第34話:冷たい壁が生んだ怪物たち

「わたしとも卓球してください!」

 最後だから、と少女の勇気を振り絞って放たれた言葉は、

「んー、やだ」

 少年の心ない言葉にズタズタに引き裂かれた。

「あれ、なにしてんの二人して」

「あ、美里しょーぶしょーぶ!」

「べつにいいけど」

 少女はこの日知った。卓球が大好きな少年の心を引く方法は、目の前の一番強い女の子みたいに強く成るしかないのだと。

 この日まで少女にとって卓球はただ、楽しいだけの遊びだった。そのおかげで彼らに出会えた。幼き頃の大事な思い出。

 忘れ難き壁の冷たさ。

「湊ごときが千年はやいわ!」

「ぐぬぬ」

 その時はもう一人、隣にいた。一緒にあの惨めな思いを味わった。大好きな男の子と大好きだった女の子だけが卓球をしている、勝負を楽しんでいる。

「「……」」

 この時の壁の冷たさが二人のモンスターを生んだ。

 一人はこの時、女王様であった少女をズタボロにして卓球をやめさせた。もう一人は親の転勤で離れたが牙を磨き続けた。女王様の代わりに席を奪い、彼の隣に居座る者からその席を奪い取るために。

 強く成る。それだけが彼の隣を得る方法だと信じていたから。


     ○


「……」

 不知火湊は黙り込み、先ほどまでの死闘を頭の中で反芻していた。今の自分からすれば圧倒的なフィジカルを持つ山口徹宵が接戦だが敗れた。徹宵は技術も高く、無骨で手堅い卓球をする。それらを鍛え上げられた肉体が支えるから鉄人なのだ。

 その鉄人の、王道卓球が――

『どうもっす。山口君』

『……ああ』

 敗れ去った。天賦の肉体を持つ男、黒崎豹馬によって。

 豹馬の戦型は所謂オールラウンダーである。徹宵は中陣のドライブマンに対し、より深く、より広く、より遠くでプレーをする。

 豊富な運動量が要求され、湊などブランクもあるが1セットでガス欠となった。それをフルセットやり切る体力があるのだろうから、アスリートとして自分と比べたらずっと彼は先にいる。それはわかっている。

 しかし、釈然としないのは豹馬自身、歴の浅さもあるがそれほど卓球が上手くない、と言うところにある。フィジカルの、運動量の暴力。

 そしてそれ以上に満ち溢れる――卓球センス。

 よく卓球の強さに関して様々な段階の者に問いかけるとこう返って来る。

 初心者は技術と答え、中級者以上はセンスと答える。

 本当に上の世界では技術とセンスを兼ね備え、その上でフィジカルなどを高める領域ではあるのだが、卓球がセンスゲームであることは否定し切れない。

 上手くても弱い人はいる。

 下手なのに強い人もいる。

 その違いはもう卓球のセンスであり勝ち負けへの嗅覚、と見るしかない。

「黒崎君の卓球、あまり好きではありませんか?」

「いえ、そんなつもりは」

「まあ、長年卓球をやってきた者ほど、好きにはなれませんよね」

「……」

 センスとフィジカル、どちらも生まれ持ったものである。彼とて短い卓球人生の中で必死に積み上げたのだろうが、それでも徹宵や湊と比べて卓球に捧げてきた時間は短い。一度捨てた湊とて、両親ともに卓球の競技者であり物心つく前からラケットとピンポン球を玩具に遊んでいた。ブランク以外は全て卓球漬けである。

 積み重ねが違う。厚みが違う。

 だけど、おそらく卓球が強いのは――

「さ、気を取り直して女子の試合を見ましょうか。丁度、やり合っている最中です」

「か、開始前から見たかったんですけど」

「それは失礼。声をかけようと思ったのですが、随分と試合に見入っていたようでしたので、機を逸してしまいました」

「……」

 自分にも悪い点があったので、湊は何も言えなくなる。実際に二人の試合に集中していたのは事実。他の試合もレベルが高かった。

 率直に面白い、と思わされた。

「彼女たちもレベルが高いですよ。何せ、今年の覇者と昨年の覇者ですから」

 乾により開け放たれた扉、その先では――

「ヨォ!」

「サァッ!」

 男子に引けを取らぬ熱量で、熱戦を繰り広げる両校の姿が在った。

 男子に比べると明らかに球は軽く見える。ボールスピードも多少見劣りする。それでもここまで男女の強さが肉薄する競技も珍しいだろう。男女が同じ土俵で競い合う、それがきちんとした競技として成立するのはそれほど多くない。

 だから、しっかりと見応えがある。

(レベル高いなぁ。あいつらも結構伸びて来たけど、さすがにこの辺と比べると月とその辺の星ぐらい差があるね、こりゃ)

 先ほどまでざわついていた心がすん、と落ち着く。昔は本当に女子選手に、と言うか幼馴染の那由多や美里に対抗心を抱いていたものだが、今となってはさすがにそこまで大人げなくはない。湊も成長したのだ。

 未だに恋愛対象として見られるか、と言われると首をかしげたくなるが、それでも美里にジャブを打ったり、佐村光推しになったりと、実は年々基準はガバガバになってきている。だって恋愛、したいもの。みなと。

(お、円城寺の2Pカラーがいる)

 世間からすると妹の円城寺秋良の方がじゃない方、であるが、湊からすると姉である佐久間夏姫の方がじゃない方、となる。

 まあ、クラスメイトなので当然ではあるが。

(……うわぁ、ちょっとの間で凄く伸びてるな)

 かつて湊は秋良を勧誘する際、そんなに変わらないだろ、と言ったが、青森田中に入る前、入った後でかなり伸びて見えた。今の状態で比較したら、さすがに湊も似たようなもんだろ、とは言えない。

 アグレッシブな攻めは変わらず、課題だった粗い卓球もかなり改善されている。一人でやってやる、と言う闘志がよく見える。

(で、やっぱりあの子は龍星館だったか)

 中国からの留学生趙欣怡。アグレッシブな佐久間夏姫を相手に、さすがの手綱さばきを見せる。技術がある。それと以前よりも卓球が広くなった。

 この二人のマッチアップは趙欣怡の方に軍配が上がりそうである。

(聖は……まあいいや。相手の人もこれまた暑苦しい卓球だけど、そういうのが一番合口悪いんだよな、聖の卓球と)

 変幻自在のサーブ。常に逆を突き、惑わし、相手から主導権を奪い取る彼女の生命線。相変わらずいやらしい卓球をする。絶対に性格が悪い。

 そして一番目を引くのは――

「やはり気になりますか?」

「ええ、まあ。那由多と、星宮選手とやっているあの子、誰ですか?」

「姫路美姫、星宮キラーの名を持つ世界ランカーです。ただまあ、ムラのある選手なのでランク自体は低めなのですがね」

「一般に混じってジュニアの選手がランク入りしている時点で化け物ですよ」

「それはその通りです」

 星宮那由多対姫路美姫。まさに死闘である。そして卓球の質も対照的。那由多の卓球は美しく繊細、卓越したボールタッチにより生み出される球は本当に、小憎らしいほど美しい。逆に美姫の卓球は豪快なパワーで押してくるタイプ。もちろん技術も素晴らしいが、それ以上に豊満なボディから生み出されるパワーは凄まじい。

 体の使い方も上手いのだろうが、それにしても女子とは思えない打球音である。単純な力比べなら紅子谷花音や竜宮レオナらの方が上だろうが、打った球の重みは彼女たちよりのさらに上を行く。

「でも、那由多が勝ちそうですね」

「夏の決勝にピークを持ってきた反動でしょうか。インターハイではかなり絞れていましたよ。決勝は特に。星宮君に照準を合わせていたのでしょう」

「……あいつ、何か恨まれているんですか?」

「さあ。仲は良いと聞きますが。よく会場でも一緒に昼食を取っていたりしているようですし。もちろん、女子のトップ選手同士対抗心はあると思いますが」

「……那由多が、昼食を?」

 湊の知る限り、星宮那由多はかなりの人見知りである。チームメイト以外とご飯を食べているところなど見たことがない。国際大会でも聖にくっついていたそうだし、本人も知らない人とは嫌と言っていた。

「ッ!?」

 思考を遮るほどの轟音が響き渡る。

「ヨォォオッ!」

 マッチポイント、追い詰められた美姫は執念で一点を取り返す。その眼は爛々と相手を、那由多を殺そうとでもしているかのような暗い情念を感じた。

 と言うか、打球音が人を殺せそうなのだからやはり女子の範疇じゃない。

「はは、気ぃ強いですね」

 那由多も殺気に似た視線を送る。これぞ強豪同士、強敵同士の卓球であろう。先ほどとは違い、どちらも技術的には湊も認めざるを得ないレベルであるし、見ていてとても心地よい。素晴らしい勝負だと思った。

 だから、

「いいぞ! どっちも頑張れ!」

 自然と声が出てしまった。

 その結果、

「湊!?」

 那由多が驚いた表情でこちらを見る。彼女には行くと伝えてあるし、そんなに驚くようなことはないと思うのだが。

 そしてもう一人、

「……え?」

 姫路美姫は硬直する。殺意の波動みたいな闘志は掻き消え、呆然と湊を見つめる。何故か頬をつねり始めた。柔らかそうなほっぺである。

「……なゆちゃん?」

「……伝え忘れてた。今日、湊が見学に来る」

「……本物?」

「ん」

 こくり、と首肯する那由多。その瞬間、美姫はガタガタと震え出した。その振動で震える自らの肉を抓み、揉み、

「イヤァァァァァアアアアアアアアアアアアアアッ!」

 ありえん声量の絶叫が響き渡る。

「……へ?」

 不知火湊は呆然と、立ち尽くす。

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