第28話:王者陥落の余波
「龍星館、今年は盤石だと思っていたのですが」
「育成世代の難しさ、でしょうか。昨年よりも個人の力は上がっているのに」
明進、青陵の指導者たちが語るように、今年の龍星館は優勝候補ド本命であった。昨年、県予選からインターハイ本選までただの一つも星を落とさなかったポイントゲッターである当時一年の有栖川聖、猫屋敷、犬神のペアがそのまま残り、星宮那由多を筆頭とする有力な一年が入ったことで、当時二年のレギュラーメンバーであった如月が其処から外れるほどの層。間違いなく昨年よりも強力。
それなのに敗れ去ったのだ。
「S1の星宮の負けを後続が引き継いだ形か。さすがに百戦錬磨の犬猫が流れを断ち切るも、S3落として終戦。大将戦前に勝負が決まった」
青陵エース橘は何とも言えぬ表情を浮かべていた。龍星館に勝ちたい、それはあの学校に選ばれなかった自分のような選手としては悲願である。しかし、其処には同時に憧れと、自分以外には負けて欲しくない想いも同居していた。
ぶっ倒したい。でも、負けて欲しくない。
「今の那由多を……どこのどいつよ。私の獲物だってのに」
「別に美里の獲物じゃないだろ。まだちょっと差もあるし」
「うるせえおっぱい星人は母星に帰れ!」
「……何言ってんだ、こいつ」
幼馴染同士の掛け合いを披露したことで、小春と秋良辺りがどす黒いオーラを放ちつつあるが、それはさておきなぜ負けたのかは興味がある。
すでに世界で戦う星宮那由多。生半可な相手には負けるはずがないのだが。
「……姫路、美姫。……あれ?」
「お姫様が二つかぁ、可愛らしい名前だなぁ。……あれ?」
美里と湊、二人は同時に考え込む。
名前の響きに既視感があったから。
「前も、こんなやり取りをしたような……まあ、気のせいか」
湊は即座に白旗。男不知火湊、ナイーブなくせに細かいところにこだわらない図太さを兼ね備えているのだ。
「逆になんでお前ら二人が知らねえんだよ、姫路美姫だぞ?」
「レオナは知ってるの?」
「だから、知らねえやついねえよ。女子の選手なら」
常識だろ、と言わんばかりの竜宮レオナの反応に美里は困惑する。自分は知らない。少なくとも記憶にある人物とは重ならない。
だって彼女は――
「鶴来が知らないのも無理はないかもね。丁度、鶴来が卓球をやめた時期から伸びてきた選手だから。かなり調子にムラのある選手だけど、その分調整がピタリとはまった時は鬼のように強い子だよ。今のジュニア世代なら聖、星宮に次いで三番手じゃないかな? 調子崩している時はとことん弱いけどね」
世代三番手、しかし美里が戦っていた時代は無名。そして、同姓同名。
「……じゃあ、本当に、あの子なの?」
「へえ、美里知ってんだ」
「……私の思っている子ならあんたも知ってるけどね」
「またまたぁ」
「まあ、確証無いしいいや。それに青森田中なら……近い内にやれるし」
「え、美里たち青森田中とやるの?」
「あっちの遠征に合わせてね。一応、県予選は決勝まで行った強豪ですから」
「北信越は初戦で負けてたけどな」
「……売ってんの?」
「ただの事実じゃないか。やだなぁ、もう」
誰がどう見ても喧嘩を売っているようにしか見えない。しかし、明菱の面々は知っている。不知火湊、この男が素で煽り体質なことを。
思っていることがそのまま口に出るのだ。悪気なく。
「まあまあ、鶴来」
「先生、やらせてください」
「ダメだ。多球練習から逃げるな」
「……ちぃ」
まあ、今回に関してはあえてヒートアップする振りをして、多球練習地獄から抜け出してやる、と言う美里側にも邪気があったのでその辺は御相子。
それだけ苦しいものなのだ、多球練習とは。
○
佐村光はただひたすらに沈黙を続ける如月を見て、哀しげな表情を浮かべていた。卓球はフィジカルと技術、勝負勘などのほかに精神面も重要なスポーツである。心根一つで結果が覆ることはザラにある。
如月の代わりにS2を任されていた一年生。名門龍星館のレギュラーであり、如月を打ち破ったほどの実力者でもある。だからこそ如月は退いた。
部のために。
「……」
ただ、同時に監督が迷う程度には如月と一年の実力自体は近いものであった。やり合えば今でも十回に四回は如月が勝つだろう。
勝負の結果しか今は見えない。普通に実力負けした可能性もある。しかし、もし僅差で、星宮那由多の敗北、その動揺から力を出し切れなかったとするならば、其処こそ本来如月が精神面で凌駕し、取り返すべきところだったのかもしれない。
勝負の世界にたらればはない。
如月がいたところで負けていた可能性もある。それでも同じ敗戦ならば、誰か敗北を背負う必要があるのなら、それは唯一の三年であった自分であるべきだった。
「如月さん。もうすぐお昼終わるよ」
「……そう、ですね。行きましょうか」
今年の龍星館、去年よりもはるかに厚みの増した陣容で負けるわけがない、と如月でさえタカをくくっていた。より才能のある者に全国優勝の経験を積ませてあげたい。先のない自分ではなく。それは覇者の驕りであったのか。
もしかしたら監督が実力でわずかに劣る如月をメンバーから外そうとしなかったのは、こういうことも考慮に入れていたのかもしれない。
自らの浅慮を――悔いる。
○
「さ、サインですか? 僕、今ただの学生コーチですけど」
「この雑誌に不知火湊、橘真理へ、とお願いします」
「え、名字もそっちで良いんですか?」
「はい」
青陵エース、もとい恥部の橘真理はこの合同練習が組まれた段階で全ての計画を練りに練り上げていた。本来ならば出会って即抱き着き、チューをして、簀巻にして持ち帰りたい衝動に溢れているが、それは競技で鍛えた精神で抑え込む。
練習中に少々おもらししてしまったが、彼女にしては頑張ってこらえた方である。大事なのは皆が疲れ切った最後の最後、この刹那まで伏していたのだ。
(やられたッ!?)
円城寺秋良は、策士として一枚も二枚も上手であった橘真理の手腕に屈する。天才少年佐伯湊のサインは世の中にたくさんある。自慢ではないが秋良も持っている。自慢ではないが。実際に今となっては何の自慢にもならないのはさておき。
しかし、不知火湊のサインは世の中の何処にもない。
そう、
「あはは、初めて書きましたよ、こっちは」
「そうですよね!」
あれが処女作。これから先、もう二度と取り返しのつかない一発目を、策士はきっちり確保したのだ。このリードは永遠に覆せない。
その絶望感たるや――
「……これが、敗北」
「いや、今日も馬鹿ほど負けただろ、お互いによぉ」
絶望に沈む秋良へ花音が声をかけるも、彼女が何故こうなったのかが理解出来ない以上フォローはあらぬ方向へ飛んでいく。
しかし、そんな中、
「ねえねえ」
「ん、なんだいわんこちゃん」
香月小春がほくほく顔の橘へ声をかける。
達成感からか普段以上に気取った感じの橘であったが、
「これなーんだ?」
「……え?」
小春が見せた『あるもの』を見て、表情が一変する。
有頂天から、
「そ、それは、まさか」
「小春のスリースターにコーチの名前、書いてもらったの」
「あ、ああ」
「ずっと前に、ね」
奈落の底へと、堕ちる。
勝者の笑みを浮かべる小春。勝者から敗者へと転じ打ちひしがれる橘。どう転んでも負けていた秋良の三本立て。
その滑稽な光景を他所に、
「あのよ、オレにもサインくれ」
「ええ? 君も?」
「なら私も!」「私も!」「あたしも!」「じゃあ私も!」
橘きっかけで我慢していた女子たちのタガが外れる。今の凋落ぶりを見ると信じられないが、当時は本当に人気者だったのだ。
卓球界限定で。
「……まだまだ使えそうですね、神通力」
「悪い大人の顔していますよ、先生」
「これは失礼」
輪の外でほくそ笑む黒峰と呆れ果てる部長の沙紀。つい先日光との図書館デートを目論む湊と空中戦を繰り広げた沙紀からすると理解不能な光景であった。
○
「ここ狭くなったよなぁ」
「文句言うなら家に帰れ!」
「まあまあ」
合同練習を終えた後、現地解散となったのだが湊と同じ方向に帰るのが美里しかおらず、なんやかんやと一緒に帰路につき、流れで美里の実家、卓球用具店の地下で試し打ちと言う名の試合を行っていた。
「昔は広いし、美里のことズルいと思っていたもんだけど」
「そっちの家もあったでしょ」
「あったなぁ。部屋一つ潰したやつ。今はただの空き部屋だけどね」
世間話をしながら鋭いドライブが飛び交う。何のかんのとどちらも上手い。
「また上手くなってたね、愉快な仲間たち」
「コーチがいいからね」
「ほざけ」
バックハンドドライブの打ち合い。どちらも居合切りのような構えから放たれるそれは、美しい軌跡を描き相手の陣に伸びる。
「那由多、大丈夫かな?」
「美里が心配することじゃないだろ。負けたことのない選手なんていない。世界王者でもそうだ。ちゃんと踏み越えるよ、那由多なら」
湊の那由多に対する信頼が垣間見え、少し美里は面白くなさそうな表情になる。まあ、美里も一度逃げているので何にも言えないのだが。
「……今年、世界王者は一度も負けてないけどね」
「……そう言えば、ちょっと例としては不適切だったなぁ。と言うか王虎化け物だよね。マジで誰が勝てるんだろ」
「全アスリートの中でも最高水準のフィジカルと安心安全の卓球大国中国の技術が合わさった最強王者。歴代でもトップじゃない? この手の話題は荒れるけど」
「この前、貴翔も負けたんだっけ?」
「そ、ストレートでね。でも惜しかった。ちなみにめちゃ画質のいいその試合のBD、あのクソオヤジが店の金で仕入れていたけど、見る?」
「見る!」
「よし来た。部屋行こう!」
「でも僕、汗臭くない?」
「お互い様でしょ。気にしない気にしない」
美里の部屋に上がるのも久しぶりだなぁ、と湊はしみじみ思う。一応女の子の部屋、多少どぎまぎしてしまう面もあるが、昔死ぬほど入り浸っていたことを思い出し、気にし過ぎか、と湊は子ども脳へ頭を切り替えた。
気にしない、気にしない、と。
「……」
美里が今、どういう表情であったのか、湊君は見ていなかった。
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