第57話:びっくりダブルス

「……みどり先輩」

 沈痛な面持ちの後輩に向かって、

「馬鹿たれー。たった一敗でなんて顔しとる。青森田中の名が泣くぞぉ」

 笑顔でそうじゃない、と伝える。

「すまぬ。負けたわ」

「ああ。見ていたぞ」

 青柳と拳を軽く打ち合わせ、みどりは田中総監督の元へ足を向ける。

「敗れてしまい申し訳ありませんでした」

 深々と頭を下げるも、

「何を謝ることがあるのですか? これが公式戦であれ、出し切った選手を貶す気はありません。青森田中の名に恥じぬ、いい勝負でした」

「……」

 受けるものと思っていた叱責。しかし、まさか敗れたと言うのに、滅多に褒めぬ大人物から褒められてしまうとは、さすがに予想外であった。

 少し、グッと来る。

「無名校という認識は捨てましょう。少なくとも今の二名は強豪校のエースと比較しても何ら遜色のないレベルでした。そも、ほぼ毎日あの不知火湊と打ち合っているのだとすれば……環境的にも強豪校、いえ、それ以上かもしれません」

 田中総監督が部員に向けて言葉を放つ。

 無名校、噂の星宮那由多と競った九十九すずと姫路美姫を当てるため、わざわざ来た。逆に言えば用件はそれだけであった。

 だが、今こうして戦ったことでわかった。

(黒崎との一戦、あれは彼女たちに見せるためだったのか。黒崎の鬼フィジカルに窮して、様々な引出しから誤魔化していたと思っていたが――)

 あの不知火湊を、ズタボロになって卓球界から姿を消したかつての神童を、今一度引き戻したのは彼女たちであったのだ、と。

 天才が心血を注ぐだけの価値がある。その煌めきは充分見て取れた。

 いや、充分以上に。

「心してかかりなさい。相手を龍星館と思って」

「はい!」

 名門青森田中の矜持に火が付いた。

 そんな彼女たちを他所に――

「あんたは天才! 偉い!」

「いやぁ、まぁ、それほどでもねーっすよ」

「そんなことないよぉ。凄いよ、花音ちゃん!」

「どもっす」

 明菱サイドはとんでもなく舞い上がっていた。何せ、彼女たちでも知る超名門から一セットを奪ったのだ。とんでもない快挙である。

 そりゃあふわふわと舞い上がりもする。

「ま、相手雑魚だったけどね」

「チワワ、鈴木さんの悪口は許さねえぞ」

「小春の相手の方が強かったもん!」

「負けは負け。あたしは勝った。小春は負けた。それが全てだ」

「ムキー!」

 チワワとゴリラのキャットファイト、と言う矛盾しかない醜い争いが勃発する。それをニコニコと眺めるくらいには緩んでいた。

 まあ、

「其処まで!」

 黒峰響子がそれを許すわけがないのだが。

「「ひっ!?」」

 音の壁が破裂するかのような轟音が耳朶を打ち、二人の醜い争いを止めた。当てていない。全然離れている。それでも、風が来るぐらいには強い正拳突き。

 多分当たったら死ぬ。

「勝って兜の緒を締めろ。これで満足ですか? 一セット取ったらそれで終わりですか? 三つ取らねば何の意味もない。それが団体戦です」

「……」

「紅子谷生徒のおかげでイーブンに戻しただけ。あと二つ、全力で取りに行きましょう。出来る出来ないではなく、全力で勝ちに行くことが重要なのです」

「はい!」

 明菱も引き締まる。

「でもよ、次ダブルスだろ?」

「小春ダブルスきらーい」

 が、明菱の弱点であるダブルスゆえ引き締まり湧き上がった闘志がみるみると萎れていく。何しろこのダブルス、大会からかなり試合をこなしたが、とにかく少し強い学校相手にはただの一度も勝っていない明菱の鬼門である。

 しかも、

「相手、何かダブルス専門ですって感じの人たちみたい」

「つ、強そうだねえ」

 沙紀、光が向けた視線の先には軽く体を動かし準備万端のペアがいた。

 ダブルス専門、犬猫ペアを彷彿とさせる感じだが――

「ベストではないですよ。あの二人はレギュラーではなかったはずです」

「え、そうなの?」

 円城寺秋良は冷静であった。姉の件もあり青森田中の布陣はそれなりの知識を有している。そうでなくとも今の青森田中に犬猫のような例外はありえない。

「ダブルスは上に行けば行くほど、単純に強い選手を組ませる傾向にありますから。犬猫が例外です。今の青森田中のベストは……姫路@1、かと」

「あ、@1って」

「そんなものですよ。所詮、ダブルスは主役ではないので」

 秋良が見据える先には双子の姉、佐久間夏姫がいた。あちらも秋良の方へ視線を向け、互いに視線が衝突する。

「先生。私は今回、シングルスに専念したいです」

 姉が出てくるのかはわからない。だが、出てくるとしたら次のシングルス。自分と異なり得意であろうダブルスのペアに組み込まれていない。

 シングルス一本で行くと決めているのだろう。その覚悟を感じ取る。

 戦うなら万全で――

「そのつもりですよ。そもそも練習でもあまり噛み合っていないと不知火生徒が言っていましたから」

「……ですよねー」

「難しいようですね、カットマンと組むのは」

 まあ、実を言うと円城寺秋良と他の面々、何度かダブルスを組ませてみたが全然噛み合っていなかった。特に我の強い小春との相性は最悪。沙紀なら何とか合わせられるが、普通に小春花音組の方が強い。

 それだけ特殊なのだ、カットマンと言う戦型は。

「んじゃ、あたしと小春か」

「小春は沙紀ちゃん部長がいいなぁ」

「アン?」

 ならば誰を出すか。上振れると強いのは間違いなく小春花音ペア。ただ、この二人噛み合わない時は本当に噛み合わない。青陵との試合で善戦したこともあれば、その辺の普通極まる高校に敗れたこともある。

 今の二人なら、と言う期待感はあれど――

「いえ。ダブルスはこの二人に出てもらいます」

「「へ?」」

 指名され、驚く二人。

「あ、あの、勝ちに行くって」

「もちろん。勝つ気で戦ってください。やり残し、あるんじゃないですか?」

「……っ」

 黒峰は『彼女』の反応に微笑む。

「ありなんすか?」

「先方から許可は頂きました。それに、練習試合ですから」

 サプライズ選出。

「……き、緊張して来ちゃった」

「大丈夫。私も緊張してるから」

 明菱高校三年元部長、佐村光と同じく二年部長、神崎沙紀。

 対するは――

「「……」」

 先の二戦で警戒心ありあり、闘志モリモリの名門ダブルスペア。二人とも二年、姫路が現れて三年のペア共々お役御免となった。

 それでも名門の意地がある。ダブルスに活路を見出した者の矜持が、ある。


     〇


「へえ、思っていたよりレベル高いね、二人とも」

「さすがに三人目はいなかったようだが」

「あんなの三人も四人もいたらたまったもんじゃないって」

 鈴木みどり、青柳循子はダブルスの試合を見て感想を漏らす。先の二人と比べるとかなり小粒であるが、卓球自体はむしろこちらの方がまとまりもあり、技術的にも高い。まあ、技術勝負なら青森田中は二軍含めて全員勝てるだろうが。

「ただ、これが無名の公立校ってのは一種の詐欺。ボールタッチこそ未熟さゆえのブレはあるけど、総じてコースへの意識が高いし、狙った場所へ強打も打てる。何より強打に臆さず強打で返せるのが良い」

「……教えているのが不知火だからな」

「其処が一番反則だねえ」

 青森田中が地区予選で弱小校と当たる時、一番の違いは自分たちの強打に相手が怯み、勝手に自滅していくところである。ボールスピードが、回転数が違う。見たことも触れたこともない。だから返せない。

 環境が人を創る。強豪校には強くなるための指針がそこら中にある。伸びしろには個人差があれど、その環境に身を置くことでしか得られぬものもある。

 強き者の群れ。それこそが強くなるための環境。

 だが、無名の公立校である明菱には本来存在しないはずの指針がいた。

「ちょいレベル差はあるかな? でも、サーブは上手いね」

「ああ。参考ぶ、なんたらが透けて見えるから、好きになれんが」

「文献ね。語彙語彙。ま、そりゃあサーブなら『魔女』参考にするでしょ」

「ふん」

 有栖川聖を彷彿とさせるサーブは見事。ただ、残念ながら青森田中にとって全国の舞台で衝突するであろう龍星館対策は必須。

 必然、『魔女』と戦うための術も心得ている。まあ、本物はわかっていても、その裏をかいてハメ殺してくるのだが。

 彼女は其処までではない。

「しっかしまあ、楽しそうだこと」

「良いことだ」

「それ」

 ただ、しっかりとした卓球をしつつ、全力で楽しんでいる姿は強豪校で鎬を削る彼女たちには、少しばかり新鮮に映った。


     〇


「……沙紀ちゃん」

「ん?」

「上手になったね」

 試合中、佐村光は痛感していた。引退してたった二か月、たったそれだけの期間だけで小春と花音は突き抜けた。あの頃はまだ、どうにか戦えていたのに、今じゃ何をどうしたって勝ち目はないだろう。

 その差は沙紀からも感じる。

「悔しい?」

「ちょびっと」

「あはは」

 上手になった。強くなった。

 何よりも彼女たちから見えるのだ。

『それ、貸してください』

 光のないどん底に現れた、あの少年の背中が。彼に救われた。自己評価だが仲もいいと思っている。本当に感謝もしているし、憧れにもなった。

 だけど、自分には――

「勝つわよ、光」

「がんばろー!」

 その事実が少しだけ悔しかった。ただ、それだけ。

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