第44話:ここから明菱のターンだから
「おばあ、しばらくモデルの仕事は減らすことにしたっす」
黒崎豹馬は自らの師、田中総監督に声をかける。
「あら、目立つのも仕事の内、だったのでは?」
実はこの男、小学生時代からちょくちょく芸能活動をしている子であった。と言うかその辺を歩いているだけで色々と声をかけられてきたのだ。
そして、その活動自体は卓球を始めてからも中学、高校と継続し続けてきた。今では自称卓球界一のイケてるメンズとして、様々な媒体に顔を出している。卓球を世に広めるためならば何でもやる、それが彼の信条である。
だが、
「その考えは変わらないっす。ただ、勝つだけじゃ駄目でも、勝たなきゃ話にならないのは理解してるんで……結果と両立してこそ、でしょ?」
豹馬も当然理解している。プロの世界は勝つだけでは足りないが、同時に勝たねば、結果を出さねばお話にならない世界でもある。
人気と実力を兼ね備えてこそのプロ。
目指すはどちらも頂点に立つ。
「不知火湊には感謝すべきなのでしょうね」
「別にそれがなくても……そろそろ貴翔の首取らないと気持ち悪いんで、エンジンかけるとこだったんすけどね」
「ふふ、そうですか」
「嘘じゃないっすよ!」
「ええ、ええ、信じていますよ」
「その貌は信じてねえっすぅ! なあおばぁ」
「はいはい」
長らく佐伯湊が蓋をしていた世代の頂点。今はその玉座を貴翔が簒奪し、其処からは一度も揺らいでいない。すでに国内では敵なし。視点は海外、中国や欧州のトップレベルとの戦い、である。まだまだ豹馬とて遠い。
それでも不知火湊と自分の位置ほどに差はない。
ならば、そろそろ獲りに行こう。
「俺が勝ったら喜ぶ?」
「別に」
「喜べよぉ。おばぁ」
それに凪の時代はもうすぐ終わる、田中はそんな気がしていた。貴翔が、豹馬が、徹宵らが、そして最下層から再び『彼』がやってくる。
悠長にしている場合では、ない。
「あっ」
「なんですか?」
「大事なこと忘れてたっす!」
「……ああ、どうでもいいこと、ですね」
ただ、別腹の案件もある。
〇
「美姫ちゃん! デートの話どうなったんすか!?」
宿泊場所へ向かうバス、男女別の其処に飛び乗って来た豹馬。今更この男の奇行に驚く者はいないが一応、
「黒崎ィ! お前、ここは女子! お前男子!」
「主将ってたぶん語彙力じゃなくて頭が悪いんだよね」
女子の主将が示しを付ける。ついたかは知らない。
「あ、あの、後日改めて、と言うことになりました」
「……え? それって、あれ? 受けた、ってことっすか?」
「は、はい」
「あ、ああああ、あああああああああがががががが」
黒崎豹馬、壊れる。
「姫路の初恋が実ったのだ! 祝福してやれ!」
「しゅ、主将!」
「すげえ、語彙力だけじゃなくてデリカシーもない」
「はつ、こい、そんな、馬鹿な。俺が、恋に、敗れるなんて」
崩れ落ちる豹馬。イケメンなのだが彼の内面を知る女子部員の反応は極めて冷ややかである。彼女たちは知っているのだ。
この男の内面が残念であることを。
「何だ黒崎、お前意外と本気だったのか。笑えるな」
「無意識の追撃!? 悪意ゼロなのがすげえ!」
「さすが主将」
「ものが違う」
部員たちから謎の尊敬のまなざしを受けるも、本人は悪意どころか普通に接しているだけなので、彼女たちの意図が伝わることはない。
これが『本物』である。
「……青柳も、佐伯湊のファンだって言っていたのに、良いんすか?」
「む、全然構わん。卓球をしていない時の彼はただの眼鏡だった」
(ほんそれ)
主将(青柳)は堂々と言い放つ。それに賛同する部員(主に佐久間夏姫)たち。卓球をしている時は死ぬほど格好良かったのだが、ラケットを持たずにコンタクトから眼鏡に変えた瞬間、残念な人格と残念なオーラが出てきた。
女子はそう言うのに敏感なのだ。
「卓球をしている時の佐伯湊は格好いい。不知火湊は……難しいな。面白いと思ったが、同時にお前を見ている時の気分にも襲われた」
「何すか、言っとくけど青柳は俺の好みじゃないっすよ」
「安心しろ。私もだ。と言うか反吐が出るぐらい嫌いだ」
「……其処までとは思わなかったっす」
「卓球を楽しめるのは才能ある者だけ。私たち凡人は、そんな余裕すらないからな」
「……青森田中の主将が何言ってんすか」
「自分の分は弁えている。無論、卓球をやめる気はないのだがな」
輝きは時に陰も作る。確かに不知火湊の卓球は素晴らしいものだった。幾度も手に汗握り、自分には出来ないプレイを連続して繰り広げてくる。
いや、問題なのは出来なくはないのだ。豹馬のそれと違い、プレイ自体の再現は可能。されど、あのピンポン球が行き交う高速の世界で、あんな器用に様々な卓球を繰り出すことは不可能、である。
出来るけど出来ない。だからこそ逆に残酷であるのだ。
「で、いつ消える? ここは女子の、だぞ」
「……へいへい。今日は退散するっすよ」
豹馬を威風堂々追い払い、今日もまた部員から謎のリスペクトを受ける青柳主将。されど本人は全てにおいて無自覚であった。
「あ、あの、デートするだけで、その、あっちにその気はないと思いますけど」
「ああ言っておけばしばらく寄り付かん。虫よけだ」
「あ、ありがとうございます!」
(……あれ、意外と気が回るの? どっちなの?)
部員たちの困惑を背に、名門青森田中の主将青柳は、
「宿のあれが楽しみだな!」
「ごはん、ね」
常にマイペースを崩さない。
〇
ちーん。
死者と化した明菱高校卓球部の面々は幽体離脱を経て、現世に意識を取り戻した。あ、これが昇天か、と半ば覚悟を決めるほどの地獄。
「あー、きつ、しんどー」
いつもの気取った言い方は出来ていないが、それでも立ち直りの早さは断トツで円城寺秋良であった。よろよろであるし弱音まみれだが、明らかに一人だけ基礎体力が違う。ブランクがあるはずなのに、それでもなお差があった。
「水分、最高」
回復も早い。
(……これが黒峰の姐さんが言っていたこと、か)
紅子谷花音は這って水分が待つ荷物置き場へ向かっていた。これでも回復は早い方、香月小春と神崎沙紀は未だ幽体離脱中である。
『貴女たちには地金がない。競技者なれば当然備える基礎的な体力が欠けています。今までは卓球と言う競技に慣れること、其処への習熟を第一としていました。今後もまだまだ其処が揺らぐことはないでしょう。が――』
(そろそろ並行して、鍛えるべき時だ、ね)
腐っても全国区、秋良の基礎体力は練習を重ねるたびに跳ね上がっている。と言うよりも取り戻しているのだろう。昔の、競技者であった時代の姿を。
それが地金、ブランクはそれを錆びさせるが、しっかりと腰を据えて磨けばまたすぐに光を取り戻す。マッスルメモリーもそう、一度鍛えた身体は十年二十年の時を経てようやく、その時代を完全に忘れるものなのだ。
(それにしてもよ)
花音にとって、いや、全員にとって驚きであったのが――
「おや、円城寺生徒は元気そうですね」
「へ? い、いや、元気ではありません、が、その」
「クールダウンをしましょう。私も練習をしておきたいので」
「あ、そういうことであれば」
いつの間にか顧問の黒峰が卓球を習得していた事実、である。もちろん、試合をすると粗だらけで今の花音たちでも楽勝に勝てるのだが、球出しに関しては元々の身体能力もあってかなりのレベルになっていた。
もちろん湊と比べるとまだまだなのだが、こと球出しに関してだけは生徒同士よりもよほど上手くなっていたことに、彼女らは驚いていた。
「先生は何処で卓球をしているんですか?」
「最近、お友達になった方から教わっています」
「なるほど」
秋良と黒峰の卓球姿。恐ろしいのはその修正力。臆さず挑戦し間違えは都度修正、ぴか一のボディコントロールが彼女の卓球、その精度を上げていく。
「まだまだですね」
「どれだけ上達されるおつもりで?」
「私が満足するまで、でしょうか」
「……怖い怖い」
別の畑であっても、この女なら頂点を目指しかねない。そんな雰囲気が黒峰にはある。たかが顧問、されど顧問。やるからには徹底的に。
丁度これぐらいから、黒峰は関与すると決めてからそのつもりであった。
「……小春」
「……立って、花音ちゃん。今のままだと、負けるよ?」
いつの間にか立ち上がっていた小春の、黒峰を見る目が鋭く細まる。彼女たちは成長した。今もなおとてつもない早さで成長している。
だからこそ、黒峰はさらに刺激を与えるのだ。
「だな。アラサーのおばさんに負けるわけにはいかねえな」
「わん!」
抜かれるかもしれない。その脅威を。誰でも後ろからぶち抜かれるのは嫌なもの。充分に経験を積んだ今だからこそ、初心者に抜かれたくないと気負うはず。
「ったく、後輩が立ったら私も立たなきゃじゃん」
それが良い方向に転がったなら、この部はもっと強くなる。
これはそのための付け焼刃である。あと、球出しは出来ておいた方が良いから。
なんと教え子への慈愛に満ちた先生であろうか。
とは言え、
(……アラサーの、おばさん、ですか)
意外とこの女、根に持つタイプなのを花音は知らない。あと地獄耳。
その後、全員のクールダウンを経て練習は幕を閉じる。
「それでは明日、一日のオフを挟み合宿となります。当日は時間厳守、遅れた者は厳しいペナルティを課すつもりですので……御覚悟を」
「「「「はい!」」」」
たぶん、死んでも遅刻はしない。今、四人の気持ちは一つになる。
ただでさえきついのにペナルティなどありえない。と言うお話。
ちなみに湊も大丈夫。とっくの昔に黒峰塾の地獄を見ている男であったから。二重の目覚まし、最終防衛ラインに母を配置する徹底ぶりである。
次回、地獄の夏合宿。能登は海と山があってお得、です。
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