第72話:石山百合
「……」
石山百合は顔をしかめながら練習を見つめていた。小春と花音辺りは気にも留めていないが、沙紀や秋良はあれがどういう意図の顔つきなのかは気になってしまう。
先ほどのやり取りで気分を害したのか、それとも――
「そこのカメラ小僧」
「ふえ!?」
「卓球部の関係者?」
「へ、へえ。写真とSNSなどを駆使して盛り上げようとですね。決して怪しい者では。皆さんにも許可は頂いているの――」
慌てふためく菊池修平。彼はあらゆる撮影技法の中で盗撮を得意とする男である。盗撮の妙味とは気配を遮断し、相手から気取られぬこと。
だから、撮影モードの時は気取られるはずがないと思っていたのだが。
「ここの顧問、卓球経験者なの?」
「え、いや、武道系です。確か」
「じゃあ、コーチいるでしょ」
鋭い目、それに菊池は怖気を抱く。こういう感覚は久方ぶり。あの夏合宿、それに秋の選手権の県予選にも何人かいた。
だが、ここまで深く、濃いのは――
「し、不知火湊って、やつなんですけど」
「あー、佐伯親子かぁ。道理で、素人臭いと思った」
「へ?」
「別に悪い意味じゃないから安心して」
何を見ているのか、何が見えているのか、菊池にはわからない。ただ、被写体の一瞬を切り取る集中力に、少しだけ重なる気がした。
「なるほど。わかった」
そう言ってスマホを弄り始める石山。見ているのは何たら掲示板のまとめサイトである。基本ゴシップばかりで、卓球関連には微塵も関係がない。
見ての通り暇つぶしであった。
○
「……あの、一旦休憩に入るんですけど」
「ふーん」
沙紀に声をかけられてもまとめサイトの巡回をやめない石山の態度に、少しだけ沙紀もやきもきしてしまう。別に彼女から教えてもらいたいとは思わないが、今の自分たちがどう映ったのかは聞きたいと思ったのだ。
だから、
「思い出作りに、見えましたか?」
沙紀はそうこぼしてしまった。
「そうねえ。まあまあ良かったんじゃない? その辺の公立にしては」
石山の反応は薄い。それに沙紀はカチンとくる。
自分は良い。でも、秋良は夏合宿を経て一気に伸び、全国の舞台へ立つ切符も得た。小春も花音も、誰がどう見たって才能がある。
それなのに――
「なに、怒った?」
「理由がわからないからです。私はともかく、あの三人は将来性があると思います。本気で、本気でやっているつもりです」
「どこも本気でしょ、私立は。その私立にもランクはある。で、この地区にはトップティアの龍星館がいます。以上、話は終わり」
「あの子たちがいれば――」
「龍星館に勝てる? 笑えるわね」
石山がようやくスマホから顔を上げた。
「じゃあ、私の所感を教えてあげる。佐久間妹、ようやく卓球が噛み合ったのかかなりいい選手になった。元々上手な子だし、これからに期待って感じ」
「あ、ありがとうございます」
ただの一度だって上のカテゴリーに出たこともないのに、自分のことを知っている事実に秋良は驚く。それが当然、と言わんばかりの声色にも。
「で、あなた部長さん?」
「は、はい」
「下手だけど悪くない。一つ一つのプレーにインテリジェンスがあって、思考の瞬発力も高い。高偏差値の学校にいる頭で卓球が出来るタイプ。それ武器だから大事にしなさい。ブロックマンにこだわる理由は知らないけど、悪くない選択じゃない。トップは狙えないけど、変わり種でも全日本で戦うことはできるしね」
「ど、どうも」
まさか自分が褒められるとは思わなった沙紀は口ごもってしまう。実は態度が悪いだけで、根は良い人なのでは、そう思った。
「其処の凸凹コンビ、論外」
「……え?」
でも、
「反射神経だけ、フィジカルが強いだけ、卓球のレベルが低すぎる。卓球への理解が低すぎる。お話にならないって感じ?」
まさかの二人がボロクソに言われ、誰もが言葉を失う。
秋良も、沙紀も、何も言えない。
「じゃあ、おばさんは小春より強いの?」
「お姉さんな、クソガキ」
「おばさん」
「……はぁ、やんなるねぇ。最近のガキはどいつもこいつも……礼儀がなってない」
石山は沙紀に目をやり、
「そのラケット貸して」
「え、あ、はい」
「ありがとさん」
ラケットを借りる。それは、
「躾たげる。感謝しなさいな。私の卓球、安くないからねぇ」
石山百合が小春の売った喧嘩を買った、ということ。
「小春からやる」
「大丈夫か、強そうだぞ」
「小春の方が強い」
自信満々の小春。それに対し石山も余裕綽々と言った表情。そもそも他人のラケットを借りてプレーする、というのが本来難しい。
ラケットの材質はもちろん、同じラバーでも厚みが違えば、重さが違えば、ほんの少しでも狂いが出るのが卓球である。
だから、石山百合は不利なはず。
どう考えても――
○
「嘘、でしょ」
あの姫路美姫ともやり合った、負けじと食い下がった香月小春が、ほとんど何もさせてもらえないまま完封されかけていた。
「なん、で」
「何でもかんでもねえよ! 卓球は点数が全てだ!」
「わふゥ!」
傍目にもわかる、やり辛さ。姫路の時のような速度を出させてもらえていない。卓球が噛み合わない。否、噛み合わせてもらえない。
石山百合の卓球が香月小春の卓球の良さを消す。ループ系を多用し、遅延行為のようなロビングも使う。短いやり取りも無理やり速さを落とし、不利を背負ってでも小春のやりたい卓球から遠ざかっていく。
「遠間じゃ何も出来んのな。クソガキィ!」
天津風貴翔を彷彿とさせるような、あの圧倒的な凄味は微塵も見えない。撮影しようとしていた菊池はとっくの昔に、カメラを下ろしている。
「はい、オ・ワ・リ・デス」
「……」
小春は悔しげに震えながら、唇をかみしめる。何も出来なかった。秋に対戦した有栖川聖との戦いに近い感覚だが、それ以上に手も足も出ない。
点数が全て、スコアが全て。
それでも小春にはわからない。肌感覚では、負けないと思えたのに。明らかに勝てると思った有栖川聖より、さらに一枚落ちる感覚。
でも結果は――
「次、デカブツ」
「……っす」
「あン? ビビってんの? 意外と小心者? ま、闘争心があったらその体格で卓球はないか。今からでもバスケバレーに転向したら? そっちの方が稼げるわよ」
「……自分は、卓球で勝ちたいんで」
「あっそ。でもね――」
石山百合と紅子谷花音の試合が始まる。小春とやる前の期待感は嘘のようにしぼみ、やる前から結果が見え透いてしまう。
いや、
「――あんたらにはそれが見えない。だから、思い出作りっつってんのよ」
それ以上に、石山が圧倒する。
強いとか、弱いとかじゃない。小春の時はお互いの卓球、その相性が悪いだけだと思っていた。しかし、花音との試合で全員嫌でも理解してしまう。
「台上が苦手。ロングサーブ多用してんのは、自分台上下手糞ですって、やりたくありませんって、自白しているようなもん!」
「さっきと、全然、卓球が違う!」
「出来るけどやらない、と出来ないからやらない、はね」
ロビング、天高く舞い上がりきっちり回転を加えたそれは、どう跳ねるのか簡単には予測できない。思い切り打ち込めたなら絶好球、それでも――
「ぐっ」
花音は着地で判断する。だから、体が泳ぎながら打ってしまう。
そうなると、彼女の力が最大限発揮できず、
「天地の差がある!」
其処をカウンターで沈められる。
「あと、メンタルも雑魚。大きいのは体だけってねぇ」
「……」
卓球の引き出しが広過ぎる。湊も広かったが、使い方が全然違うのだ。湊は相手の良さと自分の卓球をぶつけ、より良い試合を形成する。
だが、石山百合は相手の良さを、引き出しで消す。
「強みがあるのは良いけど、それに特化するのは十年早い。最低限、どんなプレーもそれなりのクオリティで出せてこそ、強みってのは活きるの。妥協の特化はね、すぐ透ける。で、このように簡単に転がせるわけ」
証明終了、とばかりに敗れた二人を見下ろし、石山は沙紀にラケットを返す。ラケットの違いが誤差、それぐらい楽勝で勝てると判断したのだろう。
練習を少し見ただけで。
「きょ、今日は、香月たちも少し調子が悪くて。青森田中とやった時は――」
「もう少し善戦できた?」
抗弁しようとした沙紀の、
「あ、そ、そうです。香月なんてあの姫路美姫とも」
先回りをする。
「……姫路ね。どの姫路と当たったのか知らないけど、あの女クソプライド高いからね。私みたいな戦い方を、格下相手には絶対しない。相手の良さを引き出して、受けて立つ。その上で勝つ。だから、いい試合に見える」
「……」
「でも、それって本当にいい試合? ただ舐められてんのよ、それ」
香月小春の良さが一番よく出た試合は、間違いなく姫路美姫との一戦であろう。あの試合で彼女は化けた。強さを得た。
だけど、その削ぎ落とした中には、使わずとも備えておくべきものもあったのだ。それが今の一戦で透けた。
「ってか、今の青森田中なんて男子は愛知に、女子はこっちに引っ張られて、往年の強さはないでしょ。特に女子は悲惨。エースの姫路は安定感ないし、青柳の代は青柳以外雑魚。その青柳だって学生止まりでしょ、あれ」
そもそもが、
「古巣だから応援はしてるけどねえ。ま、諸行無常、盛者必衰、そういう時期ってこと。それでも総体取った一個上は青柳クラスがあと二人いた。其処に青柳と、姫路がいて、辛勝。それが今の龍星館なんだけど、理解してる?」
視点の高さが違う。
「あと、特にデカブツ、あんたのラバーひどすぎ。そんなもん消耗品なんだからひと月も使い回すな。部長ちゃんと佐久間妹は比較的マシだけど、その辺の意識も低い。あ、お金が、とかレベル低いこと言わないでね。私、ギアの値段とか知らないから。わかる? 上の連中ってそんなのばっか。誰かにギアを用意させるのも選手の甲斐性だし、その程度できない奴らがね」
石山百合は吐き捨てるように、
「人生卓球に捧げている連中に勝つとか、冗談でも言うな。反吐が出る」
言い切った。
「あんたらと思い出作りするほどね、私は落ちていない」
そう言って石山百合は体育館を後にする。残された彼女たちは言葉一つ発することが出来なかった。夏合宿で、秋で感じた手応えがするりと抜けた気がした。
強い言葉だが、何一つ間違いはない。
何よりも結果で黙らされた。
「石山百合選手、元サンソー所属、実業団の名門だよ。当然一部だ。今ほど強くなかった龍星館ジュニアから青森田中へ、そのまま直でサンソーに就職。代表には縁がなかったけど、候補には何度か名を連ねている」
彼女の全盛期に卓球をやっていたのはギリギリ秋良が入るかどうか、二十代後半からは怪我や不調に悩まされ、なかなか知る機会はなかった。
それでもTリーグのなかった時代、実業団というのは頂点であり、セミプロとは言えそれで飯を食うものが集う場所であった。
「きっついなぁ」
現実を叩きつけられ、沙紀は髪を掻き毟る。どこか、甘えがあったのは事実。もしかしたら、そう考えていた甘さを見透かされた。
それが彼女の逆鱗に触れたのだ。
「小春、あの人嫌い」
「でも、正論だぜ。何も言い返せねえよ」
「だから、嫌い」
花音は何も言わずに小春の頭をなでる。だが、その心中はある意味小春よりも揺らいでいた。ラバーのこと、あっさりと見抜かれてしまった。
あと少し、もう少し、少しでも長く使おうとしていた。
家庭の事情もあるから――でも、その言い訳も先回りで潰されてしまった。
「どうするんですか、部長」
「……私はさ――」
沙紀は顔を歪めながら、口を開いた。
○
「加賀ァ、私をなめてんのか、おお!?」
スマホ片手にキレ散らかす石山百合。傍目にはヤバい人である。まあ格好からしてヤバさしか感じないのだが。
「ハァ? 見込みだァ? ねえよ、あるわけねえだろ。一ミリもねえ。金は普通に働いて返す。職? 多分何とかなる。つーわけで切るぞ。二度とくだらない用事を押し付けんな。私は卓球を趣味でする気はないから。じゃあな」
ふん、と鼻を鳴らして石山はスマホを切る。
そして、駅から自転車をこぎだす。家に放置されていた中学時代の、チェーンがバキバキに錆びていたママチャリである。
潤滑油を使っても、異音を周りに振りまく。
だが、石山は気にしない。
だってニートだもの。
(佐伯親子、ね。道理で練習が個人レッスンっぽいわけだ。もちろん悪くないけど、練習のための練習も大学経由なら必要でしょ。即プロは、ない。龍星館がいる限り、この地区で実績を積むのは下手な全国大会よりもきついし)
大体どこも一強の強豪校がいる場合は、其処の学生同士の潰し合い、みたいな構図になりがちである。ここもそう。龍星館のレギュラーともなれば誰も彼も強豪校のエース以上、女子卓球界のブランドであるのだからそれも当然。
(だから、あれじゃ足りない。埋めなきゃいけない部分が多過ぎる。ただまあ、埋められたら……あの凸凹は、上でも通用する。青森田中とやったならおばあもいたはず。なら、なんで引き抜かない? この地区で、あの環境じゃ無理だろ)
不要な、考えるべきでない思考が回る。
(……あの二人の進路を考えたら、そうするのが一番なはず。それともまだあるのかねえ。私が見ていないものが)
石山は首を振り、
「やめやめ。とりま秋○いこ。じゅんけいをビールで流し込むぞー」
思考を酒で塗りつぶした。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます