第49話:真夏のシンフォニア
「砂、熱い、です!」
「そうですか。よろしい。では、波打ち際での運動を許可します」
「やったー!」
湊の懇願が叶い、部員全員が「ひゃっほい」と喜んだ。波打ち際でのバーピー運動を取り入れたサーキットトレーニングを行う。ちなみにバーピーとは腕立て状態から足を胸に引き寄せ、そのまま一気に立ち上がってジャンプする全身運動である。主に下半身をまんべんなく鍛えることが出来、自重トレーニングの中ではかなりの強度がある。筋トレと有酸素、両方の側面を持つトレーニングなのだ。
それを含めた計数種の自重トレーニングを組み合わせたものを連続して行うことをサーキットトレーニングと呼ぶ。
もも上げ、プランク、スクワットにランジ、クランチなど、自重の王道を幾重にも組み合わせることで、ちゃちゃっと色々鍛えられちゃうのだ。
もちろん、
「……ごめん、光。私、吐くね」
馬鹿ほどきつい。そもそも有酸素運動というモノは無酸素運動に比べきつい時間が長く、ながーく、継続する。ベンチプレスの10repなど一瞬で終わるが、プランクの一分間は永劫にも感じられるはず。
そんなものを連続して行うのだから、
「死ぬゥ!」
きついのは当然。佐村光の視線があろうとなかろうと、きついものはきついし、限界が来たら弱音の一つや二つ吐きたくなる。
まあ本物は、
「わふぅ」
弱音を吐く前に昇天してしまうのだが。
「起きなさい」
いつも通り気絶した小春の頭を引っ掴み、目の前の海で顔を洗う、と言うか拷問のようにしか見えない方法で天から呼び起こす黒峰。
警察が来たらまずい光景である。
「はっ!?」
「よく起きました。では、続きを」
「……小春、卓球したいなぁ」
「ええ。これが終わったら存分にしましょう」
「わふぅ」
覚醒した小春にも容赦なしの女帝黒峰。まあ実際に彼女は少々気絶芸をこなれ過ぎ、練習の強度を高く維持できていない傾向がある。
気絶すら甘え、それが黒峰響子の哲学である。
「鬼か」
「今更かよ、紅子谷」
「……テメエは余裕そうだな、不知火」
「まあ、こういうトレーニングは昔よくやったから。僕からしたらウェイトの一瞬で意識が持っていかれる感じの方が怖いけどね」
「……お前、黒センと何やってんだよ?」
「いつか君たちもやる練習。乞うご期待」
「……きちー」
やはり、其処で目を引くのは不知火湊の動き。疲労してくると如実に出てくるフォームの差。とにかく、どんな動きでも彼は崩れない。円城寺秋良もかなりのものだが、それよりもブランクが長いはずの湊の方が上手く、綺麗な動きであった。
綺麗に映ると言うことは、しっかりと身体がコントロール出来ていると言うこと。少しずつ錆を落とし、鍛え直している段階であるが――
「すず、やっぱ不知火さんは別格だね」
「ふひひ、眼福」
「そしてすずも余裕だね」
「こういう練習、あんまりきついと思ったことない」
「ちなみに私はもう吐きそう」
「くひ、安心して。今、あそこの部長さんが先に吐いてくれた」
「……何を安心すればいいの?」
「吐く用の金ダライが用意されていること」
ゲロッパしている無様なる神崎沙紀。其処には用意周到なる黒峰が用意していた金色に輝く大きな金ダライがあった。
みんな、吐くときはここで吐きましょう、とのこと。
「……加賀国怖ェ」
「ひひ、一向一揆の、百姓が治むる国だからね。修羅修羅」
能登国に生きる者たちの感想。
それを聞き、
「オェエ……あのね、百姓じゃなくて、本願寺! にわかは寺社を大名と別の勢力にみなしがちだけど、寺社が土地を実質的に治めるなんて普通のことだから!」
歴女、神崎沙紀が吼える。
「元気そうですね」
「……すいません、つい」
「再開、どうぞ」
「へい。やらせていただきやす」
黒峰の冷たい視線と共に、沙紀は今一度立ち上がる。先ほどの元気は何処へやら、吐くだけあってフラッフラであった。
「あのさ、気づいたんだけど」
「何ですか、部長」
「……これ、波打ち際の方が負荷強くない?」
「まあ水ある時はきついですよね。抵抗の分。でも、ひんやりして気持ちぃ――」
「私、熱いの我慢できたけどなァ!」
「……すんません」
湊、すぐさま謝罪に追い込まれる。基本、眼鏡をしている時は部内の立場が弱いのだ。これが男一人の哀しさか。
女性の楽園に夢見ることなかれ。
青々とした空。燦々と降り注ぐ太陽。白、くはないけど綺麗な砂浜。目の前には広大な海が広がり、まさに夏一色と言った風情。
そんな楽園のような世界に響き渡る――
「オェェェエエ」
合奏曲(シンフォニア)。
〇
からの、
「ガンガン行くぞ!」
「ひゃい」
「返事小せェ!」
「はい!」
不知火湊、黒峰響子、能登中央の顧問、そして佐村光による鬼の多球練習。特に湊の台は地獄の一丁目。前後左右に正確無比なコントロールで動かしてくるのだから、体力の消耗がシャレにならない。秒速で削れていく気力、体力。
体力に自信のある能登中央の子たちでも続々と犠牲者が積み重なっていく。球を出す方も汗だく、必死で強い球を、より実戦に近い形で出し続ける。
「……きりちゃん。立てる?」
「すぐ、立つよ。だって、もったいないもん」
「ふひ、そうだね」
弱音まみれの明菱の面々と異なり、同じくグロッキーだが能登中央の子たちは率先して湊の地獄に飛び込んでいた。
「はぁ、はぁ、ほんと、体力あるわね、こっちの子」
「違うよ。沙紀ちゃん」
「……え?」
「私たちの当たり前はね、みんなの当たり前じゃないから」
「どういうこと?」
「私たちはね、とても幸運ってこと」
普段は天使のような優しさの光も、ここは心を鬼にして厳しい球を出す。朝、湊や教師陣、光の四人で話し合った。
今日は限界まで追い込む日だ、と。
フィジカルトレでも、卓球でも、どちらもとことん追い込む。人間、一度は限界を、天井を知る必要がある。自分が本当は何処まで出来るのか。本当の自分の天井は何処なのか。突き当らねばわからない。
なあなあな練習では、辿り着けない境地がある。
「一球一球集中しろ! 疲れたからって甘えたプレーをしていいわけじゃねえぞ! その一点で試合に負けてえのか! ああ!? 次ィ!」
能登中央の顧問の願いにより、余所行きの仮面を外した湊が吼える。厳しく、本気で向き合う。それを――
「ふひ、お願いしまァす」
「おう!」
彼女たちも望んでいるから。
〇
実はこんな僕にも悩みがある。
それはこのスマホの中に在る、とある動画についてである。
「……」
現在は練習終わりの夕食後、自由時間だ。僕と言えばのんびりと海沿いを歩きながら、時折立ち止まって送られてきたメッセージを返す。一日一回、決まった時間に趙から今日の総括、と言うか日記的なものが送られてくるので、自分もそんな感じの文章を返す。本当は合宿中やる気はなかったのだが、神崎先輩がスマホなんて自由と言うのだから、それを理由にやり取りをしないのは何か違うかな、と。
それに名門龍星館所属の日記は、これがまた結構参考になることが多く、僕としてもこのやり取りは結構ありがたかったりする。
と言うのは余談で――
「……これ、どうしようかな?」
問題は那由多に撮ってもらった動画、であった。我ながら結構いい試合(初見殺し感は否めないけれど)だったとは思うが。これをどんな顔をして見せるべきなのかがわからない。ドヤ顔? それとも上から目線で「参考にしろ」的な?
何か違う。そもそも、自分で見直すならばともかく、人に見せると考えたら結構恥ずかしいな、と思ってしまう。
あの時はこれだ、と思ったんだけどな。
どうしたものか。見せるべきか、それとももう少し練習を重ねて、完成度を上げてからの方が良いかもしれない。でも、相手がなぁ、むしろ紅子谷には黒崎さんの方を見せたいし、そう考えると見せた方が良い気もする。
でも、恥ずかしいし、どんな流れで見せるべきなのかがわからない。
そして日が経つごとに、こう、出し辛くなってくるのだ。
「……まあ、今日はみんな疲れているだろうしいっか」
とりあえず明日考えよう。そうしよう。
〇
「はーい、上映会会場です」
「わーい」
宿に戻ると何故か能登中央の視聴覚室集合と言われ、夜の学校怖いなぁと思いながらやってきたら、まさかの上映会。
しかも、
「黒崎選手だって!」
「嘘!? 豹馬君めっちゃ好き!」
「顔良し、スタイル良し、しゃべり良し、卓球良し、完璧過ぎる!」
どう見ても上映する映像が、自分と黒崎さんの試合だった。あと、その通りだけどあの人馬鹿だからね。試合の経緯教えちゃおうかなぁ!
ってか、それよりも……どういうこと?
「あんたがぼさっとしているから」
「え、いや、その、神崎先輩は何処で、動画のことを」
「星宮さんから送られてきた。どうせ恥ずかしがって見せられないだろうから、こちらから渡しておきます、だって。素晴らしい幼馴染をお持ちだこと」
「……」
ぐぬ、那由多め。要らぬ世話を。僕には僕のタイミングってのが……それに、能登中央の子たちにまで見られるのはとても恥ずかしい。
すでに羞恥で逃げ出したい気分。
「私は、あんたから見せて欲しかったけどね、動画」
「……へ?」
「あんたの厚意を笑うほど、私たちは馬鹿に見える? 薄情に見える?」
「……」
「今度はあんたから見せなさいよ。恩着せがましくね」
「……はい、部長」
「よろしい。で、いい試合だった?」
「……そのつもりです」
「よし、じゃあ見せてもらおうじゃない」
パンパン、と背中を叩いてくれた先輩は、とても昼間にゲロを吐き倒した人には見えなくて、何だかんだと年上なんだな、と思った。
さらし者上等。たぶん、明菱のみんなはわかってくれる。
それで充分だ。
「せっかくだし映画見ようぜ、映画」
お前はそうでもなさそうだけどな、紅子谷。
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