第39話:黒崎豹馬対不知火湊

「不知火湊、卓球スル?」

「せや」

「セヤ?」

「……卓球します」

「ンー!」

 喜びながらぴょんぴょん飛び跳ねる趙を見つめながら、

(あのガキ、なに辻斬りみたいに女落としとんねん。いてこますぞ!)

 有栖川聖は笑顔でぶちぎれていた。奇抜な髪形、色、エキセントリックな似非関西弁など属性モリモリの彼女であるが、それゆえに容姿は悪くないのにんまー異性にモテない。加えて根も陰キャとくれば女版湊みたいなもの。

 当然、異性と仲良くしているだけで腹立たしいし、それがまたやたら美人ばかりなのも苛立ちを募らせる。あと男も落とすし――

 そんな龍星館の恥部を他所に、

「犬はどっちが勝つと思う?」

「さすがに黒崎君だと思いますが」

「んじゃ、私は湊君にしようかにゃあ」

「あら、珍しく割れましたね」

「だって、良い顔してるよ、今の湊君」

「……良い顔?」

「うん。全然好みじゃないけどにゃー」

「ですよねぇ」

 犬猫ペアはほんの一瞬不穏な雰囲気を浮かべつつ、珍しく割れた二人の立ち合いを見学していた。これで猫屋敷が好みの顔だと言ったら、おそらく湊の命運は断たれていた、かもしれない。知らんけど。

「ひめちゃんモテモテ」

「か、からかわないでよ、なゆちゃん」

「いつから誘われてたの?」

 意外にも恋バナに興味津々の星宮那由多。姫路美姫は照れながら、

「中学二年くらいだと思うけど」

 そう答えた。那由多はさらに興奮する。

「長い! 存外真面目!」

 ただ、美姫は少し表情を曇らせ、

「……あのね、違うの。私が強くなってきた頃のこと思い出して」

「……?」

「……主に体形」

「……あっ」

 放たれたヒントに那由多は何かを察し、口ごもる。

「そう。フィジカル向上のためにね、食事トレーニングに力を入れ始めてから、その成果が出てから、声をかけられたの」

 姫路美姫は元々華奢な体形であった。技術は名門が目を付けるほどであったが、勝ち切る強さがなく聖や那由多の陰に隠れ続けていた。いや、当時は彼女らと並べるような存在ですらなかった。

 しかし、田中総監督に誘われ青森田中へ入り、ウェイト、マシントレ、食事トレーニングを取り入れたことで力を備え、才能が開花する。

 線が細かった時代に培った確かな技術に、肉体改造で手に入れた力が乗っかることで今の姫路美姫が生まれた。ただ、元々彼女は代謝が高く、中々太れない日々が続いていた。今でこそ食べ慣れたことで増量は苦にならなくなったが、中学一年生の間は食べることへの苦しみが彼女を苛むほどであった。

 高い代謝、ハードなトレーニング、それらを上回るカロリーを摂取するため美姫は吐きながら食べた。涙を流し、時に胃液を戻し、それでも食って鍛えた。

 その結果が、今のぽっちゃり体型である。

 厳密には最高のパフォーマンスを出せるのはもうふた回り絞った状態であるが、普段のハードなトレーニングはもちろん、連日遠征に飛び回り非公式戦、当然公式戦もあり、時に国際大会にも出て――というスケジュールで完全な調整は不可能。何よりも放っておくと痩せてしまうので食い続けねばならない、という強迫観念もある。それが姫路美姫のわがままボディの正体であった。

 其処に好みが合致したのが一つ上の先輩黒崎豹馬くん。痩せていた中一の頃は校内でも一番の美少女としてモテモテであったが、増量と共に潮が引くように去って行った男たちの代わりに、颯爽と軽薄な男がやって来たのだ。

 なので心証は極めて悪い。体型しか見てない、と言われても仕方がない。

「……私はどっちのひめちゃんも好きだよ」

「ありがとう、なゆちゃん」

 そんな女たちの盛り下がりを知る由もなく、不知火湊と黒崎豹馬はラケットの確認をしながら対峙していた。

「うわ、アポロニア選手モデル。かっけー」

「これは火山選手モデルかぁ。なんか意外だね」

「そうっすか?」

「うん。プレースタイルから欧州の選手が好きそうだったから」

 卓球大国は中国であるが、卓球の本場は実は欧州である。雨天、室内で貴族たちがテニスの代わりに始めたのが成り立ちであり、未だに欧州では日本人が考える以上に、遊びとしてのテーブルテニスは文化の一部となっている。

 かの名手クリスティアーノ・ロナウドがフットボールか卓球か、どちらの道に進むかを迷っていたのは有名な話。

「あー、確かに好きな選手は多いっすね」

「でしょ」

「でも、一番は火山さん。これは譲れない」

「……」

 ラケットを返し、それを握り締めた彼の姿を見て、湊は強固な何かを感じた。熱い、情熱のような何かを――

「間に合ったか」

「1セット勝負だってよ」

 龍星館の男子部員たちも到着する。

「……湊」

「サーブは豹馬からか。ま、あいつのはクソほどわかりやすいけど」

「……ああ」

 山口徹宵、志賀十劫も見守る中――

「「お願いします」」

 不知火湊対黒崎豹馬の試合が始まる。

 サーブ権は豹馬から、

「どーん!」

 彼の得意なサーブは台上から大きく出るロングサーブである。近年、強力なレシーブ手段として台頭した回転を上書きする手法であるチキータ。純下回転と言う対処法もあったが、もう一つがこのロングサーブである。

「ボクは嫌いやね。とにかく奥へ差し込むだけでええなんて、品がないわ」

 このサーブの狙いはとにかく台の奥でバウンドさせ、台上で処理をさせないことにある。台から引き離してしまえばチキータなどただ回転をかけた遅いバックハンドでしかない。如何様にでも料理できる。

 そしてこれは――

「湊君が――」

「――引いた」

 前陣殺しのサーブでもある。台上から引き剥がす効果もあるのだ。シンプルゆえに強力。もちろん少しでも落点が甘ければ意味がなく、それなりに精度は必要であるが、それに特化していれば習熟は可能。豹馬は特に、大半がロングサーブである。

 湊は台から一歩引き、

(まずは挨拶代わりの――)

 居合切りの構え。それより放たれるは、

「士ィ!」

 鶴来美里の伝家の宝刀、『吉光』の煌めき。

 白刃の如しバックハンドドライブは湊の対角線上へ、美しく、速く打ち抜かれた。待ってましたとばかりのロングサーブへの解答。

 それを、

「ほっ」

 逆を突かれたはずの豹馬が一歩で埋める。

「っ!?」

 からの、

「んッ!」

 ドン、湊が差し込まれレシーブをミスってしまうほどの威力。あの状況から、あの体勢で、あれだけの打球を強く返すことが出来る。

「……これが世界水準のフィジカルだ、湊」

 徹宵は小さくこぼす。湊が知るのはジュニアの世界、後は国内の一般程度であろう。しかし、欧州の強豪たち、中国の代表たちはこうした鬼フィジカルを当たり前のように搭載している。特に欧州は人種の壁もあり、能力の平均そのものが違う。

 さらには近年、黒人選手も台頭し始めているのが卓球界であった。

「……今の、美里?」

「うん。どうしたの、ひめちゃ――」

 先ほどまでお姫様気分であった美姫は鋭く、嫌悪に満ちた目をしていた。

「なゆちゃんはあれを見ても、何も思わないの?」

「……み、湊の手癖が悪いのは、昔からだから」

「……美里なのが、嫌」

 湊の理屈は先ほど解消できた。そんなところも湊君らしい、とあっさり飲み込んだ。だが、鶴来美里は話が別。彼女は明らかに、その特別な立ち位置に優越感を覚えていた。自分に、那由多に、マウントを取っていた。

 女の勘がそれを告げていた。

 そんなことは露知らず、

「ふっ!」

(おー、意外と普通の卓球できるんすね。てっきり貴翔みたいな、せこせこ前に張り付く卓球だと思っていたんすけど)

 熱戦は続いていた。

 またもロングサーブから始まった中陣での強烈なラリー。まさに男子の試合と言わんばかりのやり取りに、見物している者たちは盛り上がる。

(まあでも、普通っすね。特別リーチが長いわけでもなく、特別強い球が打てるわけでもない。あの、死に物狂いな前陣はエンターテイメントじゃなくて嫌いなんだけど、それでもあっちの方が強いっしょ。さすがに)

 豹馬は好敵手である貴翔を学ぶ際に、田中総監督の勧めもあり佐伯湊の映像を漁ったことがある。速く、早く、短く。閃光のようなカウンターは貴翔のそれと同様、玄人を唸らせる輝きはあった。でも、あまり好きにはなれない。

「カット!」

 ドライブ合戦の最中、根負けしたように湊はカットを選択する。

(別にカット打ちは苦手じゃねえよ)

 それほど切れたカットではない。いつもより気持ち、回転重視で上書きしてしまえば楽勝に返球できる。そのドライブは弧を描き、

「疾ッ!」

「おっ!」

 湊は前へ、そのままカウンターをまたも豹馬の立ち位置、其処から離れるようなクロスに叩き込む。鋭く角度の付いた打球はぐんぐんと台から離れていき、

「届くんだな、これが」

 それなのに黒崎豹馬は追いついてしまう。そして力ずくでバックハンドを振り抜き、強烈な横回転のかかった打球を返してくる。

 それを、

「なら、こう」

 とん、と湊は優しいタッチで相手の台上に落とした。卓球経験者であればあるほどに目を剥くほどのボールタッチ。繊細極まるそれは天才の所業。

 あの打球を、返すというよりも落とすことの難しさ。打球の勢いを、回転を、繊細なタッチと面の角度で捌く。

 ここで歓声が上がってもおかしくはない。おかしいのは、

「届くぜ」

「マジ?」

 奥から一瞬で前へ戻り、それを拾ってしまう黒崎豹馬の反則じみた機動力。決まったと思った瞬間には、取れる位置に豹馬が移動しているのだ。

 2対0、あっさりと2点を奪われてしまう。

「すっげぇ」

「……」

 だと言うのに、どうにも湊の雰囲気に往年の刺々しさがない。あの相手を殺してやるとでも言わんばかりの、冷たく淀んだ眼ではなく、

「あのコースでもダメかぁ。さてと、どうしたもんかな」

 笑顔が浮かぶ。

 まるで強い相手と戦うことを楽しんでいるかのような、ともすれば勝敗を気にしていないとすら思えるほどの緩みっぷり。

 どうにも手応えがない。

(あれ拾われたら、少しは堪えると思ったんすけどね)

 おそらく日本人であの組み立てで、あの落としを決められたら自分以外は手も足も出ないだろう。それだけの好プレーだからこそ、砕かれると揺らぐはず。

 豹馬は砕いた。

 ならば何故、あの男は平然としている。

 手元のボールを弄り、まるで遊んでいるかのような雰囲気をまとっている。未だかつて、豹馬の戦歴の中でこんな競技者はいなかった。

 皆、勝つために目を血走らせていた。

 たかが練習試合でもそう。今日の徹宵も、十劫も、そうだった。

(……やっぱあれなんすかねえ。もう、競技者ではないから――)

「豹馬!」

 わずかに緩んだ雰囲気、それを見逃さずに田中総監督が檄を飛ばす。

 その瞬間、

「あっ」

 ボールは天高く舞い上がった。高く、高く、さらに高く――

「……投げ上げ、サーブ」

 サーブはルール上、トスの段階で16センチ以上の高さまでは上げないといけない。逆に言えば16センチ以上ならば、天井に当たらぬ限り何処までも投げていいのだ。もちろん、高く上げれば上げるほどに、サーブ側の難度も上がるが。

(……高ぁ)

 投げ上げサーブの利点は重力の加速を味方とした回転量の増加と、サーブのテンポを変化させタイミングをずらす効果がある。

「……あ、あんなの、コントロールできるはずが」

 それはサーバーも同じ。むしろ、ここまでの高さともなればレシーバーよりもサーバーの方がよほど難しいだろう。

 卓球の名門、練達者しかいないこの場においてすら――

(……あ、やべ)

 今更、豹馬は気づく。

 笑顔の不知火湊、その身から溢れ出る強烈な雰囲気に。

「不敬ですよ、豹馬」

 天高く投げ上げられた球を、湊はあろうことか通常の高さでも難度の高いYGサーブで撃ち放った。強烈極まる回転、そもそもまさかYGで来るとは思わずに回転方向が瞬時に出てこない。必然、とりあえず出したラケットに当たった球は、

「不知火湊はかつての一等賞、貴方たちの世代の王だった男です」

 あらぬ方向へぶっ飛んでいく。

「あ、あれを、YGィ!?」

「……」

 十劫、徹宵すらも唖然とするしかない。

「まず、1点」

「……誰すかあんた」

 歓声が爆発する。

 悪戯っぽく笑う湊。其処には豹馬の知らぬ化け物がいた。

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