第63話:深海
幼馴染おっぱいを手に入れ、全てを失った男は通知が現在進行形で連打されているスマホに目を落とす。鶴来美里と星宮那由多から、である。
正直、今中身を見る気力はない。
どうせ酷いことしか書かれていないから。那由多は読めないが。
「……ま、まあ、元気出しなさいよ。元々光は脈なしだったんだから」
「……ふぐ」
「つか、そうでなくとも私をボコボコにした青柳さんの告白受けてたよね」
「あれは条件反射です。男子高校生なら普通のことだと思います」
「ちん〇んに逆らえなかった罰だバカたれ」
「ぐぅ」
フォローからのフルボッコで湊の心はものの見事に粉砕されていた。もう自分には卓球しかねえ。俺は卓球の鬼になる、とか馬鹿なことを考えている模様。
「とてもいい試合でした」
「こちらこそ勉強させていただきました」
青春の一ページを他所に、田中と黒峰は堅く握手をする。今回の結果は青森田中としては完全に予想外であった。九十九すずを知るため、それ以外はおまけぐらいの感覚であったのに、おまけの明菱の名を刻みつけられたのだ。
香月小春、紅子谷花音、この二人はあと一、二年もすれば全国区の選手となるだろう。秋の結果次第では一年も必要ないかもしれないが、この県は絶対王者である龍星館の面々が強く分厚いため、中々上のステージには辿り着けない。
それでも、という期待感はあるが。
円城寺秋良も詰めの甘さはあれど、谷間とは言え一年にして青森田中のレギュラーとなった佐久間夏姫と渡り合う実力を持っていた。あの卓球は常勝とは少し異なるかもしれないが、ハマればあの二人に勝るとも劣らぬ戦力となる。
そして、団体戦で勝ち上がるなら三人、化け物がいればいい。もっと言えば圧倒的な二人がいて、ダブルスも二人で回せば二人だけで勝ち上がることは可能。
実際に青森田中のベストメンバーはS1の姫路をダブルスでも再利用している。
龍星館の存在さえなければ、明菱はすでに全国レベルの実力があるのだ。
あの実力をコンスタントに発揮できれば、だが。
「では、能登中央の皆様ともやりましょうか。疲労も考慮し、少しメンバーを弄らせてもらいますが、よろしいでしょうか?」
「も、もちろんです」
田中総監督の圧に気圧されっぱなしの能登中央の顧問。別界隈の人間でも知っているような人物である。緊張するのも無理はないだろう。
そんな中、
「あ、あの」
能登中央の部長である輪島切子が田中へ話しかけた。大人はもちろん、青森田中の面々ですら話しかけるのに緊張する相手に。
「何ですか?」
「能登中央部長の輪島です。あの、私たちは明菱さんほど強くありませんし、全体としては試合にならないと思います」
「……試合をしたくない、と?」
「いえ。その……姫路美姫さんとうちの九十九すずを、やらせてはいただけないでしょうか? 一セットでも構いませんので」
「……試合のオーダーはこちらが決めることです。それに、今日倒れた姫路を試合に出す気はありません。少し非常識な提案とは思いませんでしたか?」
田中は不快げに顔を歪める。
それでも、
「それでも、すずを見て頂きたいんです。そして、その、もし見込みがあるようなら、その先の道を田中監督に紹介して頂ければ、と思って」
輪島切子は思いのたけをすべて吐き出した。このままメンバーを落とした青森田中とやって終わり、それだけは避けたかったから。
龍星館がいる地区であるため、この県は全国まで勝ち上がるのが非常に困難な場所と言える。団体で能登中央が勝ち上がるのはほぼ不可能。すずとてくじ運次第では有栖川聖や星宮那由多と当たり勝ち上がれないこともある。
正攻法では届かない可能性が高い。
だから、
「……何故、彼女のためにそこまで?」
「九十九すずを見て頂ければ……わかっていただけると思います!」
降って湧いた好機を、逃すわけにはいかないのだ。
「……なるほど。で、本人はどう思っているのですか? 勝ちたい? 全国に出たい? プロになりたい? 世界の猛者たちと戦いたい?」
田中はすずに問う。
切子の縋るような眼、今だけは前向きに、今だけは真っすぐと答えて欲しい。向上心のあるところを、縁起でもいいから見せて欲しい。
そう願った。
だけど、
「……わ、わかり、ません」
「すず!」
九十九すずは嘘をつかなかった。自らの遥か先を征く先達、世界と戦い、多くの人材を育て上げた名選手と名将を兼ねた女傑に嘘は通じないと思ったから。
だから、本当のことを言う。
「……では、この話はなかったことに」
「でも、その、さっき、悔しかった、です」
「……悔しかった?」
「はい、一セット目の姫路さん、すごく、強くて……今は、勝てないと、思いました。それが、ちょっとだけ、悔しかった、です。なので……戦いたい、です」
「……あの姫路を見て、悔しかった、と」
「……はい? その、変、ですか?」
当の本人である姫路以外は絶句する。あの一セット目の姫路美姫は世界トップクラスの、いや、世界トップの爆発力を見せていた。あれを見て悔しがっている者は、何か様子のおかしい狂チワワこと香月小春ぐらいのもの。
普通は心が折れる。絶対に勝てないと諦めてしまう。
あれはそういう存在であり、現象だった。
「……主将。私、調子どうでした?」
姫路美姫は先ほどまでのぽわぽわした表情から一変、眉間にしわを寄せながら九十九すずへ視線を向けていた。
何かを、察したのだ。
「……私が知る限りでは、最高の姫路だった」
「夏の決勝より?」
「ああ」
「……ふーん、それは……面白くありませんねえ」
姫路は自らのバッグからラケットを取り出そうとする。記憶はないが、そう言う時の自分は今まで全部勝ってきた。相手の心をバキバキにへし折り、足腰をぐちゃぐちゃに粉砕してきたのだ。
星宮那由多にすら勝った。そんな自分を見て、『今は』と彼女は言ったのだ。
やる理由はそれで充分。
「姫路、駄目だ」
「休んで栄養補給もしたので大丈夫です。やれます」
「主将として認められん」
「総監督としても、です」
「……っ」
青柳では止められなかったが、田中の言葉で姫路の動きが止まる。監督の上、青森田中では総監督の言葉は絶対である。
何よりも彼女は姫路にとっても恩師、自らを引き上げてくれた師匠なのだ。
「……青柳」
「そのつもりです」
必死の懇願をしていた輪島切子には悪いが、最初に姫路と当てられなかった時点でナンバー2である青柳循子を当てるのは既定路線であった。そも、青森田中は彼女を推し量るためにここまで来たのだ。
それをしない理由がない。
ただ、今は先ほどまでよりも明らかに警戒のレベルは上がったが。
奥能登が生んだ怪物、
「すず、その、勝手なことばかり言って、ごめんね」
「ふひ、友達の、期待は、嬉しい。頑張る、ね。きりちゃんの頑張ってくれた分」
九十九すずは大きく息を吸って、大きく吐き出す。
「ふしゅる」
無邪気な、邪悪に見える笑みを浮かべる。
「青柳!」
「……言われずとも、わかっている」
百戦錬磨、名門青森田中の面々は立ち姿だけである程度の実力を推し量ることが出来る。もちろん小春や花音らのように突如化けた連中は見誤るが、
「聖、星宮クラスと思い当たる」
元から化け物ならば、肌でわかってしまうのだ。
「おいおい、バッチバチじゃねえか。不知火はどっちが勝つと思う?」
花音の問いに、
「……たぶん、ミスの少ない青柳さんは九十九さんの苦手なタイプだと思う」
湊は相まみえる二人を見つめながら答えた。
「じゃあ、青森の主将か」
「いや……その上でわからない、だ」
花音は湊の表情を見て、小さく歯噛みする。色恋沙汰に関して興味はない。ただ、自分はこの男をぶっ倒すために卓球を始めたのだ。
まだ自分に湊がその目を向けたことはない。
先ほどの姫路美姫の時も試合中、こういう眼をしていた。特に一セット目はわかりやすいほどに、敵意を浮かべていたのだ。
〇
地獄。
まさにその試合はそう呼ぶにふさわしいものであった。
終始圧倒していたのは青柳循子である。如何なる打球をも阻む鉄壁は生半可なカットなど寄せ付けない。円城寺秋良のように四隅を突くカットがコンスタントに出来る技量があれば話は変わって来るが、九十九すずにはそれがないのだ。
だから、卓球の相性差、技量の差で青柳が終始優勢に事を進める。
いや、進む、は少し語弊がある。
時間の経過、ボールを打った回数、動いた距離、それ自体は進んでいると言えるが、肝心の点数があまり動かないのだ。
つまり、
「……ぐっ」
試合自体は進んでいない。
「ふしゅー、ふしゅー」
前で捌き、主導権を握り、相手を左右に、上下に振り回し続けている青柳の顔は歪んでいるのに、振り回されているすずは無邪気な邪に見える笑顔のまま、縦横無尽に駆け回る。あっちへダッシュ、こっちへダッシュ。
常人なら絶対に持たない、持つわけがないペース配分。
だと言うのに――
「……何で、足が止まらんのよ」
九十九すずは止まらない。表情一つ変えず、まともに呼吸すら許さぬ一方的なラリーを続けている。見た目はどう見たって青柳優勢、虐殺と言っていいほどの光景であるのに、点数自体はほぼ横並び。
あの青柳が、ミスで点を取られているのだ。
ミスをしないことで有名な世代最強格の盾が、取りこぼしてしまう。
「やっぱやべーな、すずさんは」
「小春が最初に負けたのは仕方がなかった。うん」
「まあ、実際そりゃそうだろ、としか言えねえよ」
別に技術が高いわけではない。身体能力自体、優れてはいるが強豪視点では突き抜けているわけでもない。
ただ、
「ふしゅる!」
異次元のスタミナ一つでジュニア世代最強格と渡り合う。古式ゆかしい時代遅れのオールドカットマン。カットして耐久、相手のミスを待つ伝統芸能。現在の主流である下手なドライブマンより攻撃的なカットマンとは一線を画す。
ひたすらに返し相手のミスを待つだけ、時間を長引かせるだけ、傍から見れば無意味なロビングで延命しているのと同じ光景に映るが、それが戦術として通用するほどすずの体力は常人の理解を超えていた。
古くから卓球で最重要視されていた俊敏性が突き抜けた香月小春。現代卓球で重要視され始めたフィジカルが突き抜けた紅子谷花音。
そして、
「……なるほど。確かに、期待するに足る子です」
最低限必要ではあるが、昔から一貫してそれほど重要視されていないスタミナが突き抜けると、こうなるのだと九十九すずが示す。
卓球に造詣が深い者ほど、何も言えなくなる。常識が覆ってしまう。
「……なゆちゃんが、苦戦した理由がわかりました」
姫路美姫は唇を噛む。青柳循子は強い。調子の悪い時の自分と戦おうとしないが、それはエースを立てるため、調整失敗した自分なら青柳の方が強い。
おそらく今の自分だと――
「……名前、覚えましたよ」
頂点に近い子の中では負けん気の薄い(一部相手を除く)姫路であったが、負けず嫌いではない、と言えば嘘。一般人視点は十二分に負けず嫌いである。
格下を取りこぼしても平気なのは、調子が良ければ、やる気があれば、絶対に勝てるから、と確信しているから。
本気で負けそうな相手に負けると、普通にヘラる。
「あの卓球大好きマシンの那由多が、出来れば二度とやりたくないって言ってたからなぁ。確かに、これはしんどい」
誰とやっても無表情だが、実は心底卓球を楽しんでいる那由多だが、以前彼女の話を聞いた際は珍しく顔を歪めながら、そう述べていた。
勝っても負けても、またやりたいとしか言わない彼女が、である。
「青柳のあんな貌、見たことねえよ」
他校だった時代を合わせたら小学生低学年からの付き合いである青柳循子と鈴木みどり。そんな彼女ですら見たことがない。
鋼の精神を持ち、敗色濃厚の時でも表情一つ変えず静かに闘志を燃やす青柳が、あそこまで顔を歪めている姿など。
何度も言うが青柳は振り回している方、足だってすずの十分の一も動かしていない。それなのに肩で息をしてしまうほどの長期戦。
そして体力以上に、ミスできないと言う精神を削る戦い。
精神力が強みの青柳が、それを削られ顔を歪めていた。
その光景はさながら、
「ふひひ、卓球は、楽でいい。だって、いつでも息が吸える。サーブ前に吸えば、私は、どこまでも潜ることが、出来る!」
水底。溺れる青柳循子。笑う九十九すず。
深く、深く、より深く。
「……あっ」
滅多にしないサーブミス。精度の高い巻き込みサーブがネットを越えず、手前に落ちた。青柳はさらに顔を歪める。疲労からか、メンタルからか、青柳の盾が綻び始めた。青森田中の面々は何も言えない。声を出すことが出来ない。
精神的支柱である主将、青柳循子のあんな貌、見たことがなかったから。
「……青柳に」
みどりは唇を噛む。この光景はしばらく引きずってしまう可能性が高い。姫路や佐久間、みどり自身の負けとは意味合いが違うのだ。
常に揺らがず、コンスタントに強い青柳循子が揺らぐと言うことは――
「やらせるべきじゃなかった」
名門青森田中が揺らぐと言うことだから。
名門の看板ごと、九十九すずは全てを海の底へ沈める。
自らの世界へ、無邪気に手招きながら。
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