第56話:優しい天才対諦めの悪い凡人

(……ほんと、嫌になるなぁ)

 最近、女子選手の男子化が進んでいる、と巷では言われている。少し前までは前でやり合っていたのに、中陣でもガンガン振れる選手が増えてきた。

 男子並みのドライブ、よく言われる誉め言葉であるし、実際に男子並みのドライブを打つ選手は存在する。姫路美姫、バックハンド限定だが鶴来美里もそう。

 だが、男子の強打者と比較できる選手はいない。

 いくらフィジカルが他の競技と比べ大きなウェイトを占めていないとは言え、それでも男子と女子の壁は厚いのだ。

 カテゴリーが違う。

 だから――

(化け物、め)

 男子の強打者並、紅子谷花音のドライブを受けて名門のレギュラーである鈴木みどりは顔を歪めていた。

 確かに見た目からしていかつい。身長は百八十センチを優に超え、骨格も全体的にがっちりと、全身の厚みは女子とは思えないほど。そもそも等身がバグっている。某二刀流野球選手ばりのスタイルであり、手足も長い。

 これでフィジカルトレーニングをまだ取り入れていないのだから、遺伝子と言うのは何処までも不公平に出来ている。

 人種差別はいけないことだが、人種の能力における優劣は存在する。

 その差が、打球に現れる。

「ッ!?」

「っしゃあ!」

 破壊的なドライブ。姫路の方がラバーに食い込ませ、威力を出す技術は高い。正直、現状卓球の技術が秀でている印象はない。

 それなのに手応えは同等。

 しかも、

(それ、届くんかい!?)

 長い手足が普通なら取れない球を拾い、

(が、この威力!?)

 不完全な態勢から放たれた球は、まるで鉄球と見紛うばかりの強打と化す。全てが規格外、名門青森田中の門を叩いたみどりはそれなりの戦歴を持つが、当たり前だが今までこんな選手は一度も遭遇しなかった。

 いや、男女の垣根を越えたところで言えば――

「……黒崎に、似ているな」

 主将、青柳は歯噛みする。今のところは相手の良いところばかり出ている。そうなっても仕方がないほど、異次元の選手である。

 素材が違う。才能が違う。

 スポーツにおいて経験はとても重要である。それを競技として経験しているか否か、その壁は才能とて容易く飛び越えられるものではない。

 分厚い経験は大きな財産であり、武器である。

 だが、才能がその競技を経験した場合、その壁は薄紙程度に成り下がる。もちろん天才たちが努力していないわけではない。むしろ、どんどん伸びる、どんどん勝てるのだから率先して努力するだろう。

 まあ、それを差し引いたとしても、

「天賦の才、大嫌いな言葉だ」

 中学から卓球を始めた黒崎豹馬が、今では卓球界のホープとして代表候補にまで名を連ねている。最初は青柳や鈴木らが握り方から教えてあげた。下手くそで、軽薄で、他の競技へ行けばいいのに、と内心誰もが思っていた。

 だってそうだろう。

(「あんた(君)たちは、卓球じゃなくてもいいだろ」)

 卓球である必要などない。ましてや黒崎は中学から、紅子谷に至っては高校からのスタートである。普通、名門にまで入るような選手は遅くとも小学生、早ければそれこそ物心ついた時から始めているもの。

 自分たちには卓球しかないのに、あなたたちには無限の可能性がある。あそこまで上り詰めた黒崎に今更それを思うことはないが――

「みどり!」

 青柳の言葉を受けて、

「……うっさいなぁ。ほんと、デリカシーのない奴だ」

 鈴木みどりは苦笑いする。

 ちなみにみどりは昔から青柳のことがほんのりと嫌いである。何せ彼女は、あれだけ強いのにいつもこちら側に立ちたがるのだ。

 いや、同じじゃねえよ。お前、一年からレギュラーじゃん。

 と思った部員は数知れず。

 みどりもそちら側。まあ、姫路美姫のおかげで彼女の感じていた壁もはっきりとし、多少関係はよくなったが、それでも同じだとは思っていない。

(熱血って柄じゃないし、自分の立ち位置もさすがにわかってる。脇役も脇役、地元でブイブイいわしていた私も落ちたもんよ)

 ただまあ、

(でもねえ、一年坊)

 それは、

(私、青森田中のレギュラーなんよ)

 鋭いカウンター、それが花音のミドルに突き刺さる。長い手足、唯一多少不利を負うのは体の中心に近い部分。そこは手足が短い者のテリトリーである。

 もちろん、手足の長さがもたらす恩恵に比べると微々たるものだが。

「っし」

「みどり先輩、ナイスー!」

 後輩たちの声。ここには遠征に帯同している子しかいないから、皆一軍、もしくは一群と二軍の狭間ぐらいだが、日の目を見ない選手は沢山いる。青森田中へ戻れば遠征に連れて行ってもらえない子たちの方が割合は多い。

 それが強豪校、そういう者たちの想いを背負い、レギュラーは舞台に立つ。

「はいよ」

 凡人、鈴木みどり。前でやれるほど反射神経は優れていない。後ろで打ち合えるほど高い身体能力は持ち合わせていない。

 それでも、

「あー、強い強い。やんなっちゃうね、まったくもう」

「……目はそう言ってないすよ、先輩」

「そう?」

 物心ついた時には親のラケットで遊んでいた。保育園の時も親と一緒に卓球道場へ通い、それからずっと卓球漬け。

 全国の舞台でもずっと戦っていた。中学に入り、才能が台頭してきて少しずつ活躍できなくなったが、それでもそこまで培った勝ち方がある。

 経験が、ある。

「楽しみなさい、紅子谷生徒。貴女の望む、強者ですよ」

 自己評価などあてにならない。少なくとも周りの目には名門青森田中の二年生レギュラー、鈴木みどりでしかないのだ。

 弱いわけがない。

「ナイスサーブ!」

「台上苦手? じゃ、攻めるね」

「にゃろ!」

 経験の厚み、それがもたらす財産だけはたんまりと抱え込んでいる。引き出しの数は、どうしたって経験せずには埋まらないから。

 才能との戦い方は知っている。

 そんなものとうに――経験済みである。


     〇


 今頃S2やってる頃かな、と僕は考えながら無心でひめちゃんの頭を撫で続ける。もういいかな、と手を引っ込めると顔がクシャっとするのだ。

 本当に寝ているのか疑ってしまう。

「……美里」

 試しに例のあの人の名前を小さくつぶやくと、

「ぎぎぎ」

 顔が最大級までクシャっとなる。あまり多用すると起きそうなので慎むが、どうやらこんなのでも一応、しっかりと寝ているらしい。

「……あいつ、そんなに嫌われるようなことしたのか? いや、でも、そう言えば那由多とも微妙な時期あったよなぁ。何でか知らんけど」

 那由多、の名前に関しては微クシャ。わかりやすい。

「まあ、女の子同士のことはよくわかんね」

 陰キャだもの、みなを。

 まあ、ひめちゃんと美里のことは良い。彼女たち同士の問題だし、まっさか僕に関係あるわけないからね。

 今大事なのは試合中であろう紅子谷。

 正直、僕はあいつに関してはしっかりと教えられていなかった気がする。自分と違い過ぎて、基礎基本の先にどうすべきかなんてまるでわからなかったから。

 でも、黒崎さんのおかげで漠然としていた道が少しだけ晴れた。粗くとも、思い切り動いた方が良い。短所を消すより、長所で圧倒する。

 そちらの方が彼ら向きだと思う。

「どっちが勝つと思う? ひめちゃん」

「……」

 幸せそうな顔で寝ている。とりあえず田中さんから隙あらば与えて欲しい、と渡されたカロリーのお友達を口元へ持っていくと、

「うーん、かわいい」

 もぐもぐとこれまた幸せいっぱいの表情で食べる。卓球選手としてひりついた彼女のぶっ飛び具合は恐ろしいし、勝負して見たい気持ちはあるけれど、この表情を犠牲にするほどじゃないよな、とは思う。

「普通は鈴木さん。でも、あいつが本気を出したら……賭ける価値はあるよ」

 昔の僕ならそうは思わなかったんだろうけれど。


     〇


「ヨォ!」

 第一セット、序盤花音が主導権を握るも、みどりが巻き返しそのまま取られてしまう。亀の甲より年の功、勝ちをもぎ取る術はさすがの一言。

 最後の方は終始、引き出しの数に圧倒されて終わる。

「やっぱ強いわね、当たり前だけど」

「うす」

「でも、小春の相手よりは全然弱いと思うなぁ。小春なら勝ったと思うなぁ」

「うるせえ負けチワワ」

「わ、わふぅ、言っては、ならぬことをぉ」

 花音は同期や後輩たちと談笑しながらも、次のセットに対して集中しているみどりの姿を見て、笑みをこぼす。

「ほんと、強いっす」

「だぁかぁらぁ、小春より――」

「だから、嬉しいんだ」

「……」

 彼女にしては珍しい真っ直ぐの笑顔。それを見て小春は口を閉ざす。

 煽る必要はなくなった、そう思ったから。

「先生、ピンポン玉で、人って殺せますかね?」

「段差の近くでまきびしのように使い、転ばせたならあるいは」

「……ぶち当てて、に決まってんでしょーが」

「なら、不可能です」

「了解」

 意図不明の質問。されど、それが最後のトリガーであった。

「花音ちゃんが怖くないのは、誰に対しても手加減しているから」

 小春は花音の背中を見て言葉を紡ぐ。

「……彼女はとても優しいですからね」

 紅子谷花音があれだけ恵まれた、恵まれ過ぎた体格を持て余していたのは、彼女の本気に周りが耐えられなかったから。どうしたってフィジカルコンタクトのあるスポーツだと彼女が少し本気を出しただけで、普通の女子なら蹴散らされてしまう。野球はキャッチボールで突き指させた。サッカーは軽く接触しただけで転んだ相手が泣いた。ドッジボールは女子ではなく男子を泣かせた。格闘技はもってのほか。

 バスケも、バレーボールも、突き抜け過ぎた身体能力が相手をへし折ってしまう。体もそうだが、心が折れる様を見るのが彼女には辛かった。

 自信満々の経験者が軽くコンタクトしただけで力の差を悟り、勝負しなくなる。陰口を叩かれたことより、自分は本気を出してはいけないのだ、本気で遊んではいけないのだ、と痛感した時の方が痛かった。

 だから、勝負自体を避け続けてきたのだ。

「だから、弱かった」

 本当は強いのに、過去のトラウマに怯えて力が出せない。

「卓球でビビるなよ、花音ちゃん。何したって死なないし、壊れねーよ」

 その枷が今――

「ッ!?」

「ダッラァ!」

 外れた。

 一セット目よりさらに重く、強い打球。男子の強打者並、いや、下手をすると――

 誰の目にも異常な軌道だった。誰の耳にも届いたことのない異音だった。

 その打球は、鉄と化す。

「征くぜ、鈴木さん」

「……オッケー。どんとこいや、一年坊」

 一歩が、遠い。彼方へ、一瞬で飛翔する。

 一打が、重い。後陣から、差し込まれるような球が打ち込まれる。

 女子じゃない。男子でも、稀有。

「……参りましたね、これは」

 香月小春だけでもとんでもない出会いであった。長年の指導でも巡り合えぬ才能との邂逅、実に素晴らしい、そう思っていたのだ。

 ところが、一人ではなかった。

 もう一人、いた。

「勝つぜ!」

「二年、いや、一年半早い!」

「意外と直近!」

「みどり先輩、ファイトォ!」

 声援を背に、圧倒的な才能の塊に対峙する凡人。技を駆使する。技巧を凝らす。引き出しを、惜しみなく投入する。

「は、ははは、いいな、すげえ、いい!」

「なーにがいいじゃ! 全然よくねえ」

「強いなぁ、鈴木さん」

「あたぼうよ。天下の青森田中ぞ。崇め奉れぃ」

 点差は縮まった。されど、第二セットもみどりが奪い取る。明らかに変貌した花音の猛攻をも、巧みに捌き切った。

 如何な強打も、しかるべきタイミングで、スィートスポットで捉えたならば返すことは出来る。それが難しいから、強打なのだが。

「大丈夫? 花音」

「大丈夫っす。めちゃ、絶好調です」

「そ、そう」

 負けているのに、崖っぷちなのに、花音は笑っていた。楽しそうに、嬉しそうに、幸せそうに――

「ふぅ……しんどぉ」

「みどり」

「わかってるって。ヤヴァイのは……私の方」

「……だが」

「もちろん勝つ。心配しなさんな」

 引き出しを総動員して、今は逃げ続けている。どんどん良くなる花音、黒崎同様試合中にぐんぐん適応してくるのだからやり辛い。

 足音がする。背後から、とんでもない馬力で。

(第三で勝ち切る。そうしないと――)

 追いつかれる。その言葉を飲み込み、みどりは何度も聞いた足音を意識の外へ追いやる。今、必要なのはあの怪物を寄せ付けぬ技術のみ。

 経験を引き出す。持てる全てを出し切る。

 いつかは負けるかもしれない。でも、今日は勝つのだと。

「2-0、先輩絶好調!」

「3-1、良い調子!」

「4-2、いけます!」

「6-2、このまま行きましょう!」

「7-3、あと四点!」

「8-4、ファイト!」

「一気に連取、これで10-4、勝てます!」

「10-6、全然余裕ありますよ!」

「10-8、落ち着いて試合終わらせましょう!」

「10-10、まだ、まだです!」

 10-12。

「……っし」

 紅子谷花音、猛捲りを見せて第三セット奪取。

「……ぐっ」

 あと一点。勝ちを焦ったわけではない。たった一点、その重みは歴戦ゆえに充分わかっている。焦りじゃない。

 だから、なお悪い。

「……声、かけてよ」

「す、すまん」

「はは、意外とデリカシーあんじゃん」

 適応された。引き出しの中は空っぽ。その上で、地力は完全に上回られた。恐るべきは才能、男子の世界だからと高みの見物をしていたが、ようやく天津風貴翔が、黒崎豹馬が突如降って湧いた選手たちの気持ちを知る。

 まあ、それぐらい星宮、姫路らで充分経験済みだが。

「みどり、諦めるな」

「青柳ィ、誰に口利いてんだぁ。誰かに追い抜かれて、その程度で諦められる聞き分けのいい奴なら……私はここにいないって」

 ぐいっと水分補給。タオルで汗をぬぐい、しゃんと立ち上がる。

「見とけぃ」

「ああ」

 谷間の世代、青柳以外は小粒。先輩からはそう言われていた。そんな物凄い先輩も、中等部の姫路が練習に参加してすぐぶち抜かれた。あんなの誰が勝てるんだよ、と思っていた強い先輩たちが蹂躙された様は、さすがに心が堪えた。

 あれを見て卓球部を去った者もいる。

 それでもみどりは残った。谷間上等、活きのいい後輩が入ってきたら真っ先にレギュラー落ちするポジションだけど、それでも二年のレギュラーになった。

 諦めない。それが彼女の誇りである。

 ゆえに――

「11-6、3-2で、明菱高校の勝ちです」

 鈴木みどりは最後まで微塵も、欠片も、諦めずに戦った。

「2-0から……凄いね、花音ちゃん!」

「あんたはえらい! よしよししてあげる!」

「わおーん!」

「素晴らしい。凄い名門なんだけどねえ。彼女たちには関係なし、か」

 やんややんやと喜ぶ皆の元へ行く前に、

「ありがとうございます」

 紅子谷花音はみどりへ感謝を伝える。最後まで諦めずに立ち向かってくれた。最後まで強豪の意地を見せんと足掻いてくれた。

 その強い心に対し、感謝を。

「ん、こちらこそ」

 二人は握手を交わし、また離れる。勝者が敗者にかける言葉など無いように、敗者から勝者へ何かを言うことも難しい。

 本当に、

「卓球、楽しい?」

 難しいことなのだ。

「うす。今日、もっと楽しくなりました」

「そ。ならよかった。ようこそ、卓球界へ。歓迎しちゃう」

「あざっす!」

 S2、諦めの悪い凡人、鈴木みどり。新星紅子谷花音に敗れる。

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