第38話:かおす

「美姫ちゃんとのデートを賭けて俺と勝負っす!」

「ぶっ!?」

 卓球界の重鎮、田中総監督が噴き出す愛弟子の一言。この場の全員が硬直する。投げかけられた湊も唖然とする。

「黒崎ィ! またお前は、お前は、お前はァ!」

「主将、語彙力」

 同級生でもある青森田中の主将が叫ぶもいまいち不明瞭。

「く、黒崎先輩、困ります!」

 さすがに姫路美姫も先輩相手だが抗議する。

「いやぁ、中学時代から誘っていたんすけど、ひらりひらりとかわされて早四年、いや、三年か? そろそろ答えが欲しいなぁ、と思っていたところなんすよ」

 しかし豹馬には微塵も響かない。ハートが無駄に強過ぎる。

(……そこまでかわされ続けてたら要は脈なしなんじゃ)

 湊にしては真っ当な考えが浮かぶも、

「いいじゃないすか。たかがデート、お試しっすよ」

 豹馬はごり押し切ろうとする。これで行けると思える彼の脳内が気になるところ。

「たかが?」

 だが、

「どうしたんすか?」

 対する男の脳内も結構ヤバい。何せ類友があの『三人』である。

「……まるで何度もデートの経験があるように聞こえたんだけど」

 この男の琴線も意味不明。

「そりゃそうっしょ。もう高校生っすよ。デートぐらい――」

「上等だオラァ! 全国の一般男子高校生の無念、俺が晴らしてやるよ!」

「……ええ?」

 吹っ掛けた豹馬がドン引くほどの怒りを見せる湊。その眼には血の涙が浮かんでいた、ような気がした。普通に錯覚である。

「ごめん、ひめちゃん。俺、どうしても許せない。マリー・アントワネットよりも酷いこと言ってんだ。絶対に許しちゃダメなんだ!」

「……」

 女子一同、数名(やり取りがわからない趙、あと――)を除き「え、ナニコレ」と言う表情を浮かべていた。

 されど数名の内、

「湊君と……デート」

 ここにも一人千載一遇の機会に目がくらみ正気を失った者がいた。当の本人、姫路美姫その人である。基本彼女、恋愛脳なのだ。

 惚れた弱みか、それとも馬鹿なのか、今の阿呆の極みを体現している湊が王子様に見えていた。あの那由多をしてありえんキモい、となっているのに。

「パンがなければ、の言葉ならアントワネットは濡れ衣っすよ」

 無駄に学を示す豹馬。もう収拾がつかない。

「わ、わかりました。私はそれでいいです」

「姫路!?」

「え、マジ!? やった! 言ってみるもんスねえ」

 ここは混沌の向こう側。

「湊君、私、信じてるから」

「任せとけい!」

 ありえんキショい不知火湊とおバカな黒崎豹馬、そして恋愛脳の姫路美姫が組み合わさることにより、

「……た、田中監督?」

「……これが令和ですか」

「違うと思いますよ」

 一応、田中総監督の目論見通りに事が進む。声をかけた乾も、田中総監督自身も予期せぬ流れから、元神童対現天才の戦いが実現する運びとなった。

 もう滅茶苦茶である。


     ○


 山口徹宵と志賀十劫は何とも言えない顔で座り込んでいた。中学から始めた天才に物心ついた時から卓球に触れていた自分たちが敗れたのだ。別に、卓球歴が全てではないことなど彼らも理解している。努力すれば夢が叶う。天才にも勝てる。

 そんなに甘い世界ではない。

「……圧倒的機動力に、クソほど長い手足。嫌になるぜ」

「そうだな」

「でも、通用しないわけじゃねえ。俺も伸びてる。次は勝つぜ。大会でな」

「……俺も負ける気はない」

 天才はいる。黒崎豹馬はあからさまに、見るからに天才であろう。普通の者が二歩かけねば届かぬところに彼は一歩で届く。動かなければ届かないところが、彼は手を伸ばすだけで届く。身長が高い、手足が長い、これは他の競技ほどではないが卓球においても明確な強みである。

 しかし、それに嘆いていても仕方がない。今更手足が伸びるわけでも、身長が彼ほどにぐんと伸びることもないだろう。

 与えられた手札で戦うしかないのだ。

「乾さんから連絡来たぞ!」

「ん?」

「黒崎と佐伯、あ、不知火がやり合うってよ!」

「「……へ?」」

 何でそうなるの、という表情の徹宵と十劫。

 ただ、居ても立っても居られないことは事実。何せ、今伸び盛りの天才とかつて世代の頂点だった男がやり合うのだ。

 しかも不知火湊は徹宵との卓球を見る限り変化の途上。あれからさして時間は経過していないが、それでも少しは変わっているかもしれない。

 同じ地区の、敵と成り得る存在、その成長は気にならない者などいないだろう。

「つか、黒崎の野郎いつの間にかいなくなってやがった!」

「気づかんかった」

 龍星館や青森田中男子一同、走る。


     ○


 騒動が収まり、ウォーミングアップをする中、

「……」

 ふと思う。あれ、どうしてこうなったんだろう、って。もちろん全国の一般男子高校生が夢見る幻想『デート』を軽んずる発言は未だに許し難い。

 ただ、普通に、どう考えても、

「僕、勝てんだろ」

 勝てるわけがない。

 現役バリバリの、しかも代表候補にも挙がる人物。国際大会でも戦っているだろうし、すでに場数すら自分よりも上かもしれない。いやまあ、その辺りは彼の戦績を知らないのでよくわからないけど、とにかく半端者の自分が通用する相手じゃないだろう。怒りが沈静化して、嫌でも見えてくる現実が僕を苛む。

「……でも」

 ただ、付け入る隙が皆無とも思えなかった。先ほど徹宵との戦いを見て、自分の中でのイメージ通りなら悪くない勝負は出来るはず。

 あくまでイメージ通りなら、だけど。

 そのためにも、

「湊、大丈夫? 黒崎さん、強いよ」

「……知ってるよ」

 もう一度自分の殻を破る必要がある。自分たちの世代で貴翔の型落ち戦型では必ず対策されているだろうし、とても通用する気がしない。

 それは前回の徹宵相手で身に染みた。

「昔なら俺も強いって返したんだけどさ……今は自信ない」

 眼鏡を外し、コンタクトに付け替える。昔はそれが日常と卓球を切り替えるスイッチだった。冷たく、研ぎ澄まされる感覚が身を包み、勝利のために戦う。

 だけど最近は、そう言うのも薄れてきた。

「負けたらごめん、ひめちゃん」

「う、うん。大丈夫だよ、湊君。デートって言っても、その、二人きりとは限らないから。その時はなっちゃんにお願いするつもり」

「……あはは、そりゃいいや」

 少し気持ちが楽になった。やはり、今はどうにも勝ち負けにこだわる気にはなれない。勝たなきゃいけないのに、あの頃の切羽詰まった感じがしないのだ。

 ひめちゃんには申し訳ないけれど、

「あ、那由多。一つお願いがあるんだけど」

「いいよ」

「聞く前から返事するなよ」

「今の湊なら、何でも協力する」

「……じゃあ、俺のスマホで撮影よろしく」

「? ……別にいいけど」

「助かる」

 あれだけの相手が自分如きと戦ってくれることがありがたい。それを映像に残し、あいつらへの土産に出来ることもありがたい。

 何よりも、

「さァて、一丁やってみますか!」

 久しく忘れていた那由多や美里に挑戦し続けたあの頃の気持ちが湧き出て来て心地よい。徹宵との戦いで開いた蓋、湧き出た感情の名はよくわからない。

 だってそうだろ。今の俺がどんな表情をしているのか、俺にだけは見えないんだから。でも、きっと、昔とは違うと思う。

 強い相手を、それに対する戦い方を、あいつらに見せよう。

 今の俺を、俺の卓球を――見せるんだ。

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