第41話:魅せる卓球
「十分休憩、水分補給を怠らぬように」
明菱高校の体育館、其処には四つの死体が転がっていた。よく見ると微妙に動けているので一応生きてはいるようだが――
「おい、チワワ。生きてっか?」
「……」
「……成仏しろよ」
怪力自慢の紅子谷花音であったが、瞬発力には秀でても筋持久力はいまいち。自重系の種目を浴びせられ、すでに満身創痍となっていた。
一番余力がありそうなのは、
「……湊君と、合宿に行くまでは、死ねない」
と言いつつ、誰よりも早く水筒の下へ辿り着いた円城寺秋良であった。腐っても中学三年までじゃない方とは言え、全国区の選手であったのだ。
さすがに地力が違う。それでもブランクもありこのざまであるが。
「鬼の居ぬ間に……のはずだったのにぃ」
部長の神崎沙紀は涙を滲ませながら、朝ウキウキで部活にやって来た自分を過去にさかのぼり呪い殺そうとしていた。とてつもなく無意味である。
「っても試合回すのも飽きねっすか?」
「……まあ、そりゃそうだけど」
花音の発言をぶすっとした表情で肯定する沙紀。実際、秋良の加入で一時は多少部内戦も盛り上がりを見せたが、夏合宿を前にかなりのマンネリ化となっていた。まあたった四人の部内戦、ぐるぐる回せば飽きるのも当然である。
「コーチがいたら、楽しいもん」
「お、生きてた」
「花音ちゃん、起こして。ポカリ飲みたい」
「しゃあねえな」
よろよろと立ち上がり小春の首根っこをひょいとつかみ、部活中のオアシスこと荷物置き場に向かう。こう見えて花音は意外と面倒見が良いのだ。
「あいつも器用よね。プレイスタイルころころ変えるし、道具も粘着とか使い始めるしさ。この前とか母親のペン持ってきてたし」
「まあ卓球歴長いんで当然じゃないすか? 亀の甲より年の劫、的な」
沙紀と花音の会話に、
「歴が長かろうと、普通はシェイク使いが簡単にペンは使えないし、プレイスタイルを変えることも難しいよ。私が今、難儀しているようにね」
同じく経験者組である秋良が割って入る。
「そんなもんなん?」
「そんなものさ。練習なしじゃ不可能だね」
「あいつは練習してねえじゃん」
「してるよ」
「なに! あの野郎、またあたしらに隠れてコソ練を!」
早合点して怒りをあらわにする花音。相変わらず沸点が低い。
「何を言っているのやら。私たちが練習相手だろう?」
「……おん?」
「実戦経験が足りない君たちのために、湊君はプレイスタイルを、道具を変えて、少しでも経験値を積ませてあげようとしているのさ。結果、湊君自身も以前使っていなかった技術を、動きを研鑽し、練習になっているわけだ」
「……本当かぁ? あいつにそんな思いやりがあるとは思えん」
「花音の言う通り!」
秋良の言葉に半信半疑の花音と半信半疑どころかおもくそ否定する沙紀。後者は未だに無視されたことを引きずっているのかもしれない。根が暗い女である。
「愛だよ。小春への」
「……あはは、違うよ。湊君は優しいだけ。勘違いすんなチワワ」
「嫉妬乙」
「……黒峰先生! 皆さん、休憩はもう充分だそうです」
「わふッ!?」
「おま、醜い争いに巻き込むな!」
「全部あの生意気な後輩が悪い!」
円城寺秋良の自爆特攻。わずかにある余力を使い、自分にナマを言った小娘を仕留める。これぞ神風精神。伊達や酔狂でファンクラブひと桁台ではない。
年季が違うのだ。愛情の。
「それは上々。では、再開しましょうか」
「「「ぴぎぃ!」」」
「……勝った」
何が勝ったのかよくわからないが、休憩時間は三分短縮。自重、有酸素中心の黒峰塾が再開する。まあ、地獄である。
「「「「死ぬ!」」」」
無事、四人全員地獄逝き。
その様子を微笑みながら、
「円城寺生徒の言う通りだと思いますよ。そして、素人目ですが……ふふ、不思議な話、貴女たちを伸ばすために、彼が一番伸びているのです」
黒峰が瀕死の彼女たちを見守る。
獄卒が如く。
〇
「一つ一つのプレーを切り取ると、存外粗いものもある」
龍星館男子ナンバー2、志賀十劫は目の前の死闘を冷静に分析していた。あれだけ多彩で変幻自在な卓球は見たことないが、一つ一つを切り抜くと粗も多々ある。
ただ、
「……黒崎には効くな」
「ああ。あいつも卓球自体は粗いからな」
徹宵の言う通り、黒崎豹馬にはそれでも刺さる。あらゆる才能を全て持ち合わせた豹馬も、唯一経験値と言う点では若干難がある。
彼が台頭してきたのは中学二年後半。其処から全国区へのし上がったのは中三の夏、ジュニアのナショナルチームに呼ばれ始めたのは高校へ上がる頃。其処から一年と少しで代表候補入りなのだから凄まじい出世速度である。
だが、段飛ばしの出世は、時に凡人が当たり前のように踏んでおく階段を抜かし、そのままになってしまうこともあった。
その隙が、そのまま不知火湊の多彩さで突かれている形。
「器用な男だ」
「……まあ、それがわかっていても普通は出来ねえ。自分の拍子が狂っちまう」
「ああ」
だが、今まで豹馬をそうやって下した者はいない。上へ征く者は皆、自分のスタイルを確立してしまっている。それこそプロになると一試合ごとにラバーを新調して、常に同じ状態を保つ選手がいるほど、変化を嫌う者は多いのだ。
繊細な競技だからこそ、相手を揺さぶるためだけに自分を曲げることは難しい。自分を貫き通すこともまた、強さである。
ただ、もし今の不知火湊のように――変化する己を貫き通すなら、それもまた道と言えるのかもしれない。
「あれに追いつくの!?」
ほぼ真横、となるほどの角度で打ち出されたスマッシュを、豹馬は信じ難い反応速度と身体能力を用い追いついて見せた。
こんなもの取られたら、普通は何処に打てばいいのかわからなくなる。大勢がその反則じみた機動力を前に自分を見失い、沈んでいった。
日本における卓球の立ち位置。それが黒崎豹馬のようなフィジカルエリートが少ない、ほとんどいない理由である。野球、サッカー、その他多くのスポーツ、それらの中で卓球の地位は決して高くない。選ばれにくい。
だからこそ、彼のような男が輝く。
「まだまだァ!」
豹馬もまた笑う。これが笑わずにいられようか。自分が嫌悪する界隈の申し子、古臭くカビの生えた卓球にしがみつく者たちが賞賛していた男が、誰よりも新しく、変化を恐れず、笑顔で卓球をやっている。
ほら、今も――
「追いつくと、思っていたよ」
「はッ!」
何とか入れた打球、それでも一応ドライブで返した。多少は勢いがある。それなのに湊はあろうことか、ラケットで打球の威力を殺し、その上薄く回転をかけ、横から入った打球はそのまま、台上で軽く震えた後、静止した。
「……はは、クソ映える!」
やられた豹馬は笑うしかない。
「普通に返したら追いつくだろ」
湊の返球、体勢を崩していたはずの豹馬は一瞬で立て直し、すでに打ち返す準備を整えていた。体は台上に、前のめりになっているのがその証左。
しかし、球が浮かねば返しようがない。
「弧の頂点を台の高さへぴたり。転がす、やなくて止めるって。魅せプやん!」
有栖川聖、犬猫の爆笑は同時に巻き起こった大歓声にかき消された。ただでさえ熱い横入れ合戦からの、最後は超絶技巧で仕留めて見せたのだ。
全員、卓球の練達者であるからこその盛り上がりである。
「……すご」
大事な試合で敗れ、心に傷を負った少女は凄まじい試合に圧倒されていた。だけど、不思議と悔しい気持ちは芽生えない。男女の違いもあるだろうけど、それ以上に強豪には滅多にいない、歯を見せて笑う競技者たちの姿が刺さる。
「……今、無性に、卓球がやりたいなぁ」
ああいう姿に魅せられて、自分は卓球を始めたのだ。ああなりたいから、両親にねだってラケットを買ってもらったのだ。
その原初の記憶が、其処に在った。
〇
黒崎豹馬は魅せられた。
『火山隼選手、卓球日本人初オリンピックのメダリストとなりました!』
速くて、強くて、小さな球がわけわからない軌道で飛び交う競技。たまたまテレビを付けたら見てしまった。魅せられてしまった。
野球は一年、サッカーは二年、バスケはしばしば助っ人で大活躍。どれも長続きはしていない。広く浅く、それが彼の信条であった。
どれも好きだったけど、のめり込む気持ちにはなれなかったし、のめり込まずとも大半の人には勝ってしまう。その競技が好きで好きで、それだけのことを考えている者にも、そこそこ好きな程度で勝ってしまうから、きつい。
別に勉強もスポーツと同じくらい好きだし、どちらかと言えば競い合えるだけそちらの方が好きだった。だから中受していい学校で鎬を削る。
そうしようと思っていた。
あの日、自分が触れてきた競技の中で一番小さな球技に魅せられるまでは――
とりあえず黒崎少年は運動神経抜群で頭もよくルックスもべらぼうによかったが、根っこが馬鹿だったので即行動した。
火山選手に会いに行った。自分の感動を伝えるため、伝えて、そしてどうやったらああなれるのかを聞くために。
『ハヤブサさーん!』
これはもう運が良かった、と言うしかないがたまたま会えた。オリンピックで一躍時の人となった超有名人であるにも関わらず気さくに話してくれた。
拙い言葉で感動を伝えた。衝撃を伝えた。
そして、
『俺でもあなたみたいになれますか!?』
『好きならなれるよ。上で待ってるぜ』
『……っ!』
より好きになった。
『おばあ、この子卓球やりたいみたいだぜっと』
感動が、衝撃が、縁となり、
『……また夢を見させることを言って』
さらなる出会いに繋がる。
『誰、あのババア』
『ババッ!?』
『ぶは、言うなぁ。俺の師匠だ。あの人に鍛えられたから今の俺がある』
『ほんとう!? じゃあ俺にも教えて!』
『まったく、近頃の若者は。まずは礼儀でしょうに。それで、貴方は何処の高校に通っているの? 今までの実績を教えてください』
『俺、小学生。未経験だけど』
『『は!?』』
今度はあっちが衝撃を受けた。高校生の中でも少し抜けた身長、すらりと伸びた手足、手と足のサイズを見るに、さらに伸びしろも見受けられる。
最上級の原石が其処にいた。
『……卓球で良いのか、坊主』
『卓球がいい!』
『そうか。そりゃあ、嬉しいなぁ』
憧れの選手に喜んでもらえた。だから、その選択を悔いたことは一度もない。
ぶちぎれる両親と大喧嘩して、それでも単身青森田中へ飛び込んだ。初めてする競技、寮生活、他の競技よりもずっと、自分の才能は大きなアドバンテージを与えなかった。それが黒崎少年には嬉しかった。やりがいがあった。
いつか火山選手のような、日本中を熱狂させる存在になりたい。その一心で卓球に打ち込んだ。魅せる、それが黒崎豹馬の原点にして目標。
だから許せなかった。
『……何すか、こいつら』
今、卓球界を席巻する貴翔が、その流れを作った男たちが。
前陣速攻、それは良い。中陣での打ち合いだけが卓球の魅力ではないから。問題は彼らの態度である。プロ意識の欠片もない。メディアの取材は寄せ付けず、ただ競技だけに打ち込む。強ければいい、と言わんばかりに。
孤高の存在、求道者、地道に打ち込むさまが格好いい。卓球好きには大人気。
違う!
オリンピックで高まった熱は、すぐさま一般からは消え失せた。四年に一度、大躍進してようやく注目される程度の競技、それが卓球である。
プロならば全力でメディアを利用し、少しでもすそ野を広げるべきなのだ。そうじゃないといつまで経っても、四年に一度だけしか輝けない。
火山隼や、その他大勢の選手が年末にテレビで道化を演じているのは、少しでも、ほんの少しでも卓球を認知してもらうためである。そのために必死で、時には笑いものになって、練習時間を割いてでも競技のために戦っている。
有栖川聖の独特で、奇抜な口調や振る舞いも、少しでも自分を取り上げてもらい、メディアの露出を増やすため、なのかもしれない。
豹馬は彼女にそれを確認したことはないが、その点は勝手に尊敬している。
少しでも世間に卓球を刻むため皆、頑張っている。
そんな流れをぶった切るような、冷や水をぶっかけるような存在が今の貴翔を取り巻く環境である。取材拒否、練習練習練習、勝てばいいと言わんばかりの振る舞い。本当に何もわかっていない。何一つ理解していない。
勝って、膨れ上がった熱量は何処へ行った?
金メダルを量産する柔道やレスリングが野球やサッカーと戦えるか?
勝つことは大事。だが、勝つだけじゃ全然足りない。
恒常的な人気。卓球を野球やサッカーと並べるためには、火山らが歩んだ道をさらに拡張し、競技のみならず選手も売っていかねばならない。
人気者がいる。多ければ多いほどいい。
そのために貴翔たちは邪魔。必ず己が打ち倒す。
そして継承するのだ。先人が死に物狂いで拡げた道を。自分が魅せる。より多くを、よりたくさんの人々に、自分が魅せられた競技を届けたい。
それが黒崎豹馬の野望である。
だから――
「魅せるっすねえ」
「そう?」
「胸張ってよ、不知火君。俺が魅せられたの、二人目っすよ」
「……よくわかんないけど、ありがと」
今、黒崎豹馬は誰かに見せるための卓球に魅せられ、其処に感動を覚えていた。かつて卓球好きにしか知られていなかった、知られようともしていなかった元天才少年は、殻を破り魅せる選手へと変貌しつつある。
楽しそうなのもグッド。あとはもう少しルックスがなぁ、と豹馬は思うが、さすがにそれは口に出さない。結構失礼な男である。
けど、豹馬が嬉しく思っているのは事実。
彼がいたら卓球界は面白くなる。盛り上がる。そういう選手が増えるのは大歓迎。もちろん負ける気はないけれど、最後は自分が一等賞を取る気だけど、
「んじゃ、そろそろケリつけましょーか、不知火君」
「ああ」
勝つことよりも重要なことがあるから。
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