第30話:留守番
僕は頭の中に在る夏休みの予定を紐解く。
定期的な部活動、黒峰塾、は横に置き――
龍星館と青森田中の合同練習、ここに練習補助と言う名目のスパイとして潜り込む。女子のトップレベルを肌で体感せよ、とのこと。
それからすぐに能登へ夏合宿。能登中央との試合も組まれている。
さらにその後も黒峰先生が鬼電をかけまくって組に組んだ練習試合が多数。
なんと忙しき夏休みか。
そんな夏を乗り切るため、
「ちわー」
僕は今、つい先日お邪魔したばかりの幼馴染の卓球用具店へやって来ていた。連日の酷使でラバーはツルり始め、さすがに限界だと観念した。
ちなみに他の面々は青陵との合同練習前に僕をのけ者にして、コーチである僕をのけ者にして、のけ者にして、此処へやって来たらしい。
のけ者にして!
まあ、明進の面々と一緒に買い物であったらしいので、女子だけと言うことなのだろうが、それにしたって薄情な話であろう。
僕は悔しくてそれを知った日、聞いた瞬間は「へえ、そうなんだ」とさらっと流しつつも、夜は枕に涙を濡らしながら悔しがった。
だって佐村先輩も顔を出したらしいのだ。神崎先輩と一緒に。金沢方面の予備校で夏期講習受けているらしいから、そのついでに寄ったそうな。
クソったれ!
まあいいもんね。夏合宿来るらしいから、其処で仲良くやるもんね。
今度はこっちがのけ者にしてやる。
「……おじさん?」
店内に人の気配はなし。僕は慌てて表の看板を見に行くも、しっかりオープンとなっている。恐ろしい話だが、この店はたまにこうなる。
たぶん、近所の友達と酒盛りでもしているのだろう。
そろそろこの店、潰れると思う。
「……参ったなぁ」
とは言え、あんな人でも卓球専門店を長年営み、製品への知識は並ではない。対して僕は、ぶっちゃけると幼少期は親任せ、メーカーがついてからはメーカーの担当者任せ、と全部ぶん投げてきた男である。
この前は先輩ぶりたくて全力で知ったかしたが、正直言うと道具への知識は曖昧であるし、多分少し古いと思う。
少なくとも、
「……ロゼナは知っていたんだけどなぁ」
前、美里に突っ込まれた製品は知らなかったし。
折角の機会だから色々と聞こうと思っていたんだけど、本人がいないのでは仕方がない。どちらにせよ店におじさんか美里がいないと会計が出来ないからなぁ。出直すしかないけど、いや、待て、出来るな、会計。
昔やらされたもんな、ままごと代わりに。
今思えば正気の沙汰ではないが、子どもの頃ここで美里と二人でお店屋さんごっこ、と言う名の店番をさせられていた。おじさんは今日みたいにガチで留守、店内には僕と美里、たまに那由多もいたっけ。
そんなにバンバンお客さんが来る店じゃないけれど、それでも当然ゼロ人ではないし、休日はたまーに繁盛もする。それを美里店長の下、僕ら下っ端がきびきびと働くのだ。どう考えてもおかしな話だが、当時はまかり通った。
いやまあ、たまたま母さんたちがその様子を目撃し、おじさんに三母親がガチの説教をして、その遊びはなくなったけど。
懐かしいなぁ。
そんなことに僕は無人のカウンターに座りながら思いを馳せる。昔はこの店内も公園のように大きく感じていたし、お宝の山にも見えていた。
実際にラケットやラバーは高価なものだけど。
「仕方ない。出直すか」
この感じだとまだまだ帰らないな、と僕は判断し立ち上がろうと――
「……」
「ッ!?」
した瞬間に、お客さんと思しき女の子が店番の存在しない店内へ現れた。女の子と目が合う。互いに小さく会釈する。
この時点で、
(……僕、店員だと思われたよね?)
無視して帰ると言う選択肢は消える。いや、別に帰っても良いんだ。僕は間違いなく、百パーセント悪くない。
でも、さすがにここで帰れるほど僕の肝は太く出来ていない。
「……」
「……」
店内には僕と女の子の二人だけ。このケースはさすがに初めて。いつもなら美里が一緒にいて、ちゃちゃっと捌いてくれるのだが、おじさんが呑気に出歩いていると言うことは、絶対に美里は部活で帰りが遅い。
お目付け役がいないから悠々出歩いているのだと容易に想像がつく。
この店は潰れて欲しくないけど、おじさんは一度天罰が下った方がいいと思う。
「……」
「……」
しかし、あれだな。僕は女の子は基本的に佐村先輩以外、胸で判断するタイプなんだけど……さすがにあのレベルはドチャクソ美人としか言えない。
まず頭が小さい。美里や那由多、香月たちも小さい方だと思うけど、明らかにそれよりもひと回り、下手するとふた回り小さい。黒髪サッラサラやんけ。
胸は、控えめかな。
手足は長い。特に足は、何処から生えてんだってぐらい長いな。
総じて同じ人間とは思えない。あとこの場末の店にも似つかわしくないな。
「……」
「……」
ラバーコーナーをガン見している。ごめんね、僕にわか知識しかないからあんまり質問に答えてあげられないんだ。下手なこと言って某レビューに星1付けられるのも困るし、いや、むしろ付けてもらうべきか。
「……」
「……」
しかしあれだね、
「……」
「……」
ずっと微動だにしないし、ずっと口を開かないし、この状況はどうなんだろうか。少なくとも僕はかなり居心地が悪いのだけれど。
一旦出直すとかどう? 最高の選択肢だと思うんだけど。
僕も出直したいんだな、これが。
「……」
「……」
じっ、と今目が合った。な、何か言わないとか。でも何を? 今日の天気か。それともやっぱり製品について。でも聞かれてもよくわかんねえ。
「……アノ」
「は、はひ!」
「……コレ、クダサイ」
「あ、はいはい、ただいま参ります」
やるしかねえ。幸い、レジの構造は昔と同じ。税率は変わったけど、電卓があるから計算方法は覚えているし行ける。つか間違っても文句言うなよ、おじさん。
「え、と、どれですか?」
「コレ」
「……キョウヒョウ。粘着か」
現在、卓球のラバーには様々な種類がある。スレイバーやマークⅤなどの昔ながらの高弾性。日本で主流のテナジーを筆頭としたハイテンションラバー。これらが裏ソフトと呼ばれるもので、それ以外に表ソフト、粒高や、珍しいところだとアンチ(今売ってんのかな)とか、本当に多種多様である。
そしてもう一つ、卓球大国中国で主流の粘着ラバー、というものがある。表面が粘着性になっており、普通のハイテンションラバーが喰い込ませて回転をかけるのだが、粘着ラバーは擦って回転をかける。
ジュニアだけど何度か世界戦でやり合ったことはある。強い弱い以前に勝手が違うことで苦しめられたっけ。
最近では国内でも結構粘着は流行っているらしいけど、さすがに主流ではないと思う。と言うか、厳密には中国のと日本のじゃ商品名が同じでも――
おっとっと。まあそれを言ったらメーカー支給と流通している製品も厳密には違うらしいし、この界隈はそういうものだと思っていた方がいいか。
ってか、この子が口数少ないのって、もしかして――
『中国の方ですか?』
『ッ!? 店員さん、中国語話せるの?』
『少しだけですけど』
女の子の顔がパーッと華やいだ。どうやら大当たりの様子。学力に難がある僕の数少ない自慢が、父親に習わされた中国語会話なのだ。父親が少し欧州を下に見ていたところもあるけれど(僕は違うぞ)、英語よりも中国語を覚えておけ、と結構前から叩き込まれていたので、まあ日常会話ぐらいなら何とかなるのだ。
凄いだろう? 披露する機会は日本じゃ滅多にないけどね。
『あの、私、趙欣怡と言います。店員さんは?』
おお、シィンイーちゃんか。かなりメジャーな名前だね。
『不知火湊、と言います』
『格好いい!』
『そ、そうかなぁ』
お世辞でも照れちゃうね。
『私、上海から来ました。知っていますか?』
『もちろん。行ったこともあるよ。観光は出来なかったけれど』
卓球の試合でね。交通機関と会場の記憶しかないけど。
『本当に!? 凄い凄い!』
『あはは』
よっぽど中国語に、母国に飢えていたんだろう。ただ中国語が話せる冴えない僕相手に、笑顔の大盤振る舞いだ。さっきまでの無表情、と言うかしかめっ面とは大違い。恐ろしい話だが、笑うとさらに美人度が増すんだな、これが。
『僕、新人だからあまり詳しくないけどごめんね』
『全然大丈夫。気にしない。本当はいつも、あっちから送ってくれるのだけど荷が滞ってしまったらしくて……買おうか迷っていたの』
『紅双喜とNittakuじゃ良し悪しはともかく結構違うもんね』
『そうなの。それで、悩んでいて』
日本の主要メーカーであるNittakuは中国の紅双喜の総代理店としてキョウヒョウシリーズを販売しているけれど、その内実はスポンジが日本製であったりとかなり違う、と昔から言われていた。良い悪いじゃない。違う、此処が重要。
あれ、でも確か――
『この新発売の国狂ブルーは確か、スポンジも紅双喜製だったような、気が』
『本当!?』
『確か、ね』
この前、香月たちから質問された時の返しに困らぬよう、カタログをチラ見していた際にそんなことが書かれていたような気がする。
ってか、ヤバいなキョウヒョウ3国狂ブルー。高過ぎて目玉飛び出るかと思った。これ勧めていいのだろうか。お金大丈夫かな。
『これ全部ください』
『……え?』
『あ、聞き取れなかった? ごめんなさい。これ、全部頂戴』
とても丁寧で聞き取りやすかったです。
『へ、へえ』
ってか、全部って、おい、待て。いや、在庫たぶんそんなにないだろうけど、それにしたって一応専門店で、それなり入荷しているはず。
全部、余裕で六桁行くぞ。
『お、お金、大丈夫?』
『カードあるから大丈夫』
うわぁ、何かこのカードすっごくギラギラしてやがる。限度額凄そう。
勝手に留学生だから苦学生かと思っていたけど、君さては金持ちの子だな。
と言うよりも、ちょっと待って欲しい。
この店、カード使えんの?
少なくとも僕が店番をしていた時には使っている客はいなかった。少なくともレジ周りにカードが使えそうな痕跡がない。
言った方がいいのか。カード使えないって。いや、でも、もし使えた場合、僕は鶴来家の家計に大ダメージを与えることになるぞ。
もしバレたら、美里に殺されるんじゃないか。この額は。
どうする。どうすべきだ。
僕は考えた。ない頭を、知恵熱が噴き出るほどに働かした。
その結果、
『……し、試打とか、どう?』
僕は引き延ばし戦術を選び取る。
『試打? 打てる場所があるの? この小さなお店に?』
『地下にね。とても狭いけど』
『店員さんと?』
『一応、それなりに打てるよ』
『とっても嬉しい!』
ぴょんぴょん飛び跳ねて嬉しさを爆発させる女の子。まだ卓球をやっていないから何とも言えないけれど、卓球をやっていなかったら今頃告白していたかもしれないな。我ながらちょろい生き物だけど、さすがにこのレベルの美人はしょうがないと思うんだよね。見たことないもん、野生で。
まあ勝手に試打とか言ってしまったけど、どうせあの珍しモノ好きのギアマニアのことだから、この辺を漁れば――
「やっぱりあった」
「……?」
試打用、と見せかけた本人用のラケット。かつて剛力を隠し持っていたことからもわかる通り、下手の横好きでこういうものを隠し持っているのだ。使えもしないのに高価な国狂ブルーがぺったりと貼られている。
「さらに一工夫、っと」
おじさんが帰宅するまで粘る。そのためには国狂ブルーの試打だけで終わらせてはならない。様々な製品を試させて、時間を消耗させる。
策士、不知火湊渾身の策略である。
『こちらへ』
『うん』
まさか彼女も思うまい。君がすでにこの僕の術中に嵌まっていることなどと。そんな邪な思いを胸に、僕は彼女を地下へと引きずり込む。
字面だけ見るとヤバいな、これ。
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