加賀や乾などの子分どもを置き去りにして、選んだ道。

 その結果が、

(……今、と思うと憂鬱ねえ)

 現状を想い、しゅんとしてしまう石山。

「あとは寮生活だし食事も管理されている。私の時はまだなかったけど、今はプロテインや各種サプリもコーチの判断で摂取できる、らしい」

 その恩恵に授かり、急成長を遂げた最高の実例が姫路美姫であろう。まあ、その後コントロールし切れていないのは本人が悪い。

 身体づくり、全てのアスリートにとっての基本である。

「遠征費だって学校負担。大会もね、国際大会とかになると結構持ち出しもかかるんだけど、それも当然負担してもらえる。とにかく金、一般生徒から毟り取った金を湯水のように投資されて、強豪校の選手ってのは成り立つ」

「……」

「ゆえに責任も大きい。勝って当たり前、そのプレッシャーを知ってる? 地区での敗退なんて絶対ありえない。私の時代なら、全国ですら敗北は許されなかった。全国の決勝とか、胃薬飲んで出場したもんよ」

 全てが違う。強豪校の選手というモノは、特別扱いが大きければ大きいほどに普通の学生像からはかけ離れていく。

 勝つために集められ、育成された集団。

 投資に見合った結果が、成果が求められるのだ。

 金金金、綺麗ごとじゃない。私立高校とは営利企業である。そして選手たちは営利企業の看板であり、戦い、勝ち、知名度を上げ、金を引っ張って来る兵士である。

 遊びではない。

 思い出作りでもない。

 健闘した。よくやった。そんな甘えたことを言える環境ではないのだ。

「理解した?」

「……はい」

「あと、もう一つ挙げるなら、公立校は私に声をかけたように、外部コーチに頼るか、顧問ガチャを当てる必要がある。先生の世界はよく知らないけど、公立校である限り配属の関係で未経験の先生が顧問になる可能性はあるし、外部コーチが捕まらないなら、生徒の自主性ってやつでやりくりしないといけない」

「そう、ですね」

「私立の強豪は監督、コーチも雇われ。その道のプロフェッショナル。指導者も環境形成には大きな影響を与えるからねえ。結果を出さないと容赦なくクビ。これが悪い方に出ることもあるけど、それでも必死さが違う。指導者も、生徒も」

 上から下まで勝つための集団。

 それが強豪校を形成する。

「まあ、そうは言ってもおたくの不知火湊君だっけ。彼みたいに独力でスポンサー引っ張って、みたいなパターンもあるけど。それが許されるのは本当の天才だけ、結果を出し続けなければ……ご存じの通り神童も地に墜ち、ただの人ってね」

 結局のところ、

「要するに……お金、ですか」

「そう、その通り。それが最大の違い。これぞ資本主義ってこと」

 金。全てが其処に帰結する。

「お話、ありがとうございます」

「いいえー。ごちそうしてもらったし、こんな話でよければいつでも。もちろん、対価は頂くけどね。うーん、少しぬるくてもこれはこれでウマい!」

 公立にそれを望むのは不可能。実際に授業料無償化により、多くの公立校が窮地に立たされている。母体次第だが設備などにガンガン投資できる私立と違い、公立のそれはさすが公の機関、牛歩の如き歩みである。

 最近では定員割れする高校も多くなってきた。

 ひと昔前は生徒たちが頑張って受験して入った高校が、である。

「また会いに来ます」

「へえ、さすがお嬢様。ニートにランチをおごるのも楽勝って感じ?」

「ええ。私、お嬢なんですよ。ではまた」

「……?」

 一礼し、立ち上がった沙紀の表情を見て、石山は怪訝な顔をする。今の話を聞いたにしては、妙に前向きと言うか、やる気と言うか――

(どうしたって、公立じゃどうしようもないことだと思うんだけど)

 そのギャップに、理解苦しむ。

「あ、一つだけ反論してもいいですか?」

「……どうぞ」

「不知火湊、あいつはまだ天才だと思いますよ」

 それだけ言って神崎沙紀はしっかりと会計を済ませ、帰っていく。カード払い、JKのくせに生意気な、とおごられた立場なのに悪態をつく。

 駄目な大人である。

 とりあえず石山は自分の財布を眺め、

「生中一杯だけおかわり」

 さらに一杯追加した。

 本当に駄目な大人である。


     〇


「あ、あの、母さん」

「なに、花音」

「その、部活のことで相談が」

「また合宿でもあるの?」

「いや、そうじゃなくて、その、ラバーが駄目になったから、新しい奴が必要で」

「え? この前買わなかった? ラバーってあのゴムみたいなやつでしょ」

 この前、母の感覚では三か月前がそうなる。

 それも当然であろうが。

「う、うん。実はあれ、結構消耗品なんだ」

「へえ、知らなかった。なかなかお金のかかるスポーツなのね、卓球って。別にいいわよ。夕飯終わったらお金渡すから好きなの買って来なさい」

「ありがとう、母さん」

「気にしない気にしない」

 花音は母に感謝して部屋に戻る。父も母も、養子である自分と弟たちを分け隔てなく育ててくれている。感謝してもし足りないほどに。

 だけど、自分の中で負い目が無いかと言われたなら、それはある。部活にかかるお金。父も母も喜んで出してくれている。

 けれど、別にこの家は裕福じゃない。自分や弟たちを抱えて、二馬力で働き何とか育ててくれている、そういう状況なのだ。

「やっぱ、高けぇよな。一枚四、五千、これを両面だと一万円。それをひと月って、さすがに言えねえよ。あたしには、無理だ」

 やっと楽しいと思える競技に出会った。全力で戦っても文句の言われない、白い目で見られない世界に辿り着いた。

 だと言うのに――


     〇


「不知火、あとカメラ男」

「菊池です」

「どうしたんですか神崎部長」

「ちょっとツラ貸しなさい。作戦会議するから」

「「……?」」

 明菱でもトップクラスの美人である沙紀に声をかけられ、あまつさえも一緒に歩いて行った。それに対する男子たちの視線は氷の如く冷たい。

 誰よりも、

「もう、あいつらは友達じゃねえ。そう思うだろ、髭パイセン」

「……ぐぅ」

 友人であるはずの草加が反旗を翻していた。

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