第36話:ボタンの掛け違い

「え!? ひめちゃんなの!?」

 龍星館自慢の栄養管理の行き届いたビュッフェで昼食を取っていた最中、さすがに忘れていないでくれ、という那由多の願いを込めた確認で不知火湊はびっくりする。いや、間違いなく可愛いのだ。顔立ちは成長と共に多少変わったが、それでも元々がその辺では見ないほどの美少女だった。今だってそう、間違いなく美人。

 しかし、

「あ、覚えていてくれたんだ」

(よかった。本当によかった。湊にも人の心が残っていた)

「い、いやぁ、変わっていてわからなかったよ」

 湊はここで本音をポロリとこぼしてしまう。良い悪いではない。ただ、間違いなく一番変わった部分はどう考えたって体型であるのだ。

「……体型?」

 乙女はすかさず、その心理を読み取り肩を落とす。

「あ、いや、ちが、そうではなくて、その」

「ううん。いいの。自分でもわかっているから」

(前言撤回。湊はアホ)

 那由多の心象はガタ落ち。元より不知火湊にその部分を期待してなどいないが、それにしたってもう少し気を遣うべきであろう。

 少なくとも那由多はそう思う。

「た、卓球! ほら、ひめちゃんの卓球ってとても綺麗で繊細だったけれど、その上に力強さも乗っかっていたからさ。滅茶苦茶変わったなって」

 されど湊もミジンコほどは成長している。何しろ最近では女性を周りに侍らす機会が多く、それなりに女性経験値も積んでいたのだ。

 佐村先輩以外にその部分での気遣いはあまりないが。

 卓球に絡めればお手の物である。

「……上手になったかな?」

「そりゃもう。びっくりするほど強くなってた。那由多に勝つわけだよ」

「むっ」

「えへへ、嬉しいなぁ」

 引き合いに出された那由多は少しムッとし、姫路美姫は本当に、とても嬉しそうに相好を崩す。ふわふわした笑顔は湊の記憶と合致する。

 あの頃のときめきを思い出すと、ほんのりドギマギしてしまう湊であった。

「午後からやろうよ。自分で言うのもあれだけど、僕も結構変わったよ」

「……」

「あれ、駄目?」

「ううん。違うの。その、昔は断られちゃったから……頑張った甲斐があったな、って。私、湊君ともう一度卓球がしたかったから、だから、頑張れたの」

 姫路美姫の告白。八年越しの想いを、覚悟を伝える。

「……え、僕が断った? 何で?」

 だけど、

「……え?」

 湊には全然心当たりがなかった。

 姫路美姫のトラウマ。あの女とばかり卓球をやるようになった。最後の最後、お別れの時も自分はあの冷たい壁に背を預けていた。

 あれを覚えていないなんて――

「ひめちゃんに謝って」

「いや、でも全然心当たりがないんだけど」

「湊は美里とばかり練習するようになって、私とひめちゃんを置いてけぼりにした」

「……ん?」

「も、もういいよ。なゆちゃん」

「私もショックだった。悔しかった」

「……おい、待て」

 そこではたと、湊も思い出す。幼き頃、少年時代の記憶が開く。

「そうなるちょっと前に僕と試合しただろ。覚えてるか?」

「もちろん」

「お前、負けてギャン泣きしただろ?」

「……?」

「したんだよ。母さんに怒られたんだぞ、僕。だから、その、ひめちゃんも泣かせたくないし、母さんにも怒られたくなかったから、あの頃絶対に勝てなかった美里にだけ挑んでいたんだよ。一回負けただけで馬鹿ほど泣いた那由多が悪くないか?」

「……なゆちゃん?」

「……そんなことも、あったような、なかったような」

「あったよ。おばさんに聞くか? おん?」

「……」

 八年越しの真実。当時、たまたま美里と美姫が不在のタイミングで湊と那由多は試合をし、たまたま湊が勝った。勝率的にはその頃は那由多の方が良く、普段負けが込んでいたため喜んだのも束の間、負けず嫌いの那由多が泣いた。

 それはもう凄まじい勢いで泣いた。

 ある意味、その光景自体が湊にとってのトラウマである。その後滅多に怒らない母親にも怒られ、踏んだり蹴ったりの湊少年は考えた。

 勝たなきゃいいんでしょ、もう、と。

 その結果が、

『わたしとも卓球してください!』

『やだ』

 に繋がる。

「それにひめちゃんも悪いよー。僕知らなかったもん。あの日が最後だって。いなくなるって知ってたら断らなかったと思うなぁ。たぶん」

「「……」」

「どうしたの、二人とも」

 姫路美姫、星宮那由多はこの世の終わりのような顔をして俯いていた。湊と美里の卓球を見て絶対に許さないと誓った。彼女ばかりを選ぶ湊への嫉妬が、鶴来美里への敵愾心へ繋がり、結果として那由多はその一念で強くなった。

 強くなって美里を幾度も負かし、彼女の心をへし折った。

 姫路美姫も同じ。あの日拒絶されたことで彼女は強くなろうと心に誓った。敵は鶴来美里、彼女に勝つために努力した。それでも届かないから名門である青森田中の中東部に入り、其処で今の卓球を得た。鶴来美里から席を奪った那由多から、自分が彼の隣の席を手に入れるため、ただそれだけのために。

 壮大なボタンの掛け違いが彼女たちを今の実力へ押し上げたのだ。

 そして美里は普通に被害者である。

「でも凄いよなぁ。美里も復帰してこれから全国区になるだろうし、そうなったらあの時の幼馴染三人が女子のトップ入りだろ? なかなかあることじゃないよ」

「……そう」「……だね」

「そうなると僕だけかぁ。どうしたもんかなぁ」

 二人は迷いを見せる湊へ視線を向けた。色々とショックであったが、どうあってもそれらは過去のこと。今となっては重要ではない。

 重要なのは、

「龍星館で上を目指すべき」

「青森田中が良いと思う」

 これからのこと。

「「むっ」」

 二人の間で火花散る。

「あ、いや、転校は考えてないよ。今の環境には満足しているから」

「「え?」」

「そんなに驚くことないだろ。良い学校だよ、明菱も」

「……明進じゃなくて?」

「ひめちゃんも知ってるんだ、明進。まあ元プロが監督だし凄いよね、公立なのにさ。選手やってて教師の資格持ちなのも凄いけど」

「一応、話題にはなっていたから。今度試合もするし」

「だけどうちも結構やるよ。黒峰先生は鬼だし、他も一人を除いて素人に毛が生えたようなものだけど、打てば響くしやる気もある。一緒に卓球をやっていて楽しいんだ。その気持ちは大事にしたいし、それをくれたあいつらと成長するよ」

 星宮那由多の、姫路美姫の、顔つきが変わる。

「それじゃあ、湊が成長しない。ヌルい環境だと駄目になる」

「結構色々弱小なりに頑張っているけどね。ま、否定は出来ないか。強豪校の設備は本当に凄いし、其処はどう足掻いても勝てない」

「私もそう思うよ、湊君。それに今は色んな選手と戦うべき時期だと思う。実戦経験を積んで、自分を磨いて、それが出来るのは強豪校だよ」

「それもそうだね」

「だから――」

「でも明菱には黒峰塾があるし身体は鍛えられる。経験値はまあ公式戦で勝ち上がれば嫌でも経験は積めるし、そっちで積むよ」

 那由多と美姫は呆気に取られる。

「迷っているのは選手としてどこまでやるか、何処を目指すか。そういう目標設定がふわふわしているんだよね。テーマは、一応あるけれど」

 自分の居場所についての迷いは欠片もない。

 龍星館と言う強豪の環境を見ても、其処に所属する者たちの熱量を見ても、再現性はともかく今現在の明菱が手も足も出ないとは微塵も思わない。

「……湊は競技を舐めている」

「かもね。でも、那由多も明菱を舐めてるだろ、お互い様だ」

「この地区は女子が粒ぞろい。あの子たちが上に勝ち進むことは不可能」

「今は、ね。明日はわからない」

「それが舐めているって言っている」

「どっちが」

 那由多は湊を睨み、湊は那由多へ挑戦的な笑みを向ける。山巓は遠く、高い。それでも湊は信じている。彼女たちが今の気持ちを持ち続けてくれるのなら、自分と同じ熱量を持ち続けてくれるのなら、頂にも届き得ると。

「そっか。湊君はその子たちが大好きなんだね」

「やめてよ。気色悪い。あ、でも先輩に一人凄く良い人がいて――」

「ありがとう。モチベーション、湧いてきた」

「え? なんで?」

「ナイショ」

 湊は知らない。今の一連の会話で、星宮那由多と姫路美姫と言う女子トップクラスが明菱の面々を不倶戴天の敵としたことを。

 そもそも許せないではないか。

『一緒に卓球をやっていて楽しいんだ』

 自分たちが一番望んだことを、何の対価も支払わずに手に入れている連中など。勘違いからとは言え死に物狂いで鍛えた。磨いた。突き進んだ。

 その初志はただ――

「午後、久しぶりに湊君と卓球が出来るの楽しみ」

「僕もだよ」

「私もやる」

「あっはっは。かかってこい。二人まとめてぶっ倒してやる」

「「負けない」」

「負けず嫌いなのは良いけど……負けても泣かないでね」

 佐伯湊と、不知火湊と、彼の隣で楽しく卓球がしたい、それだけだった。そんな小さな願いが、彼が天才で馬鹿みたいに上へ行ってしまって彼方へと遠のいた。今は地に墜ちて手が届きそうだと思ったのに、今度は心が別のところにある。

 とても難儀だ、と彼女たちは思う。

 そして同時に、同じ初志を抱え、同じ選択をした二人は同時に決める。

 死んでも彼が大事に思っている、今の宝物たちに負けてあげない、と。けちょんけちょんに蹴散らし、頂上に登らせてなるものか、と。

 とてもくだらないモチベーション。だが、この二人はそれで天辺まで駆け上がれる力が、才能が、熱量があった。

 今度もまた、同じ。

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