第35話:不知火湊、入りまーす
「知っとる子もおると思うけど、今日の練習で補助役買ってくれた明菱高校一年の不知火湊君や。球出しとかなんでもやってくれるそうやからこき使ってなぁ」
「今日はよろしくお願いします」
「よろしくお願いします!」
体育会系の素晴らしい返事が場内に響き渡る。強豪校は挨拶もしっかりしているのだ。その辺りは明菱のバラバラ返事とは全然違う。
まあ、主に紅子谷と香月が適当なのだが。
それはさておきようやく本題である練習に参加できることとなった不知火湊であったが、どうにも全体の雰囲気が芳しくない。
一つの理由としては青森田中の一年エース、姫路の絶叫がある。あそこから調子を崩し、あっさりと星宮の前に敗れ去ってしまった。所詮は練習試合だが強豪同士のそれは今年度の格付けにほかならず思ったよりも重たい敗戦となる。そう言う勝負が不可解な決着となったのは妙な空気の一因であろう。
そしてもう一つ、これはもう今更仕方がないのだが、不知火湊、ではなく佐伯湊時代の印象もあるだろう。孤高、ストイック、他者を寄せ付けぬ求道者、みたいな印象が根深く、どう接していいのかわからないと言った感じ。
ここで幼馴染の那由多がバチコリ絡んでくれると良いのだが――
「元気出して」
「ひぐ、ぐず」
湊そっちのけで女の子を慰めている。
(……普段から女子を相手にしているし、女の子と接するスキルも身についたと思っていたけれど、よく考えたらあいつら全員特殊だった。佐村先輩以外は)
さて、どうしたものか。助け船が欲しいのだが、頼りの幼馴染は他のことで夢中だし、知人の有栖川聖はにちゃにちゃしてこの沈黙を楽しんでいるから本当に性格が悪い人だな、と湊は心の底から思った。
そんな時、
「湊くん、おっすおっす」
「ね、猫さん」
「にゃあ!」
同じく知人枠、龍星館が誇る最強ダブルスペアが一角、猫屋敷が声をかけてきた。さすが話し方以外はとても良い人なだけはある。
この流れ、乗るしかねえ。
「にゃあ!」
場内、唖然。
「にゃはははは! いやぁ、相変わらずコミュ障だね、チミは」
「いやぁ、面目ないっす」
「んじゃらば折角だし、フリーでお願いしちゃおうかな。あたしと犬が相手だ!」
「よろしくね、湊君」
猫屋敷を好き過ぎる以外は極めて常識人の犬神がぺこりと頭を下げる。
「こちらこそよろしくお願いします」
湊もぺこりと低姿勢。このやり取りを見て、佐伯湊を知る者たちは顎が外れるほどに驚いていた。佐伯湊は頭を下げないし、他の人の練習になんて付き合わない。水も飲まない、トイレもしない。そんな印象であったのだ。
「……」
青森田中一年、一軍入りの佐久間夏姫もそんな一人であった。
「コ、コンニチワ!」
「あ、你好」
『久しぶり!』
『そんなに久しぶりじゃないけどね』
『びっくりした! 私も不知火湊と練習したいな』
『じゃ、あの二人の後にやろうか』
『うん!』
不知火湊を相手にぴょんぴょん飛び跳ねながら笑顔で会話する趙欣怡。彼女の様子を見て龍星館の面々はぎょっとする。特に有栖川聖が。
(と、友達って湊君かーい! 何処で知りおうたんや。ってか、何やその雰囲気。後なんで中国語ペラペラやねん自分!)
最近、突如態度が軟化した趙欣怡であったが、少し前まではとっつき辛く皆とも距離があった。そんな彼女が見せる満面の笑み。
しかも、その相手が男ときた。
「ま、まさか」
「え、でも、そんなことある?」
「ほら、国際試合で知り合いだったとか」
「趙と時期被ってる?」
これは恋バナか、と龍星館の面々はにわかに盛り上がる。強豪校の選ばれし精鋭とは言え、其処はまあ女子高生。恋バナは大好物である。
「……趙と、なんで?」
那由多、幼馴染の謎の交友関係に眉をひそめる。中国語が話せることは知っている。だって幼馴染で家もお隣だから。
「……ねえ、なゆちゃん。もしかして……湊君私のこと覚えてないのかな?」
「っ!?」
そんな懸念が吹き飛ぶ爆弾案件が隣にいたことを思い出す那由多。
「そうだよね。小さい頃にちょっと仲が良かっただけだもんね。でも、本当に仲が良かったのかなぁ? 所詮二人のおまけ扱いだったんだよね、きっと」
「違う。そんなことない」
「どうせ、私なんて」
「……湊は?」
こっちこそ援護を寄越せとばかりに湊を探すも、
「行きますよ、猫さん」
「にゃあ!」
もう卓球の練習に入っていた。いやまあ、練習の補助に来たのだから当然であるし、それが正しい行動なのだが、いくら何でも薄情である。
(……まさか、いくら湊でも、ひめちゃんを忘れていることはない、はず)
確かに姫路美姫と一緒にいた期間はそれほど長くない。小さな頃転勤でこちらに来て、一年と少ししたらまた転勤でいなくなった。
それでも一年はがっつり一緒にいたのだ。
那由多は当然覚えている。美里も多分大丈夫。
だけど、
(……湊、だから。ちょっと不安)
不知火湊はほんの少しそう言う可能性がある。人の顔を覚えるのが苦手、名前も苦手、そして結構忘れっぽい。抜けていることも多々ある。
普段、湊と仲良しを自負する那由多も、そう言う点で彼を信頼していなかった。言えば思い出すと思うが、今忘れている可能性は十分にある。
そう言う男である。
「あらら、賑やかな練習風景ですねえ」
「し、シャス!」
そんな色々と混迷極まる卓球場に、一人の老婆が現れた。その瞬間、青森田中の面々がぐっと引き締まる。
「試合、どうなりましたか?」
青森田中総監督田中富士恵が現れたことで。先ほどの試合中は威風堂々指示を飛ばしていた青森田中の女子部監督は借りてきた猫のように身を縮こまらせる。
「ま、負けてしまいました!」
「あら、男子と女子どちらも負けてしまいましたか。残念ですねえ」
「も、申し訳ございません!」
青森田中の主将が全力で頭を下げる。
「謝る必要はありませんよ。それよりも練習なさいな」
「はい!」
先ほどまでめそめそしていた姫路美姫も含めた全員が、どでかい声で返事をした。一瞬で空気が入れ替わる。
「不知火湊君」
「あ、どうも。ご無沙汰してます」
「ええ。お久しぶり。一年ぶりかしらね」
「っす」
田中に声をかけられた湊は恐縮しながら応答する。一年前、彼女が直々にここまで来て、湊を直接勧誘しに来たことがあった。
本気ならば『彼』に勝たせてあげる、と。
その時はやる気がなかったので断ったが、まさか再開してまた会うことになろうとは。若干の気まずさがないと言ったら嘘になる。
「うちの子たちもお願いしますね」
「あ、もちろんです。はい」
「男子のトップレベルと触れ合える機会は貴重です。皆、無下にせぬように。彼に感謝しながら存分に胸を借りなさい」
「はい!」
これが強豪の指導者か、と湊は驚いていた。よく考えたら湊は強豪校に所属したことがないのだ。父親の方針で卓球部に所属しつつも練習に参加したことはないし、団体戦にも出たこともない。むしろ学校など不干渉であればあるほどいい。
と言うのが湊の父の弁。
「さあ、練習を始めましょうか」
浮ついた空気を吹き飛ばし、一気に練習モードとなった龍星館と青森田中、名将の言葉とはかくも明瞭に、空気を換えるのだ。
○
実は少し、気になっていることがある。
僕はあの子に少し、見覚えがあるのだ。ただ、あくまで雰囲気が似ているだけだが。記憶の中で輝く少女はお姫様みたいな子だった。
洋服はフリフリで、髪はふわふわ、幼心にズドンと来たことを覚えている。
ほっそりしていて、だけど柔らかそうで、女の子! って感じ。
当時、僕の周りには顔は整っているけど金太郎ヘアーの那由多と自分よりもデカいガキ大将の美里ぐらいしか女子はいなかった。
だからもう、彼女の出現にはびっくりしたもんである。
『ひめちゃん、あの、ぼく』
『なぁに、みなとくん』
『でへへ』
名前はひめちゃん。あだ名だと思う。本名は知らない。
あの子、ちょっとひめちゃんに似ている気がするんだよなぁ。でも、ひめちゃんは痩せていたし、お姫様だったし、何より卓球は繊細で綺麗で、上手で――
「ヨォ!」
でも、あんなに強くなかった。当時、そんなに強くなかった那由多よりもさらに弱かったと思う。其処が当時の僕的にはよかったんじゃないかな。
やっぱり卓球が強い子はね、どうしても負けたくないが先行してしまっていたから。今は少し落ち着いたよ。たぶん。
僕の初恋の人、ひめちゃん。
ふわふわでふりふり、お姫様な女の子。
似ている気がするんだけど、いやでも、違うよなぁ。
ひめちゃんはさ、卓球強くなかったし。雰囲気は被るけど、でも、卓球は弱かったから。いやまあ、卓球の強弱はあんまり関係ないし、そもそも幼馴染によそ様の学校で再会する確率ってどんなもんよ。天文学的なあれじゃない。
天文学的なあれがどれぐらいの数字なのか知らないけど。
まあでも、
「破ァ!」
ぽよんと揺れる胸を見て、僕の鼻の下は自然と伸びた。普段は紳士的なのだが、ああいう雰囲気には弱いのだ。擦り込みかもしれない。
『わたしのなまえね、おひめさまが2こもはいってるの』
『かわいい!』
姫路美姫、ま、彼女がひめちゃんなわけないさ。いくらお姫様が二つ入っているとはいえ、ねえ。偶然が過ぎるよ、ははははは。
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