第40話:見せる卓球

「にゃはァ。あれ、この前ベルリンで聖がやったやつ」

 龍星館、最強ダブルスペアの一角猫屋敷が笑う。

「……よく調べていますね」

 同じく犬神も笑みを浮かべる。投げ上げサーブ自体はそれほど珍しくはないが、あの高さに加え其処に難度の高いYGサーブとなればかなり珍しい。

 記憶に新しいのはドイツで行われた国際大会、有栖川聖が見せたプレー。しっかりと最近の試合、しかも女子を追っていることがわかる。

「本気でコーチやる気なんだねえ」

「そのようですね」

 あのただ一人君臨し、何人も寄せ付けぬ雰囲気をまとっていた男が、自分のためではなく周りのために学習し、それが結果として今生きた。

「出てるにゃあ、雰囲気」

「ええ、あからさまに」

「なら、次はあれかな?」

「あれでしょう」

 あれが有栖川聖の模倣であるなら、次もきっと被せてくる。

 有栖川聖と言う怪物と間近で過ごし、だからこそダブルスに活路を見出した二人は知っている。魔女が魅せる魔法を。

 繊細かつ大胆に、相手を惑わす妙技を。

「また投げ上げ!」

「聖の……と言うことは」

 龍星館男子二枚看板の十劫、徹宵は不知火湊を見る。

 その姿勢は誰が見てもわかる通り、

「「王子サーブ」」

 王子サーブ、別名しゃがみこみサーブ、であった。こちらは投げ上げで高さを出して打ち放つ王道であり、高いボールを全身を使って擦り打つ打法は強烈な回転を生み、苦手な選手は本当に苦手である。

 ただ、全身を使う大胆なフォームはレシーブに対する反応を鈍らせたり、そもそも未熟な者が使うと打面が見え見えで回転方向が一目瞭然となる。

 初心者へのわからん殺しとしては最適だが、ある程度こなれてくると対処法は見てから判断出来るため、使用者は其処まで多くない。

 だが、

「……有栖川さんの模倣なら」

「うん。打球面はギリギリまで、わからない」

 女王、有栖川聖の得意技である。彼女のそれは本当に、ギリギリまで打球面が判断できないのだ。フラットに、偏りなく、ギリギリまでわからない。

 球が落ちてくる。湊はラケットを引く。全身を弓のようにしならせ、上から下へと切り裂くように打ち放つのが王子サーブである。

(……まだわからない)

 黒崎豹馬は正直、あまりこのサーブが好きではなかった。回転が強過ぎて上書きは難しい。必然、回転方向に対してラケットの面をしっかりと合わせる必要がある。球の強さ、回転量、判断すべき要素が多い。

 だからせめて、判断できるポイントが早ければ考えることも出来るが――

(表か、いや、まだ裏も行ける。嘘だろ、何処まで引き付けて――)

 湊のそれは聖同様、ギリギリまでわからぬもの。

 それこそ、

(裏!)

「ふッ!」

 打ち放つ瞬間まで。シュート回転、其処に面を合わせるだけ。だが、サーブを打ってから到達までは一秒もかからないコンマの世界。瞬時に、的確に、最善の行動がとれるのであれば人間は苦労しない。

 ゆえに、

(どうとでも、なれっす!)

 豹馬はええいままよ、とばかりにラケットを振りぬいた。カーブだろうが、シュートだろうが、横回転であれば縦軸さえ合わせれば相手コートの何処かには届く。もちろん回転量が多過ぎて横にはみ出てしまう可能性はあるが、そのための全力スイングである。少しでも回転を力でかき消す。上書きする。

 その目論見は、

「……あっ」

 果たされなかった。

 豹馬のレシーブはネットに突き刺さっていたのだ。

「……下も、入れていたんすねェ」

 打ち放つ直前、湊は横回転を入れながらラケットをわかり辛く寝かせ、下回転も混ぜていた。裏面で打ったのは下回転を加えるため。

 相手を惑わす魔法が、

「2点、追いついた」

「……っすね」

 才能の塊である天才、黒崎豹馬から2点をもぎ取る。

「サーブ、得意なんすか?」

「サーブ『も』得意、かな」

「うわーお。結構好きっすよ、そういうの」

 ガチガチの打ち合いでもぎ取った2点も、詐術であっさりともぎ取った2点も、同じものである。豹馬は佐伯湊の記憶を消した。もはや、目の前の敵と被せるには違い過ぎる。ノイズにしかならない。

 湊もまた先の2点で化け物じみたフィジカルは堪能した。

 つまりは――

「んじゃ、やろうよ、不知火君」

「ああ。やろうか」

 挨拶は終わり。ここからが本番、である。


     ○


 有栖川聖はこっそりと練習場を抜け出し、如月の代わりにレギュラーとして選ばれた部員の下へ足を向ける。別にそれで何かが変わるわけではない。

 ただ、何となく思ったのだ。

「遠藤、吐き気は収まったんか?」

「あ、有栖川先輩。少し収まりました。すぐ練習に戻ります」

「せやな。ほな、一緒に戻ろか」

「はい。お見苦しいところを見せて申し訳ありません」

「気にせんでええよ」

 後輩の手を握り、立ち上がらせる。

 そして連れ歩きながら、

「さっき湊君が言うとったことな、悪いけど当たりや。今更代表選考のポイントに関係ない試合なんぞ、落としても屁でもない。主将失格やけど、星宮が落とした時点でボクは負けた、思ったし、実際に負けてもうた。何も気にしとらんけどな」

 主将としてではなく有栖川聖個人としての本音を伝える。

「……」

「何のために卓球するんか、よう考え。ボクはより良い環境のために名門を利用しとるし、名門はそれを提供することでボクを使って龍星館を売っとる。お互いWinWin、それでええねん。それ以上いらんねん」

「……私は」

「肩の力抜き。今やっとる試合見たら、辛気臭くやっとるのあほらしくなるで」

「……試合?」

「せや。おもろいでェ、この試合は」

 二人が練習場に戻ると、

「これ、は」

「なんや、まだ全然進んどらんやんけ」

 其処には後陣でバカスカ打ち込む豹馬と、同じく後陣でカットを用いしのぎまくる湊がバチバチにやり合い続けていた。

 点数を見ると、黒崎3対不知火2、1点しか進んでいない。

 持久戦である。

「……あの人、佐伯湊君、ですよね?」

「せやねえ。あの、佐伯湊君や」

 其処には彼女たちの世代であれば誰もが知っている選手が、彼女たちの知らぬプレイスタイルで戦っていた。いや、戦っている、と言うのは語弊があるのかもしれない。だって彼は、何が楽しいのか歯を見せて笑っているのだから。

 笑顔で卓球を――楽しんでいる。


     ○


「……むぅ」

 ぷくっと頬を膨らませている那由多を見て、

「どうしたの、なゆちゃん」

 美姫は問いかけた。

「……あれ、私が苦戦した能登中央の子。オールドスタイルのカットマンだった」

「あ、そうなんだ。でも、本当に凄く露骨だね」

「そう。粘りに粘って相手のミスを待つ卓球。古のカットマン」

「でも、黒崎先輩には効果的かも」

「何故?」

「高身長、身体能力、センス、およそ競技に必要な全てを兼ね備えている人だけど、唯一技術だけはその辺の選手と変わらないから」

「……なるほど。技術は、再現性のために必須」

「うん。ミスを減らすのが、技術の力だから」

 蛇の如く粘る湊。その打球もしっかりカットしているものもあれば、あえて回転を抑えたナックルちっくな球を返したりもする。横を入れてみたり、とにかく相手のミスを誘うような、ねちっこい卓球。

 この場の全員が思う。

「やりたくないねー」

「それ」

 蛇の卓球、その模倣。

 ただし、

「あっ」

 円城寺秋良の姉、佐久間夏姫が目を見開く。

 同じカットマンスタイル。だが、あの美しい下回転は、それを打ち放った綺麗な姿勢は、双子の妹を想起させたから。

「いっ!?」

 よく切れたカットを拾い上げるも、どうしても回転量の差で短くなってしまう。其処に湊が勢いよく前進、強烈なドライブをぶち込む。

(一人佐久間姉妹)

「……!」

 美しい回転で、綺麗なコースへ打ち込む。丁寧に、上手く処理しなければ短く、浅く、甘く返ってしまう球。佐久間秋良が得意とした次へ繋ぐカット。

 其処に姉の佐久間夏姫、その思いっ切りを盛り込んだ。

 それを豹馬は気合で追いつき、打ち返すも――

「ハァ!?」

「ほっ」

 おちょくるようにまたしてもカット。攻め込む好機、攻め込まれると豹馬は覚悟し、激しい打ち合いとなると予期していたのにもかかわらず、

「ああ、もう!」

 強烈な緩。

「プラス、佐伯湊ってね」

 さらに浅く、甘くなった球を今度は閃光の如しカウンターが切り裂く。さすがの化け物フィジカルも、甘く入った球を完璧なカウンターで打ち抜かれてはまともに反応すら出来ない。揺さぶり、相手の精神を削り、其処を穿つ。

「はぁ、はぁ、また追いついた」

「はぁ、はぁ、1セット目の前半で息切れたの初めてっすわ」

 体力も削れる。ただしこれはお互い様。

 湊もまだ全盛期には程遠いが、県予選の時よりもかなり体力を取り戻しつつあった。それでも1セットで頼み込んだのは、あの手この手を使うため。

 温存した試合展開を見せるよりも、密度の高い1セットを見せたい。

「わ、私も、認知、されてた! しかもコラボ!」

 謎の喜びを見せる佐久間姉。まさか姉も、なのだろうか。

「おもちゃ箱みたいすねえ」

「いいね、それ。今度から使おうかな」

 まだまだ飛び出す、不知火湊の引き出しの中身たち。

 その様子はさながら、おもちゃ箱のようであった。


     ○


「……今のドライブ、木崎君の」

 龍星館卓球部統括マネージャーの乾は、自分の同期でもある実業団選手の影を、今の不知火湊に見た。確かに記録では一度対戦しているが――

「乾君も気づきましたか。あの子、先ほどから様々な選手の卓球を引っ張り出しています。体格、利き腕、身体能力、何もかも違う選手を自分の規格に置き換えて、再現する。驚くべきことです。戦慄を禁じ得ません」

 青森田中の総監督である田中もまた驚きと笑みを浮かべていた。

「あんなにも前一辺倒な卓球をする子だったのに。何処であんなにも――」

「あら、其処には気づいていないのですね。あの子が引き出しているのは、過去の対戦相手ですよ。貴翔君がいるから忘れがちですが、対戦人数で言えばブランクがあってなお湊君の方が上でしょう。誰よりも勝ち続け、時には社会人とも戦ってきた。その戦歴が今、不知火湊の卓球をリビルドしているのでしょう」

 修羅の如く戦い、勝ち続けてきた。時に敗れ、苦渋を飲んだ。ジュニア世代であれば国内、国外問わず暴れ回った。その時代の経験が彼の宝物。

 その宝物を惜しげもなく、誰かに見せるため披露している。

 結果、彼は生まれ変わった。

「……たった一度戦っただけの相手でも、か。残酷ですね、才能は」

「それらを再現する技術はともかく、瞬時に適切な卓球を引き出すところは天性の勝負勘、確かにあれは真似できませんね。膨大な経験の上に成り立つ、才能です」

 誰も彼もがああなれるわけではない。技術だけでは届かない壁がある。それは卓球に人生を捧げながらも選手として這い上がれなかった乾が一番よく知っている。高い技術だけでは足りない。それを適切に運用するセンスが、勝負勘があってこそそれらは輝く。哀しいかな、自分にはそれがなかった。

 だが、不知火湊はそれを備えている。

「彼は強豪に入るべきです。それが才能を神から与えられた者の宿命でしょうに」

「……私もそう思いますが、あの卓球が私たちの用意した環境で芽生えたとも思えません。今の不知火湊は、今の環境でしか生まれなかった」

「……そ、それは」

「つくづく思い知らされます。卓球はメンタルのスポーツである、と。心根一つでああも卓球が変わりますか」

 技術はあった。センスもあった。だけど、佐伯湊は行き詰まった。壁に阻まれ、地に墜ちた。その時から技術が跳ね上がったわけではないだろう。センスは生まれついてのもの。錆び付くことはあっても変わるわけではない。

 そもそも佐伯湊が前に張り続けたのは正しかったのか。

 前で彼を縛り続けていただけだったのではないか。

 結果を出し続けてしまったことが彼の不幸か、さりとてあの挫折があってこそ、其処で立ち止まれたからこそ、今の出会いがあったからこそ――

「いい経験ですね、豹馬」

 天才の前に立ちはだかるのは甦った天才。

 その卓球は新しい時代を予感させた。

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