第43話:進むべき道

 名門青森田中、二年生エースにして代表候補の黒崎豹馬が敗れる。たった1セットとは言え、それが小さなことであろうはずがなかった。

 もちろん対戦相手はジュニア時代の元王者。他の競技ならば中等部時代の成績など大して当てにならないが、卓球と言う競技に関しては別。実績だけで見れば結果自体にはそれほど大きな驚きはない。

 ただ、やはり内容が衝撃的だった。

 元王者佐伯湊とは全く違う、新しい不知火湊の卓球。

 持てる技術全てを出し切った。

「「ありがとうございました」」

 両雄、へとへとではあるが力強く握手を交わす。この辺りは男の子、どちらにも意地があった。明らかに余裕がないのは湊の方だが。

「次、どの大会出る予定っすか?」

「いや、何も考えてないよ。そもそも選手としてやるのかも決めてないし」

「……何言ってんすか?」

 豹馬、湊が何を言っているのか理解出来ていない模様。

「今は人に教えるために練習してるって言うか」

「いや、ちょっと何言ってるかわかんねーっす。一応俺、代表候補っすよ。わかるよね、代表候補。俺が末席でも、日本じゃ上に二十人もいないんすよ」

「1セット奇襲で取らせてもらったもんだし、実力じゃ黒崎先輩の方が上だけど」

「普通は奇襲でも取れねえの! つか、そんなん絶対取らせねえっす!」

 割と本気で豹馬は怒っていた。確かに彼の言う通り、今の彼とフルセット戦って負けるとは思わない。明らかに体力不足であるし、今の卓球を続けるための体も出来ていないから。ただ、それは時間がどうにかしてくれる。

 元々地金がある分、一年もあれば充分戦えるだけの力を取り戻せるはず。

 現に徹宵の時よりも彼はより広く戦えた。どちらが強かったのかはさておき、卓球をする体力についてはかなり取り戻しつつある。

 強いのだ、今でも充分。強くなるのだ、これから先いくらでも。

 そんな男が、

「選手権、待ってるんで。絶対予選、上がってきてよ」

 燻っていていいわけがない。

「そん時はリベンジさせてもらうんで」

「……俺、リベンジされに行くの?」

「そうっす」

 無邪気な笑顔で身勝手に約束を結び、豹馬は湊に背を向けた。その背中が言う。絶対に来いよ、と。

「……参ったな」

 困り果てた湊の姿を、

「とりあえず選手権予選だな」

「ああ」

「今ならまだ付け入る隙はある。俺が倒しても恨むなよ、徹宵」

「無論だ。負けた方が悪い」

 志賀十劫、山口徹宵が見つめていた。問題なのが不知火湊は高校の実績を何一つ持っていないこと。今の彼は予選の何処に組み込まれてもおかしくない。

 それこそこの前みたいに三回戦、二回戦で当たることもあるだろう。

「……もったいない。代表候補と戦える実力がありながら、今の彼は上の舞台で戦う資格を失っている。せめて全日本の県予選前なら」

 龍星館の統括マネージャーである乾は十代半ばの素晴らしい時期に経験値を積む術が欠けている湊の立場を嘆く。どの競技でもそうだが、勝ち上がれば上がるほどに相応の舞台に挑む権利が与えられていく。

 県予選を突破すれば全国大会が。其処で活躍してジュニアの代表に選ばれたなら国際大会が、一般カテゴリーでも同じ。

「そうですね。その点はもったいない、と感じます」

 青森田中の総監督である田中もまたそれには賛同する。もっと早く動いていれば、過去の遺産で予選の参加資格は持っていたのに、其処で動かなかったがために今年いっぱい、秋に予選のある選手権以外で彼が大きな経験を積むことはない。

 当然、国際大会なども夢のまた夢。

(……まあ、何事にも裏技はありますが)

 ただし、不知火湊が戦う気になれば、多少の助力は出来るが。

「とは言え、あの卓球を勝たねばならぬ試合で貫き通せるかは未知数です」

「……それは」

「重圧の中、それでもあの姿勢を通せるのであれば……面白いことになると思いますが。それはまあ、彼の今後に期待しましょう」

 笑顔溢れる遊びのような卓球。競技を心の底から楽しむ姿は素晴らしい。ただ、佐伯湊次代がある以上、今の彼が全てと思うのは早計である。

 あくまで勝ち負けを意識する必要がないから出来たこと、となる可能性もある。卓球はメンタルなスポーツ、こればかりは上で見てみないことには何とも言えない。練習や部内戦だけ馬鹿みたいに強い、と言う選手も稀だがいるのだ。

 ゆえに一度、様子見をする必要がある。

 秋、彼が県予選に出てきたら、どう振れるかも見えてくるだろう。

(一応、一押しだけはしておきましょうかね)

 田中は微笑みながら湊を見つめる。彼が放った人に教えるため、其処を突けば彼を戦う舞台へ引き戻せるかもしれない。

 指導者を目指すのならば――


     〇


「那由多、動画撮れてる?」

「おそらく」

「撮れてないと何のために試合したのかわからないんだが」

 試合の興奮冷めやらぬ中、湊は那由多に声をかける。預けたスマホでしっかり動画が撮れているか、彼にとって大事なのは其処であったから。

「湊君、凄かったよ!」

 姫路美姫の言葉に湊は照れる。

「いやぁ、必死も必死。やっぱり見るのとやるのとじゃ全然違うね。もうちょっと1セットなら余裕があると思っていたんだけど……対応力も凄くてすぐ手札が尽きちゃったよ。あとはもう、気合って感じ」

 代表候補に名を連ねた男、甘く見たつもりはなかったが結果としてさすがに想像以上ではあった。技術に多少の難はあれど、間違えてからの修正力が本当に桁違いで、恐ろしいほどの猛追であった。

 正直、2セット目以降は苦しかっただろう。

「まあでも、しょーみ昔よりスケールデカく見えたわ」

「聖、さん」

「取ってつけたようなさんやな。あ、この子遠藤言うんやけど」

 有栖川聖の後ろからひょっこり、先ほど吐き気を催して練習場から去った少女がいた。どうやら様子を見るに、体調は良くなったようである。

「あの、一年の遠藤と申します」

「うん。知ってるよ。遠藤愛さんでしょ? 同世代の強豪選手だからね」

「……ど、どうも」

 実を言うと選手時代の湊は馬鹿みたいに外見で目立っていた竜宮レオナや一部の選手以外覚えていなかったし、覚える必要もないと思っていた。全国随一の名門龍星館で一年からレギュラーを掴んだ彼女のことも残念ながら覚えてはいない。

 だが、それは選手時代の話。佐久間姉妹を調べたように、最近は女子選手の試合をよく文明の利器であるインターネットを使って調べたりしていた。

 その過程で彼女のことを知ったのである。

 それを差も昔から知っていたかのように言う男、意外と狡い。

「あ、あの、試合、感動しました!」

「お、大げさだね」

「色んな技を使う技術もそうですし、ボールタッチも繊細で……何よりも凄く楽しそうなのが、誰よりも自由に卓球を楽しんでいた姿が、印象的でした」

(……照れる)

「これからも応援しています。私も、もう一度初心に戻って頑張ろうと思いました。自由に、私らしく……不知火さんは私の目標です!」

「そっか。じゃあ、今度勝負しよう」

「……はい!」

 湊と愛は力強く握手を交わす。あとで冷静になってみると、彼女の復調は明菱の面々にとって大きなマイナスなのだが、今の湊は照れているので気づかない。

 たぶん美里が隣にいたら要らんことするな、と蹴りを入れられているところ。

「何や自分、ええ感じやねえ」

「いやぁ、照れちゃいますねえ」

「趙とも親しいんやろ?」

「まあ、中国語話せますからね、一応。希少枠ですよ」

「もてる男はつらいなぁ」

「いやぁ」

「ところで後ろ見てみい」

「はい?」

 聖の煽りを真に受けデレデレの湊、その背後には何とも言えぬ表情をした那由多と美姫がいた。と言うか、ずっといる。

「湊君、簡単に勝負しようなんて言っちゃうんだ。私とは嫌って言ったのに」

「そ、それは誤解だって話したじゃん」

「趙との話は初耳。部員との交流は私を通してほしい」

「その中継の方が僕には初耳なんだが?」

 遠くでチラチラともう用事は済んだかな、話せるかな、と趙が様子を窺っている。佐久間夏姫辺りも妹の話も含めてか話したそうにしている。

 それがまた二人の神経を逆なでしていた。

 さらに聖は存分に楽しむため、

「ほんで、デートはどうするん?」

 一石を投じた。

 ざわ、聞き耳を立てていた周囲が騒然となる。強豪校の常、部活が忙し過ぎて色恋は二の次三の次となってしまい、青春を逃す者が続出している中、こういった浮ついた話などなかなかない。

「そ、それはね、黒崎先輩が勝手に言っていたことだから」

 しかも不知火湊、普段を知らぬ者からすると今日は格好いいところしか見せていなかった。この場の女子人気もうなぎ上り。

 そも、昔から同世代からすると憧れの存在であったのだ。

 孤高の天才。卓球の求道者。冷徹なスピードスター。

 だから――

「い、一応、その、僕が勝ったわけですし、ね。有効だと思うんですけど」

 ようやくここでお披露目となる。

「……」

 明菱が誇る四馬鹿の一角、恥部の類友を持つ男もまた恥部。

「ぶ、ぶは、そのおそるおそるな感じが最高にキショい!」

「湊、今のはよくない。其処は颯爽とお断りすべき」

「だ、黙れ! 僕だってなぁ、デートをしてみたいんだ! 生まれてこのかた一度もしたことないんだぞ! 男子高校生の夢が其処に在るんだ!」

「デートならしたことある! 私と、美里とも」

「卓球場と卓球用品店はノーカウント! あんなもんデートじゃない!」

「それ以外湊と行く意味がわからない」

「……遊園地とか動物園とか、水族館とかさ」

「人混み嫌い」

「まあ、僕も苦手だけど……それは別腹と言いますか」

 足掻けば足掻くほどに見苦しい。千年の恋も冷めてしまうような千載一遇の機会に対する醜悪なる粘り。

 特に、

「……」

 実は妹よりも先にファンであった佐久間夏姫は真顔となっていた。かつて、初めて会った時の塩対応すらクールで素敵、と心の中で思っていたのに――

「市営のジム」

「だから卓球や運動から離れてよ!」

 あのザマ。デートへの執念だけが痛々しく迸っている。

 あと、試合が終わってすぐに眼鏡に戻したのもよくない。夏姫的には眼鏡はなし、ありえないと思っていたところに、この醜態。

 砕け散る、遠き日の初恋。

「ひめちゃん。ここは堂々と断るべき。それが湊のため」

「な、那由多に関係ないだろうが!」

「む。その言い方は傷ついた。謝罪してほしい」

「するかバァカ!」

「湊のアホンダラ」

「この能面女」

「むっつりスケベ」

 とうとう互いの頬をつねり合う喧嘩に発展する幼馴染二人。何とも醜悪かつ生産性のない光景である。聖や犬猫はゲラゲラ楽しそうに笑っていたが。

「み、湊君!」

「なに、ひめちゃん?」

「ごめんなさい!」

「……へ?」

 ごめんなさいの一撃。それは明菱の恥部であり当然の如く童貞でもある不知火湊のガラスのハートを打ち砕いた。再起不能なまでに。

「その、もう少し、体型を戻してから、ベストなコンディションまで絞ってから、それからデートを……あれ?」

「……」

 不知火湊、享年十五。死因、ショック死。

 罪状、馬鹿みたいに格好いいところを見せてからの醜態。

 株価、大暴騰からの大暴落。


     〇


 僕は元気です。

「ふんふふーん」

「鼻歌キモイ」

 那由多が何か言っているが知ったことじゃない。危うく死にかけたが、あれは壮大な勘違いだった。僕はついに、ついに、デートの約束と女の子の連絡先を手に入れたのだ。こんな嬉しいことはない。感動的とも言える。

「美里にチクる」

「勝手にどうぞー」

「……そっちの部員にもチクる」

「……ステイ。それは駄目だ。大変困る」

「あのちっちゃい先輩、たぶん湊の好み。おっぱいはブラフ」

「な、何故それを!?」

「あの人、雰囲気がおばさんに似てたから」

「……やめてよ、そう言うの」

 佐村先輩を母親に似ている、と言われると何か、こう、ちょっと嫌だ。そりゃあ先輩は母性が迸る存在ではあるけど、それとこれとは話が別と言うか。

「口止め料は?」

「今度私ともデートする」

「場所は?」

「卓球が出来る場所ならどこでも」

「合点承知」

「なら、許す」

 僕の中では卓球はデートに含まれないのだけれど、逆に那由多は卓球以外興味がないらしい。幼馴染ながら将来が心配になる。

「ひめちゃんとのデートも卓球にすべき」

「嫌だよ。これからグー〇ルアースでデートスポット探すんだから」

「やり口がキモイ」

「なにを!?」

 ひめちゃんはどうしても今、デートをするわけにはいかないらしい。体重を戻す必要があるそうだが、その辺はいまいちよくわからない。

 ただ、連絡先はくれたので一安心。あとは遠いことだけだが、その辺は気長に機会を待とう。大丈夫、デートの約束をした。

 これだけで僕はあいつらの上に立った。

 僕の勝ちだ! 非モテの陰キャどもめ。なっはっはっはっは!

「不知火湊君」

 そんな浮かれポンチの僕の下へ、

「ど、どうも、田中監督」

 青森田中総監督の田中が現れた。一気に浮かれた心が沈静化した。

 だってほら、対面しているだけで迫力あるし。

「今日はとてもいい試合でした。豹馬にとっても刺激になったでしょう。それはきっと、貴方にとっても」

「……」

 まあ、確かに、楽しかった。全力を尽くしてなお、創意工夫を凝らしてなお、越えがたい壁と言うのは、とても――

「先ほど小耳に挟んだのですが、貴方は今学生コーチをしているとか」

「あ、はい」

 田中さんも僕に無駄なことをやっていないで選手に専念しろ、とか言うのだろうか。それとも青森田中へ入れ、とか。

「それが今の貴方を成長させていると思います。人に教えることは、自分にとっても発見をもたらすこともありますから」

「……」

 どうやら、そうではなかったらしい。

「将来は指導者に?」

「あ、え、と、そうですね。そうなれたらいいな、とは。今、凄く楽しいので。卓球から離れて、自分には卓球しかないと気づきました。だから、その、そう言う形で卓球に携われたら、いいな、と思いまして」

「素晴らしい目標ですね」

「あ、ありがとうございます。恐縮です」

「では、指導者の先輩として老婆心ながらアドバイスを一つ差し上げます」

 何だろう。でも、ありがたい。大先輩である田中さんの金言だ。

 きっとあいつらの役に――

「指導者を目指すのならばなおのこと……選手としての実績が必要です」

「……え?」

「名門の監督、コーチ、果てはその辺の教室や道場主、多くが選手時代、何らかのタイトルを獲得しています。もちろん、それは指導力に何一つ寄与しませんが、されど一番重要なのです。それは指導者にとって最も重要な説得力を生みますから」

「……」

「哀しいですが、人は実よりも時に名を求めます。私のようなロートルが今、名門を率いているのもまた、選手時代の実績が大きいでしょう」

「……実績」

「貴方にも実績はあります。ですが、今のままでは落ちた神童、と言う印象です。そんなラベルの貼られた者の指導を、誰が受けたいと思いますか?」

 考えたこともなかった。指導法さえ優れていれば、正しいものが得られたならば、そう言う道も拓けると思っていた。

「これが再起した神童となれば、話は別ですがね」

「……」

「さらに進化した貴方の姿を見るのが楽しみです。では、また」

「……はい」

 だが、現実は違う。あの人が言うから尚更説得力がある。

 先ほどまでの浮かれ気分は消えた。どうやら、色んな意味で自分も走り始める時が来たのかもしれない。あの時のような覚悟はない。

 死んでも勝ってやる、それを抱くのは無理だ。

 でも、卓球以外で生きていける気がしないのもまた、事実。卓球なしの自分がどれだけポンコツであったか、それは遠ざけていた間に充分痛感した。

 大変だけど、

「今日の僕、どうだった?」

「今日みたいに楽しめるなら、湊は無敵だと思う」

「聞いた僕が馬鹿だった。那由多は僕に対して欲目が過ぎるよ」

「そうでもない。結構厳しめ」

「嘘だぁ」

「本当」

 やるしかない、のかもしれない。

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