第64話:夏合宿、終了

「一週間の合宿、お疲れ様でした!」

「ウェーイ!」

 全ての試合が終わり、過密日程の青森田中はそのまま能登空港から東京へ、其処から新幹線と言う流れで帰った。夏の覇者、その威厳を示しつつも名門とて苦しい人材の新陳代謝、その上で分厚い選手層を見せつけられた。

 まあ、

「すずさんプロっすか。やりますねえ」

「た、ただ、紹介してもらえるだけで、確約じゃ、ないから」

「小春もプロになりたいなぁ」

 花音、すず、小春の三名だけは見え方も違ったのかもしれないが。三人とも凄かったが、其処は星宮那由多を追い詰めた女、九十九すずはやはり凄かった。

 あのジュニア世代有数の選手である青柳を海の底へ沈め、打ち破って見せたのだ。あれには青森田中の面々も青ざめていた。

 そんじょそこらの才能に青柳が敗れるわけがない。その信頼が、彼女たち全員を青柳と同じ絶望の底へ叩き込む。

 なお、本人には悪気は一ミリもない。

 あの煽りにすら見える邪気に満ちた笑みも、ただ楽しかっただけ。

「つか、地元にチームあったんすね」

「う、ん、まだTリーグ自体、出来て日が浅い、から。私も、よくわからない」

「小春も知らなーい」

 田中総監督がすずへ提示した話は、この県に新設されるチームへ部活を引退後やる気があれば紹介する、というもの。その時点で何も話が無ければ、と含みを持たせていたが。出来れば自力で進路を勝ち取って欲しい、とも言っていた。

 龍星館や鶴来美里、さらに明菱の面々までもが参加する熾烈な競争に勝ち抜き、全国の舞台へ殴り込みをかけるのは本当に難しい県となった。

 田中の提案はそれゆえの恩情、であろう。

「安心して、すず。私がきちんと調べておくから!」

「ふひ、ありがと、きりちゃん」

 九十九すずと輪島切子の友情、もとい百合の波動を浴びながらほっこりする明菱や能登中央の面々を他所に、

「さあタンパク質が焼けましたよ」

「く、黒峰先生、言い方、言い方」

「何か変なことを言いましたか?」

 BBQの焼き手を務める黒峰がタンパク質、もとい大量の鶏もも(皮なし)、牛もも、などの比較的低脂質な食材を焼き上げ生徒たちに振舞う。

 何故鶏はむね肉ではないのか、に関しては、

「あと、こちらに特製の鶏ハムも用意していますので抓んでください」

 焼ではガスガスになるところを別の調理法、低温調理器(ボ〇ーク)でしっとり柔らかく仕上げた逸品が別途用意されていたから、である。

「柔らか!?」

「ぶりんぶりん!」

「むね肉の調理には一家言ありますよ、我々は」

 トレーニーの強い味方、高タンパク低脂質、何よりも安価な食材である鶏むね肉。これをどれだけ美味しく、飽きずに食せるかがボディメイクの肝と言ってもいい。まあ金のある人なら牛ヒレ、牛ももメインでも良いが。

「はい、お裾分け」

「あ、部長」

「何してんの? 隅っこで」

 隅で一人スマホを弄っていた円城寺秋良に神崎沙紀が食事を渡しがてら声をかけた。秋良は頭をポリポリかきながら、

「その、父と母から連絡が来ていまして」

「ご両親から?」

「はい。さっき、おねえ、夏姫と二人の写真を撮って、私は父に、夏姫は母に送ったんですよ。その、お互い一緒にいる方とは逆に」

「そう。喜んでた?」

「ええ。母なんか泣いちゃったらしくてですね。夏姫から困った、って連絡が来ていたんですよ。父からもよかった、って来て、その」

「よかったわね」

「……はい」

 秋良のスマホの画面には二人の姉妹が屈託のない笑顔で笑い合う写真がホーム画面となっていた。きっと姉である夏姫も、父も母もそうしていることだろう。

 嫌いになったから離婚したわけではない。

 意見を違えたから、道を違えただけ。

 競い合い、再び形は違えど並び立つことがあれば、また道が重なることもあるかもしれない。そういう明日が、この写真からはかすかに香る。

「あの、今更ですけど、その、卓球部に入れて頂いて、ありがとうございます。再開していなかったら、きっと、こういうこともなかったと思いますし」

「馬鹿ね。逆よ逆。こっちがありがとう、って話。それに、もし感謝するならさ、私じゃない。光か、いや、秋良は光の引退後に入ったんだから……あそこのアホだけにしときなさい。感謝する気も薄れるけどね」

「あははは」

「やること済んだら一緒に食べましょ」

「はい」

 それでも円城寺秋良はここにいる皆に感謝していた。部を存続してくれていた光も、問題児ばかりの部員を取りまとめてくれる沙紀も、刺激をくれる花音や小春も、昨日の自分を諦めさせてくれたすずも、何よりも――

「またね、夏姫。まだまだ、勝ち足りないよ。今までの負け分があるからね」

 今、無理やり作られた彼女の鬼連に白目を剥く不知火湊を秋良は見つめる。憧れがある。恩もある。今日と言う日は彼無しではありえなかった。

 だから、

「とりあえず目標はあの豚を殺処分すること、かな」

 泥棒豚を殺処分する。

 そして自分が彼を救うのだ。あんなメンヘラ、彼に相応しくない。優しい彼に付け込み、先輩まで使って自分を売り込むとは何と強欲で意地汚いことか。たかが幼馴染だからと言って調子に乗り過ぎである。

 卓球で勝つ。引導を渡し、卓球をやめさせることが出来たなら、彼が彼女の面倒を見る筋合いは消える。

「がんばるぞー」

 爽やかな笑みでどす黒い妄執を腹に蓄える秋良。先ほどまでの美しい家族愛は何処へやら、姫路美姫への怒りが天元突破していた。

 大丈夫、味方はいる。

「むむ」

「やあ」

 目と目が合った瞬間、秋良と小春は何も言わずに互いの拳を打ち付けた。

 豚殺し同盟の締結である。

 なお、この同盟の最終地点は不明である。姫路美姫に勝ったとて、彼女が卓球をやめるかはわからないし、卓球をやめたとて彼女に別れる気が芽生えることはおそらくない。と言うか絶対にない。

 ただ、この二人はちょっと馬鹿なのだ。

 成績は良い馬鹿と成績も悪い馬鹿の奇跡のツープラトンである。

「……あー、肉うめー」

 花音は何かを察しながらも、巻き込まれたくないからスルーしてモリモリと肉を食べていた。花より団子、団子より肉、な御年頃なのだ。

「きちんと返さないと駄目だよ。彼女には優しく、ねっ!」

「あ、ああ、あ、ああ」

 ただでさえ彼女になった途端、鬼のような連絡ラッシュが襲い来ることでメンタルがゴリゴリ削れていたところに、光の追い打ちを食らい痙攣し始める湊。

 まだまだこれは序の口。

 姫路美姫の重さはこんなものではない。

「また来たよ! 返信返信!」

「たす、け、て」

 いっそ殺してくれ、不知火湊は夕暮れに願う。


     〇


「沙紀さん、また来てくださいね」

「今度はこちらに招待しますよ」

「それもいいですね」

 部長同士、切子と沙紀が笑顔で握手を交わす。黒峰、不知火の厳しいトレーニングを共に乗り越えた彼女たちにはすでに友情が生まれていたのだ。

「では、一週間お世話になりました」

「ありがとうございました!」

「こちらこそいい経験でした」

「ありがとうございました!」

 互いに謝辞を伝え、最後の挨拶を終える。

「ひひ、小春ちゃん、花音ちゃん」

「わふ?」「何すか?」

「また、やろうね」

「「うっす」」

 こちらもがっちりと握手を交わす。長く共にいた分、お別れの寂寥感はひとしお。小春など黒峰運転のマイクロバスに乗り込む際は突如わんわん泣き出すほどであった。意外とこう見えて涙もろいところもあるらしい。

 花音はイメージ通り、ほろりと半べそをかいていた。

 発車するバス、手を振って見送る能登中央の面々。

 バスの姿が見えなくなって、

「行っちゃったね」

「う、うん。寂しい、ね」

 切子とすずは胸の内を語る。

「楽しかったでしょ?」

「う、うん。とても、楽しかった。きりちゃん、たちと卓球するのも、楽しいけど……ああいう人たちと、卓球するのも、わくわくした」

「そっか。凄かったもんね、青森の主将さん」

「うん。本当に、凄かった。海の底はね、本当の自分を、暴くの。溺れたら誰だって辛くて、苦しい。でも、あれは、初めてだった」

 体力と精神力の限界地点、水底に至り『溺れた』はずの青柳循子は、其処から歯茎を剥き出しに気迫だけで九十九すずと戦った。

 海の底で笑顔の、ありのままの自分とは全然違う人種。

 戦士を彼女は貫き通した。

「ああいう人たちと……戦いたい」

「すずなら出来るよ」

「……うん、やって、みるね」

 今日この日、超越した姫路美姫がもたらした敗北感、小春と花音が示した可能性、そして戦士青柳循子の死力、これらが九十九すずの行き先を決めた。

 世界でも指折りの異質な選手として、彼女はこの先名を馳せる。

 それは今日と言う日がもたらした、一つの明日のお話。


     〇


「青柳、大丈夫か?」

「みどりに心配される筋なんたらはない」

「さすがにそれはわざとだろ」

 新幹線の車窓を眺めながら、青柳循子と鈴木みどりは今日を振り返る。互いに敗れた。名門の看板に泥を塗った。

 反省はしている。

「私も負け方は知っている。其処からの立ち直り方も、な」

「だな。何てことない。負けてもまた立ち上がればいいだけ。それだけのことだ」

「ああ。その通りだ」

 だが、それで心が砕けるほど彼女たちは弱くない。勝ちも、負けも、長く競技に携わっているのだ、売るほどにたくさん経験済み。

 こんなもの挫折の内に入らない。

「にしても……いいのか、あれ」

 みどりは困ったような表情で、

「どうしましょ、どうしましょ、ああ、彼女だったら、やっぱり連絡はまめにした方が良いですよね? 二時間おき? 一時間、いや、三十分、思い切って十分おき……どう思います、なっちゃん」

「迷惑だから一日一回で良いんじゃない?」

「それじゃあ寂しいじゃないですかぁ」

「知らんがな」

 浮かれポンチと化した姫路美姫とそれに翻弄される佐久間夏姫を見る。

 青柳もそちらへ視線を向けつつ、

「構わん。元々ああいう気質ではあるだろうが、あそこまで拗らせたのはきっとあの男のせいだ。なら、責任はあの男が取るべきだろう」

「え、何か理由知ってんの?」

「知らん。ただの勘だ」

「勘、って」

「当たるぞ、私の勘はな」

 見事的中。

 悪いのは幼少期、良かれと思っての行動とは言えバッドコミュニケーションを取ってしまった不知火湊である。彼が姫路美姫をモンスターにしたのだ。

 なら、まあ、仕方がない。

「あっ、美里ちゃんから……は? 昔告白された? 私の控え乙? 嘘吐き嘘吐き嘘吐き嘘吐き嘘吐き嘘吐き嘘吐き――」

「ひ、姫路、騙されるな。落ち着け。大丈夫、不知火湊の彼女は姫路だ。それはただの負け惜しみ。わかるな」

「――ですよねえ。でも、一応湊君に聞いてみますね」

「う、あ、ああ」

 仕方がない、のか。


     〇


「通知切っとけよ、不知火」

「き、切ったら、殺される。な、何で美里に言ったことが……あ、あんなの挨拶みたいなもん、気にしないで、っと。うひ!? 挨拶ってどういうこと? い、いや、その、軽いジョークで……あ、お腹痛くなってきた」

 陰キャ眼鏡の不知火湊君は地獄のコミュニケーションをひたすらこなしていた。美里が火に油を注いだことなど露知らず、湊は鎮火作業に追われる。

「ったく……ふわぁ、眠ぃな、小春」

「わふぅ、わふぅ、こはるが、なんばー、わん」

「寝言の癖強過ぎだろ。ったく、ほんとチビの癖に大したやつだよ、テメエは」

「ぶた、ころす。コーチと、結婚、わふふ」

「……前言撤回だバカ野郎」

 欠伸を噛み殺しながら花音は後ろから皆を見つめる。互いに体を預けて眠る光と沙紀、秋良も格好つけた姿勢で眠っている。小春も爆睡。

 起きているのは運転中の黒峰と、絶賛鎮火作業中の湊だけ。

「……すぅ」

 今丁度、花音も睡魔に飲まれた。

 これにて地獄の夏合宿、閉幕である。

「うひぃ、誰か、助けてくれー」

 ただ一人、必死にスマホにかじりつく者を除いて。

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