第45話:ウキウキの夏合宿

 不知火湊はウキウキ気分で身支度を整えていた。部活の合宿、初体験のそれが楽しみで仕方がなかったのだ。湊はまともに部活動を経験したことがない。他県への遠征、ジュニア選抜の合宿、果ては国際試合も経験しているが、それらとはやはり趣が違う。何よりも今回、佐村光元部長が参加するとのことなのだ。

「海はひろいーぞーでっかーいぞー」

 謎の歌を口ずさみ、脳裏に浮かべるは佐村先輩の慎ましやかな水着姿である。普段は巨乳派の湊であるが、佐村先輩であれば話は別。

 そりゃあ香月小春や紅子谷花音の方がデカい。彼女たちと比べるとささやかな方の神崎沙紀よりもなお小さい。

 円城寺秋良と佐村光、新旧『絶壁』ペア。

 それでも湊の眼には神々しく映るだろう。彼女のちっぱいは。

「湊ー、そろそろ時間よー」

「はぁい」

 本日は遠方への合宿ゆえ、早朝からの出発である。すでに湊以外の小松方面の皆は回収されて、こちらへ向かってきているはず。

 そう、

「……すげえ、時間ぴったり。定刻通りだ」

 大型免許を持つ卓球部顧問の黒峰先生が運転する、マイクロバス(レンタル)が時間通りに不知火邸の前へ到着した。

「おはようございます、黒峰先生」

「おはようございます、お母様。大事なお子様の命、わたくし黒峰響子が身命を賭して預からせていただきます」

「死ななければ好きにしてくださいな」

「承知いたしました」

 若干、湊にとって不穏な会話が聞こえた気もするが、気にしても仕方がないので流す。大事なのはバスの中、すでに乗っているはずの『先輩』の隣を確保する。

 それが全てである。

「おはようございます。よろしくお願いします。乗ります」

「もう、この子ったら。すいません、礼儀知らずに育ててしまい」

「構いませんよ。それに――」

 黒峰は勢いよくバスに乗り込む湊へ一瞥を向け、

「――浮かれていられるのも今の内ですから」

 不敵に微笑む。

「馬鹿息子をよろしくお願いします」

「お任せください」

 一方、バスに飛び込んだ湊が見たものは、

「小春の隣ィ」

「イケないチワワだね、君は」

 ほっぺをつねり合う小春と秋良が二人掛けの席に一人ずつ座り、湊の隣を確保しようと醜い争いを繰り広げている。花音は威風堂々、一番後ろの席を一人で占有しぐーすか眠っていた。大胆不敵にもほどがある。

 まあそれはいい。大事なのは――

「部長、席替えしませんか?」

「しないから死ね」

「沙紀ちゃん!」

 当たり前のように佐村光の隣を死守する神崎沙紀の存在であった。ご丁寧に光を窓際に寄せ、通路側を自らが死守するほどの徹底ぶり。

 対不知火湊への布陣である。

「先生! 男女平等参画社会基本法の理念に基づき――」

「不知火生徒はこちらです」

 バスに乗り込んできた黒峰が湊の席を指定する。

 自分の背後、ボッチ席を。

「だ、男女平等参画社会――」

「こちらです。男女は平等であるべきですが、同時に区別も必要です。健全なる部活動を行うため、そこの区別はしっかりやらせていただきます」

 圧政、圧倒的圧政を前に湊は激怒した。必ずこの邪知暴虐のうんたらかんたらを何とかして、佐村先輩の隣に座ると言う欲望を満たさねば、と思ったのだ。

 まあ、

「ぐすん」

「では、出発します」

 圧倒的力を持つ女帝の前では湊如きなぞ無力。寝る花音、もはやなぜ相争うのかわからなくなりながらも頬をつねり合う小春と秋良。そしてボッチとなった湊を他所に受験トークを仕掛けて光を独占する沙紀。

 許せない。許してなるものか。

 不知火湊は心の中で涙を流しながら臥薪嘗胆、機を窺うことにした。合宿は一週間もある。そして目的地の能登には海も山もあるのだ。

 必ず、必ず好機は巡ってくるはず。

 その想いを胸に――ぼっち君は伏する。


     〇


 石川県は元々、加賀国と能登国の二つの国が合体して生まれた県であった。縦に長く、インフラの関係上加賀と能登の行き来は結構しんどい。

 そんな二つの国を繋ぐ最重要インフラが――

 のと里山海道、であった。かつて能登有料道路との名の通り有料であったが、今では無料で開放され日夜高速道路と同じく神速のプロボックスやイキリセダンが爆走している。ずっと海沿いを走るのでしばらくは景観に見惚れるが、某看護大学を過ぎた辺りで普通に飽き、黙々と前だけ見つめて走ることになる。

 そんな道をマイクロバスはひた走る。

 ボッチの湊は「すやぁ」と眠る。

 頬の引っ張り合いをしていた小春と秋良も休戦し、しばらくして寝落ちた。

 光と沙紀は仲良く入眠。

 そして――

「……んだよ、寝過ぎだろ、こいつら」

 最初に爆睡し過ぎてお目目がパッチリの花音は一人むすっと景色を見ていた。どちらかと言えば家は山寄りだが、別に小松もちょびっと行けば海があるので物珍しくもない。同じ日本海である。年々砂浜が減少し続ける千里浜も、昔は凄かったらしいが今となってはちょっと長い砂浜でしかない。

 車で走れる砂浜であるが、ここを爆走すると当たり前だがシャーシは砂まみれになり、車から降りた日には車内も砂まみれになること請け合いなので要注意。

 無論、明菱の面々がそちらへ行くことはない。

 締まりのない顔つきだが一応観光ではないのだ、一応。

「暇だな」

「運転、やりますか?」

「……め、免許ないっす」

「冗談ですよ」

「……あ、はは」

 未だ拭えぬ女帝への恐怖。腕力には自信があった花音を容易く粉砕する腕っぷしと技術、喧嘩じゃ永遠に勝てない。そう理解させられた。

 そうでなくとも冗談が冗談に聞こえないのだ、彼女は。

(だ、誰か起きろよ)

 空気感に耐えかね花音は皆の復帰を願う。

 しかし、誰も起きない。起きる気配すらない。爆睡である。

「しりとりでもしますか?」

「そ、それも冗談、です?」

「いいえ。ガチですが?」

「り、りんご」

「ゴリラ」

「ラッパ」

「パンダ」

「ダチョウ」

 地獄のような雰囲気の中行われるしりとり。たぶん、今目覚めても光以外は寝たふりを続けるだろう。ちょっとしたデスゲームぐらいの圧があるのだ。

 黒峰の声には。

 ちなみにパンダは肉食だが色々あって笹を主食とし、起きている間無限に笹を喰わねば餓死してしまうほど、常にバチクソ栄養不足らしい。

 ダチョウはバチクソ馬鹿らしい。

「ウーパールーパー」

 この前動画サイトで見たバチクソ面白い動画を思い浮かべながら、花音は必死に黒峰とのしりとりに興じていた。

「ぱ、ぱ、ぱ、パタスモンキー!」

 何故か降車後、体重が一キロ落ちていたらしいが詳細は不明である。


     〇


 能登中央高校、能登にある普通の県立高であり、能登の中央はこっちじゃいと八尾(七尾)などからツッコミが入る程度には先っぽの方にある。まあ、真の先っぽである珠洲の民からは無礼るなガキが、と言われそうであるが。

 そんな中央でも端っこでも無い能登中央へ、

「明菱高校卓球部です。よろしくお願いいたします」

「よろしくお願いします!」

 明菱高校卓球部が殴り込む。

「佐伯湊だ!」

「本物!?」

「ふしゅる、ふしゅる、湊君、はぁはぁ」

 迎え撃つは今年の県予選のダークホースであった能登中央の面々。

 その様子を見て湊は、

「先生、僕ちょびっと帰りたくなってきました」

 嫌な予感がしたので帰巣本能が働く。

「歩いて帰りますか? そこそこありますよ」

「そこそこ?」

「ええ。百キロ以上ですね。ですが安心してください。かつて戦国時代の武将上杉謙信は能登を縦断し手取川付近で織田軍を蹴散らしたとか……徒歩圏内です」

「よーし、僕頑張っちゃうぞ!」

 やけくその不知火湊。その様子を見て神崎沙紀は、

「手取川の戦いはたぶん史実じゃないけど……ま、良いけどね、別に」

 実は歴女でもある彼女としてはツッコんでおきたかった、らしい。

 余談である。

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