第65話:もうすぐ夏も終わり
色々あった夏合宿。それぞれの成長と課題を胸に一日オフを挟み、すぐさま部活が再開する。部活への情熱はすでに強豪校に近い、のかもしれない。
一日で何も変わりはしないが、やはり地獄の合宿を経て成長した姿で学校に戻ると感慨深いものがあった。
そう、
「……たすけ、たすけ、たすけ」
壊れた不知火湊君以外は。
「あちゃー」
一人体育館の隅っこでスマホとにらめっこしながら、間断なく来る彼女からのメールを逐一返し続ける。もはやその様は修行にも似ていた。
「沙紀さん、あれじゃ練習にならねえよ」
「ったく、仕方ないわね。私も教わりたいことあるし、ここは一肌脱いであげますか。亀の甲より年の功、お見せしましょ」
「たった一年の差っすけどね」
「その一年が私たちの世代では大きいのよっと」
心配そうな花音を他所に、卓球部の部長として幽鬼と化した後輩に救いの手を差し出してやろう、と慈悲の心を持った沙紀が湊に近づく。
「ちょい貸しなさい」
「あっ、駄目。少しでも返信が滞ったら――」
「部活に支障を来すので、部活中のやり取りはご遠慮ください、と。卓球部部長、神崎沙紀。ほい送信。ってかあっちも部活じゃないの?」
「一週間の謹慎らしいです」
「それに付き合ってたら身が持たんでしょうに」
「……そうですね。限界だったかもしれません」
声に覇気が皆無な湊を見て、沙紀はため息をつく。
「これからめちゃモテ美人で秀才の神崎沙紀様が攻略法を教えてあげるから、ありがたーく拝聴なさい」
「へえ」
「まず、一日のやり取りを制限すること。チャット形式なら何往復か、通話なら何分か、とにかく互いが納得できるルールを構築する。成立したてのカップルは頭が馬鹿になってんだから、其処は冷静にルールで縛るの。いい?」
「でも、たぶん、ひめちゃんは納得しない、ような」
「今、私が部活を盾にした途端、返信が遅くなったでしょ」
「……あ」
「姫路美姫って中等部から青森田中でしょ?」
「だと思うます」
「なら、あっちの常識として部活は超厳しいもの。授業以外の大半が部活ってのは当たり前の世界。其処を上手く活用すんのよ。頭使いなさいな」
「あうあう」
「盛れ。部活の時間を。その上で一日のルールを決める。そうすりゃ多少今より負担は減るでしょ。何なら私がルール組んでやろうか?」
「あざます」
白目を剥いた湊。おそらく脳みそは溶けて使い物にならない。
「ったく、このあほちんが」
明菱随一(自称進)の頭脳をフル回転させ、姫路美姫がギリギリ許容できるラインを探る。そして、敵とするのはもちろん厳しい先輩であり、部活では絶対的な存在である部長たる自分と、今は不在の顧問である黒峰の二人。
二人に厳しく言われたから、本当はたくさん話したいけれど制限する必要がある。悪いのは二人、ヘイトを湊ではないところへ向ける。
それで――
『ごめんなさい、湊君に迷惑をかけてしまって。わかりました。我慢しますね。いつか、部活を引退したら、存分に、その、イチャイチャしましょうね』
『もちろん。僕はひめちゃんラブだから』
『湊君!』
完璧な返信である。引退後のことは沙紀にとってどうでもいい。
特大の地雷を未来へ残しつつ、今の沈静化を図る。これが明菱随一の頭脳、自称進の星と呼ばれた女の力である。
「はい、調整しといたから。あとでサルでもわかる姫路美姫の取説ノート作ってあげる。這いつくばって感謝なさい」
「ははぁ。ありがたやぁ、ありがたやぁ」
目に涙を浮かべ、沙紀に感謝を示す湊。たった二日間で相当追い詰められていたのだろう。先々が心配である。
「……お前ら、あのアホの何処が良いんだ?」
「あの豚、コーチの負担になりやがって……いつか殺す」
「まったく、メンヘラってのは怖いね。私ならもっと彼に寄り添った形でやり取りすると言うのに……やはり、打倒せねばならない、か」
「……アホしかいねえのかよ、あたしらの代は」
そんなこんなでようやく練習できる環境が整った。
湊が正気を取り戻すまではアップで心拍数の向上、体を温めて、と言っても夏なので黙っていても暑いのだが、とりあえず体を動かしておく。
そしてしばらくすると――
「はっ! 僕は、いったい、ここは、何処?」
湊がプリンセスワールドから帰還を果たす。
「はいはい、コーチお着替えしましょうねー」
「お着替え?」
「眼鏡捨ててー、コンタクトを付けてー、はい出来上がり」
あんよが上手、とばかりに眼鏡からコンタクトへ切り替えられる湊。小春の手際が手慣れ過ぎているのだが、これは一体どういうことなのであろうか。
永遠の謎である。
「……よくわからんが、早速練習やるぞ!」
「もうやってんだよ、アホ」
鬼コーチ、不知火湊帰還。
〇
いつもの多球練習、と並行して黒峰式サーキットトレーニングを行う。みんな大好きバーピーからのダッシュ、ジャンピングスクワット、反復横跳び、プッシュアップ、も一度ダッシュして仕上げのパーシャルスクワット。
でレスト入れてまたバーピーから――
たったこれだけで脂肪燃焼間違いなし。
「あたしとよ、小春じゃ自体重が違い過ぎて不公平だろ!」
「小春よくわかんなーい」
「早く多球練習の順番が回ってきて欲しいものだね」
何のかんのと言いつつさすがに夏合宿を乗り越えただけあり、夏休み前半とは比較にならないほどの基礎体力がついた明菱卓球部一同。
愚痴をこぼしつつきっちりこなす。
それを尻目に、
「あのさ」
「何だ? まだまだひゃくまんさんは甦るぞ」
「いや、それは良いんだけど……今日、私に借り出来たよね」
「記憶にない。さっさと続けるぞ」
「じゃあ、姫路美姫取説ノート要らない?」
「……話を聞こう」
神崎沙紀の交渉術が光る。滅多なことでは鬼モードの湊は手を止めないのだが、彼が手を止めるだけの『重み』があるのだ。姫路美姫には。
「前、私に参考にすべき選手として中国の韓信選手を挙げたじゃん?」
「ああ」
「確かに滅茶苦茶参考になったし、今じゃファンとして試合追っているんだけど……あの人って当たり前だけど化け物でしょ?」
「……続きを」
湊はこの時点で沙紀が何を言いたいのか、何となく察しはついた。自分もその件については考えて来た。ただ、折角なら彼女の口から聞きたい。
「化け物揃いの中国選手の中では秀でているわけじゃないけど、世界全体で見たらフィジカルですらトップクラス。私とは違う。私は模倣出来ても、強い卓球に、勝てる卓球になるビジョンが見えない、と思った。それは、どう思う?」
「否定はしない」
「だからさ、その、素人の考えかもしれないけど……ブロック、もっと勉強したいな、と思って。すぐ影響受けたみたいで、あれだけどさ」
青森田中主将、青柳循子の壁に阻まれ力の差を思い知った。今のままではみんなの足を引っ張るだけ。変わりたい、と沙紀は思ったのだ。
「何でブロックが良いと?」
湊は問いかける。沙紀の出した答えを促すように。
「……雑魚負けしといてあれだけど、その、青柳さんは天才、ではなかったから。天才に抗うための、戦うための牙に見えたから……ちょっと抽象的、か」
「出来そうな気がした?」
「……と言うか、試してみたいと、思った、かな」
「なら、やりましょうか」
湊は一度深呼吸をして、自分を落ち着かせる。最近覚えた技、余所行きの時に自らを抑えつける技術である。
「嫌に素直じゃん」
「やりたいとか、やれそうとか、意外と馬鹿にならないですから。それに、俺もそうした方が良いんじゃないかな、とは思っていたので」
「……じゃあ、この問答の意味は?」
「意思確認、ですかね。全員集合! 今からブロックについて改めて教えるぞ」
「「「やったぜ」」」
ぞろぞろと黒峰式サーキットトレーニングを捨てた三名も近づいてきた。嬉々として。まあ、フィジカルトレが好きな者なんて珍しいので仕方がない。
四名が一所に集まった。
「まず、ブロックは言葉の通り、ボールを打つ技術じゃなくてボールを跳ね返す技術だ。適切な位置、角度にラケットを置く。それでボールは相手コートへ返る。ただそれだけ、基礎中の基礎、よく練習で使うことが多い」
打たせる練習の時はよく相手側がブロックして返球することが多い。ただ、明菱に関しては他所でよくやっているペアで役割分担(打つ側、受ける側)しての練習はあまり行っていない。実戦的ではないと言うのが一つ。
その練習法の利点は大所帯での部活、限られた台を有効活用する場合の練習であり、むしろ台が余っている明菱には適さない。
しかも不知火湊が生きた球で多球練習を行ってくれるので、彼女たちがそうする必要もなかった、と言うのが今までの練習である。
「試合中でも使う時は使う。が、普通の戦型ならあくまでサブウェポン、積極的に使う技術ではない。相手がよほど甘く、浅く入れない限り、受け身の、繋ぎの返しにしかならないのがブロックだ。能動的に仕掛ける方がわかりやすく強い」
流行っていない、主流ではないと言うことは必ず理由がある。今に限らず卓球はほとんどの歴史において能動的に仕掛ける方が強かった。
カットマン、ブロックマン、受け身よりの、守りの戦型はどうしたって日陰であったし、比率は違えどその構図自体は変わっていない。
ただ、
「ただ、わかりやすく強い方が勝つ、わけじゃないのが卓球の面白いところだ。神崎先輩、他の三名も順番に、好き勝手仕掛けてくれ。俺が全部弾き返すから」
主流の裏には、常にそういう異質な戦い方も残っていた。
未だ日ペンですら稀に見かけるほど、卓球は多岐に渡る。
それら全てを網羅している者はごく一握り、全てに苦手意識を持たぬ選手は、おそらくいない。たまにしか見ない戦型ほど、やりたくない相手はいない。
それもまた事実。
「何でも良いの?」
「もちろん。青柳循子は攻め方を指定していたか?」
「……じゃ、遠慮なく!」
沙紀の打ったサーブは横回転。湊は即座にラケットを傾け、ボールの軌道上へ置く。直角に受けたなら回転方向へぶっ飛んでいく。そうならぬために角度を調整し、丁度返したいコースへボールが行くようにすれば必ず返る。
回転方向、回転量を把握しておけば――
「どうしたどうした? 早く抜いてくださいよ」
「ふぎぎ!」
絶対に返るように出来ている。それがピンポン玉とラバーの、ラケットの関係性である。横回転なら横方向の調節。上下回転なら上下の角度を調節する。
たったそれだけの技術。
「次小春ね!」
「全速力で……来い」
「わん!」
神風神速とて、先んじて置いておけば抜きようがない。ブロックの肝は相手がどのコースへ、どういった打ち方で、それらをいつ把握するのか、である。
打つ前から、打った後を推測出来ていれば――
「わ、ふぅ?」
「どれだけ速くても、事前に察知出来てしまえるのなら、それじゃ抜けない」
音速だろうが光速だろうが、神速だろうが関係ない。
壁はきっちり跳ね返してくれる。
「次はあたしだな」
「全力で来い」
「言われずとも!」
全力のパワードライブ。打ち合えばさぞ辛い威力であるが、これまた湊は揺らがず弾き返し続ける。落点が奥であれば主導権は打っている花音の方なのだが、少しでも手前に落ちた瞬間、角度の付いたコースへ球が弾き返される。
如何なる威力であろうとも、所詮はプラスチックのボール。中は空洞であり、極めて軽いのがピンポン玉の特徴である。
手首をしっかりと固め、正しく置けば返ってしまう。
「華麗に行くよ」
「カットも同じ。やるべきことは変わらない」
下回転相手なら、ネット前で沈む分を考慮してラケットの面を寝かせる。それで突っつくまでもなくボールは相手コートへ返る。
何をしても、まるで青柳循子のように全てを跳ね返してしまう湊。
全員、手も足も出ずに完封されてしまう。
「……上手過ぎじゃない?」
「ブロックは前の技術なので、元々俺は得意なんですよ」
「あー、なるほどぉ」
少しは縮まったかと思った差も、こうして改めて対峙して見るとはっきりわかる。彼我の実力、その大き過ぎる差が。
上手くなったからこそ、よく見えるようになった。
「ブロックは簡単。ただ、それは相手の打球を把握している前提の話。回転方向、回転量、それらを把握して適切な位置に角度を合わせて置く。それで絶対返る。ただ、回転をある程度上書きできるドライブなどと違い、ブロックは相手の球依存。間違えたら明後日の方向へ飛ぶか、ネットに突き刺さる」
相手が何をしてくるか、何をされたか、すべて把握出来ていれば簡単な技術であるが、高速で繋がるラリーの中や、ハイド気味のサーブなど、時間がない中で簡単に情報を把握させない技術が絡むと、途端に正解を出すのが難しくなる。
間違えない、これが本当に難しい。
「間違えずに正解を連ねていく。ドライブなら惜しくても点がもらえるのに、ブロックは惜しいじゃ点にならない。簡単だけど難しい、それがブロックだ」
それを完遂出来るから、青柳循子は全国屈指の選手であるのだ。
「百点満点しか許されない、って感じ?」
「その通り」
鉄壁、そのハードルの高さを改めてこの場全員が痛感する。
「さて、技術的なことがわかったところで、さっさと実戦に移ろうか。全球、百点満点を取る気で。他三名はサーキットトレーニングに戻れ」
「えー! 小春もブロックしたい!」
「香月の番が来たらな」
「今やりたいー!」
「わがまま言うな。あまり言い過ぎると鬼が出るぞ」
「……?」
湊の言葉が理解出来ず小首をかしげる小春。
だが、次の瞬間、
「おはようございます」
もう一人の鬼、黒峰響子の襲来により、
「あっ」
小春は察するも時すでに遅し。
「さあ、今日も元気に鍛えましょう」
逃げ場は、無い。
手隙の三名、黒峰直々の指導を受けることとなる。
彼女たちの悲鳴を聞きながら、
「こっちも存分にやろう。色んな球を出すから、全てブロックするように。経験と知識、全てを振り絞り正解を出せ」
「了解!」
神崎沙紀は新たな挑戦に踏み出す。
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