第48話:海

「不知火湊、あんた連絡返しなさいよ!」

 宿に戻ると怒り心頭の神崎沙紀に呼び止められる湊。

「連絡、ですか?」

「スマホに送ってんでしょ」

「やだなぁ、合宿中ですよ。スマホは動画撮影とか、練習にかかわることにしか使いませんよ。外界から遮断されてこその、修業ってやつです」

「……あのね、安否確認とかあるでしょうに。それに練習中以外は連絡しようがゲームしようが関係ないし。今令和よ」

「……へ? でも、部活の合宿って、そういうものなんじゃ」

「漫画の見過ぎ」

「……」

 合宿への幻想が崩れ、しゅんと肩を落とす湊。正直、実は疑問に思っていたのだ。いつスマホが没収されるのだろう、と。ただ、いつまで経っても没収されないのは生徒の自主性を、自律の心を試しているのかもしれない、などと推測していた。

 全部湊一人の空回りである。

「……あ、連絡来てる」

「当たり前でしょ、送ってんだから。ちなみに早朝のストレッチはみんなでやったから、あんたは能登中央の子たちにでも頭下げて協力してもらうことね」

「う、うす。……あれ?」

「なに?」

「あ、いや、先輩には関係ないことなんですけど、その、珍しい奴から連絡が来ているな、と思って」

「関係ないって言い方がムカつくから見せなさい」

「いやですよ」

「部長命令。さもないと光にあることないこと吹き込むから」

「せめてあることだけにしてくださいよ。いやまあ、別にいいですけど。先輩も知っている奴ですし、ただ、よくわかんないんですよね」

 湊は沙紀にスマホの画面を見せる。

「鶴来さん?」

「です。勝ったと思しきスコアボードの画像と、成敗! の一言だけで」

「……昨日って明進、試合じゃなかった? 青森田中と」

「……あっ」

 あまり興味がなかったので忘れていたが、そう言えば青森田中が石川遠征の中で指導者同士繋がりのある明進とも試合を組んだ、と聞いていたような。

 ただ、明菱には関係ないしどうでもいいや、と完全に失念していた。

「……青柳さん? いや、それならわざわざ僕に連絡なんてしてこない。あいつ、基本的に連絡寄越さないし。ってことは――」

 湊はぺこぺこ、と下手くそな操作をする。友達の少ない彼は最近まで滅多にスマホの文字を打つことなどなかったのだ。最近は趙などのおかげで多少増えたが。

 湊は短く、ひめちゃん? と送った。

 すぐに既読が付き、

『遅い! 色惚け豚を殺した。次はお前』

「……」

 物凄く怖い文章が速攻返って来た。

「色惚け、ねえ。ふーん」

「あ、いや、違、ただ、その、デートの約束をですねえ」

「デート」

 うっかりの一手。この男、卓球が絡まないと何処までもポンコツに成り下がる。基本的にアンポンタンなのだ、不知火湊は。

「……あの、佐村先輩への口止め料は如何ほどになりますでしょうか?」

「そんなの要らないって。とりあえず、連絡はつくようにしとくこと」

「りょ、了解です!」

「ならよし」

 何て寛大な先輩なんだ、と湊は心の中でむせび泣く。この人について行こう、湊は心の中で固く誓った。人格者やで、と。


     〇


「コーチ! デートってなに!?」

「……」

「へえ、やることやってんだな。普段は眼鏡の分際で」

「……」

「湊君、厳しいことを言わせてもらうけれど、競技者として未だ道半ばの我々が恋愛なんて寄り道をするのは得策ではないよ。清廉な心を持ち、健全な人間関係を形成することこそが遠回りなようで近道なのだと――」

「……」

「湊君! お付き合いしている彼女さんってどんな子なの?」

「……ふぐ」

 他三名の言葉はともかく、佐村光のきらきらした問いには湊の心は深く傷ついた。何しろ微塵も、ほんのひとかけらすら嫉妬の心が見えなかったのだ。

 恋バナにワクワクしている表情でしかない。純度百パーセントの。

「か、神崎先輩!」

「あら、口止め料は要らない。言いふらすからって意味だったんだけど」

「鬼! 悪魔!」

「おーほっほっほ! 眼鏡の分際で恋愛なんて百年早いのよ」

「……ちくしょう」

「ちなみにさっき、明進の鶴来さんと電話して裏取りしましたぁ。お相手は姫路美姫さんと言う人らしいです。さ、検索検索っと」

「やめろー!」

 信じていた先輩に裏切られ、血の涙を流す湊。しかし、信じた相手が悪かった。普段は陽キャとしてイケてる雰囲気の沙紀だが、実は彼氏いない暦=年齢である。まあ、明菱の面々は哀れにも全員そうなのだが。

 ゆえの怒り、嫉妬、足を引っ張ることにためらいはない。

 湊如きに先んじさせるわけにはいかないのだ。

 その辺は湊ら恥部四天王と大差なかった。

「……姫路、美姫?」

 その名を聞き、円城寺秋良が硬直する。

「ほーん、知ってんのか、王子。あたしにも教えろ」

「いや、知っていると言うか……その前に、鶴来美里が勝ったんですか? あの、姫路美姫に?」

「色惚けして肥えたやつには負けん、って言っていたわよ」

「……うっそぉ」

 元全国区のペア、とは言え青森田中ジュニアで頭角を現し、一躍全国トップクラスとなった姫路美姫は完全に雲の上の存在である。

 練習試合とは言え、あの名門が勝負の場で手を抜き、敗北と言う結果を残すとは考えられない。全力で戦い、そして打ち破ったのだ。

 鶴来美里が一刀両断した。

「姫路美姫って……おい待て、滅茶苦茶可愛いじゃねえか!」

「む、胸も……ぐぬぬ、小春、この子大嫌い!」

「沙紀ちゃん、凄く綺麗な子だよ!」

「……嘘、ありえない。お願い、せめてブスであってよ」

「……先輩の心の方がブスですよ」

 可愛い、可愛い、あの小春までそれを否定していない。確かに彼女は昔、とてつもなく可愛かった。それはもうお姫様のようだった。

 でも、今は少しばかり肥えてしまっている。もちろん、湊は彼女の話を聞き、苦労をして卓球のための肉体改造でああなったことは聞いた。

 そうして結果を残したことは素晴らしいことである。

 ただ、全員が手放しで褒め称えるなどと言うことがあるだろうか。

 結構なぽっちゃりさんだったはずだが――

「僕にも見せて」

 ひょっこり、彼女たちが見つめる画面を覗き込む。

 其処には、

「なっ!?」

 インターハイで星宮那由多を下した瞬間の、笑顔の彼女が映っていた。しかし、細い。インターハイと合同練習までそれほど日が経っていないはずだが、明らかにひと回り、下手すると二回りは細い姫路美姫がいた。

 かつての、お姫様に見えた姿に近い。さすがにそれよりは太いが。

「ちょっと、馴れ初め聞かせてもらおうかしら?」

「た、ただの幼馴染ですよ! それに、デートも色々ありまして」

「本当にデートするの!? ダメダメダメダメ!」

「だ、だからぁ――」

 黒崎豹馬の話から順番に説明するまでかなりの時間を要した。ちなみに説明しても意味がわからないと言われたが、それに関しては湊も同意見なので仕方がない。そもそもあの場でデートを賭けたのが意味わからんのだから。

 あと必死の抗弁で気づいていないが、勝者である鶴来美里からの連絡はあったが、敗者であるらしい姫路美姫からは、無い。

 まあ、結果として下手に触れなくてよかったのだが――


     〇


「姫路、そろそろ機嫌を直せ。今日は女子の方に田中総監督がお見えになる。昨日のような失態は許されないぞ。私たちは――」

「わかっていますから……少し黙ってください」

 エアコンも切った状態の蒸し風呂のような部屋、その片隅に干ししいたけを口に含みながら、少しでも水分を抜き軽量化を図っている姫路美姫がいた。実際に、龍星館との試合より、昨日の明進との試合より、痩せている。

 その眼は、普段の温和なものと違い鋭く、猛禽のようであった。

「その癖をやめろ、と何度も言っているだろう。しかもたかが練習試合で、水抜きまでする必要はない。いつか身体を壊すぞ」

 主将、青柳の言葉は正論である。

 だが、

「急激に痩せると、昔の感覚を取り戻しつつ、パワーも残るんです。これで私は那由多をぶっ殺しました。昨日は、本当に、本当に最悪でしたよ。あの女、昔みたいに勝ち誇りやがって……あの時と同じ眼ェ、ゼッテェ、許さねえからなァ」

 卓球に限らず、スポーツの世界は時に精神論が正論を凌駕することがある。特に卓球はメンタルなスポーツであり、其処に大きく結果が左右される。

 姫路美姫は、

「鶴来美里ォ」

 こうして狂気の淵に立つ時が一番強い。太って結果を出せるようになった。それでも星宮那由多には届かなかった。どうしても体の重さが、昔の感覚を阻害してしまっていたから。だが、太って急激に減量すると、その両立が出来ると彼女は気づいた。気づくと言うよりもそう思い込んでしまった。

 田中総監督や女子の監督、コーチ陣に何度言われてもやめない悪癖。されど、それで彼女は数多の白星を、結果を出してきたこともまた事実。

「取るに足らなくて忘れていたけど、そうでしたね。元凶は貴女でした。ありがとう、私に戦う理由をくれて。帰ってきてくれて。もう那由多はいいや。別に負けても。でも、お前ェには負けてやらない。今度絶対、お返ししますからねェ」

 そうなると誰も何も言えない。

「さ、とりあえず青陵でしたっけ? 雑魚、殺しに行きましょうか、主将」

 彼女が一番強いから。強豪校は強い者が正義、結果を出した者が正義。

 姫路美姫はこの方法で結果を出し続けているのだ。

「……ああ」

 立ち上がった姫路美姫。急激で、無理やりな減量を経て、彼女は強くなる。

 これが姫路美姫の、危険極まる調整法である。


     〇


 そんなことになっているとは露知らず、

「ぶは、ぶは、ひぃ」

 不知火湊を含む全員が今、真夏の砂浜で地獄を見ていた。

 砂浜ダッシュ、シンプルかつ効果的なトレーニング方法である。

「足先で地面を蹴る感覚を掴みなさい! もっと、もっと強く! ただ力むのではなく、瞬間に、そう、ぐっと力を込める!」

 何組か海水浴客が来ているも、お構いなしに駆け回る明菱の面々。その疲労困憊な姿は、海水浴客たちの心を凍てつかせるには十二分であった。

 しかし、女帝黒峰は忖度しない。

「その感覚は様々な競技に応用が出来ます。強く、鋭く、素早い動きをするためには必須の技術です。さあさあ、まだまだ走りますよ!」

 そして容赦もしない。フィジカルトレーニングを省略し、卓球と言う競技にだけ注力していたから、彼女たちはこの短期間でグッと伸びた。しかし、ここから先のステージを目指すためには、フィジカルの向上が不可欠である。

「……みんな、すごいなぁ」

「貴女もよく頑張りました。まだまだ動けるようで安心しましたよ」

「あはは」

 佐村光は死に物狂いで走る部員たちを見て、ついていけなかった自分の弱さに悔しい気持ちを浮かべていた。あと一年早く、不知火湊が現れてくれていたら、あと一年遅く自分が生まれていたら、きっとあそこに混じれていたのに――

「悔しいです」

「なら、大学で見返しましょう」

「……はい」

 彼女の悔しさはきっと、他の部員たちにも伝わっている。だから、いつもはすぐに弱音を吐く面々も、誰一人としてそうしないのだ。

 ある意味明菱高校卓球部、最大の功労者。その引退をかけた大会で活躍できなかった、彼女をもっと続けさせてあげられなかった。

 その想いが、

(……参ったね。君たちが緩めないと、私も緩められないじゃないか)

 明菱の足をさらに一歩、進める。

「さあ、私たち能登中央も続きましょう!」

「えー!」

「えー、じゃない。ファイト!」

 能登中央の卓球部顧問がごねる部員を叱咤する。良くも悪くも九十九すず以外は緩い面々であったが、実はこの顧問、大学までテニスをしていたスポーツウーマンであり、根っこには熱い体育会系の血が流れている。

 なので、一度火が付くと、もう止まらないのだ。

 真夏の砂浜、死に物狂いで走る集団がもう一つ、追加される。

「ダッシュの次はバーピー、いきましょうか」

「バッ!?」

 もちろん、走るだけでは終わらない。黒峰塾は始まったばかりである。

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