第60話:佐久間姉妹

 佐久間夏姫は妹である円城寺秋良のことが少しだけ嫌いだった。

 ほんの少し早くお腹から出てきただけなのに姉と妹に分けられ、お姉ちゃんなんだから、と色々と我慢をさせられる横で、秋良は妹と言うだけで色々と得をする。

 喧嘩をすれば悪いのはこちら。こっちだって泣きたいのに慰めるのはいつも自分の役目。理不尽だ、狡いと感じるのは性格が悪かったのだろうか。

 姉はきちっとしているから、格好いい男の子みたいな服を。

 妹はうじうじしているから、可愛らしいお姫様みたいな服を。

 そして姉妹はいつも一緒。

 卓球を始めたのも自分が最初、たまたま父が昔通っていた卓球道場に連れて行ってもらった際、面白いからやりたいと思った。

 でも――

『おねえちゃんがやるならわたしもやりたい』

 案の定、妹もついてきた。父は何でも一緒にする必要はないと言ってくれたけど、母は仲良し姉妹なんだからいいでしょ、と言っていた。

 思えば、あの時点で考え方には溝があったのだ。

 もちろん別に心底妹が嫌いなわけじゃない。たまにうっとおしくなることはあっても、血を分けた妹は何だかんだと可愛いところもある。

 ただ、何でも真似されるのは少し嫌だった。

 特に、

『この人だぁれ?』

『佐伯湊君。お姉ちゃんの推しなんだぁ』

『ふぅん』

 好きな人まで真似されたのは嫌だったことを覚えている。しかも本人は真似したことを忘れて、姉が先に推していたことすら忘れてしまうのだから質が悪い。

 ファンクラブの番号は自分の方が若いのに、である。

 まあ、その後初めて会った時に塩対応だったので少し冷めたのは事実だったが。あれでも熱が冷めなかった妹の方が熱量はあったのだろう。

 ただ、何でも真似していた秋良が突然、カットマンをやりたいと言い出した時は驚いた。どうせいつもの思い付きと思っていたのにしっかり続けている。

 今も――卓球も含めて続いている。


     〇


 円城寺秋良の卓球はとても丁寧である。ボールはとても綺麗な回転がかかり、確かな技術を感じさせる。カットの切れも自由自在、ただし汚い回転は嫌う傾向がある。そういうのを混ぜた方が相手が混乱して強い択になる、と言っても――

『……』

(不貞腐れて嫌そうな顔をしていたっけ)

 丁寧、綺麗、強さよりも其処に目が行く。姉の陰に隠れ、目立たなかった妹の卓球であるが、隣の姉は気づいていた。

 妹は自分よりも卓球が上手い、と。

「でもね、競技は上手い下手を競うモノじゃ、ない!」

 アグレッシブな攻め。多少粗くとも、荒くとも、点をもぎ取った方が強いし、正しい。元々、そう言う傾向の強かった姉の卓球だが――

(お姉ちゃん、前よりずっと強くなってる)

 妹からしても隣にいた頃とは別物。より激しく、より自分の感性とは相容れぬ卓球になっていた。美しくない、と妹、円城寺秋良は思う。

「どうしたァ!? 秋良ァ!」

「煩いね。まあ、よく見ていなよ」

 格好いい姉に憧れた。世の中を知り、もっと美しいものがあると知った。少しずつ、姉の目指すべきところとのズレは感じていた。

 勝ちたい、とは思う。

 でも、それは――

「凄いね、秋良ちゃんの卓球! とっても綺麗!」

「そりゃあうちで一番上手いからねぇ」

「湊君より?」

「カット周りの技術なら、そうでしょ」

 美しさを損ねてまで追い求めるものではない。今の姉を見て尚更そう思う。対峙して、向き合って、ようやく見えた。

 姉と自分は違う。

 目指すべき場所も、志も、考え方も、きっと、何もかも――

「……っ」

「カットなら……湊君より私の方が上だよ、夏姫」

 角度を付けたスマッシュを横からカットで入れる。何処かで見た光景。台上を滑るように転がり、停止したと思ったら其処から逆に転がり、台から落ちる。

 ほぼノーバウンドであった以上、夏姫側にどうすることも出来なかった。

「どうだ!」

「……お上手」

 妹の自信に満ちた笑みを見て、姉もまた微笑む。その後、ちらりとある人物に視線を向ける。自分の、そして今戦っている相手の人生を変えた人に。

「でも、私はその小賢しい卓球は好きじゃない」

「おや、奇遇だね。私もその荒っぽいのはエレガントじゃないと思っていたんだ」

「この、遅れて来た中二病が!」

「元は物真似だけど……意外と水に合うと気づいたんでね。捨てたなら、貰うよ」

「はっ! せいせいする!」

 静と動、二つの卓球が衝突する。

 ここまで違うのか、と驚くほどに違う双子の姉妹が織り成す素晴らしき試合。

 それを見て田中総監督は静かに微笑んだ。


     〇


『我が校は佐久間夏姫さんだけをお誘いいたします』

『えっ』

 全国区とは言えダブルス以外ではパッとしない。そこそこ勝っていた夏姫の方でも県上位、全国下位と言うのが良いところ。

 まさかあの超名門青森田中から誘われるなど夢にも思っていなかった。その上、まさか自分だけと言うのも、頭の片隅にもなかった選択肢である。

『申し訳ありませんが、親としては夏姫と秋良は同じ進路に、と思っています。仲良し姉妹ですので、そう言うお話も沢山いただいておりますし』

 母が言うように佐久間姉妹、はそれなりに有名であったし、二人セットでの特待オファーと言うのはかなりあった。自分もそのつもりであった。

 その道しかないと、思っていた。

『失礼ですが、私の眼には二人の卓球が相容れぬものと映りました。互いに遠慮し、互いに力を引き出せぬ現状、それを打開するには距離を置くべきかと思います。このまま行けば折角の勝負勘も、技術も、腐りゆくだけ』

『申し訳ありません。この話はなかったことに』

『それを決めるのは夏姫だ』

『でも、秋良が可哀そうでしょ!』

 父と口論になる母を尻目に、

『双子であろうと違って良い。一人の人間です。貴女はどうしたいのか、口にせねば何も変わりませんよ』

 憧れの世界選手権メダリスト、女子選手の頂に立った女傑、田中総監督の言葉が夏姫へ送られる。違って良い、その言葉に勇気をもらった。

 何よりも――

『私、青森田中へ行きたい』

『夏姫!』

『それでいい。そうすべきだ』

『あなたまで!』

 互いに遠慮し、互いに力を引き出せぬ現状に思い当たる節があった。自分の卓球に秋良が不満を抱いていることも気づいていたし、自分もそうだった。

 一つ上だがダブルス歴では自分たちの方が上だったのに、犬猫ペアに敗れたこともそう。個々の実力じゃ絶対に負けていなかった。

 本当に噛み合う二人と、そうでなかった二人の差が出ただけ。

『きっとそれが、どちらにとってもいい選択となりますよ』

『……はい』

 家庭は崩壊した。だけど、たぶん最初から違っていたのだ。父の思う家族と、母の思う家族、姉と妹が卓球に見出したものが違うように。

 あの時の選択がようやく――


     〇


「秋良!」

 前と中陣、アグレッシブに、荒々しい立ち回り形なんてどうでもいいから、とボールを相手コートへぶち込む卓球。強烈なドライブはフィジカル強化のたまものか。

 さすがは姫路美姫を鍛え上げた青森田中のメソッドである。

 たった数か月で別人と化す。

「夏姫!」

 されど変わったのは姉だけではない。中、後陣、さらに前も含めた全エリアを華麗に、エレガントに立ち回る卓球。持てる技術全てを注ぎ、より華麗に、より美しく、得点にも、勝ち負けにも、こだわる気が失せてくる。

 卓球を楽しむ。それは誰の影響か。

 彼女もまた別人。

「……いい試合だな」

 青森田中、主将である青柳は微笑む。夏姫には少しだけ、青森田中へひとり来たことへの負い目があった。そのほんの少しが眼に見えるのが卓球と言う競技。

 今は、その影を感じない。吹っ切れたのだろう。

 随分と楽しそうにやれている。

「双子なのに全然違うじゃんねえ」

「元々似ていなかっただろ?」

「まあ、言われてみれば……確かにぃ」

 鈴木みどりも納得の全然違う双子の試合。もはやこの二人が組んでいたとは思えない。この二人の試合を見て、佐久間姉妹を思い浮かべる者はいないだろう。

 そもそも、二人が双子であることも気づけないかもしれない。

 それだけ違う。それでも――

「「勝負!」」

 二人の笑顔を見れば一目瞭然。

「勝てよ佐久間ァ!」

「気合いだ円城寺!」

 あの時の選択に間違いはなかった。

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