第46話:山

 海もあり山もある。

 特にこの能登中央のある場所は海と山が極めて近い。漁港のすぐ後ろが山となっており、かなりの高低差がある。実は加賀地方、なんやかんやと平野部に住んでいるとあまり高低差に直面することがない。精々線路を潜ったり、上によけたり、そう言う場所の坂道程度しか斜面を味わうことが出来ないのだ。

 正直言って能登中央は強豪ではない。試合経験のことだけ考えたなら、明進や青陵などと試合を組んだ方がずっと実になる。

 しかし、

「頑張ってくださーい、明菱の皆さーん」

「ひぃ、ひぃ、ひぃ」

 こういう地形はあちらにはなかなかない。海と山が織りなす高低差が生む激坂、これを登り、降る。それが生む負荷は並大抵ではない。

 能登中央の子たちは皆、この近辺で生まれた子たちばかり。何ならもっと山深い場所からえっちらおっちら通う者もいるほど。

 海も山も彼女たちのホームグラウンド。

「くひひ、お先に」

 能登中央のエース、九十九すずが登る面々を差し置いて単身降っていく。すでに登り終え、折り返してきたのだろう。体力の桁が違う。

 明菱の面々が全員、息が上がっている状態なのに、すずはにちゃにちゃ笑いながらジョギングとでも言わんばかりの乱れぬ呼吸と共に駆け下りていくのだ。ちなみに彼女の笑い方だが、決して煽っているわけではない。

 対人が苦手過ぎて、愛想笑いが謎の進化を遂げた結果ああなったらしい。本人も改善しようと思っているらしいが、ほぼ無意識で出てしまうそうな。

「はぁ、はぁ、凄いなぁ、九十九さんは」

「くひゃっ!?」

 あまりの体力差に感嘆の声をあげる湊、その言葉を受け眼下のすずは転びそうになっていた。その様子を見てチームメイトはゲラゲラ笑う。

 そう、他の子たちもそれぐらいは余裕があるのだ。

 何せこの坂の上り下り、能登中央のウォーミングアップでしかないから。

「そういう、テメエも、意外と平気そうじゃ、ねえか」

「いや、きついよ」

 花音の言葉に湊はきつそうな顔をして返すが、そう言うレベルじゃないぐらいきついんだよこっちは、と花音はぶちぎれる。

 それは他の四名(佐村光は仕方ないとして)も同じ。

「さすがだね、湊君」

「いやいや、円城寺の方こそ。でも、やっぱ能登中央の子たちは凄いな」

「本当にね」

 不知火湊、円城寺秋良、この二人は地金が違う。坂道も苦しそうではあるが、それでも足並みに乱れはなく、ぐんぐんと登っていく。

「アスリート、か」

「わふぅ」

「やっぱり凄いね、あの二人は」

「腹立つけどね」

 花音、小春、光、沙紀、彼女たちは嫌でも差を痛感する。競技者としてしっかり鍛え上げた経験を持つ者と、そうでない者の差を。


     〇


 ウォーミングアップを経て、まずは挨拶代わりの試合が行われた。公式戦と同じルールで行われる団体戦。これはもう完全に――

「明菱高校の勝ち!」

「「ありがとうございました!」」

 明菱が上回った。課題のダブルス、そしてエースの九十九すず相手には星を落としたが、それ以外は危なげなく勝ち切って見せた。

 この辺りは地力がついてきた証。

「みんなすごく上手になったね」

「毎日頑張っていますから、あいつら」

「いいなぁ」

 見学する佐村光は嬉しそうな、そしてどことなく羨ましそうな表情で勝利した後輩たちを見つめていた。その横顔を見て湊は想う。

(何故僕はもう二年、いや、一年早く生まれていなかったのか)

 と。

 そうしていたら佐村先輩にこんな寂しそうな顔などさせず、みっちりと、濃密に、お邪魔虫なしのマンツーマンで『指導』が出来たと言うのに。

 そんな最高に気持ち悪いことを考えていた。

 そもそも、二年も早く生まれていたら貴翔の台頭が間に合わず、明菱高校に通うことなど無かった、と言うのは詮無い話であるが。

(……でも、九十九すずはやっぱり凄いな。モノが違う。嫌がられるプレースタイルだけど、完遂するだけの体力と粘り強さがある。香月じゃ相性が悪そうだから、とりあえず同じカットマンの円城寺をぶつけてみたけれど――)

 S1を奪われた小春は勝ったのに終始不機嫌。S1で敗れ去った秋良も悔しそうである。同じカットマン同士、わからされた悔しさもあるのだろう。

「不知火生徒」

「何ですか、先生」

「折角の機会ですので、皆さんに技術指導をお願いします」

「僕がしゃしゃり出て大丈夫ですか? その、能登中央の先生もいますし」

「むしろお願いしたい、と」

「なら、やってみます」

「紳士的な指導をお願いしますね」

「合点承知」

 黒峰の命令に従い、余所行きの不知火湊が出陣する。

「今日、未熟者ながら皆さんの指導をさせていただく不知火湊です。至らぬところもあると思いますが、どうぞよろしくお願いします」

「ふ、ふぉぉぉおお」

「本物だぁ」

「……」

「九十九! 死ぬな、九十九ォ!」

 想像以上の歓迎ぶりに湊は苦笑いするしかない。能登中央の子たちは皆有頂天。その裏で面白くなさそうなのは明菱の面々である。

「鼻の下伸びてんぞぉ」

「小春の! コーチなのになぁ」

「同感だね。私の! コーチだけれど」

「どうせ多球練習でしょ」

「あはは、湊君と言えば、だね」

 とりあえず彼女たちは無視してしっかりやる。何しろ、普段の練習とは異なり黒峰の眼が常時輝いているのだ。

 下手なことをすると、後でシャレにならないことになる。

 ゆえにここは、

「まず時間で区切って、全員フリーで練習しましょう。都度、僕がこうした方が良いんじゃないか、と言うアドバイスを入れていきます」

「はーい」

 紳士湊で行く。

 いきなり多球練習ではなくぬるい開幕に、

「依怙贔屓野郎め」

「ええかっこっしい」

 花音と沙紀の罵声が飛ぶ。当然、湊は無視するが。


     〇


「振り切るのは大事だけど、其処までフォロースルーは大きくなくていいよ。なるべくコンパクトに、ミートの瞬間にぐっと力を入れて、戻す」

 実践を交えながら丁寧に指導していく湊。この辺りは龍星館などに出向き、社交性を鍛えた甲斐があったというもの。

 明菱での鬼モードではドン引かれること間違いなし。

「ツッツキで短く返すのも良いけど、折角なら奥へ速い球で返してみようか。意外とこれ、刺さる相手には刺さるよ」

「はい!」

 各選手のプレースタイルを見ながら、其処に応じた技術を修正したり、付け加えていく作業。相手の卓球をよく見なければできないし、その上で頭の中で上位互換を探し、其処から必要な何かをくみ取っていく。

 それを滞りなく伝えることもなかなか難儀な作業である。

「……おい、あたしにも何か言えよ」

「パッと言える点はすでに言ってるから特にないけど」

「よそ様には優しいな」

 今日もそうだが、他所と合同練習をする際、湊は基本的に相手の方ばかり面倒を見る。それがどうにも花音や他の面々には不満であるらしい。

 口に出したのは花音だが、小春など打ち合いながら首をぶんぶん縦に振っていた。なかなか器用なものである。

 だが、

「そう? 逆のつもりなんだけどなぁ」

 湊には通じない。普段厳しく指示しているし、気になることは全部言っている。加えて他所の眼があるところであまり細かく指導を入れたくもない。

 何処で誰と戦い、それが元で敗れるかもしれないから。

 特に――

「あ、あの、不知火さん! すずにも指導お願いします!」

「き、きりちゃん。いいよ、そんな、怖れ、おおい、から」

「じゃあ、九十九さんは俺とやろうか」

「ふひゅ!?」

「やったね、すず!」

「ひゅー、ひゅー、ひゅー」

 九十九すず。

(この子の前で、皆の欠点を指摘はしたくない。秋の大会でも当然、当たる可能性はある。選抜は全国どころか世界にもつながる大会だ。勝てるなら、勝たせてあげたい。そのための障害相手に、おいそれと手の内は見せられないから)

 湊の親心。何だかんだと皆のことを思っているのだが――

「ぶーぶー!」

「光、あいつこの学校の子引っ掛けるつもりよ」

「沙紀ちゃん、穿ち過ぎだよ」

 その想いは全然、微塵も、彼女たちには届いていない模様。


     〇


 能登中央からほど近くの宿泊施設。其処で明菱の面々はお世話になっていた。能登中央の卓球部部長輪島切子の両親が経営する民宿であり、卓球部の合宿と言うことで割引もしてもらえた。その上、食事もかなり良い。

 海鮮を中心とした献立。良質なタンパク質、魚の脂質も素晴らしい。揚げ物は少なく、海の幸山の幸を堪能できる。食事に関しては黒峰がこだわった。味も大事だが、それ以上に体作りに重要な栄養補給を重視した。

 出来るだけリーンに、そう言う思いが食事に現れている。

 まあ、

「うめ、うめ!」

「うんまい、うんまい!」

「二人とも下品だよ。食事はもっと上品に頂かねば、ね」

「ほんと、凄く美味しい」

 彼女たちは味にしか興味はないのだが。

「美味しいねえ、湊君」

「……」

「湊君?」

「あ、めちゃ美味いですね!」

「だよねえ」

 普段、光から声をかけられたら光速で返すところだが、今の湊は少し物思いに耽っていた。その理由は、やはり九十九すず、である。

 今日、手合わせして分かった。

(……那由多相手に、あの卓球を通せるのか。とんでもないぞ、彼女)

 九十九すずは自分の想定よりもずっと強かった。星宮那由多を追い詰めたのは相性だと思っていたが、逆であったのだ。

 むしろ極めてミスの少ない那由多は、すずにとって苦手とする手合いであろう。無名であるのが不思議なほど。もちろん、今この地区は龍星館のせいで特に女子にとっては地獄の地区である。聖、那由多、遡れば美里もいた。

 他にも強い女子は沢山いる。おそらくかなり後になって伸びた子だとは思うが、それにしても無名なのはおかしい。黒崎豹馬とはまた別種の異常なフィジカル、特別な何かが在るとしか思えない。

『はぁ、はぁ、はぁ』

『ふしゅる!』

 どれだけ長丁場になろうとも、微塵も落ちぬ運動量。本当に、全然落ちないのだ。どれだけ揺さぶろうとも、前後に、左右に、あれだけ揺らしたのに――

(……危うく、負けかけた)

 相手のミスを待つオールドスタイルのカットマン。今となっては絶滅危惧種となったそれに、湊は危うく負けかけたのだ。

 傍目ではわからないこともある。香月小春との一戦でわかった気になっていた。だが、自分でやり合ってわかった。

 九十九すず、あの子はモンスターである。

 有栖川聖、星宮那由多、姫路美姫、そして鶴来美里、其処に割って入り得る存在。


     〇


 夜の海、深淵揺蕩う常闇の世界に――

「すずー! 無理しないでねー!」

「ふひ、大丈夫。湊君に、明日の朝も、美味しい魚、食べてもらう」

 一人の少女が飛び込んだ。

 まるで其処が自らの故郷と言わんばかりに。

 それから十分――まだ彼女は浮上しない。

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