第61話:超名門の壁
2-2からのラストセットをデュースにまでもつれ込む激闘の末、
「「あっ」」
ころりとコートに落ちるボール。双方、唖然としている。応援していた面々も何とも言えぬ表情。喜ぶには少々、何とも歯切れの悪い決着となる。
「……ネットイン」
「あちゃー……まあ、直前の佐久間のサーブミスが悪い、ってことで」
「そうだな」
勝者は円城寺秋良。決まり手は疲労で足がもつれながらカットしたボールが、台上のネットに当たり、そのままころりと相手コートへ落下したネットインである。
「お、おめでと、秋良」
「う、うん」
「ま、またあとで話そ」
「うん」
ちなみにこのネットイン、ルール上何ら問題なく入れた方の得点になるのだが、一応マナー的な側面として軽く頭を下げる程度の謝意を示さねばならない。これと台の角に当たってコースが変わるエッジボールは得点ではあるが手放しで喜べるものではないのだ。実際に勝った明菱の面々も複雑そうな表情をしている。
「佐久間ァ! なーに大事なとこでサーブミスしとんじゃい!」
「すいません、みどり先輩!」
「集中力が欠けとる! あと走り込みも足りん!」
「すいませんすいません」
「おいおい、ド派手に負けた奴が説教してるぞ」
「どの面下げてんだろ」
「この面ですがァ!?」
負けた夏姫を肴にわいわい騒ぐ青森田中サイド。勝った方より負けた方が賑やかなのは勝ち方のせいか。
「……ど、どうも」
「よ、よくやってはいたんだけど、ねえ」
部長である神崎沙紀も口ごもる決着。途中までは凄く良い試合だった。佐久間夏姫の攻めを自分なりの形に昇華し、得意のカットと織り交ぜて美しく戦う秋良を明菱一同、わっしょいわっしょいと応援していたのだが、夏合宿を経たとはいえブランク持ちの秋良がフルセットを全力で戦えるか、と言うのは無茶な話。
途中で攻めるための余力を失い、ベタベタ足で泥臭く粘る美しさの欠片もない卓球をせざるを得なくなる。その辺りから雲行きがおかしくなっていた。
しかもブランク無しの姉夏姫の方も秋良のクソ粘りのせいか、はたまた猛暑によるものか、足捌きに曇りが出て来て、両者ベタ足の泥沼化。青森田中サイドも何とも言えぬ表情となっていた。
妹秋良がのちに、
「夏姫は名前に夏が入るのに夏が苦手なんだよ」
とドヤ顔で語っていたが、何一つ格好良くない話である。
まあとにかく、
「ま、どんな形であろうと勝利は勝利。胸を張りなさい」
「はい、部長」
これで何と超名門青森田中に二対二となった。青森田中も新チームとなって日が浅いとは言え、この話が広まればそれなりの事件であろう。
部長としては結果を出した部員を褒めないわけにも――
「甘い!」
そんな雰囲気を引き裂くように現れたのは、
「み、湊君!?」
この物語の一応主人公、不知火湊である。
「スタミナ切れは仕方ないにしても、ボールタッチまで雑になっていたのは集中力が欠如していた証拠だ。相手の粗さに助けられただけ!」
「あー、不知火くんや。一応、中盤までは本当に良かったから、そこは褒めてあげて欲しいなぁ、と思うんだけど」
しゅんとする秋良を見かねて、沙紀が助け舟を出す。
「僕、そこ見てないんで」
「……後で光の撮った動画見せるから」
「うっす」
さすがに見ないで説教は確かによくない。見てから説教をしよう、と湊は素直に引き下がる。この男、練習中もそうだが結構ねちっこい性格である。
「あれ、湊君がいるってことは……姫路さんは?」
「そこにいますよ」
「へ!?」
質問した光の背後、そこに眉をひそめた姫路美姫がいた。くんくん、と何かを嗅ぎ取るような所作をして、むむむ、と唸っている。
当たり前だがここは明菱サイド、敵陣であるのだが。
「何してんの、ひめちゃん」
「いえ、その、何故か無性に殺意が湧き出てしまって」
「ふーん。でも引っ込めた方が良いと思うよ」
「そうですね。湊君がそう言うなら」
のんびりとした会話だが、沙紀は親友の身の危険を感じさっと割って入る。光はきょとんと首をかしげて、花音辺りは狂人を見る目つきであった。
「初めまして、何処の誰かは知りませんが姫路美姫と申します」
「……え、さっき、試合したんだけど」
ぽわぽわした姫路の発言に明菱の面々は困惑の極致にいた。
「はぁ。そうなのですね」
「ひめちゃん、ここ二日ぐらいの記憶がないらしいです」
「です。起きたら湊君がいるんですもの。私、驚いちゃって。今日はメイクもしていないすっぴんですし、その、変じゃありませんか?」
「前と同じだと思うよ」
「それならよかったです」
目の前で繰り広げられるイチャイチャ空間。しかも片方の矢印はびんびんなのに、もう片方はそれに気づいていないところがまた腹立たしい。
貴様はラブコメの主人公かよ、とツッコみたい沙紀と花音であった。
「コーチ! 今は試合中だよ!」
「確かに小春の言う通りだ。最後は神崎先輩ですよね。頑張ってください」
「そんなことどうでもいいからその女摘まみ出して!」
「へ?」
「そ、そんなことってあんたねえ」
小春は敵意むんむんの視線を姫路美姫へ向ける。
姫路は彼女を一瞥し、
「あら、可愛らしい。小学生ですかァ?」
何故かこっちも牙を剥く。姫路自身覚えていないが、何か残っているものでもあったのかもしれない。互いに敵意を明確に向けている。
そんな様子を、
「……あ、あいつ試合中だってのに」
青森田中の面々は唖然として見つめていた。よくもまあ勝手に倒れて、勝手に寝込み、戻って来たと思えば勝手に敵陣でぎゃーすか出来るな、と誰もが思う。
別の傍若無人と言うわけでなく、単純に天然なのだが。
あとメンヘラ。
「世界一自由なあれだな、姫路は」
「……あれってなに?」
「知らんからあれ、だ」
相変わらずよくわからないところで語彙を欠如する主将の青柳が自らのラケットを取り出し準備をする。
「姫路の耳引っ張って連れ戻そうか?」
「いや、その必要はない。試合後、不知火にも話があるからな。あのままの方が都合がいい。だから……試合を終わらせて来る」
「頼むぜ大将」
みどりの言葉を背に受けて、青森田中の主将である青柳循子が動き出す。
顔つきは地味、姫路美姫のような華はない。彼女の学年は先輩方から谷間の世代と揶揄されてきた。姫路のおかげで夏の栄冠を掴んだ、これも事実。
「ああ」
青柳循子はエースではない。
だが、青森田中の看板を背負っているのは彼女である。
「っし、あと一勝! じゃあ行ってくるね!」
「沙紀さんファイトっす!」
「頑張ってください、部長」
「ファイト、沙紀ちゃん!」
「「ぐるる」」
睨み合う小春を除く全員が大将戦に臨む神崎沙紀へエールを送る。あと一勝、あと一歩で名門を土につけることが出来る。
去年まで弱小どころか廃部寸前だった部活が――今時漫画でもそう見ることのない展開であろう。それが現実となったのだ。
胸躍らぬわけがない。
「……ひめちゃん」
「ぐる、なぁに、湊君」
「おい、ぶりっこすんなデブ!」
「黙ってろチビ」
醜い女二人の攻防を他所に、湊はかかり過ぎなぐらい気合に満ちた沙紀の背中を見つめていた。二対二、確かに望外の結果であろう。
十二分によくやった。
でも、
「僕忘れていたんだけど……青柳さんってさ」
最後の一線、勝敗を分けるほんの少しの違いこそが常勝を義務付けられた名門と、そうでない学校の違いである。
「そうですよ。主将は、元日本王者です。カブとバンビの」
「だよ、ねえ」
男子と女子、一つ違いとは言え同じく表彰台の常連だった相手。戦型含め地味なのと、ホープス以降は無冠であるためあまり大きく取り上げられる選手ではないが、少なくとも小学生時代の多くで彼女は有栖川聖も、星宮那由多を寄せ付けなかった。
元女王、
「私も、なゆちゃんも、聖さんも、そう言えばあの人が元で大会嫌いになった美里も、負けていましたね。当時はあの人が、絶対的な壁に見えていたものです」
青柳循子。
〇
「11-0」
「……あ、れ?」
「……」
絶壁。神崎沙紀には青柳循子がそう見えていた。何をしても、どう揺さぶっても、コースを、回転を変えても、全てがあの壁に阻まれる。
小動もせず弾き返され、結果はスコンク(ラブゲーム)。
「いよ、さすが我らが御大将!」
「相変わらずの鉄壁!」
「ジュニアランク一桁は伊達じゃない!」
神崎沙紀も上達した。確かに小春や花音に比べ、いまいち強みが出ていない気もするが、それでも彼女たちと戦えるぐらいには上達している。あの夏から、引退した光が少しだけ嫉妬してしまうぐらいのレベルアップをしている。
だと言うのに、この差は――
「……クソ堅ェ」
「……わふぅ」
強豪との戦いを経て階段を駆け上がった花音と小春であったが、青柳の卓球を見て嫌な汗が流れるのを感じていた。
姫路美姫や鶴来美里らとは違う、異質な存在感。
熱無く、ただ来た球を機械的に弾き返す。その精度は絶技の域だが、彼女たちのそれとは何かが違う気がした。
今は言語化出来ない何か、それはわからぬままであるが、一つだけわかり切っていることがある。それは――
「何よ、あの、強さ」
青柳循子が名門の看板を背負うに足る強さである、と言うこと。
明菱の面々から笑顔が消えた。
もしかしたら勝てるかもしれない。そういう希望を根こそぎ吹き飛ばす一セットであった。もはや誰も沙紀が勝てるとは思っていない。
思えるわけがない。
「主将は格下相手には絶対に負けないんです。私とは真逆ですね」
「ひめちゃん」
「あっ、ご、ごめんなさい」
湊のひと睨みで消沈する姫路。だが、湊も沙紀へ何と声をかけていいのかわからない。勝てる算段があるならいくらでも話すが、無いのだ。
そもそも湊の考えでは全員負けると思っていたから。
全国最強クラスの名門を肌で味わう。その強さを知り、来年の総体をめどに成長し、そのレベルを目指す。そういう経験のつもりであった。
だが、小春、花音の覚醒。秋良の奮闘でスコア上は拮抗してしまった。
だからこそ――
「ごめん。みんな、私……」
部長である沙紀は傷ついてしまう。練習試合とは言え皆が繋げてくれた。それが重荷となり、彼女の心を砕く。
「素晴らしい強さですね」
そんな澱んだ空気の中、
「顔を上げなさい、神崎部長」
顧問の黒峰が沙紀へ声をかける。
「またいつかの時と同じですね。違うのは……相手が明確に日本最高峰の学校、と言うことです。そうですよね、佐村さん」
「そうだよ、沙紀ちゃん。逆にびっくりしちゃうよ。私だって知ってる名門にうちが勝っちゃったら。去年のことを思い出して、ね」
「……た、確かに」
弱小校に何もわからぬまま蹂躙された苦い記憶。其処から一年、ラケットを放り投げた自分が、その間も、それ以前も努力を続けてきた相手を抜き去る、と言うのが烏滸がましい話。自分が天才ではない、それは知っていたはずなのに。
「しっかりと胸を借りて、いい経験をしてきてください。ご安心を。この場全員、今の貴女が彼女に勝てるとは思っていません。と言うか、ここにいる全員彼女には勝てないでしょう。今はそれでいい。大事なのはこの経験をどう糧とするか、です」
「はい」
「よい経験を」
「行ってきます!」
深呼吸一つ、神崎沙紀は空気を入れ替えて戦いの舞台に臨む。またしても分不相応な大望を抱き、勝手に潰れるところであった。
相手は全国最強クラスの高校、その一角。
「よろしくお願いします!」
「……ああ。よろしく」
今日はその壁の高さを知る日だ。
「沙紀ちゃん頑張れ!」
青柳循子の卓球は所謂ブロックマン、と呼ばれるものである。区分としては前陣、となるのであろうが、能動的に攻め勝つドライブマンが主流の卓球界において、上のランクでその戦い方を徹底している者は多くない。
ブロックは技術的にそう難しいものではない。適切なラケット角度で適切な打球位置にラケットを置くだけでいいのだ。
ただし、超スピードで繰り広げられるトップクラスの攻防で、それが徹底できる者は数少ない。彼女はその内の一人である。
守り勝つ。リスクは最小限に抑え、確実に得点を積み重ねていく。極端に少ないミスと正確無比な返球は受け身ながら相手を振り回す。
長年の経験則とどんな舞台であろうが冷静さを崩さない強靭なメンタル。トップレベルのスピードボールに対し、迎え撃つことの出来る選手が彼女である。
もちろん受け身ゆえ、こじ開けられることもある。
姫路のようなパワーファイターや、ここしかないというポイントへスピードボールを打ち込める星宮など、勝てない相手は多くなってきた。
だが、勝てる相手には滅法強い。
負けない卓球、それが青柳循子の卓球である。ちなみに、全国でも数少ない女王有栖川聖の苦手とする選手でもある。
『私はあいつの魔法にかかっていないだけだ』
と言うのは青柳の弁。意味はよくわかっていない。
「……ブロックマン、か」
龍星館での合同練習では、合流が遅くなったこともあり、彼女の本気を見ることが出来なかった。練習では普通にドライブも打っていたこともあり、それを知る機会もなかった。いや、違う。機会はあった。ずっと昔に。
(……僕が、女子の方にも興味を持っていたら)
自分の地区の知り合い以外に興味がなかった。対戦することもないから。
その情報があろうとなかろうと、勝つことは出来なかったかもしれない。
それでも――
(……こういう抜けは、コーチである僕の責任だ)
湊は悔いる。自らの無知を。
元女王、今は無冠なれどその実力は本物。
「11-3、3-0で青柳さんの勝ち。また、3-2で青森田中の勝ちです」
全力で壁に向かい、そして粉微塵に粉砕された。
「……ありがとうございます」
「こちらこそ。よく折れずに戦った。またやろう」
「……はい!」
折れずに、投げずに、神崎沙紀は戦った。
だからこそ、悔し涙が流れるのだ。それを見て対戦相手である青柳がポンと肩を叩く。彼女の健闘を、抗う心を、讃えるかのように。
これにて決着。肉薄したが、王者の背中はやはり遠かった。
されど成長は示した。可能性は見えた。
そういう試合であった。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます