第42話:見せて、魅せた

 ジジ、まるで雷光のようなカウンターが黒崎豹馬の脇腹を抉る。如何に手足が長く、凄まじいリーチを持っていても、人間の根源的な弱点であるミドルを捌くのは、来るとわかっていなければ間に合わない。

 相手が貴翔であればまず、其処をケアする。つまり佐伯湊であっても一番警戒せねばならない場所であるが、不知火湊の場合は違った。

 今、この一撃の前までは――

(……ここぞと言う時に、1点をもぎ取るために温存していた、か)

 実は豹馬が多用するロングサーブは男子選手の主流ではない。むしろ女子に多いサーブである。その理由は男子の場合、レシーブの威力が高過ぎて卓球の王道である三球目攻撃に移れない、どころかそのままカウンターとなる場合があるから、である。

 危険と隣り合わせ。されど豹馬はそれ以上に台上でちまちました卓球をすることを嫌い、あえて主流から外れたロングサーブを多用していた。

 痛打上等。カウンターバッチ来い。

 普段なら今のカウンター、絶対に通しはしなかった。

(……その眼も、消えたわけじゃないんすね)

 佐伯湊もまた、彼の手札の内の一つ。

 これで10-8、まさかの代表候補である黒崎豹馬が追い詰められていた。原因はやはり相手のサーブに対して、かなり点数を落としてしまったこと、であろう。

 打ち合い自体は悪くはない。要所で奇襲じみた攻撃に捲られることはあれど、基本的には豹馬が優勢である。

 創意工夫を凝らしたサーブ、其処からの組み立て。高い技術力を如何なく発揮し、とにかく豹馬の欠点である技術の隙間を突いてくる。

 おそらく最初から全てが組まれていた。

「でも、本当はそれ……残しときたかった、すよね」

「……」

 9-9ではなく10-8、自身のサーブ権があるタイミングで1点だけをもぎ取る。そのために奥の手を先出しした。

 これで豹馬の頭に佐伯湊も再インストールされる。

 もう二度と、同じ手で抜くことは出来ない。

「点差ほどの差もねえ。やはり今の地力は黒崎だ」

 志賀十劫の言葉に隣の山口徹宵は何も言わなかった。言えなかった。同じ意見なのだ。点数的に追い詰めているのは不知火湊だが、2点など一度ハマれば容易く覆る差でしかない。わからん殺しのサーブもさすがにネタ切れだろう。

(……肉体改造の効果が出るのは時間がかかる。ただでさえ体力が消耗するスタイルだ。かなり戻してきたのだろうが、元に戻ったとしてももはや別物。終盤は地力が出てくる。黒崎の怖さは、ここからだぞ)

 豹馬の戦績は逆転勝ちが多い。技術や経験に勝る相手を適応することで下してきた男である。不知火湊とて例外ではないだろう。

 少なくとも同じ手は食わない。

「……勝負所やな」

 有栖川聖が、

「にゃ」「……どう締めるか」

 犬猫ペアが、

「……ガンバレ!」

 趙が、

「……湊」「頑張れ、湊君」

 那由多が、美姫が、

「……ふぅ」

 『皆』が見ている。湊はちらりと那由多を、その手にあるスマホを見つめる。ここまで様々な戦い方を見せてきた。今の世界水準、男子も女子もフィジカルが上がり続けている中、其処でどう戦うのか、どう捌くのか。

 自分の中に在る様々な経験を引っ張り出して、見せてきた。

(よし、次は……今の俺を見せよう)

 不知火湊が選択したサーブは――

「ッ!?」

 黒崎豹馬が得意とするロングサーブであった。確かにロングサーブは奇襲としては効果的。遅いサーブが来ると思っていれば、虚を突かれ抜かれることはある。

 だが、

「ありが、たいッ!」

 奇襲成らず。逆にロングサーブの欠点である強打が返って来る。並の強打ではない。黒崎豹馬の、才能で代表候補にまで上り詰めた男の強打である。

 決まってもおかしくない破壊力。何よりも落点が深く、嫌でも後退を余儀なくされる、相手を打ち合いに誘うレシーブでもあった。

「さあ、やりましょーかァ!」

 現代卓球の見せ場、ラリー。球が大きくなった。ネットが高くなった。環境配慮と言う体でセルからプラへと材質も変わった。それら全てが卓球選手の大型化に繋がり、俊敏さで戦っていた者たちをじわじわと駆逐していった。

 よく言われるのが欧州の選手たちに有利なルール変更である、と言うこと。アジア系に不利な、フィジカルの重要性が増す変更ばかり。

 競技者を引退した者も少なくない。ペン使いなどは露骨に減った。

 今のままじゃ戦えないと戦型を変える者、そのままやめる者もいただろう。

 ならば改悪であったか。それは違う。

「ああ、やろうッ!」

 ガギン、強烈なドライブが豹馬の方へ返って来る。

「……俺相手に、そりゃあ舐めプっしょォ!」

 中陣でのドライブ合戦。凄まじい球の応酬。回転量が違う。ボールスピードが違う。何から何まで、女子のそれとは、ジュニアのそれとは違う。

 その領域に、

「ガァ!」

 不知火湊もまた踏み込む。必死な形相で、歯を食いしばりながら、残り全部を吐き出すような気迫のプレー。

 度重なるルール変更で、卓球はより見応えのある競技となった。トップレベルの打ち合いなどは超人の、テニスのラリーにも引けを取らない迫力がある。

 より多くの人に見てもらうために、より人気を得て競技を広めるために、卓球は今の形に変化した。そして今を戦う選手たちはそれに適応しつつある。

 より激しく、より力強く、誰が見てもスリリングで熱いスポーツ。

 それが今の卓球である。

 それが今の彼らである。

『筋肥大には時間がかかります。ですが、神経系に関しては初心者の内は早いですよ。しばらくはやるだけ伸びます。やるか、やらないか、それだけです』

 まだまだ始めたばかり。それでも持てる重量は全ての種目で上がっている。筋肉も多少肥大化したが、其処は神経系の発達が大きいだろう。

 筋繊維の動員を増やす。日々の研鑽が、死に物狂いで鍛えた体が、主である湊の気迫に応える。半ば火事場の馬鹿力もあるだろうが――

「アァラァッ!」

「シィィッ!」

 今はまだ、これをコンスタントに出すことは出来ない。このプレイスタイルを通すことは難しい。だけど、それでも見せよう。

 『彼女』たちへ、進んだ己を。

「……来たか、湊」

 山口徹宵は微笑む。ジュニアの先を見据えた世界と戦うための力。もちろん国内も少しずつ、引き上がっているし早晩、今の世界水準が国内水準となるだろう。

 其処へ、彼が来た。

 『閃光』が変わり、『雷光』を幾筋も叩き込む。

 変化と進化、不知火湊の全てが彼の卓球を通し、見える。

 だからこそ、

「甘ェ!」

 その土俵で飯を食う黒崎豹馬が押し切った。

 力と力の勝負、其処だけは負けられない。負けるわけにはいかない。山口徹宵にも其処では勝ち切る。ゆえに彼は代表候補なのだ。

 卓球歴五年目にして。

「ぐっ」

「打ち合いで勝とうなんざ、十年早いっすよ!」

「……煩ェ、未熟者が」

 苦肉の策、ロビングで返す。押し切られた。哀しいかな、やはりまだまだ付け焼刃、渡り合えただけでも十二分に成長している。

 実際に指導者たちは今までの変化よりもよほど、この進化の方に驚きを見せていた。何故、指導者がいないはずの彼が短期間でここまで、と。

(……端から、これで勝てる気でやってねえよ。こっちは見せてんだ)

 とは言え、悔しさはある。まだまだ、道のりは遠かった。それでも見せられただろう。今の自分を。まだまだな、等身大の自分を。

 なら、目的は充分。

 あとは、

(ま、でも、情けない姿も見せられないんでね)

 諦めずに格好つけるだけ、か。ついでに勝ちも拾えたら御の字。

 粘りのロビング。高く球を上げて、相手のミスショットを待つ守りの技術である。存外、見た目以上に打ち辛いものであるが――

「これも俺の土俵っすよ!」

 打ち合いを信条とする豹馬にとっては相手が下がり、ロビングで粘られるのは日常茶飯事。下手な十年選手よりもよほど経験値がある。

 ガンガン、思い切って打って来る。強烈な高い打点から打ち込まれるスマッシュ。さらにジャンプして打ち込んで来るのだから相変わらず映える。

 湊はカーブに、シュートにと曲げてみるが、当然悠々返される。ロビング処理に関しては徹宵よりも上かもしれない。

 ならば、と、

「フィッシュ!」

 今度は上回転をかけた低い弾道で返す技術を見せる。これまたロビングと同じく町の技術であるが、上回転をかけることでバウンド後加速し、相手のミスを誘発することが出来る。が、これまたやはり豹馬の土俵。

 ロビングよりもさらに処理し辛いのに、そつなく強打で返してくる。

 其処に、

「フィッシュ混ぜたら、返球甘くなると思った? そりゃ、甘ェすわ」

「……」

 湊はカウンターを仕掛けていた。もっとコースが甘くなっていれば、浅く入っていれば、このカウンターは成立したかもしれないが、

「終わり!」

 湊のカウンター、に対するカウンターが突き刺さる。咄嗟に湊は後退しながら、倒れ込むように飛びついた。さすがの危機察知能力。あれを打ち返したこと自体天才的であるが、その打球自体はロビングと言うには低く、速度は極めて緩やか。

(ギリ、届くか、これ)

 ネットに届くか届かないか、ギリギリの打球。ただ、問題はない。苦し紛れの一打、倒れ込んだ湊はまだ起き上がらず、相手の台に返せば得点は確定。

 これで1点差。

「……」

 誰もが息を呑む瞬間、打球はギリギリネットを越え、豹馬のコートに落ちる。豹馬はその緩い球を振り抜くために動き出し――

「……え?」

 緩い球がバウンドし、再度ネットを越えて相手のコートに戻る様を、眺めていた。

「……下、回転」

「……ギリ、ギリ、だった」

 苦し紛れの一打。それが大きな勘違いだったのだ。

 だが、そう見えるのも仕方がない。何故なら湊が打った瞬間、それは落下寸前であり地面スレスレ、それをすくい上げるように断ち切った。見物している者たちは湊が最後、倒れ込みながら全身を使って断ち切った姿を見た。

 されど豹馬は、台が死角を作り湊の打つ瞬間を見ることが出来なかった。だから、それが苦し紛れの球だと判断し、コントロールされたものとは思えなかった。

「でも、俺の勝ち」

「……最後の最後に、特大の魅せプかまされたらお手上げっす。参りました」

 不知火湊、執念の一打を見ていた者たちは決着の瞬間、大歓声を発した。馬鹿みたいな経緯で始まった一戦は、この場にいた者の心に刻まれる。

 この場にいた者すべてを魅了した。

「デスカット。あの場で、しかも体勢の崩れすら、一打に乗せた」

「……恐ろしいほどの勝負強さと卓越した技術。何よりもあそこであのプレイを選択するセンス。さすが元王者、天才としか言いようがありません」

 乾は愕然と、田中は苦笑いしながら勝負の結末を見届けた。湊の全身を使ったカット、その奥深さは筆舌に尽くしがたい。まず、強烈な下回転が必要なのはもちろん、ネットギリギリに返すことも必要で、その上で威力も殺し切らねばならない。普通ならただ一つの条件をクリアするのも難しいのに、湊は三つをあの瞬間クリアしてのけたのだ。長年卓球に携わり、軽々に天才など口にせぬ女がそれを口にした。

 それしか言えなかった。

「どんなもんよ」

 不知火湊は満面の笑みを、那由多へ、彼女の持つスマホへ向けた。

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