第50話:全ては片隅から

 不知火湊は改めて自身の試合を見て愕然としていた。とにかく一つ一つの技術が粗くて、足りないところばかりが目についたから。よくもまあこんな完成度で人前にお出し出来たな、と己が図太さに驚いてしまう。

 対して黒崎豹馬はやはり強い。上手い者が強いとは限らない、それを体現するかのようなフィジカルの突き抜けぶり。あれを拾うのか、あれを打つのか、今のコースで抜けないならどうやったら抜けるんだよ、と思わされるほどの化け物。

 なぜ勝てたのか正直わからないほどに強い。

(……人のことどうこう言う前に、まずは自分が上手くならないとな)

 変幻自在のサーブや驚異のクソ粘りを含め、とにかく豹馬の弱みを徹底的に突いたからこその1セット奪取であった。ただ、2セット目以降はおそらく勝ち目はなかったと思う。この適応力もまた彼の強みなのだろう。

 湊は居た堪れない気持ちとなり、こっそりとトイレへ抜け出す。皆、集中して見てくれているのか湊の行動には気づいていなかった。

 一人だけ「あっ」と反応した者はいたが。

 湊不在の上映会。たったの1セット、本人の目には粗だらけに映ったそれであったが、他の者も同じように見えるかと言えばそんなことはない。

 むしろ――

(お姉ちゃんの卓球と私の卓球、そっか、そういう考え方なら出来るかも。ううん、違う。カットマンじゃないお姉ちゃんにも出来ない。これは、私だけの――)

 たったワンプレーに何かを見出す者もいれば、

(不知火の方が際立つけどよ、相手も相当強いだろ、これ。ロングサーブからの組み立て、ごり押し卓球か。あたし向きじゃねえの)

 対戦相手を自分と被せる者もいる。

(もっとオラオラ系のコーチがいいなぁ)

 あまり刺さらない者も。

(相手が学習して最後前倒しした感じあるけど、これたぶん、1セットの組み立て全部、最初から決めていた気がする。1点1点の中だけじゃない。セット間での、その先にある試合全体での組み立て……頭の良さと美貌しか強みがないんだから、私は当然これより綿密に詰めなきゃいけない。そう言いたいんでしょ、不知火湊)

 汲み取り、飲み込み、道を見出す者。

 大なり小なり刺激となる。小春のようにすでに己が道を見出している者以外にとって、湊が見せた自分の中に在る引き出し、その中身は何かしらを刻む。

「最後、エグ。絶対返せないじゃん」

「……ふひひ、私のカット、途中でちょっと採用されてた。嬉しい」

「あ、それ思った。ってか、改めて明菱の人たち、いいなぁ」

「あの黒崎豹馬君から1セットもぎ取る実力者に教えてもらえるんだもんね。そりゃあ上手くなりますよって感じ」

「もちろん努力もあるだろうけど、羨ましい環境だよねえ」

「ねー」

「こらこら、皆さん居る前なんだから」

「部長が先に言ってた」

「そうそう」

「うぐ」

 能登中央の面々から見た、明菱の環境。佐伯湊、不知火湊がつきっきりで教えてくれる環境は、彼女たちからすれば喉から手が飛び出るほどに欲しいものであった。

 それを当たり前と思える幸運を、彼女たちもまた突きつけられる。

 まともな部が存在しない場所に現れた一人の元神童。

「ひひ、でも、とても幸運なのは、事実。大事に、した方が良い」

「そ、そうね、その通りだと、思う」

 九十九すずの言葉に神崎沙紀もまた頷くしかない。

 代表候補の一人、国内にごまんといる競技者の中で上位二十名に入る化け物を倒せる化け物、それが不知火湊であるのだ。

 そんな幸運、何処を探しても存在しない。

 彼が此処にいること自体、ファンタジー以外の何物でもないのだ。

「ま、全ては我らが先代部長、光が繋いでくれた、から……あれ?」

 沙紀は先ほどまでいたはずの光がいなくなっていることに今更気づく。全員、あれ、と首をかしげる。

「不知火もいねーな」

「あの小僧、まさか!」

「「コーチ(湊君)の貞操がヤバい!」」

「逆ゥ!」

 怒りの沙紀が席を立とうとするも、

「いい上映会でした。折角ですので今日の学びを皆さん、文字化してアウトプットしておきましょう。より濃く、意義のあるものとするために」

 黒峰が全員を征す。

「し、しかし、あの、スケコマシがァ」

「不知火生徒にそんな甲斐性はありません」

「……黒峰センセーもひでーこと言うな。事実だろうけど」

 沙紀もようやく落ち着きを取り戻す。言うて湊だし何も起きんやろ、と。先生ですらそう思うのだから明菱の恥部は伊達じゃない。


     〇


 暗い場所が怖かったので玄関口の明かりのあるベンチに座り込んでいた湊。もっと上手くやれた、やらなきゃいけなかったと自省していた。

 其処に、

「凄かったねえ、試合」

「さ、佐村先輩!」

 こっそり抜け出した湊が心配で後を追ってきた光が合流する。

「隣いい?」

「もちろんです。その、汚いベンチですが」

「こら、他所の学校だよ」

「そ、そうでした」

 神崎沙紀と言う鉄壁の女が存在する以上、この合宿では接近すら難しいと思っていたのに、まさかまさかの好機が訪れる。

(……まさか、これがモテ期ってやつか? なーんかひめちゃん辺りからおかしいとは思っていたんだよ。しかし、ワンチャンあるなら何でもいい!)

 この男、モテ期を催眠術か何かだと勘違いしている節がある。

 モテ期ってすごい、それだけが独り歩きしていた哀しきモンスターがここにいた。スペックはかなり高いはずなのだが頭はあんまりよくない模様。

「格好良かったよ」

(流れ来てる! 乗るしかねえ、この――)

 加えて流れ論者。救えない。ギャンブルには向かない性格である。

「みんなに俺を見ろ! って……私にはそう聞こえたなぁ」

「……いや、まあ、もう少し上手ければ、参考にもなったんですが、たはは」

「ええ!? あれで!?」

「サーブもよく見たら回転方向バレバレなのありましたし、カットの切れ味もいまいち、コースはよくても落点がよくないのとか、その逆とか……あれがもっと経験豊富な徹宵とかだと、たぶん半分ぐらいは通じてないです」

「……凄い世界だねぇ。私なんてただただ圧倒されちゃってた」

「も、もちろん良いところもありましたよ。でも、どうせ見せるなら、もっと良いのを見せたかったなぁ、って思っただけで」

 黒崎豹馬が特別なだけで、上で戦う連中は誰も彼もが百戦錬磨。同じような粗も、穴も期待は出来ない。多少混乱ぐらい誘えはするだろうが。

 豹馬相手でさえ1セット持たなかったのだから。

「だけど、みんなにとっては完璧な湊君より、頑張っている湊君の方が刺激になると思うなぁ。湊君知らないでしょ、県予選でのみんなの真剣な顔」

「……そ、そうなんですか?」

「いつもはあんなに騒がしいのに、こーんな目つきでじーっと湊君のプレーを見ていたんだから」

 光は手を使って目を大きく、皿のように見開き湊を見つめる。湊はその視線にどぎまぎしてしまうが、それが伝わっている様子は皆無である。

「湊君の頑張りが、あの子たちを引き上げると思う。伝わっているよ、湊君の気持ち。湊君が考える以上に、伝わっている」

「……」

「私もね、大学でも卓球続けるつもりなんだ。部活か、サークルかは決めてないけど、絶対に競技はやめない」

「絶対部活がいいです。大学のサークルって悪い噂しか聞かないですし、一説にはテニスサークルの九割ぐらいが飲みサーで、その内の何割かがヤリサーだと」

「私のはテーブルテニスだから大丈夫」

「ほ、ほんとにぃ?」

 陰キャ方面からの情報しか入らない湊からすれば、大学のサークルなど悪の巣窟、魑魅魍魎が跋扈する性的な何か、でしかない。

 偏り過ぎて化け物と化していた。

「あと、私の志望校に何と、あの龍星館元主将の如月さんがいるんだよ」

「え、そうなんですか? と言うか先輩の大学って結構頭良かったような」

「如月さんと私同じくらいだよ。模試の結果」

「……化け物か、あの人」

 真の化け物は如月であった模様。湊も部活のことは無知と言え、強豪校のスケジュールは多少理解しているつもりである。勉強などする隙間はほぼ皆無。とある私立のスポーツ推薦組は所属するPコースを揶揄し、頭がパーコースと言われているほど。強豪のスポーツガチ勢に勉強との両立は難しい。

 だが、如月はそれが出来ていた模様。しかもキャプテンもこなしながら。

 完璧であったのだ。引き際が潔過ぎたこと以外は――

「如月さん、湊君のこと褒めてたよ」

「え、復帰してから一度も話してないですけど」

「もう一度立ち上がったのが尊敬に値する、だって」

「……」

 何ていい人なんだ、と湊は心の中で感動していた。

「まだ、如月さんは卓球をするつもりはないみたい。でも、折角の縁だからね。一緒にやりたいな、と思ってるんだ」

「そりゃあいいですね。あの人、本当に丁寧な卓球をする人ですし、滅茶苦茶参考になると思います。ただ、その、無理やりは――」

「もちろんわかっているよ。大丈夫、無理強いはしないから」

「なら、よかったです」

 心折れて引退。決して軽い選択ではない。途中で放り投げた自分と違い、彼女は小中高とやり切ったし、駆け抜けたのだ。

 湊は復帰した。でも、彼女もそうとは限らない。

「ちょっと話が逸れちゃったけど……私が卓球を続けられるのはね、湊君のおかげなんだよ。ずっと、ありがとうって言いたかったんだ」

「そ、それは――」

 逆だ、と湊は思う。あの体育館の片隅で、ただ一人壁に向かって球を打っていた、あの姿が在ったから、自分は――

「卓球の奥深さを、難しさを、たくさん教えてくれた。あのままじゃ私は何もわからないままだったから。きっと、卓球はやめていたと思う」

「……」

「みんなで大会に出て、実力は出し切ったけれど残念な結果で、少し欲が出ちゃったんだ。またやりたい。もっと勝ちたい。みんなと、もっと……」

「……佐村先輩」

 続けたかった。続けられなかった。あの日を悔いているのは何も、湊だけではない。光も、沙紀も、きっと小春も花音も、皆悔しい思いをした。

 そりゃあ現実は妄想ほど甘くない。素人がちょっと努力したぐらいで、何年も積み重ねている者たちに勝ったら、それはそれで理不尽だろう。

 勝ちに不思議の勝ちあり。負けに不思議の負けはなし。

 あの結果は正しい。だからこそ、悔しいのだろうが。

「来年、みんながそういう想いをしないような結果になったら、いいなぁって」

「……させますよ、俺が」

「うん、期待しているね」

 ただ、佐村光は知っている。時間の差を埋めるだけの特別が、明菱にはあることを。不知火湊と言う特別な存在。彼と共に在る環境こそが明菱最大の武器。

 彼の存在が一年を、二年を、ぐんと縮めてくれる。

 彼女はそう信じている。だって、自分がそうだったから。

「もっと、教える時間を取れるように――」

「それは違うよ、湊君」

「え?」

「今日の映像みたいにね、湊君が頑張っている姿が一番、みんなの刺激になると思うんだ。あの日の試合がそうであったように。だからね、湊君の試合を私はもっと見たい、あの子たちも同じだと思う。教えるだけじゃないよ」

「……」

「私たちはきっと、これからずっと、君を見て、君を追って、進むから」

「……」

「迷惑かな?」

「……いえ、逆です。モチベ、湧きました」

「なら、よかった」

 この年季の入った小汚いベンチでの会話が――

「見せますよ、これからも」

「楽しみ」

 不知火湊の人生を決定づけた。

 今までどうしたいのか言語化できていなかったことが、光の言葉でようやくすっと、飲み込むことが出来たのだ。

「そうだよね、みんな!」

「「「「っ!?」」」」

 隠れ潜んでいた明菱の面々がこそこそと現れる。

「は!? おい、のぞき見はなしだろ!」

「う、うっさい、部長なんだから風紀の乱れはね、取り締まる義務があんのよ!」

「「「そーだそーだ!」」」

「あ、あの三人、普段まとまらない癖に、無駄に団結しやがって」

「あはははは!」

 明菱に入らずとも不知火湊はいつか卓球を再開していたはず。彼にはそれしかなかったから。だけど、多分その先は一度目と同じ。今までのやり方に固執し、勝利を望みながら勝ち切れず、また舞台を降りる。

 そうなっていたはず。

 今の不知火湊があるのは彼女たちのおかげ。そしてそれは逆もまたしかり。

「すず?」

「……生まれて初めて、他の場所が羨ましいな、って、思っちゃった」

「……仕方ないよ。私でも羨ましいもん」

「ひひ、だね」

 そんな奇跡にも似た出会い。それはきっと誰にとっても必要なことであった。体育館の片隅で部活と言うコミュニティにしがみついていた少女と、全てを失ったと思い込み自分自身を捨てた愚かな元神童。

 その出会いが、今に、そして明日に繋がる。

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