第51話:覚醒の条件
ある日突然、何もしていないのに覚醒する。これは単なるファンタジーである。しかし、日々努力を欠かさなかった者が突如覚醒する。
これはよくある話なのだ。
そもそも努力による向上とは努力量に応じてじわじわ上がっていくものではない。ある一定の閾値に達した時、ポンと壁を越えるものなのだ。
ゆえに努力と実力のグラフは階段状となることが多い。
難しいのがこの閾値、個人差があると言うこと。加えて限界もある。努力を続ければ無限に向上するわけではない。何処かで来る限界に怯えながら、いつ伸びるかもわからない闇の中で足掻き続けた者だけが、壁を破る。
だからこそ努力は尊い。
彼女はずっと伸び悩んでいた。技術だけは人一倍、ただ一人ではどうにも勝ち切れず、結果を出せない日々が続いた。
一度はラケットを置き、競技からも離れた。
それでも戻ってきて、今改めて闇の中へ踏み出した結果が――
「ふひ、やるぅ」
「ッサァ!」
今の円城寺秋良である。
「……秋良のやつ、すずさんから1セットもぎ取りやがった」
「急に強くなったねー」
元々あった高い技術と何かが噛み合い、九十九すずから1セットを勝ち取った『二人目』の明菱部員となった。まあ、何セットも取られた中での1セットだが。
「いいぞ、円城寺。でも、まだカットから攻めに転じる際の切り替えがスムーズに出来ていない。もっと滑らかに、緩急があればなおよし、だ」
「了解、コーチ」
湊の助言を受け、秋良は笑みを浮かべる。憧れの人が自分を見てくれている、それをあの映像で知った。あのレベルの試合で、わざわざ数多ある引き出しの中から佐久間姉妹を取り出す必要などなかったはず。
それをあえて出して、試合で使ったのは自分に見せるため、と思うのは自分本位が過ぎるだろうか。ただ、彼女はそう受け取った。
一人佐久間姉妹、自分ならそれが出来ると。
今まで何処かちぐはぐで、噛み合わなかった技術が少しずつ連動し始める。少しずつ、一歩ずつ、二人で試合をしていた感覚が戻って来た。
一人でも、あの時のようなぴたりとした感覚があった。
「やるじゃない、秋良」
「どうも、部長。でも、結局1セットだけでしたね」
「充分でしょ。他のセットもいい勝負だったわよ」
「まだ、差はありますよ」
それでも絶望的な差ではない、と秋良が思える程度には一気に跳ねた。元々技術は高く、そうなる素養はあった。
卓球はメンタルなスポーツ、其処もまた大きいだろう。姉と言う明確な指針、何もなかった世界に一筋の光が差し込んだのだ。
ここを進め、と言わんばかりの。
「ひひ、何とか勝てたぁ」
「こら、エースなんだからしゃんとしなさい!」
「ご、ごめんね、きりちゃん」
能登中央部長の輪島切子に怒られ、しゅんとする九十九すず。
「……」
彼女の存在も秋良にとっては大きかった。秋良もカットには自信があり、カットマンスタイルに誇りも持っていた。そのこだわりが彼女にとっての枷であった。ただ、すずと言う突き抜けた持久力を武器に、オールドスタイルのカットマンを貫き通す姿を見て、ああは成れない、と思ってしまった。
あれだけの才能と独特な生活習慣、さらに努力を努力と思わぬほど熱心な基礎トレーニングへの姿勢。ぶち抜けた持久力がなければ彼女の道は貫けない。
貫くべきではない。
その静かなる挫折もまた、彼女を変えた要因の一つである。
「沙紀ちゃん、みんなすごいね!」
「秋良の加入はデカいねえ。意外と勝負弱くて最初はびっくりしたけど、技術さえあればある日突然ひっくり返ることもある、か」
「うんうん」
「私も積まなきゃなぁ」
部長の神崎沙紀は少しばかり焦っていた。優秀な後輩たちに囲まれながら、いまいち方向性の定まらない自分の卓球。同じ分の努力はしているはず。休みの日にはプロの試合の分析をしたり、出来ることはやっているつもり。
ただ、皆の成長に比べると――
「焦らない焦らない。沙紀ちゃんも上手になってるよ」
「そうかなぁ?」
「そうそう。さ、サーブ練習しよ」
「……そうね」
試合を通しての組み立て。そしてあの映像で湊は特にサーブからの組み立てを武器としていた。サーブと言えば魔女を参考にしていた佐村光の十八番である。丁度ここに彼女がいるのは天啓か。出来る限り勉強する。
手札の枚数、ただそれだけでも戦いになることを湊が示してくれた。もちろん、下支えする基礎技術あっての話ではあるが。
「ありがとうございます、黒峰先生」
「いえ、こちらこそ」
「普段は九十九と張り合える者も、教えられる者もいなくて、正直申し訳ないな、と思っていました。明菱の皆さんのおかげで、毎日楽しそうで」
「であればよかったです。我々としても、九十九さんのような強い方とあれだけ密に練習できたのはいい経験になったと思います」
「……楽しみですね、サプライズ」
「ええ、まあ」
両校の顧問二人は白熱する練習風景を見て、微笑んでいた。
〇
「……しつこいなぁ」
名門青森田中の佐久間夏姫はスマホを眺め、言葉とは裏腹に嬉しそうな笑みを浮かべていた。その様子を、
「嬉しそうだな、佐久間!」
語彙力欠如の直球女子、主将の青柳が気づいて話しかけた。
「あ、いえ、大したことじゃ――」
「どれどれ?」
「おーい、主将ちゃーん、パワハラだよー」
同級生の批判も何のその、青柳はずいっと画面を覗き込む。
「えん、しろ……てら? なんだ、これ。人か?」
「妹です!」
「ほう。佐久間妹か! いいカットマンだったな、覚えているぞ!」
「ど、どうも」
妹が褒められたのに何故か姉が少し頬を朱に染める。
「何を話していたんだ?」
「語彙力の次はプライバシーも欠如してるんですかー」
その批判も、もちろん青柳には通じない。
「最近、妹が卓球を再開し始めたらしく、その、今の私のプレーを見せて欲しい、と動画をねだってきていまして」
「……ふむ」
「まあ、減るものではないので、仕方ないから見せてあげようかな、と思っていただけです。本当に世話の焼ける妹ですよ」
「うーむ……個人的には全然いいと思うぞ。でも――」
青柳は真面目な表情で、
「もし、それで負けたらどうする?」
夏姫に問う。
「……負けませんよ」
「何故そう言い切れる?」
「私は姉ですから」
ぴしゃりと言い切った夏姫の顔を見て、青柳は「ふっ」と笑みをこぼし、何も言わずに夏姫の頭をぐしゃぐしゃに撫でた。
「それもハラスメントだぞーっと」
もちろんそのツッコミは通じない。
「明日は石川遠征最後の試合だ。練習試合であっても負けは許されない。全員、ふんどしを……あれしてかかれ!」
「そもそもふんどししてねーよ」
名門校ともなれば遠征は当たり前。様々な学校を渡り歩き、普通の公立校ではどうやっても積み上げられないほど経験値を積み上げてくるのだ。この試合数こそが名門とそれ以外における大きな壁である。
「姫路はどうすんの? 出すの? ってか、出せるの?」
「……指揮は総監督が執る。田中さん次第だ」
「そっか」
この場にいないエース。最後の相手は決して強豪ではない。ただ、一人だけ夏の実績を鑑みると、姫路でなければ勝てないかもしれない。
出すのか、出さないのか。
出たいのか――全ては明日次第。
〇
「本日は合宿最終日、皆様大変元気なことと思います」
明菱、能登中央の面々は黒峰の発言に、逆に怯え始める。昨日までは山か海、もしくはどちらも使って鬼のように追い込まれていたものだが、今日に限っては軽いウォーミングアップだけ。仏のような練習メニューである。
だからこそ、怖いのだが。
「今日までよく頑張りました。一週間程度の努力で身体が大きく変わることはありません。ですが、心は違います。そして卓球はメンタルなスポーツ、心ひとつで巨大な壁を突破することも出来るかもしれません」
あ、もしかしてこの流れは――
(あるぞ、最終日だから交流目的での、レクリエーション!)
(海を目前にして何もせず帰るわけないでしょ)
(佐村先輩の水着佐村先輩の水着佐村先輩の――)
みんな大好きレクリエーション。海でも山でも遊びならば問題なし。それなら体力を気にする理由もわかる。
地獄に仏とはこのこと――
「ですので、我々は今日皆様にプレゼントを用意しました」
わぁ、皆の顔に喜色が浮かぶ。
「夏の王者、青森田中高校との練習試合を組みました」
すん、と全員の顔色が消えた。
「駄目元で依頼したのですが、受けてもらえることになりました。不知火生徒人身御供作戦と九十九さんの存在が大きかったのだと思います」
誰もが知る超名門。それこそ今は、女子は龍星館、男子は愛電に押され気味ではあるが、それでも全国屈指であることに変わりはない。
明菱、能登中央、足してもかけても届かないほど格が違う。
「さあ、最高の夏を締めくくりましょう」
体育館の空気が、死ぬ。
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