第37話:午後の練習

「山口君、メシ食いましょー」

「こっちの机は龍星館だ。国へ帰れ」

「志賀君には言ってないっす」

「あン?」

 青森田中男子の二年エース、黒崎豹馬が人懐っこい笑みを浮かべながら昼食時山口徹宵の下へやって来る。しかし、それは龍星館男子ナンバー2、志賀十劫が阻む。

 口で。

「別に構わんが」

「徹宵!」

「やった。山口君の寛容なとこ好きっすわぁ」

 はいどいたどいた、とばかりに志賀と山口の間に自分の体をねじ込み、無理やり隣に座る黒崎。志賀は苦虫を噛み潰したような貌となる。

「最近戦型変えたんすか?」

「ああ、さっきの試合か。まあ、そうだな。後ろも打てるようにならないと、この先苦しいと思ってな。練習中だ」

「なぁる。道理であっさり勝てたわけっすね」

「結構いい勝負だったと思うが」

「いやぁ、自分もちょっと集中力が途切れてたんすよ」

 黒崎の言葉に、

「言い訳乙」

 志賀がすかさずツッコミを入れる。

「言い訳じゃないっすけど……視線が気になって」

「……ああ。そう言うことか」

「なるほど」

 三人の視線が、女子の輪の中でキャッキャと笑う不知火湊へ向けられる。

「あれ、山口君知ってる選手すか?」

「不知火湊、明菱高校一年、佐伯湊と言った方が通りは良いか」

「佐伯、ああ、貴翔の下位互換ね」

 黒崎の眼が薄く、細まる。

「今のあいつは、昔のあいつとは違うぞ」

「そっすか。でも、さっきと雰囲気違うのは……ちょっと気にはなるっすね」

 へらへらとゆるゆるの笑顔を浮かべている男が、先ほどは刺すような視線を向け続けて来ていた。普段、黒崎は試合中他に気をやることなど無い男なのだが、あそこまで濃密な殺気にも似た視線ともなれば別。

「つか、俺の美姫ちゃんにあいつ、なにちょっかい出してんすか?」

 そんな黒崎にとって気がかりなことは、同じ学校の後輩である姫路美姫にデレデレした顔を向けるクソ陰キャ眼鏡君の存在であった。

「は、お前あのデブ好きなの?」

「殺すぞ志賀。美姫ちゃんはぽっちゃり系な。むしろもう少し好みとしては増量して欲しいんすけど、さすがに選手として支障を来す望みは言えねえっすわ」

「……D専ね」

「表出ろ。午後、ぶっ殺してやる」

「望むところだ」

 好みも対照的な黒崎と志賀。片方は包容力のある母なる存在を望み、もう片方は女なんて痩せてれば痩せてるほどいい、そう。後者は本当に女性に興味があるのかすら怪しいのだが、その辺りは不透明である。

「あまり煽るな、十劫。姫路美姫は小さな頃しばらくこの県にいたらしい。その頃の知り合いなんだろうな、あの様子を見る限りは」

「へえ、幼馴染っすか。道理で見たことない顔してるわけっすね」

「ちなみに湊は巨乳好きらしい」

「おいおいおいおいおい。美姫ちゃんのわがままボディ狙いかよ、あのクソナード。許せねえっすわ。眼鏡どっかに隠してやろうかな」

「陰湿だな」

「まあ、元々好きじゃねえんすよ。あいつらの系譜は」

「……?」

「メディアお断りの堅物気取りなとこ、対話拒否のプレースタイル……全部嫌いっす。あんなのをちやほやしてっから――」

 黒崎の、本気の敵意。普段口調同様に軽薄極まりない男であるのだが、そんな男が珍しく重苦しい、そういう眼を向けていた。

 そう、あの貴翔へ向けているものと同じ色を。

「ちやほやしてるから、何だよ?」

「……いや、何でもないっす。っと、メシが冷めるっすよ、志賀君」

「テメエがべらべら話すせいだろうが」

「まあまあ、たまにはいいじゃないすか。大会でもなければ顔合わせる機会もそうないんすから。あとはジュニアのナショナルくらいすかねえ」

「……っち。どうせ俺はナショナルの候補にも入ってねえよ」

「そりゃあしゃーないっす。日本の上位二十人なんすからね。ナショナルチームは。俺と山口君は候補……で、貴翔だけが選手っすから」

 ナショナルチームとは所属の垣根を越えた日本代表のことである。選手は五名選抜され、後ろに候補が十五人控えている。もちろん日本代表であるため、大学や実業団、Tリーグの面々もライバルである。当然、高校生は少ない。

 少なかった、か。

 ただ、龍星館のナンバー2である志賀十劫もジュニアのU18では代表入りをしており、近々候補に選ばれるのではないか、と目されている。

 要はこの三人は全国的、全年齢的に見てもトップレベル、ということ。

「すぐに追いつく」

「その頃には俺は選手入り予定っすけどね」

「言ってろ」

 強豪校の中でも特別な三人は並び、遅くなった昼食を掻っ込む。


     ○


 午後の練習もつつがなく進行していく。さすが強豪校同士、一つ一つの動作が洗練されており、合間に行われるディスカッションのレベルも高い。

「……」

 ただ、同時に練習内容に関してはあまりアップデート出来ることはなかった。もちろんフィジカルトレなどは成長段階に伴い変化もあるのだろうが、卓球と言う競技のコアな練習部分は変わりなく多少拍子抜けする部分もあった。

 やはり強豪校の利点とはレベルの高い子たちが集まり、学校側のバックアップを受けながら長時間競技に没頭できる、そう言う点にあるのだろう。

 逆に言えば、レベルの高い環境さえ用意できたなら――

(……僕次第、か)

 不知火湊は改めて自分の、指針となる者の重要性を肌で感じた。当たり前のように全国トップレベルが周りにいる。其処が彼女たちの基準、其処に至らねばレギュラーメンバーにならねば、龍星館や青森田中と言う名門に来た意味がない。

「あ、すいません」

「ミスは良いよ。落ち着いて」

「で、でも、その、私」

 今、湊が球出しをしている子はどうにもピリッとしない感じがした。技術はある。体力に不安があるようにも見えない。

 ただ、何だろう。昔の自分と同じく何処かちぐはぐな印象がある。

 精神の調和がとれていない、的な。

「はい、深呼吸して。あと笑顔、力が入り過ぎるといいプレーが出来ないからね。これ経験則。リラックスリラックス」

「わ、笑えないです。私、勝たなきゃいけない試合で、負けた身なので」

「……あー、わかるなぁ。そういう試合ってあるよね。でも、負けても続くし、いつかはまた負けるよ。誰だってそう。ま、引きずる気持ちもわかるけどね」

「わ、私のせいで、うっ」

「いっ!? ちょ、大丈夫!?」

 何かを思い出したのか、急に吐き気を催す少女の背中を湊は支え、とりあえず撫でてみる。これで良いのかはよくわからない。

「すまへん。この子、この前インターハイで負けた子でな」

 其処へ有栖川聖がやって来る。

「インターハイ……なるほどぉ」

「ちょっとメンタル崩しとんねん。ほれ、あっちで休もか」

「……すいません」

 身を震わせ、涙を流し始める少女を見て、

「あの、大きなお世話かもしれないけど……あんまり気にしちゃ駄目だよ。そもそも大事なS1落とした那由多が悪いし」

 湊は声をかけた。

「ッ!?」

 隣の台で流れ弾に顔を歪める那由多。

「……いやな、この子如月さんの代わりで、それが元で三年からも、色々あんねん」

「それ関係なくないですか?」

「そらまあ、ボクらはそう思っとるけど」

 今の彼女の必要な言葉は何も思い浮かばない。強豪校の団体戦、湊はその重みを担う立場になったことがないから。

 ただ、団体戦の負け、その格別に苦みは傍で感じた。

 だからこそ――

「勝ち負けは全部自分のものだ。他人は関係ないよ」

 あえて、それを否定する。佐村光の理屈は自分にとって救いだったけれど、ここは強豪校である。彼女たちは上を目指すためにここへ来た。

 なら、仲良し意識などいらない。それが重荷なら捨ててもいい。一年でレギュラー、嫉妬交じりの理屈になど耳を貸すべきではない。

 ここではただ、強さだけが全てのはずだから。

「たかがインターハイ。少なくとも聖や那由多はそう思っているんじゃない? 所詮は国内戦、先は無いし、しかもジュニア限定だ。君は其処で一喜一憂する程度の選手になるつもり? その程度の志ならば、そこまでだけどね」

「……」

「あはは、言うてくれるなぁ、湊ちゃん。主将としてのボクは肯定できへんけど、選手としてのボクは肯定するで。所詮、其処止まり。その通りや」

 聖は少女の頭をポンポンと撫で、共にその場から離れていく。

「湊、良いこと言った」

 隣の台の那由多もまた湊を肯定する。

「どの口がって話だけどねえ」

「今から強豪に入って、胸を張って言える立場になればいいだけ。具体的にはここ」

「しつこいなぁ」

「私は常に湊にとって最善の道を考えている」

「母さんかよ」

 立ち直るかは彼女次第。自分にとって佐村先輩が救いとなったように、彼女にもそういう出会いが、変化が訪れることを祈るしかない。

(ああいうの、他人事とは思えないんだよなぁ)

 所詮は今日会ったばかり、ちょっと練習で一緒になっただけであるが――

「……驚いた。ああいうこと言う印象なかったから」

「うん。優しいね、湊君は」

 少し離れた台で練習中の姫路と佐久間姉はこっそりと一連の動向を見ていた。

「……ま、まあ、気遣いから出た言葉だと思うけど、言動自体は冷たかったような」

「そうかなぁ?」

「……何言っても肯定的に受け取りそうだね、姫路は」

 先ほど念願叶い有頂天の姫路美姫であった。


     ○


「……」

 青森田中総監督、田中富士恵は興味深そうに指導する不知火湊を見つめていた。丁寧な指導はもちろん、他者への気遣いなども以前の彼にはなかったもの。

 ただ、それは別にどうでもいい。

 球出しの上手さもかなりのものだが、特筆すべきはフリーでの打ち合いである。相手の良いところを引き出し、練習したいレンジに付き合う。

 女子選手相手なので滅多に後ろまでは下がらないが、かつては前専門であることを考えたなら中陣も器用に利用する様はかなりの伸びしろに感じられた。

 卓球が広くなった。

 卓球が深くなった。

 あの張り詰めたような、修羅の如し強さと引き換えに――

「おばあ、あいつに興味あるんすか?」

 試行中の田中、その背後にひょっこりと黒崎豹馬が現れる。

「……誰がこちらへ来ても良いと言いましたか、豹馬」

「まあまあ、硬いこと言わずにぃ。で、どうなんすか?」

「……ええ、まあ、興味はありますね」

「なら、やらせて欲しいっす」

「珍しい。どういう風の吹き回しですか?」

「ただの気まぐれっすよ。でも、面白くないすか? おばあの見込んでいたやつと、おばあの愛弟子、どっちが勝つか?」

「愛弟子と言った覚えはありませんが……」

 選手の本気を引き出すなら、今の不知火湊を見たいのならば、どれだけ強くともカテゴリーエラーである女子では不足。何よりも彼自身、あくまで練習パートナーに徹しているところも煩わしいとは思っていた。

 黒崎豹馬ならば十分過ぎる。

「志賀十劫には?」

「勝ってきたっすよ。楽勝で」

「……嘘おっしゃい。ですがいいでしょう。口出しはしません」

「サンキュー、おばあ」

「何か策があるんですか?」

「そりゃあもう。我に秘策ありっす」

「……」

 一抹の不安を抱えつつ、愛弟子の動向を見つめる田中総監督。あのやんちゃ坊主も何だかんだと成長した。さすがに道理は弁えているはず。

 彼女は信じる。愛弟子を。

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