第52話:超名門校対その辺の公立校

 青森田中高等学校。

 インターハイを幾度も制し、国体や選手権でも毎年活躍する名門中の名門である。OBOGも世界で活躍する人材を多々輩出、あの火山選手の出身校でもある。

 男女ともに一時期は常勝軍団として他を寄せ付けぬ圧倒的戦績を残していたが、龍星館の台頭及び愛知勢の躍進によって勢いは多少陰っている。

 が、今年の夏は女子が栄冠を奪取。男子こそ愛知の星である愛電の前に敗れ去ってしまったが、それでも個人なら黒崎豹馬のようなタレントもおり、かつての栄光を取り戻すべく虎視眈々と玉座ににらみを利かせているところ。

 そんな超名門が一般的公立校である明菱、能登中央の合宿に現れる。

 それはもう一大事件であろう。

「すず、チャンスだよ! ここで頑張ったら……もしかしたら――」

 高校から先の進路も拓けるかもしれない。龍星館は名門ではあるが、強豪校としての歴史はそれほど長くない。方々への伝手に関しても多少弱い部分はある。だが、青森田中は卓球界の歴史に無くてはならぬ日本有数の名門校である。

 しかも、もしあの田中総監督まで来てくれたら、彼女の眼に留まったら、大学やTリーグのチーム、もしくは実業団などを紹介してくれる可能性もある。

 一発逆転の大チャンスなのだ。

「……?」

 本人は何も考えていないみたいだが。

「な、なんでもない。いつも通り、頑張ろう!」

「ひひ、了解」

 青森田中の名を聞いても平常心なのは、すずが卓球界にさほど興味がないから、なのだろう。その淡泊な反応は想定通り。

 むしろ力み過ぎるよりはいい、と能登中央部長の輪島切子は思う。

 彼女は先を目指せる人材なのだ。ここで終わるにはもったいない。

「よーし、いい経験積ませてもらいましょ」

「うんうん、これも勉強だね」

 沙紀と光は皆を元気づけるような言葉を発する。

 だが、

「いえ、勝ちに行きましょう」

 不知火湊がそれを遮った。

「は? いや、だって、私でも知ってるのよ、青森田中なんて。サッカーも強いし」

「夏の全国一位だよ、湊君。さすがに厳しいと思うなぁ」

「エースの姫路美姫、主将の青柳循子、この辺りに勝つのは厳しいかもしれない。でも、この二人以外戦力はガクンと落ちるんだ。夏のレギュラーはその二人以外全員、三年生だった。新チームには彼女たちはいない」

 湊は今の青森田中の状況を説明する。もちろん、控えの面々が弱いわけではない。名門の門を叩いた時点で、それなりの実力者ばかりである。

 しかし、今更それなりの実力者に気後れする意味はない。

「勝つことが全てではないけれど、やる前から負けて当然の気構えで試合をするのは間違えていると思います。やるからには勝つ気で……予防線は要らないです」

「ッ!?」

 後輩に図星を突かれた沙紀は口ごもる。

「小春は最初から誰相手でも勝つ気だよー」

「湊君相手でも?」

「やるからにはねー」

「……大物だね」

 いつでもどこでも百パーセント勝つ気しかない小春を見て、秋良は苦笑する。このメンタルは尊敬に値するし、真似すべきものなのかもしれない。

「……あたしもチワワに乗るぜ」

「大丈夫か? 意外と線を引きがちだからな、紅子谷は」

「うるせえ不知火。あとで砂浜な。ブレーンバスターしてやる」

「砂浜でも死んじゃうかもなぁ」

 チワワ、小春の強気に花音も乗っかる。この中で一番小さいくせに、何処か一番器が大きいと感じてしまうのは気のせいであろうか。

「秋良は?」

「部長が勝てと命ずるなら、勝ちに行きますよ」

「気取った言い方ね。うっし、じゃあ、勝ちに行きますか!」

「「「おう!」」」

 沙紀が檄を飛ばす。先ほどまでは挑戦者ですらなかった面々が、しっかりと挑戦者の顔つきとなった。小春だけは何故かチャンピオン面だが。

 とは言え、

「一応、ぶっこんどいたけど勝算はあるんでしょうね? 今の話だと二人勝てない人がいて、ダブルスで一つ落とすとしたら勝ち目ゼロなんですけど」

 其処は一応学年トップの頭脳を持つ沙紀。星勘定はしていた模様。

「……フルメンバーなら、苦しいと思います。ゼロではないと思っていますけど」

「……控えが出てくるってこと?」

「場合によっては。こっち、弱小公立校ですから。見た目は」

「……なるほどね。複雑な気分だけど、勝ち目ゼロよりは良いか」

「控えでも強いですよ。もうわかっていると思いますけど」

「龍星館のつもりでってね。了解了解」

 名門が弱小相手にフルメンバーを出してくるかどうかは場合による。もちろん、今回彼女たちはメインを龍星館に据えた遠征であり、帯同しているのは一軍のみ。誰が出て来ても弱い相手などいない。

 いないが、上に比べたら見劣りすることもまた事実。

 それに――

(……あの話もあるからな)

 青森田中から提示された条件。真意は不明であるが、あの話通りならこちらに姫路美姫は出てこない。それはすでに先生から湊へ伝えられている。

 ただ、

(……出来れば、あいつには経験させてやりたいけど、なぁ)

 もし戦うこととなるのなら、それはそれで良いと湊は考えていた。

 その時はきっと、戦うべき姿勢を見せているだろうから。

 まあすべては『彼女』次第であるが。


     〇


「よろしくお願いします!」

 到着した青森田中、それはあまりにも異様な雰囲気であった。田中総監督が指揮を執るバリバリの一軍、青柳以下ジュニアで名の通った選手がずらり。

 それはいい。それは誰もが知っていること。

 ただ、一人だけが異様なのだ。

「……先生、人って一週間で、どれぐらい痩せられるものなんですか?」

「手段によります。もし、何が何でも、と言う話なら……1日で2,3キロは落とせますよ。体には、とても負担のかかるやり方になりますが」

「……女性の体型に関してよくわからないんですけど、僕が一週間前に彼女を見た時より、十キロ以上落ちているように、見えるとしたら?」

「……普通に考えたなら、大変危険な状態だと思います。じっとしていても汗をかくような気温ですが、彼女からは一滴の汗も出ていませんし」

「あっ」

 湊と黒峰の視線の先には、ウォーミングアップを一人だけ免除され目を瞑り体育館の隅に座る姫路美姫がいた。

 うだるような暑さ、それなのに汗一つかかずに。

「また会いましたね、不知火さん」

「どうも、田中さん。ひめちゃ、姫路さんはどうしたんですか?」

「……普段負けてもけろりとしている子なのですが、時折絶対に負けたくない相手に負けると、勝つまでああなるのです」

「美里、ですか」

「はい。素晴らしい選手でした。姫路も最初の内こそ腑抜けていたのですが、後半は全力を尽くし、その上で敗れましたから」

「……元々、才能は仲間内でもぴか一でしたから」

「そのようですね」

 天才が挫折を知り、心を入れ替えて努力を積み始めた。元の地金がある分、成長も早いだろう。錆も落とし切った頃合い、其処で再会してしまったのだ。

 姫路美姫は。

「大丈夫なんですか?」

「大丈夫でないから、大変失礼に思ったのですが姫路は一試合だけに限定させていただいたのです。申し訳ありません」

「いえ、むしろ……調子が悪いならこちらとしても――」

「残念ながら逆です」

「え?」

「正気と狂気の狭間、今の姫路は……おそらく夏の決勝より、星宮那由多を破った時よりも、調子が上がっているはずです」

「そ、そんな」

「そういう子なのです、姫路美姫は」

 湊の知らない姫路美姫。可愛くて、細くて、ひらひらのきらきらで、お姫様みたいな子だった。卓球も繊細で、綺麗で丁寧な卓球をする子だった。

 だけど、たぶん、今は違う。

「そう言うことですので、最初の試合は事前のお話通り、能登中央さんとやらせていただきます。出来ればその、秘蔵っ子をお出しいただきたいものです」

 田中は能登中央の顧問へ向けて発言する。

「もちろんです。S1、先に宣言しておきます」

「おや、勝つ気ですね」

「九十九すずにはそれだけの価値がある。あの子なら、示してくれるはずです」

「楽しみです」

 姫路美姫対九十九すず。これはもう既定路線である。不知火湊がいくら懇願しても、目的が無ければわざわざ能登まで青森田中が出向くことはない。

 星宮那由多を追い詰めた九十九すずのために彼女たちは来たのだ。

「小春、やりたい!」

 だけど、

「香月、状況が状況だ。今回は――」

「やりたい!」

 そんな話、香月小春の知ったことではない。

「おい、チワワ。ここは大人しくしとこうぜ。エースが出てこないんだ。それならあたしらにも勝ち目があるかもしれねえ」

 小春を止めるために零れた花音の言葉は、

「……」

 名門の一軍たる少女たちの眉を、かすかにひそめさせた。

「不知火さん、あの子は?」

「香月小春、うちの、切り込み隊長です」

「……」

 田中は湊の表情を見て、少しばかり驚いた。彼の横顔は、何処か喜んでいたように見えたから。「そう来なくっちゃ」表情がそう言っている。

「だ、駄目ですよ、香月ちゃん。先生たちがそう決めたんだから」

 能登中央部長、輪島切子が止めようとする。別に彼女自身は微塵も青森田中と何てやりたくない。大会で強豪校相手に手も足も出ず、惨めな思いをしたことなんてたくさんあるから。でも、九十九すずは違う。

 彼女だけは――

「すずちゃん、譲って!」

 あろうことか、小春はすずに直接交渉する。

 そしてすずは小春の眼をじっと見つめた後、

「ふひひ、あっさり負けたら、許さない、よ」

「勝つ!」

「じゃあ、譲ってあげる」

「すず!」

 九十九すず本人が戦う権利を譲ると言った。これには切子も、顧問も右往左往するしかない。もう決まったことだから、と言っても本人が譲ると言ったのだ。

 そう成ってくると、

「ありがとう、すずちゃん!」

 話は大きく変わって来る。

「あ、あの子、空気のくの字も読めないんだから」

「……お姉ちゃんと挨拶する余裕もないね」

「あ、改めて、凄い子だね、小春ちゃん」

 もう、試合する台に小春が立つ。ここが自分の場所だと。譲る気はない、と。

 自分が一番になるのだと、彼女の全身が語る。

「……っ」

 その姿勢に、花音は唇を噛む。これなのだ。この差が、二人の差なのだ。才能とか努力とか、戦型とか、そういうのではない。

 ただひたすらに、自らが一番だと信じ、それを証明するために戦う。

 その姿勢こそが――

「すず、折角の機会をみすみす捨てるなんて」

「ひひ、それはね、きりちゃん。相手を甘く見過ぎ、だよ」

「え?」

「私は小春ちゃんほどに……やりたいとは、思えなかった。私は、あの夏の大会しか知らないけど……たぶん、あの中に放り込んだら、一番強い、よ」

「星宮那由多より?」

「くひ、違う。有栖川聖、より」

 切子が目を見開くと同時に、

「……試合、ですかぁ?」

 ぱち、姫路美姫が眼を開く。胡乱げな目つき、立ち上がった後の足取りもおぼつかない。だが、肩を貸そうとした青柳の手は、払いのける。

「誰? あ、でも、美里じゃない、なら、誰でも良いや」

「わふぅ」

 対峙した小春の額に、脂汗が滲む。足取りは夢遊病のような、ふわふわしたものであるのに、この向かい合った時のプレッシャーたるや――

「サーブ、私、早く、終わらせよ」

 どん、初手ロングサーブ。

 に対し、

「わん!」

 小春の疾風が如し二球目、レシーブでのカウンターがさく裂する。ロングサーブ最大の欠点が、これ。待たれているとレシーブで強い球が返ってきてしまうのだ。

 このように。

「なっ!?」

 そのあまりの鋭さに青森田中の面々が眼を剥く。

「あー」

 だが、

「ハァ!?」

 見てもいないのに、姫路美姫のラケットが的確に小春のカウンターを捉えていた。もはや理屈を超越した、カウンターに対するカウンター。

 極限状態、研ぎ澄まされた感覚が、正解を穿つ。

 これが悪魔的調整法で仕上がった、姫路美姫の恐ろしさ。

 豪球が、相手コートに突き立つ。重苦しい音を立てて、あんなにも軽やかに打ち込んだのに、この破壊力。

 だからこそ、

「「前」」

 閃光が魔神と化した姫路美姫の反応を超える。彼女の破壊力すらも力に、速さに変えて、それは光と化した。

 カウンターに対するカウンター、へのカウンターが決まった。

 先制は、香月小春。

「わおーん!」「っし!」

 叫ぶ小春。ガッツポーズをする湊。

 二人だけが見えていた光への道筋。

「……みなと、くん?」

 姫路美姫は小首をかしげた。

 体育館の誰もが、絶句する。

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