第31話:楽しい卓球

((上手い!?))

 不知火湊と趙欣怡は同時に驚き、目を見張る。経験者であるほどにわかる、ラリーの質。ボールタッチ、動きの滑らかさ、軌道の美しさ、そして正確無比なボールコントロール。続ける気がなくとも無限に続けられる。

 球の威力も本気で打ち合っているわけではないが、かと言ってコントロールのために手を抜いている気配はない。正しく、必要な分の力を込めて撃ち放つ。

 その上、完全にコントロールされている。

(……留学生、高校世代ならたぶん龍星館の子だな。その上だと、どうだろ? このレベルの子が県内で進学するだろうか)

(素晴らしい。聖や那由多と比べても遜色がない上に、男子特有の力強さもある。不知火湊、こんな人が何故場末の卓球ショップに?)

 双方、相手のレベルの高さに驚く。練達者ゆえにただのラリーで力量が透けるのだ。積み上げた修練の跡、それらを支える確かなセンス。

 努力と才能が正しく積まれた芸術。

『上手だね』

『そちらこそ。びっくりした』

『こちらこそ』

 バックもフォアと変わらず、当然のように両ハンド完璧に仕上げている。かつての卓球ではオールフォアと言う思想があったり、バックハンドが不十分でも通用したものだが、現代卓球では両ハンドが振れて当たり前。苦手など許されない。

 レベルの高さが球から伝わって来る。

『じゃ、フリーで』

『うん』

 フリー、好きなように打ち合えばさらにわかりやすく双方上手い。サーブの質が高く、しっかりと意思の通りに、意図の通りに回転が加えられたそれは、気合のチキータで無理やり持っていくか正しい面で、回転方向で捌かねば途端にコントロールを失ってしまうほどキレッキレである。

(丁寧なサーブだ。回転も綺麗。年季を感じるね)

 普段湊が相手をしているのは才能があっても経験が圧倒的に足りぬ者たちばかりである。ただ、ボールタッチと言うのはある程度経験を重ねなければピシャリと来ないもの。感覚の世界だからこそ、こればかりは自分で掴み取るしかない。

 円城寺以外、まだまだ粗く、甘いと言うのが湊の考えである。

 その水準は、目の前の相手は悠々と突破している。

(聖のような多彩なサービス。それでいてどれも一級品。あっちと比較しても――)

 趙欣怡にとって卓球とは自分の出身である中国が基準。確かに聖や那由多のようなトップ層に比肩する子は日本にもいるが、例えば選手全体の平均を取った場合、其処には大きな差が出てくるだろう。ゆえに彼女の評価は辛い。

 それこそ龍星館のレギュラークラスでようやく認めてもいい、と言うレベル。少なくとも落伍者でしかない己に敗れているようでは話にならない。

 だからこそ――

「っしっ!」

「……!」

 不知火湊の評価がわからなくなる。

(……私よりは強い。合わせてくれている。それはわかる。サーブだけじゃなくて卓球自体が多彩。それは凄い。ただ、サーブほどクオリティは安定していない。びっくりするほど上手い時もあれば、逆もある。そして――)

 時折ちらつく、

『どうしたの?』

『ううん。何でもない』

 卓球大国中国、其処に燦然と輝く選ばれし集団である『一軍』。自分が目指し、届かなかった高み。男女の違いはあれど、

(――時折、顔を覗かせる)

 滲み出る、怪物の胎動。頂点を知る審美眼が気配を捉える。

『最強とはつまらんぞォ』

 虎の王、

『未だ道半ば……我未熟なり』

 国士無双、

『弱くなったねえ。シンシンちゃァん』

 そしてあの女――

「……ギリ」

 互いに遊び、そのつもりが趙欣怡は何かを払拭しようと、全力でドライブを叩き込む。中国で、自分の地元で通じなかったそれは、

「狭ァい!」

「阿っ」

 笑顔の少年のカットで切り裂かれた。そんなに上手くはない。カットマン自体、日本でも中国でも希少種ではあるが、それらと比較するのも馬鹿らしくなるレベル。

 ただ、とても楽しそうだった。まるで子供の悪戯みたいな、そんな雰囲気。

『まだまだ!』

 遊びの卓球。ずっと競技として、勝つために卓球を続けてきた。勝って勝って、勝ち続けて、そして負けた。負けて負けて負けて、日本に来た。

 勝ち負けだけが其処に在った。

『まだ?』

 もうとっくに本国では終わった者扱い。成らず者。それでも卓球しかなかったから、日本に来た。日本のレベルなら自分も――その甘い考えはもう消えた。

 まだまだ、ずっと唱えてきた呪詛。

 とっくにもう、崖から落ちていると言うのに。まだ、崖に手をかけていると思い込んでいる。そんな自分の弱さが、

『ゴメン、ナサイ』

『ええて、これもまあ結果やろ』

 嫌いだった。こっちでも結局、負けて迷惑をかけているのだから。

「あれ?」

『……少し、疲れちゃった』

 趙欣怡は湊の球を、追わなかった。返せなかった。


     ○


「……」

「……」

 長い沈黙だ。ずっとこの子、体育座りでしょぼくれている。おじさんが帰るまで引き伸ばせたら僕的にはそれでいいんだけど――

『大丈夫?』

 ただ、何でだろう。何故かこの子が他人な気がしないんだ。月とスッポンぐらいルックスに差はあるし、国も何もかも違うんだけど。

『……勝ちたい』

『……今のは勝ち負けの卓球じゃないよ』

 彼女は首をぶんぶん横に振る。

『今日じゃなくて、ずっと前から。この前の、インターハイでも私は負けた。龍星館で聖に、那由多に、負け続けている。中国でも、王春に、たくさん、色んな人に、負けた。負けて負けて負けて、負け続けた』

 彼女は唇を噛みしめて――

『それでもまだ、私は勝ちたいと思っている。自分が勝てる場所を探している。そんな弱い自分が、嫌いです。ずっとずっと、嫌いです』

 初対面の自分に吐露する話じゃない。だけど、単身日本にきて、一人で突っ張り続けて、そして今日、たまたま僕の隣で限界が来た。

 どんな言葉をかけるのも違う気がするけれど、何もかけないのはもっと違う。

 だってその気持ちは、僕には痛いほどわかるから。

『難しいよね、勝ち負けって。やるからには勝ちたいし、負けたらやっぱり悔しい。どれだけステージを降りてもね、その部分は変わらない』

『……』

『僕もさ、ちょっと前まで勝たなきゃ意味がないって思っていたんだ。勝てなくなって、卓球自体をやめていた』

『……嘘。あんなに上手なのに』

『本当だよ。二年ぐらいやめていたんだ。色々あって少し前に再開して、最近ようやく体力が戻ってきた感じかな? まだまだ、錆びだらけだけどね』

 少しだけ興味を持ってくれたのか、体勢そのままにこっちを向いてくれた。

『今も自分がこの先どうなるのか、どうしたいのか、正直見当もついていないんだ。選手に戻るのも違う気はするし、勝つことだけに執着するのはやめようと思っているんだけど、じゃあどうしたいんだってのは……全然わからない』

『……迷っている内に、キャリア終わっちゃう』

『確かに。卓球選手の旬って短いもんね。なるべく早く、どうすべきか決めるべきなんだろうけど……そうすべきってのはわかっているんだけど』

 そう、理屈はわかっている。もし選手を目指すのなら、明菱と言う環境はありえない。今すぐにでも強豪校へ転校して、大学進学のためにキャリアを積むべき。

 強豪大学で実績を積み、プロか実業団、はたまた海外リーグ参戦か。

 時間はない。今まさに、皆世界で戦っている最中だ。

 だけど――

『俺さ、今楽しくて』

 笑っちゃうぐらい馬鹿らしい話だけど、佐村先輩や香月たちと毎日練習をして、少しずつ上手くなる彼女たちを見るのが、楽しそうに卓球をする彼女たちを見るのが、本当に楽しいんだ。だから、今はそう言う当たり前の道を進む気はない。

『……楽しい』

『うん。人に教えたり、教わったり、自分以外の勝ち負けに一喜一憂したり……遠回りだよ。無駄な歩みだとも思う。でも、楽しいんだから仕方がない』

 僕はきっと、間抜けな顔で笑っているんだろうな。

 あの頃とは違う、馬鹿面で。

『誰だって勝ち続けるのは難しい。みんな仲良くゴールってわけにはいかない。勝ったら嬉しい。負けたら悔しい。それは当たり前。誰だってそうだ』

 自分は勝ち続けられると思っていた。父の期待に応えるんだと気張っていた。

 だから、壊れた。

『勝ち負けだけがすべてじゃ寂しいよ。負けたら終わりじゃ競技者なんて誰もいなくなる。天辺以外の全てが無価値なら、対戦相手すらいなくなっちゃう』

『……うん』

 我ながら迷走を続ける話だけれど、

『僕は今、卓球を楽しむことをテーマにしている。別に手抜きしているわけじゃなくて、むしろ色んな卓球を見て、触れて、学んで、それを出し切るために体を鍛えて、全力で卓球を楽しむ。得意なことも、苦手なことも、全部ね』

『……』

『そして願わくば……自分の卓球を、めちゃくちゃ楽しんでいる気持ちを、誰かに伝えられたらって、そう思っている。そういう道もあると思うんだ』

『……指導者?』

『そんな大層なもんじゃないけどね。でも、そうなれたら素敵だなって』

 クソ恥ずかしい話をしてしまった。正直、逆に日本語だったら話せていなかったと思う。香月とか紅子谷だったら死んでも言わない。那由多も美里も嫌だ。

 ただ、彼女がちょっぴり自分と似ていたから。

『と言うわけで、ちょっぴり勝ち負けから離れて楽しい卓球でも、どう?』

 僕は彼女に向けてラケットを差し出す。

『……これは?』

『僕も粘着ラバー使ってみたいから、ラケット交換』

『……』

 唖然とする彼女。そりゃ、競技者としてガチであればあるほど、他人の用具を使おうなんて人はいなくなる。トッププロは一戦ごとにラバーを張り替える人もざら。感覚の世界だからこそ、其処に紛れがあっては困るから。

 だけど、今の僕らは残念ながらアマチュアだから――

『……うん』

 迷いながら、悩みながら、

『そう来なくちゃ』

 僕らは進み続けるしかない。結局離れてもさ、こうして戻ってきてしまうんだ。どうしたって僕らは、これしかないんだから。

 なら、楽しまないと損だ。ただ、それだけの話。


     ○


『もっと食い込ませて。そう、ナイスドライブ!』

『もっと擦り上げる。擦って、かける。違う、へたっぴ』

 不知火湊と趙欣怡はハイテンションラバーと粘着ラバーを交換して、さっきまでとは打って変わりグダグダな卓球に終始した。綺麗な回転も、針の穴を通すようなコントロールも何もない。めちゃくちゃな卓球である。

 点数なんて数えていない。

『よし、じゃあ次はこいつを使おう』

『ハンドソウ!? 初めて見た!』

 選手なら滅多に切り替えない道具もころころと変える。

『ここのおじさん、こういうマニアなギアを集めるの大好きだから』

 しかもドのつくほどマイナーなラケット。ハンドソウ、別名ピストルラケット。卓球大国でも滅多に拝めない色物中の色物である。

『おじさん?』

『い、いや、店長ね。店長』

『次、私も使ってみたい』

『よし来た!』

 幸い、ここは県内でも珍しい卓球専門店。卓球好きのおっさんが古今東西様々な道具を集めて悦に浸っているおもちゃ箱みたいな場所。

 彼らのような卓球好きは無限に遊べる、楽しめる。

「「あはははは」」

 笑い声は万国共通。二人は楽しい卓球に没頭した。ただひたすらに、技術も何も考えず、今までの自分の中に在った型を、全部取っ払って遊び倒す。

 今まで見えていなかった扉がある。見ずにただひたすら、自分の道を貫き通そうと足掻いて足掻いて、ずっと立ち尽くしていた。

 その閉塞感が、消える。

「来吧(来い!)!」

「破ァ!」

 ハイテンションラバーによる強烈なドライブ。粘着ラバーにはない、圧倒的な破壊力。もちろん、良し悪しはある。回転か、スピードか、どちらもはありえない。

 卓球は不思議なスポーツである。ギアひとつ取っても同じではない。

 ラバーは同じ厚みでも重量はまちまちだし、ラケットは木製だから一つとして同じものはない。あとこいつも重さが違う。ラバーだってメーカーや商品によって本当に千差万別、自分に合うギアを探すのもまた卓球の面白さ。

 その感覚を、

「うひ、抜かれたぁ」

「好ォッ!」

 趙欣怡は思い出す。子どもの頃、ただ楽しさだけがあった記憶が甦る。手の中に残る、新しい感触と共に。

 彼女は笑った。湊もまた、同じように笑う。

「あのぉ、湊君。これ、どういう状況?」

「あっ」

 真の店主、おじさんがちょっぴり顔を赤らめて戻って来た。

 やっぱりこのオヤジ、昼間っから飲んでいたらしい。娘である美里がいたら激怒して暴れ散らかしていたことだろう。

 まあ、そんなこんなで夢の時間は終わりを告げる。

「コレ、と、コレ、クダサイ」

「……へ?」

「カード、デ」

「はひ」

 あとこの店、一応カード使えたらしい。常連にせっつかれて導入した、とのこと。そのおかげで一気に在庫が消し飛んだ。富豪買いである。

『不知火湊が使っているラバーは?』

『ん。ああ、僕のはこれかな。今回はこっちを試してみるつもりだけど』

『わかった』

 彼女は頷いた後、くるりとカウンターのおじさんに向き直り、

「アレとソレも、イチマイ、ゴト、クダサイ」

「ま、まいどあり」

 湊とお揃いのラバーを追加購入した。

『あの、連絡先、交換したい』

『あ、でも、僕会話は出来るけど読み書きは出来ないよ』

『なら、文章は日本語でやり取りする』

『それならいいよ』

 嬉しそうにぴょんぴょんと飛び跳ねる趙欣怡。世の大半の男が卒倒するほどの可愛さを炸裂させているが、湊は微動だにしない。

「再见!」

「再见」

 何度も振り返る度に、パタパタと手を振る彼女を眺めながら、変わらぬ笑顔で手を振り返す湊。本当に筋金入りである。

「いやぁ、売れましたね、おじさん」

「……あの子、趙欣怡?」

「え、知ってるの? もしかして明進の子だった?」

「いやいやいや。あ、そうか、逆に同世代過ぎて湊君は知らないかぁ。一時期、その、世の卓球男子が国境を越えてみんな夢中になった卓球少女がいてね」

「へー、知らなかった」

「それが、あの子。中国でも子どもの頃めちゃくちゃ人気だったはず。まあ、かなり昔の話だけどね」

 まさかの卓球界の元スターだった模様。

「……そっか。なら、大変だったんだね」

「え?」

「勝てなくなったって言っていたからさ」

「……ああ、そうだね。その通りだ」

 湊にも覚えがある。神童、天才少年と散々持て囃されて、勝てなくなった途端潮が引くようにさあっとみんないなくなった。卓球をやめる前、それこそ山口徹宵に敗れる前にはもう、湊の周りには誰もいなかった。

 可愛くて強いからみんなの人気者。きっと強いだけの自分よりもずっと人気者だったと思う。ただ、結局は競技の世界、強くなくなってしまえば、可愛いだけでは意味がない。周りってやつは本当に残酷なのだ。

 価値がある時は集まり、価値が無くなればいなくなる。

「あの子、僕と同世代なら龍星館だよね、きっと」

「だろうねえ」

「……参ったな。皆に申し訳ないや」

 皆を思うなら彼女には落ち込んでいてもらった方が良かった。卓球はメンタルのスポーツでもある。其処のバランスを欠いた状態では勝てないものだから。

 だけど、たぶん、彼女は立ち直る気がした。

「でも、後悔はしていないんだろう?」

「うん。これっぽっちも」

 自分のおかげとまで、驕る気はないけれど。

「ならいいさ。あと、店空けていたこと美里には内緒な」

「僕のことも内緒にしてくれるなら」

 男同士の堅い握手と共に結ばれた密約。しかし残念ながら、後々母親の井戸端会議によりバレて、女房と娘の二人からなじられるのだがそれはまた別のお話。

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