第66話:おべんきょう
「それで、神崎部長はよくなりそうですか?」
黒峰先生が僕に問いかける。先生はよく、こうして他の皆から離れている時などのタイミングでさりげなく話を振って来る。きっと他の皆に対してもそうなのだろう。こう見えて存外気遣いの人なのだと最近わかってきた、たぶん。
ちなみに皆は全員で試合を回している最中。
「……わかりません」
なので僕は正直に答える。
「勝算がないまま戦型の変更を勧めたのですか?」
「勝算がないわけじゃないですよ。でも、戦型の変更って簡単じゃないですし、何よりも主流の型から外れるのってただそれだけでリスクなんです」
今までの部長は元世界王者韓信選手の戦型を不完全に模倣していた。前中後、全てを網羅した卓球マスターであり、世界中の卓球人にとって尊敬と畏怖を集める存在の卓球はまさに完璧と呼ぶにふさわしく、隙が無い。
ただ、部長は後ろで戦うためにフィジカルがないため、あくまで前と中、主に中陣で戦うドライブマンと言う卓球界の王道中の王道で戦っていた。
大会に出ればわかるが、大体の選手がこのドライブマンに該当する。ペンホルダーやカットマン、漫画ではハンドソウなども現れるが、まあほぼいない。
アマチュアなら稀にマイナー好きが使うこともあるが、上のステージへ行くにつれ、それらの姿は劇的に減っていく。
単純に強いし、勝てる。だから皆それを使う。
「……それでも勧めた、と」
「部長自信が変化を求めていた部分もあるんですけど、何となく、その、イメージに合うな、と思ったので」
「ほう。イメージですか。興味深いですね」
「あ、いや、そんなに期待のまなざしを向けられても……」
玄人っぽい意見を求められている気がして、腰が引けてしまいそうだ。ただでさえこの先生の眼光は鋭いと言うのに――
「是非、ご教示いただきたい」
「……う、そ、その……部長って、頭いいじゃないですか」
「ええ。学年一位を譲ったことがないくらいには」
「……です」
「……?」
「それが、理由、ですぅ」
黒峰先生があんぐりと口を開けている光景はなかなかお目にかかれるものじゃない。どうやら想像以上に浅い理由だと思ったらしい。
僕もそう思う。
「け、結構大事なんですよ、頭の良さって」
偉大なる卓球の先達である者が残した言葉「卓球は100m走をしながらチェスをするようなスポーツ」は有名であるが、実際のところ其処まで理詰めでプレーしている者はそれほど多くはない、と思う。
少なくとも僕はかなり経験則とヤマ勘、あとはセンスでカバーしている部分が大きく、理詰めで考えたとしてもサーブ前に読みの段取りを整えておくくらいか。
打ち合いが始まれば、あとは反応反射、気合の世界なのだ、僕の場合は。
でも――
「僕の場合、と言うか結構多いのが相手の回転方向をざっくりと見て、あとは感覚で。回転力とかは切り方を見て、これまたざっくりとって感じです。なのでセット数を重ねるごとに僕は相手に適応して、精度が上がります」
全員がそうとは限らない。
「人によっては全部何となくって人もいますし、その辺は千差万別です。で、部長はその辺かなり頭を使っているんじゃないか、と僕は見ています」
「ほう」
「佐村先輩と一番練習していたことも関わりがあると思うんですが、セットの最初からかなりレシーブの精度が高い、ような気がしてます。と言うか三人の中では一番レシーブが上手いんですよ、純粋に」
今も円城寺のサーブをしっかりと良いコースへ返していた。まあ、円城寺自体色んなサーブを使い分けるタイプではないし、あとの二人はもっと手札が少ないのでレシーブの技量に関しては試合中見ることは難しいのだが、それはまあ多球練習で僕が嫌と言うほど色んなサーブをぶつけているので、間違ってはいないと思う。
「感覚が磨かれるほど経験値は多くない。それなのに経験豊富な円城寺に次いであれだけやれるのは、頭の良さが関係しているような、気が、する。たぶん」
「……教える時は自信満々で伝えてくださいね」
「りょ、了解です」
ひめちゃんから聞いたけど、青柳さんも頭がいいらしい。スポ推のクラスなので全体での成績は不透明だが、スポ推の中ではトップなのだとか。
ブロックマンはチキータやドライブのような回転を上書きする技を多用しない。だからこそ誤魔化しの効かない戦型だと思う。
相手の回転方向、回転量、もちろんコースも含め、打ち返す前に処理すべき項目は多い。頭じゃ追いつかないから、僕らは経験則なども含めた感覚で捌く。
でも、もし、打った面を見て、切った具合を見て、其処から考えて間に合うとすれば、それは大きな武器となる。
何となくと思考の差は再現性、最終的にミスが少なくなるのは後者であり、卓球は相手よりミスをしなかった方が勝つゲームでもある。
それらコミコミで、やれる気はするんだけど、断言はできない。
「こういう時、勉強不足を痛感します」
「頼みますよ、コーチ」
「へえ、頑張りやす」
自分がやらねばいけないのだ。適当に答えるわけにはいかない。部長は二年生、夏も終わりの今から考えたら高校の部活は残り一年を切っている。
遠回りはさせられない。させたくない。
そのためにはもう、僕が勉強するしかないのだ。
苦手だけど、やるしかない。
〇
「と言うわけで那由多、またおすすめの試合を教えてくれ」
「……」
夜、不知火湊は遅くまで部活を頑張っていたであろう幼馴染の帰還と同時に声をかけた。卓球の話題なら乗って来る。そして卓球のことなら卓球大好き星宮那由多に聞けばいい。湊の知る限り、かなりの勉強家であるから。
総体後から、実はちょくちょくこうして彼女から色々と教わっていたのだ。湊は一度やめるまでは実戦実戦実戦、と言うタイプであり、相手の分析などは父の方針でまだ早い、そういうレベルのステージではないと言われやって来なかった。
そのおかげで経験則に関しては同世代でも分厚く大したものだが、椅子に座って勉強する習慣はなかったのだ。
今までは。
「湊は私を便利な卓球マシーンだと考えている」
「ご冗談を。大事な幼馴染でやんすよ」
湊、しっかりと浅ましい部分を見透かされ内心焦る。
「ひめちゃんと付き合った話も、ひめちゃんから聞かされた」
「それは何度も言っているだろう。付き合った瞬間、ひめちゃんは那由多と美里に連絡を入れたんだから、僕が間に合うわけがないって」
「ひめちゃんにそれをする理由がない」
「あるよ。外堀埋めようとしたんだ。あとマウント」
「ひめちゃんはそんなことしない」
「するってば」
度重なる連絡爆撃や神崎沙紀による取説のおかげで言語化され、湊の中で姫路美姫がしっかりと具現化された。
結果、哀しいかなあのぽわぽわした雰囲気は擬態と知る。
メルヘンで独占欲が強く、その上で愛が極めて重い。
それが姫路美姫なのだ。
「こ、今度久しぶりに卓球行こう」
「そう言っておけば私が釣れると思っている。私はそんなに安い女じゃない。それに人様の彼氏を卓球場になんて……連れていけないから」
「へ? 卓球するだけだしいいでしょ」
「よくない。一緒に卓球するって、それはもうデート」
「……ただの遊びだろ」
卓球に対する愛が重すぎて、価値観がバグっている様子。しかしこのまま拗ねられても困る。自分の今後のお勉強にも差し障るから。
ゆえに――
「美里もセットなら、どうだ? もちろんひめちゃんにも了承は得る」
ご機嫌取りにおける最終手段を取る。
「……」
「今は無理だけど、いつかはひめちゃんも呼んで、前みたいに四人で仲良く卓球をする、どうだ? ワクワクしてこないか?」
「……むふ」
効果てきめん。ちょろいぜ、と湊は微笑む。この男、勉強したいがためにすっかり忘れているが、姫路と鶴来の組み合わせの方がよほどヤバいのだが――
「さらにうちの部員たちもセットだ!」
「それは要らない」
「あ、そう。結構やるようになったよ、みんな」
「要らない」
「……そう」
しゅんとする湊。あわよくば美里と那由多とも存分に戦わせて、経験を積ませるチャンスだと考えた、その浅ましさを見抜かれてしまう。
「仕方ない。黙っていたことは許す」
「さすが那由多様、太っ腹だ!」
「むふ」
内心、小躍りする悪徳幼馴染、湊。いつか罰が当たるかもしれない。
「青柳さんなら、私も参考にしているから動画は沢山ある」
「へえ、那由多が。対策って言うほど負けてたっけ?」
「青柳さん対策のためじゃない」
「ん?」
「青柳さんは聖の苦手な選手だから」
「あ、なるほど……そっちか」
女王有栖川聖、千変万化のサーブを操り相手を翻弄する魔女である。女王ゆえに国内では敵無し、ではあるのだが、当たり前だが無敗と言うわけでもない。
負ける時は負ける。天津風貴翔でさえ、噛み合わない日はあるのだ。
それが調子のせいか、相性のせいかは、対戦を重ねねばわからないのだが。
有栖川聖キラー、と言うほど勝ちまくっているわけではないが、何度かそれなりの大会で青柳が勝つこともあったことで、そう言う印象は無きにしも非ず。
「あと、男子だけど松山さん、張元さん、国外だとサムソン選手、とかブロックが上手い。とても参考になると思う」
「あざます」
「……自分で調べてね。青柳さんの動画は貸すけど」
「そんなぁ」
「調べたらすぐ出る。全員有名選手なんだから」
「ケチィ」
「そろそろ湊も独り立ちすべき」
「……はいはい、わかりましたよ」
「今後も継続してアドバイスはしてあげる。幼馴染のよしみで」
「感謝感激雨あられでごんす」
「むふふ」
とりあえず那由多秘蔵の青柳さんの試合を入手し、ついでに参考になる選手たちの名も聞けたので、検索して試合を見てみる。
「はい、試合の動画」
「せんきゅー。じゃ、今から見ますわ」
「うん」
不知火、星宮家を繋ぐ架け橋、と言うほど立派でも何でもない玩具のマジックハンドで動画データの入ったUSBを授受する。
昔からもののやり取りはこうしてきたのだ。
「頑張って」
「別に試合見るだけだし、頑張るも何もないよ」
「うん。でも、頑張って」
「……よくわからんけど了解」
「あと、卓球の件、忘れたら許さないから」
「うす」
上手く煙に巻けるかな、と思ったがさすがにそこまで甘くない模様。
「おやすみ」
「おう、おやすみ」
まあ気にせず湊はさっさとPCを起動し動画を見る。
青柳循子の試合を、その独特な戦い方を――
「……」
湊は集中して見つめていた。下手すると自分の試合以上に。一挙手一投足を見逃すまいと、其処から何かを得ようと必死で、目を皿のように見開く。
あの総体の敗戦、あそこから湊の姿勢もまた変わっていた。今までずっと一人で、勝ちも負けも自分だけのものであったが、今は違う。
勝たせてあげられなかった、大したことが出来なかった、その想いを今も引きずっている。だから、本気で勉強していたのだ。
今日だけではない。あの日から、ずっと――それはPC上の履歴を見れば一目瞭然。以前は人の試合をほとんど見なかった男が、今は山のように人の試合を見て、其処から何かをくみ取ろうと必死で足掻いていた。
それもまた積み重ね。人のためを想ってやっていることだが、それが回り回って湊自身の卓球を深めることにも繋がっていた。
本人にその自覚はないが――
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